僕の名前は――ゼロだ。


 ちゃぷりと、寝ぼけた頭ごと水の張った桶に突っ込み、僕は無理やり覚醒状態に持ち込む。古びた部屋の隅には埃が固まっているが、これでもエルディアのどの宿の料金よりも安い。それに加えて幾分か安くしてくれた大家さんに対して失礼だろう。


 あれから、僕は『ヴァルディア王国』から南西の方、馬を四日ほど走らせた所にある田舎町——『シーア』に辿り着いた。いや、辿り着いたのでは無くて譲歩したと言うべきか。思ったよりも金額が高かったのだ。これ以上だと、本来の目的である『アルカディア』に辿り着くころには一文無しになってしまうのを恐れて、僕は『シーア』で金を稼ごうと決心した。


 因みに『アルカディア』とは、『魔術王国アルカディア』の事であり、魔術師しかいない小国家だ。また『魔術不全』の治療にも力を入れている国であり、僕はそこを頼ることにした。


 現在の貯金は金貨十枚。

 治療費だけでも金貨三枚は下らない。それに移動費、入院するとすれば――となれば、些か今の貯金では心許ない。


「だからと言って、どうするか……」


 固いベットの上に座って、僕は熟考する。


 一応、僕の年齢は十七歳だ。

 まだ世間一般的には子供。そのためか、心情に訴えてこの宿の主人は朝飯付きで銅貨十枚という破格な値段でこの部屋を提供してくれた。ハッキリ言って、朝飯は固いパンと薄いスープで、だけど何故か味がしなかった。――僕の味覚は完全にぶっ壊れていた。


「農作業なんてやったこと無いし……商いも、そもそも元手が足りなさすぎるし、第一、この田舎で大金を積むには、少し人が少なさ過ぎる……」


 シーアは、広大な農地や牧草地が広がる田園地帯に位置していて、村の中心部には、小さな川が流れており、その周りには木々や草花が生い茂っている。村の周囲には、森林が広がっており、そこには魔獣たちが生息している。


 人口は数千人弱で、村の仲では栄えている方だと思う。

 だけど、そこから商いだけで大金を得る想像が付かない。

 僕は主人に頼み込んで、ここら一帯の地図を借りた。


 そうしてじっくり読んで――僕は大きなため息を吐いた。


 ==


 ここに来るまでは後悔しかなかった。

 絶望が、失意が僕を襲った。だけど――。


(結構……楽だな)


 自分を知らない――その事に、凄く安心感が湧く。

 だからか、さっきの店主に頼んだ時もそうだけど、人とのコミュニケーションには何ら問題は無かった。まだ早朝だからか、あまり人がいない。小川にそって歩く。


 サラサラと流れる小川には、小魚が見えた。

 それだけ自然が豊かなのだろう。その川から反射される自分を見て、少し驚いた。

 灰色のローブに身を包んだ、その僕の顔は――。


「いやいや……自分で変えたんでしょうが」


 僕は川から視線を外して、とある建物へと見据える。

 白く清潔な外壁に包まれた、だけど扉は木製で、そんな古めかしくも神聖さが残るその場所は――。


「さぁ、行こうか。レイ——いや」


 僕は深呼吸をしながら、その重そうな扉を開けた。


 ==


 扉を開けたその先には、数人の野郎どもがいた。

 厳つい顔、肥大した筋肉。体中に付けられた傷跡は、その歴戦の猛者感をアピールしていた。そこは酒場も併用しているのか、朝から飲んでいる野郎もいた。


 その全員が、一斉に僕の方へと視線を向けている。

 ――あぁ、この感覚は、いつになっても慣れないな。


「えぇっと……何か用かな?」


 受付嬢の人が、そう優しく尋ねた。

 その――白髪の少年に向かって。

 僕は、急速に乾きつつある舌を唾液で湿らせて――。


「お、俺の名前はゼロ! ゼロ! い、依頼を受けに来まひひゃ!」


 その盛大に噛んだ台詞を、僕は叫んだ。


 ==


 シーアの周囲には、様々なダンジョンがある。

 豊かな自然が、豊富な魔力が土に染み付いていて、それはダンジョン生成の条件にもなるのだ。そこに気づいた僕は思った――そのダンジョンで生成される魔石を手に入れようと。


 魔石——それは、魔力が秘められた石だ。


 それは様々なものに加工され利用され、需要は凄い高いとは言わないが、低いとも言わない。常に必要とされている物だが、ちょっとした物流で直ぐに価格が変動する。


 だが、希少であればある程値段は高くなる。一攫千金も狙えるのだ。


「はい、ゼロ君ね。ようこそ冒険者ギルドへ。……あら? 貴方スキルボード持っているのね」


 目の前にいる受付嬢は、目の前に出された書類を見ながら、再度僕の方を見る。

 オレンジ色の髪を後ろの方に結った、とても美しい女性だ。その胸元を大きく開けた制服は、エルディアでも見かけるいつもの公務員服だ。その谷間に目が吸い込まれそうになるのを抑えながら、慌てて下方向に向いて、声を絞る。


「え、は、はい……実は、数年前に一度。それで、その……実は家に忘れてしまって」


「あらそうですか。それならまた今度持ってきてくださいね」


 女性の人はそうですかといって、僕の身なりをチラチラと見ながら書類に印を押す。


 灰色の古びたローブ。白い髪に赤い色の目。誰がどう見ても――僕を【雷帝の魔術師】だと思う人はいないだろう。


「あ、あの……俺でも受けれる依頼ってありますか?」


「そうですね……それならば、こちらの『薬草採集』などは如何ですか?」


「え! 冒険者と言えばダンジョンじゃ無いんですか!?」


 僕がそう声を上げると、周囲にいた冒険者ギャラリーたちがひと際大きな笑い声をあげる。僕はそれに涙目になって振り返ると『どうして笑うんですか』と叫ぶ。

 その叫びで更に広がる笑いに、受付嬢が僕に優しく教えてくれた。


「えっとね、スキルボードを持っていないと、ゼロ君のランクはFになるの。Fランク冒険者を危険なダンジョンに、しかもパーティも連れずにソロで向かうなんて危なすぎるわ」


「そ、そんな……」


「皆、初めの内は薬草採集から始まるのよ。焦らずに、ゆっくりと実力をつけて。そうしたらお姉さんも安心してゼロ君を送れるわ」


 その丁寧な対応に、周囲の冒険者たちも『そうだそうだ』とか『頑張れよ坊主!』等声援を送ってくれる。僕はしょんぼりと顔を下げると、渋々その薬草採集を受ける事にした。


 ==


「クソッ、クソッ、クソッ!」


 シーアの村はずれにあるとある森にて。

 そこにはポーションの材料となる薬草が沢山あるらしい。

 そこで取って来るのは定められた薬草だ。受付嬢にイラスト付きの説明書まで付属された紙を貰ったが、あんなの読まなくとも大概の物は僕のスキル——『鑑定』でどうにかできる。


 いや、気づいていたよ?


 Fランク冒険者とかがソロでダンジョンに入ってはいけない事も、そもそもスキルボードを持参している時点で、提出しなければ冒険者としても資格を持てないのだ。

 そこら辺は、まあ緩い田舎と僕の演技でとうにかなった訳だけど。


「それにしても、良く通ったな……」


 そもそもとして、冒険者名を本名にしなくてもいいのかという点について、これは実を言うと何とも言えない。犯罪者が名前を変えて冒険者に……なんていう事もあるのだから。


 だけどそれをしてしまうと名前を持たない者はどうするのか。

 僕を含め、何かしらの理由があり名前が貰えなかった者達は、基本的に子供であれば教会などから適当な名前を授けて貰えるのだけれども、大人になってしまった者や、罪を重ねてしまった者などはそうはいかない。


 まぁ最近になってから名前なしの子は少なくなったし、懐の広い冒険者ギルドの事だから、黙認してくれるだろうと踏んだわけだ。この村で僕の事を知っている人はいないし【雷帝の魔術師】ぐらいは流石に知ってはいたけれど、それが僕だってことに気づく人なんていやしなかった。


 なので、僕は自分自身を【偽装】というスキルを施し、姿を完全に偽装。その上名前も変えたから、誰も今の僕を『レイ』だとは思わない。

『ゼロ』――別に、その名前に決めたのは特段深い意味があっての事では無い。

『零』だから。そう、再出発だからだ。


 ――過去の栄光に縋るのは止めて、0からスタートする今の自分にピッタリな名前だと思った。


「だけど、少し失敗したな……これじゃあ


 スキルボードの開示を回避したことについては良いのだが、だが当初の目的であった魔石回収基いダンジョン探索に関して、あまり色よい返事が来なかった。

 今の僕は『冒険者のいろはも分からない初心者ニュービー』として見られている。直ぐに実力を出してもそう易々とは信じてくれ無さそうだし、今後ダンジョンを受ける際、果たしてスキルボードの提出無しでどれだけ出来るか……。


「帰ったら【話術】のスキルを会得しようかな……」


 そんなこんなで、大分集まって来た薬草たちに目を通す。

 どれも鑑定越しで見ているから、品質は『高』のものばかりだ。

 Fランクでも扱える仕事だけど、決して妥協はしない。僕はそれらを【亜空間収納】に仕舞うと、暇つぶしついでに森の中を散策した。


 森の中は鬱蒼としていて、氷季が近いからか動物などは見かけなかった。

 気配を察知してみると、まあある程度の魔獣はいるのだが、ランクが低いからか僕を襲おうとはしない。僕も襲ったところで大した経験値にはならないので、敢えて無視している。


(思った通り、かなり魔力濃度が濃いな……)


 奥に進むにつれて、息を吸うたびに体に入って来る自然の魔力。

 吸い過ぎると魔力過多になって眩暈を起こすので、僕はハンカチを手に押し当てながら、ずんずんと奥に進んでいくと――。


「な、なんだ……?」


 突然、地響きが鳴った。ゴゴゴゴ……とその揺れは案外大きくて、いやそれにしては……。


「震源が近い……と言うよりも、何だこの魔力量は? いきなり増えたぞ」


 震源は思ったよりも近くて、気になった僕はつい足を進めてしまった。

 ざぐざぐと、草を踏み分けて、どんどん奥に入って行く。

 そこで気づくべきだったのかもしれない。


 ――他の冒険者の為に貼られた、『危険区域』のマークに僕は気づく事は無かった。


 ==


「これは……ダンジョンか!」


 森の奥。崖際にぽっかりと空いた大穴を覗き込んだ僕は、そう見解を述べる。

 それはどうやら当たりな様で、中から物凄い獣臭と濃い魔力が漂っていた。

 だがおかしい……こんなところにダンジョンがあるなんて知らないぞ?


 あの時地図を確認したが、この森の奥地にダンジョンがあるだなんて書かれていなかった。最近出来たものなのか……? だが……。


「この魔力量……これはBランク相当だな」


 中から魔獣の気配がする。どちらにせよ、この森を出たら直ぐ傍には村があるのだ。


 後で言い訳が面倒くさいが、これは一度ギルドに戻って報告しに行った方が――。


 その時、聞こえてしまった。

 声が、声が聞こえてしまったのだ。

 その声は風と共に、大穴の中から聞こえてきた。


『助けて――』と。


「いやいや……、まさか」


 この森に入って来る冒険者はいなかった。

 敢えて早朝からこの森に来ているのだから、僕より早くこの森に入って来る奴はいない事は承知。だけど幻聴だと言い張るには事が重すぎる。


 いや、まさかそれよりも前にここに入ったのか……?

 確かにあの時、ギルドの方は少し慌ただしかった。

 あんなに冒険者が早朝に集まってたのも、今考えると少しおかしい。

 だ、だが……。


「今は、魔術が使えないんだ。僕が行ったところで……」


 それに、今の僕はレイでは無い。ゼロだ。あまり目立った行動は取りたくない。

 しかも魔術が使えないんだ……流石にBランク以上のダンジョンを、こんな装備も無しに行くだなんて、そんなのは無謀を通り越してただの馬鹿だ。


 僕は馬鹿じゃない……すまないが、少しの間待っていてもらおう。


「ここはひとまず、ギルドに連絡を入れて、他の冒険者たちに任せた方が――」




「――――誰か……助けて……!」




 …………。


 馬鹿だ。ここで動くのは、ただの愚者だ。

 命を投げ捨てる行為だ。こんなバカな行い、高ランク冒険者なら、いや誰だってやらないだろう。


「クソッ、僕は馬鹿だ! 大馬鹿者だ!」


 もしこの行動を他の奴らに――例えば、グラムたちに見られたら、どんな反応をするのだろう。果たして彼らは僕の事を笑うのだろうか……だけど、何故か記憶にあるグラムの表情は、何故か嬉しそうに笑っている様な気がして――。


「お前だって、そうするよな! ……なぁ、グラム」


 一週間も前の事なのに、随分と懐かしく感じる。

 思えば、ダンジョンに一人で入るのは初めてなのかもしれない。

 装備は不十分。魔術用の杖も今は持っていない(持っていた所で使えないが)。


 だけど、やるしかない……!


 僕は意を決して、大穴の中に飛び込んだ。



《一言メモ》


 ダンジョンについて:ダンジョンボスのランクや、取り巻きの魔獣の厄介さ等を加味してそれぞれに見合ったランクを宛てられる。


 迷宮:ダンジョンが複雑化した結果生まれたもの。転移迷宮等幅広い種類がある。

 ランクは基本的にB以上であり、今まで確認された中で最高なのはA。

 ダンジョンボスに因んで迷宮主ラビリンスボスが住んでいる。
















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