リーシャとゼロ



 ――初めて会ったあの日の事を、今でも思い出す。


 あの日、私はとある危険な依頼に手を出した。

 それは――【新しく出来たダンジョンの調査】という物だった。

 つい二日前に出来たダンジョン、それがどれぐらいの規模な物なのかを調べるための依頼だった。難易度は表示されていない。報酬も決して高いとは言えないものだ。

 命の危険性があるから、他の冒険者たちは避けていた依頼……私はそれを受けてしまった。


 当時の私は、早くAランク依頼を受けたくて、焦っていた。

 あの時の判断を今でも後悔している――私の愚かな判断のせいで、リリムちゃんやディジーちゃんを危険な目に晒してしまったから。

 背丈に合わない装備を担いで、重くなった荷物を引きずって、私はどんどんと奥に行ってしまった。そうして――あの赤竜と遭遇してしまった。

 戦うにつれて傷つくリリムちゃんたちを見て、私はどれほど自分の選択を悔いたか。

 あの時、ゼロさんが助けに来なければ、私たちはあの場所で死んでいました。

 そうして、私の無茶な提案を受け入れてくれて、そうしてあの夜——。


「ずっと私の傍にいるって……言ったのに……」


 分かっていた。ゼロさんが言っていた事、ちゃんと理解していたのに。

 それでも心のどこかで『ゼロさんなら付き合ってくれる』と思っていた。

 甘えていた。リーダーなのに、甘えてしまった。彼は言った――『お前はまた間違えるのか』と。


 私は――――。


「リーシャちゃん……」


 リリムちゃんの声で、私はハッと我に帰ります。

 リリムちゃんやディジーちゃんだって、本当は怖いのかもしれない。

 だけど私を信じて着いてきてくれたんだ……なら、私がちゃんとしなくてどうする。


「行きましょう」


 先行きが分からない恐怖に晒されるのはいつぶりだろう。

 私は自分に奮い立たせるように言って、松明を持ちながら暗闇の中を進んでいった。

 暗闇の中には、多数の魔獣たちがいて、何度も戦っては少しずつ傷ついて行って、きっとゼロさんならこんな事を起こさせなかった。ゼロさんなら、もっと良い戦い方を指示してくれた。


「…………っ」


 仲間が傷つく度に、自分の無力さを嘆いてしまう。

 そんな暇ないはずなのに、それなのに、心の底から呆れかえるぐらい、程々自分の愚かしさを恨んでしまった。今更戻る事はもう出来ない。ただ、前に進むことしか出来ない。


 ……そうして、私は遂にボスがいると思しき大きな扉の前に辿り着いた。

 大きな鉄製の扉は、やや半開きになっていて、私はその僅かな隙間を注意深く見ようとした。


「――――っ!」


 扉の向こうには大きな空間があって、その真ん中に――ソレはいた。

 黒色の鎧に全身を包まれた、大型の人型魔獣……確か、名前は【アークゾネス】。昔、とある依頼書に書かれていた事を思い出す。その鎧には真面な攻撃は通用せず、魔術も高位の魔術師が相手では無いと傷一つ付かない。ランクは《A+》——とても、私たちが到底敵う相手では無い。それよりも、私は別の事に衝撃を受けていた。


「ボスが違う……!?」


 以前、ランザさんが言っていた言葉を思い出す。

 確かにランザさんはこのダンジョンにいるボスを【牛頭王カウス・チョッパー】だと言っていた。このダンジョンに出没するボスで、名前の通り牛型の魔獣だ。

 ランクはBで、こんなましてや【アークゾネス】の様な上位ランクが出没するなんて、聞いた事が無い。


「そう言えば……」


 少し前に、ゼロさんがぽつりと言った言葉を思い出した。

【四天王】の出現によって、段々とダンジョンが荒れている……と。

 もしかしたら、これも、その原因故なのかもしれない。

 どうしよう……私たちが突撃しても、きっと、いや絶対に返り討ちに会うだけだ。

 だけど、ここまで来て逃げる……? ゼロさんにあれだけ啖呵を切って、結局は引き返してしまうのか。


「あっ……」


 その時、私は見てしまいました。

 そのアークゾネスがいる壁際に、【虎狼の集い】の皆さんがいる事を。

 誰が見ても瀕死の状態で、ランザさんだけが辛うじて立っていました。


「クソ……ッ! もう、ここまでか……」


 大剣を地面にさして、息絶え絶えの様子で、ランザさんは皆さんを守ろうと前に立っておりました。対峙するアークゾネスは黒い兜越しに映る赤い相貌を光らせると、手に持っていた二本の大剣を振りかざそうとしました。


「はあああぁぁっ!!」


 私はいても立ってもいられなくなり、扉を開けて中に入っていきました。剣を抜き、最速でランザさんとアークゾネスの間に割って入り、大剣の攻撃を受け止めました。


「リーシャか! 何故ここに!?」


「助けに来ました! 早くここから出ましょう!」


 私は敵の攻撃を流すと、後ろにいるランザさんにそう声を掛ける。突然の事態に、けどランザさんは直ぐに頷いて、仲間の方に駆け寄りました。ルーラルさんはまだ何とか意識を保っていますが、リードさんは完全に気絶していて、ランザさんが担ぐことになりました。このメンバーに治癒魔術の使い手はいません。ゼロさんなら出来るのでしょうか……。


「……っく!」


 アークゾネスの攻撃は苛烈で、身の丈に合わず連続攻撃を仕掛けて来ます。

 二刀流の使い手と対峙するのは、これが実は初めてなのですが、私の中にゼロさんの言葉が過りました。


『剣を使う魔獣は知能が高い。ランクが高い奴は恐らく、それ相応の剣術も有しているのだろう』


 えぇ、そうです、大ピンチです。

 アークゾネスは連続剣の使い手で、それも卓越した技量の持ち主です。

 隙なんて無い。剣を差し込む暇は無くて、ただ受け流すだけで精一杯です……。

 私がそう弱気になっていると、私の中のゼロさんが叱咤しだします。


『バカ、弱気になるな! 剣を持ったとしても、知能が高くても、所詮は魔獣だ』


 おかしいです。私の中の妄想のはずなのに、本当に言い出しそうで困っちゃいます。

 ですが、どうしてでしょう……何故か、勇気が湧いてきます。背後にいるランザさんが、何かを叫んでいますが、今の私には届きません。

 この二週間、私はゼロさんの元で戦い方の基礎を学びました。ですが、それは一挙手一投足を叩き込む事では無く、それは今まで独学だった私に合わないだろうという事で、主に魔獣の戦い方の基本について教えられました。

 敵を良く見て、挙動を注視して、攻撃を躱して叩き込む。

 ただ、それだけの事。だけど、それがどれほど難しいのか、やってみて分かる。

 ゼロさんは、いつもこんなのをやりながら、私たちの事を考えていただなんて……。


「GAAAAAAAAAAAA————!!」


 細剣の刺突が、アークゾネスの強固な鎧の隙間を突き刺す。


「———ろ!」


 ランザさんの声が、遥か遠くで聞こえる。

 その時アークゾネスは大剣を乱暴に振り回し始めた。

 嵐の様な攻撃……だけど、そんな攻撃、先ほどに比べたら何てことありません。

 いける、通用する。私の攻撃は確かに、効いている。


 その時――ランザさんの声が、鮮明に耳に入りました。


「リーシャ危ねぇ、逃げろっ!!」


「えっ――――」


 瞬間、私の真横に、大剣が飛びました。

 私はその攻撃に吹き飛ばされて、近くの壁際まで叩きつけられました。

 鎧がひしゃげて、内蔵が押しつぶされる様な感覚に、ゴブッ……と、血を吐いてしまいました。


「リーシャちゃん!」


 リリムちゃんが近づこうとするが、ランザさんがそれを喰い止める。

 良かった……あそこで飛び出してしまったらアークゾネスは間違いなく、標的をリリムちゃんにしてしまう。ランザさんはそれを分かっていて、無理やり起きたルーラルさんが、震える体を何とか立たせて、こちらに向かおうとしています。


「大丈夫……です。」


 私は立ち上がろうとして――カランと、細剣が手から滑り落ちる。

 手が、いや体全体が震えている。さっきの衝撃……? こんな、こんな事をしている場合じゃないのに……!


「GUUUUUUU——」


 アークゾネスは大剣を引きずらせながら、私の所へじりじりと迫ってきます。

 その無気質な鉄兜越しから覗かせる双眸が、爛々と輝いているのが、嫌と言う程分かります。


「立って、お願い! 動いてください……私の身体!」


 手で何度も足を叩きますが、まるで動いてくれない。

 アークゾネスはもうすぐ傍に来ていて、黒色の大剣が目の前で振り上げられます。

 皆さんが避けろと、叫んでいます。叫んでいるはずなのに、その声が聞こえません。

 まるで世界がゆっくりと動いている様に感じられ、全ての音が消え去ってしまう。


(あぁ…………)


 この世界で、ただただ訪れようとしている死の前で、私は――ただ、彼の事を思っていました。最後に離れてしまった、白髪の優しいあの人。ぶっきらぼうだけど、誰よりも私たちの事を思ってくれた、赤色の瞳を持つ謎多き人。

 最後の最後に、突き放す様に別れてしまった――今は、ただあの人に会いたい。

 ごめんなさいと、そう、言いたい――。

 もう一度……あの人に……。


 そうして、アークゾネスの大剣が振り下ろされようとした。


 正にその時。



「【麻痺パラライズ】」



 ――電流が、飛び交った。


 直後、アークゾネスはピクリとも動かなくなり、大剣を振り上げたまま、直立していました。辺りがシンと静まり返って、やがて、コツコツと聞きなれた靴の音が響いて――。


「やはり俺がいないと駄目じゃないか。このバカ…………間に合って本当に良かった」


 白髪の髪、赤き緋色の瞳。黒を基調とした冒険者服に、片手に持った短剣。

 装備だけ見れば、駆けだし冒険者を彷彿させるもの。

 だけど、私たちは知っている――この人は、どの冒険者よりも強いと。

 アークゾネスが、ギギギと首だけをそちらに向けて、低く唸る。

 アークゾネスの前に立つその少年は、一向にあちら側に視線を向けない。

 彼はずっと――私の方だけを、見つめている。


「ど、どうして……」


 私は乾いた舌を何とか潤して、言葉を紡ごうとする。

 ですが、何て言えば良いのでしょう……この溢れる万感の思いを、少しでもこの人に伝えるには、どうすれば良いのでしょう。


 分からなくて、ただただ彼の瞳を見つめる。


 スッと、彼は私の前に手を差し伸べました。

 私は彼に立たせられて――その時、初めて気づきました。

 彼の服は血に汚れていて、それはここまで来るのにどれ程時間が掛かったか、どれ程大変だったかを表していました。私は視線を下に向けながら、『ごめんなさい』と、そう言おうとした時。


「気を引き締めろ、動きを封じたとは言えそろそろ【麻痺パラライズ】の効果時間が切れる」


「え――――」


「なあ、ランザ。コイツ——倒してもいいか?」


 その白髪の少年の言う言葉に、ランザさんは最初『は?』と間抜けた声で聞き返しましたが、しかしやがてランザさんは彼に向かって、


「あぁ――頼む。やってくれ」


 そう、頭を下げてまで仰いました。

 その言葉に、その少年はこくりと頷くと、私の方を見ながら、ん、と言ってきました。


 何が何だか、理解できていない私に、少年は、目の前で今にも動こうとしているアークゾネスの前に立ち塞がると、私に言いました。


「剣を持て。体はまだ動けるな……?」


 私は知っています。目の前にいる少年が目の前にいる魔獣を倒せることを知っています。


 なら、私は下がった方が良いはずなんです。それは……以前、この人が言っていた事だから。だから私は邪魔にならないようにしようとして……。


「俺は、魔術が扱えないんだ」


「え……?」


「だから攻撃はリーシャ、君がするんだ。俺は後方支援をする……今更こんな事を言うのはあれだけど……」


 その少年は、白髪の緋色の瞳を持つ、その少年は――。


「僕も、【仲間】を信じて戦ってみたい……その、さっきはすまなかった。戻ってきて今更仲間面するなんて、どうかとは思うけど……アイツを倒そう」


 私たちの仲間で、大切な人で、師匠で、好きな人で、愛おしい人――ゼロさんが、私たちの方にチラと視線を向けながら、アークゾネスを前にして言いました。


「倒そう――僕と、君で」


 その言葉を聞いた瞬間、今まで震えていた私の身体は、今この瞬間、嘘の様に止まりました。私の中に、温かな何かが流れ込んでくるのが分かります。

 私は彼の隣に立って、細剣の切っ先をアークゾネスに向けた。


「はいっ!」


 アークゾネスは、ひと際大きな咆哮を上げました。

 だけどもう私は恐怖なんてこれっぽっちも感じません。

 もう、何も怖くない――だって私の傍には、大好きなこの人がいてくれるから。















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