失ったもの


 あの時の事を、今でも思い出す。

【四天王】のいる部屋は、何とも厳かな雰囲気で包まれていた。

 地下にあるので、太陽の光が届くはずがないのに、頭上には眩しいばかりの光で埋め尽くされていた。煌びやかな宝石類が一層その輝きを増して、暗闇に慣れ切った俺たちの目には毒にも等しかった。


 その中にただ一人、ソイツはいた。


 真っ白な肌に、真っ白な髪。鋭く尖った牙をちらつかせた、緋色の瞳を持った人物。


 間違いない――アレは【魔人】だ。


 魔獣は基本的に知能が低い。だがそれは決して魔獣全員が言語を理解していないと言う訳ではない。魔獣にも種類がいて、基本的に獣の姿をしているのが【魔獣】なのだが、人間に近い魔獣――【魔人】もいるのだ。ゴブリンなどは魔人の亜種とも呼ばれている。魔人は魔獣の上位互換だ。人間と同じ器官を有しており、中には魔術に秀でた者もいる。


【魔人】のランクは総じて高い。Aランク以上は確かで、そして目の前にいるコイツは最強にして最恐の【魔王】の側近である【四天王】だ。Sランクは間違いないだろう。


「――来たか、」


 たった、たったその一言で、多大な重圧が圧し掛かる様な錯覚を覚える。

 豪華な椅子の上に座ったソイツは立ち上がると、傍に立てかけてあった一本のロングソードを持つ。ヤバい――と、俺の直感がそう言った。


 実際その直感は正しく、瞬間俺の目の前には斬撃が飛んでいた。

斬撃波動ライン・スラッシュ】までも覚えていたのか……俺はそれを反射的に避けて、固まっているユイ達に声を掛けようと――。


「みんなっ! ここまで来たんだ! 最後まで頑張ろう!」


 俺よりも先に声を掛けてくれた奴がいた。

 珍しい黒髪の、これまた珍しい黒色の瞳を持つ少年——レイだ。

 レイは声を張り上げて、その声にハッとなったのか、ユイとシーラはすぐさま戦闘態勢に入る。


 俺はニヤリと笑いながら、レイに視線を向ける。

 流石、俺と十数年共にした男だ。直ぐに俺の意図を察して、【身体強化パッシブ】を掛けてくれる。そのまま俺は単身ソイツに突っ込む。


 敵はどのような攻撃をしてくるのか。魔術ならば、この両腕に持つ魔剣【ラウ・アテンペド】の能力で封印出来る。俺は掛け声と共に剣を振りかざして――。


「お前に用は無い――」


 瞬間、俺の体は遠く離れた壁に叩きつけられていた。

 分からなかった。自分が何をされたのか、全く見えなかった。

 奴の持つ剣は魔剣ではなく普通の剣で、魔術攻撃をしたわけでも無かった。


 ――ただの一振りで、俺は打ち負けたんだ。


 ユイとシーラが奴に向かって攻撃を仕掛ける。

 連続攻撃だ。畳みかける様な攻撃を今まで防ぎ切った奴はいなかった。

 それは高ランクの魔獣でさえもだ。


 だが、奴は汗一つ掻かずに、剣を振るってその攻撃を防ぎきってしまう。

 そればかりか、途中に足蹴りなどを加えて、しっかりと追撃に来たユイとシーラを対処している。


 凡そ、時間にして数分。短い時間の中で、だがハッキリと分かった事がある。


「格が……違うっ」


 ここまで、俺たちは様々な敵と戦って来た。

 赤竜レッドドラゴンや、氷結蜘蛛ハイウェイ・スパイダーや、アークゾネスと言った魔獣や、時には冒険者同士で争う事もあった。確かに強かった。比類するまでも無く、戦って来た彼らは強かったのだ。


 だがそれらが霞んでしまう程、目の前の男は違っていた。

 勝てる見込みが無い。どれほど策略を立てようが、奴には絶対に届かない――そんな事を思ってしまう程、奴は強かった。


「……く、」


「マズイ、レイが危ない……」


 男はゆっくりとレイに近づいて行く。

 レイは杖を構えながら、様々な魔術を撃った。

 その攻撃に男はロングソードを振りながら対処していって、だがしかし――。


「ん……」


 レイの雷魔術が男にダメージを与えた。

 雷撃の技だった。男は剣で受け流そうと考えたのか、だが巧みに操られた電流はそれらを予期し、剣を媒介に奴を攻撃したのだ。

 剣術はダメなのかもしれないが、もしかすると、レイの雷魔術ならば――。


「……魔術には魔術を、だな」


 するとその男は、今まで持っていたロングソードを床に落とすと、黒い外套を翻し、その外套の内側から、複数の術式が浮かんだ。

 そこからは、筆舌に尽くしがたい程の魔術合戦が行われた。相手は様々な属性の攻撃を撃ち、レイもそれに負けじと対なる魔術を撃つ。


 俺はその戦いに加勢する事が出来なかった。

 魔術は集中力が肝だ。万が一、俺の登場でレイの集中力を阻害してしまったら、もう俺たちに勝ち目は――。


 いや、違うな。


 怖いんだ。今も体が震えていて、動こうと足に力を入れる度に、あの時の光景が嫌と言う程頭を過ってしまう。そうしている内にも、レイの額には汗が浮き出て、余裕の表情など欠片も無かった。必死で、そう正に必死で対抗していた。

 男とレイの実力は拮抗している。だが男はレイと違って汗など一滴も掻いていないし、顔には余裕が浮き出ていて――笑っていた。


「素晴らしい、素晴らしい! 今まで世界中を旅して来たが、これほどまでの魔術師を見た事が無い」


「私の名は【エアリアル】——【魔人】であり、魔王直属の護衛部隊【四天王】の内の一人!」


 エアリアルの身体は浮遊しはじめ、魔術攻撃が更に激しくなった。

 その嵐の様な激しさに、俺たちは吹き飛ばされない様にするのが精いっぱいだった。

 部屋の風景が変貌し、煌びやかな宝石が破壊される。だが男はそんな事どうでもいいのか、それよりもそれ以上の存在であるレイに興味惹かれたのか、対するレイは呼吸を荒げながら魔術を繰り出す。


 そこでエアリアルは急に魔術攻撃を止めて、レイに言った。


「どうだ――確かレイと言ったか。私と共に【魔界】に行かないか?」


 その言葉に俺たちは驚愕する。まさかそんな事を言うなんて、微塵も思っていなかったからだ。レイもその言葉に唖然とするが、だが数秒後にはいつもの様な顔つきになり、汗を拭きながら、特大の雷魔術をエアリアルに向ける。


「僕には、自分の居場所がある。お前の所なんて、死んでも行くもんか」


 その言葉に、エアリアルは本当に悲しそうな顔をしながら、そうかと一言呟いた。


「なら――その【雷魔術】だけでも貰おうか」


「なっ――!?」


 エアリアルは突如、レイの放った電撃と真っ向からぶつかった。

 激しい火花を散らしながら、エアリアルの身体は青白い電撃に呑み込まれる。

 レイの雷魔術を幾度となく見続けた俺なら分かる――レイは確実にこれで決めるつもりで放った。本気の本気……恐らく残る魔力全てを使って放ったのだろう。

 そんな大魔術を使ったせいか、レイは撃った直後に倒れてしまった。魔力枯渇の症状だ。


 俺は急いで駆け寄ろうとして――。


「……ふむ、流石に今のは効いたな」


 白煙の向こう、人影がゆらりと立ち上がった。

 そこに現れたのは、エアリアルだった。

 奴は炭になっていく外套を脱ぎ捨てると、レイの元に歩もうとする。


「……退け、お前に用はない」


「だ、ダメだ! こいつは俺たちの仲間なんだ!」


「下らない。自分の命が惜しくないのか? それとも死にたがりか?」


 立ち上がったのは良い物の、俺の足は未だに震えていて、剣を握るのが精いっぱいだ。ちらりと倒れているレイを見つめる。こんなにまでなっても、俺たちを守ろうとしてくれたアイツを、俺は自分の命惜しさで無くすとでも――?


「ざっけんな!」


 俺は誰に言ったかも分からない言葉を吐きながら、エアリアルに剣をぶつけた――。


 ==


 失敗した。


失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。


失敗した。自分を殺したくなるぐらいのを感情が、今もこの体の中を蠢いている。


 俺はレイを救えなかった。俺が気絶から戻った時にはもう既に遅くて、そこにはエアリアルの姿は見つからなかった。ただあるのは、静かに死んだように眠るレイの姿と、ユイとシーラだけだった。二人は何とか起き上がったが、レイだけが一向に目覚める気配を見せなかった。俺たちは直ぐに戻ろうとして――その光景を、見た。


 国が崩壊していたのだ。火が立ち昇り、家が灰となって燃え尽きている。

 小国家とは言え、そこそこ栄えていたはずだ。それなのに、たった数時間で、ここまで――。


「グラム様!」


「ロー爺! どうしてここに?」


 声を掛けてくれたのは、初老の男性——ロー爺さんだった。

 彼とは以前、救出依頼の時に知り合った関係で、色々と良くしてもらっているいい人だ。


「馬を運んでお待ちしておりました。さあどうぞ乗って下さい」


 俺たちが利用していた馬を、ロー爺はここまで運んできてくれたのだ。

 俺たちは荷車に乗って、ロー爺から事の詳細を聞く。

 何でも、数時間前に現れた、翼を生やした謎の男性が魔術攻撃でこの国を攻撃したのだと言う。大勢の人が無くなり、事態を見たロー爺は逃げるよりも先に、俺たちを優先したらしい。やがて雨が降り始めた。悔しさで胸がいっぱいになって、正直泣き叫びたかった。


 だけど仲間がいる。リーダーである俺が泣いてどうするんだ。

 そう思いながら、俺は雨に打たれながら、静かに、涙を零した。


 ==


 レイが目を覚ましたのは、それから一週間後の事だった。

 体を拭こうとしたユイが気づいたらしい。

 俺が拠点に戻ってきた頃には――家具がめちゃくちゃになっていた。

 まるで猛獣が通り過ぎたみたいに、食器などが割れていた。俺は悲痛そうな叫び声を聞きつけ、レイの部屋に近づく。


 部屋の傍には、ユイとシーラが佇んでいた。

 彼女の髪は少し乱れていて、服もよれよれだ。

 話を聞いてみると、何とレイが暴れてそれをとり抑えようとして……との事らしい。


「レイ……」


 俺は扉を開けずに、そう呼びかける。

 暫くすると、中から声が聞こえてきた。


「グラムか……」


 中から聞こえたのは、普段のレイでは考えられない程、低い声だった。

 水を飲んでいなかったのか、ゴホゴホと咳をしている音が聞こえる。

 俺が中に入ろうとすると、『開けるな!』と怒鳴り声が中から響いた。

 レイはただ一言、俺らに言った。


「魔術が……扱えないんだ」


 悲痛な声だった。その後から聞こえる啜り声に、俺らは何も出来ずにいた。


 ==


 それから二カ月が経過しようとしていた。

 その間、レイは一度たりとも部屋を出ようとしなかった。

 時折俺たちに魔術に関する本を要求するだけで、飯は部屋前に置くと明日には手を付けた後がある。俺はその間、師である【剣神】に教えを乞い、今日に至るまで修行をしている。ユイもシーラもそれぞれの事をやっていた。


 俺たちは何も出来なかった。あいつに何かをしてあげる事が出来なかった。

 この二カ月間は個人で依頼を受けて生活費を捻出していた。かなりギリギリの生活だった。皆が疲弊していた。だけど誰一人として、レイを存外に思う奴はいなかった。


 そんなある日だった。

 いつもの様に俺がレイの部屋にご飯を置くと、その音を聞いたのか、レイはただ一言言った。


「本を……買って欲しいんだ」


「レイ……もう俺らには、お金が――」


「これが、これがあれば【魔王の呪い】が解けるんだ! 頼む……お願いだ、グラム」


【魔王の呪い】——それがレイに掛かった状態異常。

 魔術を封印する。恐ろしい呪いだ。だけどレイにはもう一つの術が掛かっている。

 それは恐らく、魔術を奪う術だ。以前エアリアルが言っていた――【貰おうか】と。


 だからもし、その状態異常が治ったとしても、雷魔術は永遠に、戻ってこないのだろう。


 それをレイに言えるはずが無かった。

 今のレイはそれを心の支えにして生きている。

 それを奪ったら、レイは最悪——死ぬかもしれない。


「ああああああ――――っっ」


 だから俺は、何も言わないまま、部屋中を暴れているレイの叫び声に耳を塞ぎながら、逃げる様に街に出た。



 街の酒場で溺れる様に酒を飲む。

 そんな金さえ惜しいというのに、だけどやってられない気持ちで一杯だった。

 そんな中、とある会話が聞こえてきた。とある噂だった。


 ――白髪の【四天王】が、アルカ大迷宮にいるらしい。


 その言葉を聞いた俺は、そいつに掴みかかり詳細な情報を尋ねた。

 そこで聞いたのは、つい先日……新しい迷宮が生成された時の事。

 探索に向かったパーティの生き残りがそう言っていたと言う。

 今ではその迷宮は封鎖されているが、Sランクである俺たちならば出来るかもしれない。


 その日は酒場で酔いつぶれて路上で一夜を過ごし、昼頃になって慌てて帰って来た。


 すると、異様な雰囲気が辺りを包んでいるのが分かった。

 変な感じ……まるで、静寂が嫌と言う程に感じる、そんな気持ち。


 俺は慌てて玄関を入ると――。


「遅かったじゃないか」


「レ、レイ……?」


「そうだけど……どしたの? ははぁん、さては酒場で酔いつぶれて路上で寝てたな? 全く、お前は酒に弱いんだから――」


 そこにいたのは、レイだった。レイはいつもの様に昼食を口にしていた。

 あの日と同じように、いつものように振る舞う姿は、先日の事を忘れたみたいだった。忘れる……? まさかと思い、俺はユイ達の方に視線を向ける。そうして、レイの方に視線を向けて、気づいた。




 ――レイは、記憶を失くしていた。




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