温泉とこれから


「やっほ~っ! 温泉だあー!」


「温泉で走っちゃダメですよ~っ!」


 温泉の煙に包まれながら、リリムちゃんが先頭で走ります。

 いけません、温泉の床は非常に滑りやすくなっているので、もし転んでしまったら危ないです。私も、他の人がいないので、ついやってしまいそうでしたが、私がそう言うと、リリムちゃんは素直に頷いてから、ゆっくりと湯船に体を漬けました。


 私もいそいそと足を着けて……実は私も、凄く楽しみにしていました。

 火山岩で囲った浴槽に、透き通った様な透明色の温泉がこぽこぽと絶え間なく注がれています。温泉水には、以前石化病に侵されたお母さんの為に、お父さんが遠くの方からわざわざ運んできた温泉水のお風呂に一緒に入った事があります。ですが本当の温泉が想像以上に素晴らしいものだとは知りませんでした。


「ふわぁ……っ」


 じんわりと体の芯まで暖かさが広がっていきます。この温泉には魔力回復促進の他にも美肌や肌の潤いを保つといった様々な効能があると聞きました。

 美白……頭の中にゼロさんの姿が思い浮かびました。

 このお風呂に長く入れば、もしかしたらゼロさんも私に振り向いてくれるのかな――。


「ぶくぶくぶく……」


「リリム、リーシャが、溺れてる……」


「ちょちょっと! 何やってんの」


 いけません。つい考え事に熱中していたら、危うくゆでられる所でした。

 顔を上げると、そこには満天の星空が目に映ります。

 冷たい夜風が火照った顔にあたって丁度いい心地具合です。もう、出来るのであればずっとこの場所にいたい……そう思っていた、その時。


「……一緒に入っても、いいかな?」


 カララと引き戸が開いて、中から出てきたのは、黄色の髪を靡かせた少女――。

 タオルを巻いているとはいえ、無駄な脂肪が一切ない、その引き締まった体に、だけどどうしても存在感を放つそれに、私たちは全員こう思いました。


(デ、デカい……!)


「…………?」


 ルーラルさんが、私たちの視線に小首を傾げて不思議そうにこちらを見ていました。


 ==


「女子たちは……楽しそうにしているな」


 女子陣の楽し気な会話を耳にしたランザが、ぐっしょりと濡れた髪を掻き分ける。

 タオルを股の上に被せ、鍛え抜かれた筋肉が汗で煌めく。

 まだ話す余裕があるとはな……少し驚いた。


「あぁ……そうだな」


「ねえ、もう止めにしない? 僕もう――」


「バカ野郎ッ! これも鍛錬だ鍛錬!」


 左隣に座るこげ茶色の髪をした人物——ドーリ。

 普段ローブ姿で分からなかったが、こんな顔をしていたのか。

 汗で濡れているせいか、前髪が目を覆っていて少し見えづらそう。

 彼の弱気な発言に、右隣にいるランザが拳を握りしめながらそう叫ぶ。


「フン……そんなに赤い顔しながら言われてもな……」


「クソォ、絶対負けないからな……! 一番早く出た奴が温泉終わりの牛乳奢りな!」


 湿気に包まれた部屋の中央には、焼けた石がごろごろとある。

 僕は傍に置いてあった柄杓で桶の水を掬うと、その石に掛ける。

 その瞬間、ジュワッと音が広がり、一気に室内の温度が急上昇する。


「おおお……ッバカ野郎! 殺す気か!?」


「おいおい、始めたのはお前の方だろ? 言っておくが俺はまだまだやれるからな」


「んなろっ!」


 汗の量が増える。既に息は荒くなっており、息を強く吸えば呼吸器官が損傷する。

 ランザは大声を出した事を即座に後悔した。呼吸が乱れ、そろそろ意識にも影響するだろう。既に勝敗はついた。ランザは悔し気な様子だが、リードを連れて外に出た。

 恐らくリードの限界を知っての事だろう。実力はまだまだだが、リーダーとしての素質は十二分にある。


「っづああ……っ、マジ、生き返る」


「……気持ちいい」


 水風呂に飛び込む二人に続いて、僕もいそいそと入る。

 最初こそはヒヤッとしたが、ランザに半ば無理やり入らされた。

 ドクンと、熱い体が急激に冷やされて一種の心地よさを感じる。

 そして水風呂から上がって、ゆっくりとベンチの背もたれに背を付けて、夜風を浴びながら星空を眺める…………。


「ほぅ…………」


 成程、中々良い物だなこれは。

 サウナというものは初めて入ったが、これなら毎日でも行きたいぐらいだ。


「へぇ、アンタもそういう顔すんだな」


 僕の横顔を見たランザが、そう言って来た。

 ランザは僕の隣の方に座りながら、背伸びをする。

 腹部あたりから、薄く線が走っているのが分かる。……あの時、アークゾネス・オルタナティブに斬られた所だ。


 その傷を見ながら、僕は星空を眺めながら言った。


「俺だっていつも無口無表情な訳無いさ。……むしろ、逆だ」


「へぇ~、そりゃあ意外だわ。――それってさ、アンタの正体に関係するのか?」


 ランザの突然の問いに、僕は完全に面食らってしまった。

 何かを言うまでも無く、ただただ、通り過ぎて行った風が火照った体を心地よく冷やしてくれる。


「リーシャから聞いた。オレ達を助けてくれようとしてくれた事は感謝する。あのアークゾネスを討伐したのは間違いなくお前らだ」


 ランザは自身の腹を撫でながら、そう呟く。

 アークゾネスに斬りつけられた傷は、完全に癒える事は無かった。

 その痕は恐らく永遠に残り続ける事になるのだろう。ランザはその傷跡をなぞりながら、でもと、僕に言った。


「なあ――お前は?」


「剣術スキルを有している魔術師なんて聞いたこともねぇし、そもそも魔術師の癖に魔術を一切使用していない」


 ランザの言葉に、俺はなんて反論すれば良いか分からなかった。


「確かにそうだが、スキルに関しては――」


 スキルとは別に、経験値を支払って会得する方法以外にも、あるのだ。

 それは実際に体験した経験。技術がスキルとなって昇華される事はある。

 だがそれには途方もない努力が必要で、だからこの方法でスキルを増やそうとする奴はいない。それだったら魔獣でも狩って経験値を集めた方がよっぽど良いからだ。


 だけど僕の場合後者の方で、普段剣技に長けた人物の横で十年以上もの間見続けてきたから、だから気づけば保有していたと言う訳だ。


 勿論その事をランザは知っている。だがランザはビシッと僕に指を指して。


「なら、いつ学習した――? 【神之斬撃オリステラ・ノヴァ】を会得している剣士なんぞ、片手で数えられる程しかいない。あの【剣帝】グラムバーン・アストレアでさえも、習得するのに一年は掛かったと言われてる程の最上級スキルを、どうしてお前が――」


【神之斬撃】は、剣術スキルに置いて頂点に君臨するスキルだ。

 刀身に宿らせた魔力を一気に解き放つ――原理は簡単だが、そこには果てしなき努力が無ければならない。努力と才能と、剣の神様に愛されていないと出来ない、究極奥義。僕は魔術師だ。剣を振った事もあるし研鑽を重ねた時もあったけれど、結局僕に才能は無かったし、だから【剣神】は僕では無くグラムを弟子に取った訳だし。


 要するに――。


「本物は、もっと凄かったよ」


 僕があの洞窟内で放ったのは、確かに【神之斬撃オリステラ・ノヴァ】だったかもしれない。だけどそれはオリジナルよりも遥かに劣ったものだ。

 正直、本物を目にした僕に言わせてもらえば、あんなのと比べては堪ったもんじゃない。


「……それでも、それほどの実力を持ち合わせてAランクなんて、絶対おかしいだろ」


 ランザの疑惑は変わらない。

 そうだ、少なくとも僕はそうなるのを分かっていた。

 今まではAランクで留まる様な強さを見せていたが、流石にあれは無いだろう。

 恐らく、リーシャ達もこの事について分かっているはずだ。


 ――そろそろ、話さなければならない。


 僕は、ただため息を吐いて、月を見た。

 やけに大きな満月だった。その月を見ながら、僕は少しだけ頭の痛みを覚える。

 鈍痛……と言えばいいのか、実を言うとこの都市に入ってから頭痛がするのだ。

 ズキズキとした痛みが頭を突く。その謎の頭痛に苛まれながらも、僕たちは誰もいない貸し切り状態の温泉をじっくり味わった。


 ==


 温泉旅館【翡翠】。

 小高い丘付近にある、都市一番の温泉旅館だ。床一面に敷かれた大理石の下には、温泉水が流れている。だから火の魔石を用いらずとも館全体が温まるという、何とも計算し尽くされた旅館だ。予約なしの状態でいきなり訪ねて来たのだが、何とか二部屋取れて本当に良かった。


 それに加え、二時間限定だが温泉の貸し切りも出来るという事で、ランザ達がお礼にという事で多額の金額を払って貸し切ってくれたのだ。


 暖簾の前にあるちょっとしたスペース。

 アイスやら牛乳の瓶が置いてある小売店の前で僕たちは牛乳を飲んでいた。

 冷たい牛乳が喉を通って行って、実に美味しい。

 因みに牛乳は僕が払っておいた。一応礼だったとはいえ、流石にここまでされておいて、それ以上を望むつもりは無いからな。


 ――と、そんな時、風呂からの暖簾が揺らめき、中からリーシャ達が出てきた。


「……お」


 彼女らの衣服が先ほどまでとは違っていた。

 さっきまでの冒険者用の身動き重視の服では無く、外出用みたいな、だけど普段とは違う服——確か、店頭の人はこれを【浴衣】と呼んでいたか。

 浴衣を着たリーシャの目が合ってしまう。少しの沈黙、僕は何か言おうとして――。


「あ、いいなぁ~私も食べたい!」


 その時、リリムが僕の持っている瓶を指さしながらそう言った。

 その言葉に僕たちは視線を逸らして、僕は自分の空き瓶を見つめた。

 そして懐にある銅貨を思い出して。


「はぁ……」


 しょうがない……僕は小売店の店員に牛乳を三……いや四本注文した。

 冷たい牛乳が入った瓶をそれぞれに手渡す。


「ありがとう……」


 ルーラルは自分の分は無いと思っていたんだろう、少し面食らった様な顔をしながら、僕に礼を言った。


「……それで、これからどうするんだ?」


 一頻り休息を取った後に、僕は白いひげを付けるランザにそう訊ねる。

 ランザは近くの窓に映る景色を眺めながら言った。


「オレはこの後ギルドに行って報告しなくちゃ行けねぇ……お前は?」


「僕も同じだ。一緒に行くか?」


 あのダンジョンで起こった異変……証言一つだとあまり大事にならないと思われるだろう。僕がそう言うと、ランザはコクリと頷いてから空き瓶をゴミ箱に捨てて行った。


 ==


 行くならバラバラの方が良いだろう……と、ランザがそう提案したので、僕たちは丁度良いと、観光に回る事にした。所々温泉の湯気が立ち昇る大きな道。中央には小さな川が流れているので、大通りを分断するように小さな橋が出来ていた。

 リリムやディジーは楽しそうにあちらこちらを散策している。僕は少し頭痛にやられて、離れた所にある橋の上に来ていた。


 時折訪れる小舟を見下ろしながら、川に流れる水は通常の水で、その色は夜の暗闇の色を取り込んで、頭上に霞む月の光がその存在感を一層輝かせていた。


「ゼロさん」


「……リーシャ」


 声を掛けてきたのは、リーシャであった。

 彼女の頬はやや赤くなっており、吐く息は真っ白だ。


「大丈夫ですか……?」


「少し、頭痛が……。疲れが出たのかもな」


 それほど、あの時の戦闘は凄まじかった。

 生きるか死ぬかの戦闘だった。僕は自身の腕を見ながら……そう言った。

 あの時の戦闘で、僕は不完全なスキルを発動した。

 その結果——僕の手は剣を受け付けなくなった。剣を……棒状のものを持てなくなった。


 だが棒状とは言え、指でつまむロッドは持ててしまう……皮肉なものだ。


「大丈夫ですか? もし辛い様なら、病院に――」


「いや、大丈夫だ」


 リーシャは心配そうにこちらを覗くが、僕は平気そうに振る舞う。

 そこで、僕は彼女の顔をまじまじと見つめる。

 彼女の顔は火照っていて、何だか肌がいつもより綺麗に見える……。


「な、何ですか……?」


「い、いや……」


 僕はぷいと視線を逸らしながら、リーシャは自身の浴衣にそっと手を当てながら、僕に言った。


「どうですか……?」


 何を……とは言わなかった。流石の僕にでも、彼女の言おうとしていた事が分かった。僕はしどろもどろになりながら、言葉を紡ぐ。


「ま、まあ…………」


 リーシャの黄金の瞳が、僕の、虚飾の緋色の瞳を映す。

 僕は視線を逸らしながら言った。


「レンタルにしては、良い物を選んだんじゃないのか?」


「……ゼロさん」


 彼女は泣きそうな目でこちらを見つめながら、僕は髪を掻きながら、彼女に言った。ええい、分かったよ言ってやるよ!


「――よく似合ってるよ」


「え……」


 彼女はそんな間抜けた声を発しながら、僕にせがんできた。


「もう一回! もう一回言ってください!」


「も、もう言わないからな!」


 僕はそう言いながら彼女と共に街を練り歩く。

 温泉の湯気が所々から立ち昇っていく街は、温泉を使った特産品などがあり、僕らはそれらを見て回りながら楽しんでいた。


「……少し、良いですか?」


 隣で歩いていたリーシャは僕の手を掴むと、そう訊いてきた。

 まだ時間もある。僕はコクリと頷くとリーシャは着いてきてくださいと前を歩きながら言った。

 

 ==


 辿り着いたのは、少し街の大通りから離れた場所にあるベンチだった。

 周りには誰もいない。石鹸の良い匂いが辺りを漂う。

 僕は彼女を座らせる前に、一応ハンカチで拭いてから座らせた。


「ふふっ、紳士なんですね」


「当たり前だ」


 女性には紳士に当たれ……グラムの数少ない名言の中の一つだ。

 いつもとんちんかんな事ばかり言っているあいつだけれども、たまにこう言った事を言う時があった。


 実際、それなりに活躍出来ているから本当にありがたかったりする。


 彼女が座ったその隣の方に僕も腰を落ち着かせると、彼女はあのとそう切り出してきた。


「私の名前……覚えてますか?」


「あ、あぁ……」


 二週間前の、カフェテラスの時の事を思い出す。

 あの時、一人だけリーシャは名前を言うのを渋っていた。

 リリムは事情を把握していたからあまり強くは言わなかったけど、確かに、僕は彼女の本名を知らない。と言うよりも、その頃の僕は彼女らを利用しようとしていたわけで、大した関係を求めなかった。僕も自分の名前を偽っている訳だし……そう言う訳で、たいして興味も持たなかったのは本当だ。


「リーシャ。『リーシャ・アヴェイスティア・ステンノ』……それが、私の本当の名前です」


 リーシャは、少し迷いながら、だけど静かに力強く言った。

 【ステンノ】……その言葉に、僕は少し驚きながら言葉を返した。


「そうか……そう言えば、聞いた事があった。【ステンノ商会】の一人娘が、冒険者になったって……」


【ステンノ】とは言わずもがな、あの【ステンノ商会】と言う世界レベルの大企業の創設者の家系であり、大貴族だ。


 思えば、彼女がどこか僕たちと違うと言う所は幾つもあった。

 彼女の持つ装備品は駆け出しの物とは一線を画したものばかりで、彼女自身もお金の使い方が少し荒かった。どこか気品を感じる立ち振る舞いも、僕たちと共に飯を食べたときも一人だけ、食べ方が綺麗だったしテーブルマナーも守っていた。


「氷寿花が市場に流出するのは極稀れです。あそこで待つより私は、冒険者になって自分で見つけた方が早いと、そう思いました」


 街灯の光が優しく僕らを照らしている。

 先ほどまで騒がしい程うるさかった街の気配も、今では鳴りを潜めている。

 ただただ、川の流れる音だけが聞こえる世界で、リーシャは手に持っている氷結の花を見ながら、口を開いた。


「あの時の事を覚えていますか? 私たちがカルディアを超える際の出来事を」


 その言葉に、僕は昨日の出来事を思い出す。


「そう言えば、誰かと話していたな。あれは誰なんだ?」


「あれは私の、お父さんの知り合いで、その人は――」


 彼女はそこで言葉を切って、またぽろぽろと涙を零した。

 僕は先ほどベンチを拭いた時とは別のハンカチを手渡すと、彼女はそれを受け取って瞼を拭った。


「お母さんの病気が調子が芳しく無くて、恐らくこの一週間が山場だろう……と」


 その言葉に、僕は唖然とする。そんな重大な事、どうして早く言ってくれなかったのか。どうして彼女はそれでもあのダンジョンに潜ったのか。どうして――。


「俺の……せい、か」


「ゼロさんのせいじゃありません。あのダンジョンはBランクです……私たちがあの依頼を達成出来れば、【氷牙の洞窟】に行くことが出来ると思ったのです」


 リーシャはそう言うが、だがあれは僕の完全な我欲だった。

 恐らくリーシャ達が止めようと言ったとしても、僕はあそこに言ってただろう。

 あの時の自分を、ぶん殴りたい。


「僕のおかげじゃない。アークゾネスを倒せたのは、リーシャがいてくれたからだ。あの場面で、僕は完全に死を悟って動けずにいた。だけど――リーシャ、君が僕を助けてくれたんだ。だからこれは、君のお手柄だ」


 あの時の衝撃は今でも忘れられない。

 あの場で、ずっとアイツと戦っていた彼女は誰よりも、あのアークゾネスの恐怖を知っていたはずだ。足が動けなくなって、だけど君は、それでも僕を助けようと、駆け着けてくれた。


 僕の言葉に、リーシャは照れくさそうに笑いながら、その笑みに少し救われた僕も、口元に微笑を浮かべる。互いに見つめ合って、互いの息が掛かりそうな程まで接近して、その桜色の唇が、僕を――。


「――もう、探したよみんな!」


「凄い……探した」


 その時、近くの橋を渡っていたリリムが僕たちの元へ小走りで近づいて行く。

 いきなりの登場に、僕たちは元の位置に戻って、互いに笑ってしまった。

 何だか全てが上手くいくような気がした。遠回りの道にも、そろそろ終着点が見え始めた。僕たちの様子を見ていたリリム達は、ただただ首を傾げるばかりだった。


 ==


 冒険者ギルド辺りには、人が屯していた。

 その中には顔の知れた有名な冒険者も多数いた。

 中に入ると、酒場も経営しているのか、近くには座席が幾つもあって、木造建築と相まって何とも言えない雰囲気を醸し出していた。


 他の冒険者たちはとある中心の周りに円を成していて、その様子はまるでこれから楽しい催し物が始まる前の予兆では無くて、寧ろその逆だ。誰もが沈鬱な表情を浮かべながら、すると声が聞こえてきた。少し遠くにランザ達がいた。彼らは僕に気づくと、何か声を掛けようとして――。


「誰か、お願いします! 助けて下さい!」


 その声に聞き覚えがあった僕は、人混みの中を縫って渡って、中心地に辿り着いた。


 そこにいたのは、小さな猫耳を生やした、夜の様な黒髪をした獣人――アスラだった。


 彼女はよく【斥候】として、昔【夜明けの星】で活躍していた。【斥候】とはダンジョンや迷宮などの探索に置いて、先駆けて地形や魔獣たちの偵察を行う役割だ。

 役割なだけあって、職業という訳ではない。マイナー中のマイナーだが、高ランク帯になってくるとよく活用する機会が多くなる。彼女の服装はボロボロで、血が少し付着している。


 ドクン……と、何故かその時心臓が脈打って、それと同時に激しい頭痛が僕を襲った。焦燥感が容赦なく僕を掻き立てて、まさか……と僕は小声で言ってしまう。

 彼女の口が開いて、そして、僕が思っていた最悪の事態を告げた。


「誰か【夜明けの星】を助けて下さい! あのダンジョンには……【四天王】がいます」


 彼女は額を床に擦り付けながら、必死に乞うた。

 だがその手を取ってくれる冒険者はいない。

 当たり前だ……【四天王】だなんて、僕だって会った事が無い。


 ランクが高い冒険者も苦い顔をしながら、ぽつりと言った。


「二カ月前に、【四天王】が出没したダンジョンの近くにあった小国家が消えている。――正直に言うと、【夜明けの星】のリベンジマッチに付き合える程、敵を考えるべきだったな」


「リベンジマッチ……?」


 彼の発言に、僕はそう訝しむ。

 二カ月前、僕がまだレイだったころ、僕は一度も四天王の噂を耳にした事が無い。

 それなのに、どうして彼はリベンジマッチと言ったのだろうか。

 それではまるで――。


 ――僕が【四天王】に会って、敗けたみたいじゃないか。


「づ、あああぁぁ……っ!?」


 その瞬間、強烈な頭痛が、まるでハンマーに後頭部を殴られたみたいな衝撃が、頭を駆け巡った。


 僕の頭に知らない言葉が混じる。知らない情景、暗い室内に、銀色の長髪の男、歯が立たなかった、アイツはそして僕に言ったんだ。何を、何を言ってたんだっけ――。


『君の大切なものは、私が奪った』


 冷酷なまでの声が、響いた。


 バリンと視界が割れたような錯覚。

 気づけばぽたぽたと鼻から血が垂れていた。

 騒々しさが耳を掻き撫でて行って、僕は――。


「全て、思い出した……」


 僕はアスラの方を見る。彼女は何度も頭を床に着けて、頼み込んでいた。

 冒険者たちはその手を取る訳でも無く、ただぼそぼそと言い訳を口にしていた。

 彼女もそれを分かっているのだろう。だけど頭を下げる以外の方法が無いから、こうしている。


 僕は、鼻血を乱暴に拭いながら彼女に近づいた。

 背中に触れて、彼女は目に涙を貯めながら、僕の方を見る。


「あ、貴方は……」


「僕が、行きます」


 僕がそう言うと、他の冒険者は驚いた様な顔付きになって、だが僕の身なりに気づくと少しの嘲笑うかの様に言って来た。


「おいおい、こんな子供にまで縋るとは【夜明けの星】も落ちた物だな!」


 高らかに言って来た大男に、アスラは苦い顔を浮かべる。

 周囲にいた冒険者たちがその言葉に同調するかのように笑う。

 僕は――その大男の顔面に向けて足蹴りをかました。

 大男は軽く数メートルは吹っ飛ぶと、酒場のテーブルを押し倒しながら、無様に地べたに這いつくばった。


 周囲の視線が僕を射貫く。

 その視線に吐き気がこみ上げて――だけどそれらを耐えて、僕はアスラを立たせた。



 ふとその時、リーシャ達と目が合って僕は視線を逸らしながら、言った。


 その名前を。




「俺の名前はレイ。Sランク冒険者にして――【雷帝の魔術師】だ!」




















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