第2話
「何か適当に作りますね。お腹空いてるでしょう?」
部屋に入り、うがい手洗いを済ませた後で、大祐さんがさっとエプロンを装着する。その言葉に「おう」とだけ返して、定位置となっているソファに座り、テレビをつけた。
若手芸人が身体を張っているバラエティを見るともなしに眺めていると、ビールの缶とつまみがテーブルに置かれる。
「どうぞ。これ飲んで待っててください」
「……サンキュ」
なんか俺、大祐さんの旦那みてぇだな。
そんなことを考えてから、いや、だとしたら、共働きなのに嫁さんだけ家事をやらせるタイプの駄目亭主じゃねぇか、と思い直し、立ち上がる。
「どうしました?」
いつもならすぐに缶を開ける俺がそれをせずに立ち上がったからだろう、彼はかなり驚いた顔をしてこちらを見た。
「お箸なかったです?」
「いや、そうじゃなくて」
「ビール間違えてました? いつも飲んでるの、それじゃなかったですっけ」
「そういうことでもなくてさ」
「じゃあ、どうしたんですか?」
「いや、その、俺も何か手伝おうかと、思って」
「どういう風の吹き回しですか。明日雨が降ったらどうするんです」
せっかくお互いに予定のない貴重な連休なのに、と続けてくすくす笑い、「その気持ちだけありがたく頂戴しますから、太一君は座っててください」とソファを指差される。渋々戻り、腰を下ろした。
「でも、なんつーか、いつも俺なんもしねぇし。毎回毎回上げ膳据え膳すぎねぇ?」
「そうですか? そんなことないと思いますけど?」
まだ俺は
そんな美しい男が、果たしてどんな恋愛をしてきたのか。惚れた相手に対してどう尽くしてきたのかを、俺は知らない。
何せこれだけの
だからもしかしたら、いまはソッチの道に引きずり込んでしまった責任やら物珍しさやらで、俺のことを甲斐甲斐しく世話しているかもしれないが、いずれ面倒になるかもしれない。男女でもよくあるじゃんか、相手によく思われたくて、序盤に無理しすぎて、ってやつ。そうでなくとも俺らの始まりは彼からの一方的なやつだったのだ。
だからそのうち、積もり積もって負担になって、嫌になって、それで、この関係が終わるかもしれない。
そうなった時、俺はどう思うだろうか。
『何もかも、あんたが勝手にやったことだろ』
そう思うだろうか。
いや、それよりは、
『そんなことで終わりになるなら、最初からしなくて良かったのに』
そう後悔するんじゃないだろうか。
少なくとも、俺はもう、この関係を手放せないのだ。関係を、というよりは、大祐さん、あんたを。
「なぁ」
「何ですか」
包丁がトントンとまな板の上で踊る音が聞こえる。一体何を作っているのだろう。
「その、無理しなくて良いんだぞ」
「何の話です?」
「いや、何つーか、あんたも疲れてるだろ、って」
「はい?」
「毎回毎回、俺が来る度に、大変じゃね? メシとか風呂の用意とかさ」
俺が大祐さんにしてやれてることといえば、事後の処理くらいなものだ。彼を風呂場に運んで、寝落ちしないよう気をつけつつ洗ってやり、シーツを交換するだけである。汚れたシーツだって洗濯機にぶち込むだけだ。どう考えても釣り合いはとれていない。
すると彼は「うーん」と聞こえているのかいないのか、よくわからない相槌を返してから、コンロの火を止めてこちらに来た。そして、ソファに座る俺の前にちょこんと正座をする。その体勢で俺を見上げてきた。
「あのね、太一君。一体誰に何を吹き込まれたか知りませんけど、私はね、別に無理なんかしてませんから」
「そ、そうなのか?」
真正面から美人に睨まれるのこっわ! こんなのもう蛇に睨まれた蛙だから! えっ、俺蛙なの!?
「そうです。どうしたんですか、太一君らしくもない。あなたいつもここでふんぞり返ってるじゃないですか」
「だからだよ!」
「は?」
「ふんぞり返って何もしてねぇから、その、何だ。大祐さんの負担になってたらって思って、その」
捨てられたくない、とまでは言えなかった。言えるわけないだろ、恰好悪い。まぁいまの態度の方が恰好悪いんじゃねぇのかって言われたらそれまでなんだけど。
「そのうち私が嫌になって、捨てられるとでも思いました?」
!?
何でわかるんだよ!
もしかして俺の思考を読み取って――!?
「いま、こいつ俺の考えてること読んだな? みたいなこと考えてません?」
「ひえっ!? ど、どうしてそれを……!?」
「いや、わかりやすいんですよ太一君は。別に特殊能力とかないですからね?」
「そ、そうなのか……?」
だってあんたの場合、そういうのありそうなんだもんよ。剣道の試合だって、相手の太刀筋全部見えてね? ってくらいの動きしてたしな?
「まぁ、そこは置いといて。私はですね、太一君がいようがいまいが、元々こういう生活なんです」
「元々こういう?」
「別に太一君がいるから無理して料理してるわけでもないですし、湯船にも毎日浸かる派なんです」
「え、あ、そういう……」
ですけど、と言って身を乗り出し、俺の股の間に手をつく。そのまま、軽く唇を重ねて、ふっ、と笑った。
「好きな人の前では多少恰好つけたくなるのが男でしょう?」
「……は?」
「私だって、必死なんですよ。太一君を繋ぎとめるのに」
「な、何……?」
「身体の相性だけならセフレと変わらないですからね。しっかり胃袋も掴んでおかなきゃですし、たった一歳とはいえ年上なんですから、若い子に取られたりしないように美容にも気をつけないとですし」
ちゅ、ちゅ、と音を立てて首筋を吸われる。しゃべる度にかかる息がくすぐったい。
「だから、多少は気合い入れてますけど。そんな無理してるように見えてました?」
「そっ……んなわけじゃない……けど! ちょ、おい、そこでしゃべんな!」
くすぐったいから、と引き剥がす。これ以上やられたら風呂に入る前に始まってしまう。
うっかり反応し始めた下半身を鎮めるべく、そしてそれを彼に悟られぬよう、大きく咳払いをして、「あ、あんた、アレだな!」と声を上げる。
「俺のこと、マジで好きな!」
はっはっは、参ったなぁ、とおどけてみせるが、大祐さんは涼しい顔をして「そうですねぇ」と返すのみだ。
「でも」
「うん?」
にや、と口の端に笑みを浮かべ、するり、と頬を撫でてくる。
「そっくりそのままお返ししますね」
「な」
「何もしないでいたら私に捨てられるかもって焦ったんでしょう?」
「うぐっ、そ、それは……」
「可愛いですね、太一君」
「は、はぁぁっ!?」
あんた、目と頭大丈夫か!? こんな筋肉ダルマのどこが可愛いって!?
「『こんなムキムキ、どこが可愛いんだ』って思ってるでしょう?」
「おい、俺の心を読むな!」
「『こいつ、目と頭おかしいんじゃないのか?』」
「おかしいとまでは思ってない!」
ムキになって言い返す。
頭に血が上ったからだろう、下半身の方はすっかり落ち着いてきた。
まぁちょっと想定外ではあったが、目的は達成された。とりあえずはバレずに済んだ。
密かに胸を撫で下ろしていると――、
「――ちょ、おいっ!」
まさにその、せっかくおさまった部分を、ぎゅっ、と掴まれた。
「可愛いですね、太一君」
「っか、可愛いわけあるかぁっ!」
やっぱおかしいだろ、あんたの目と頭!
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