すったもんだで!①~アラサーの恋人が可愛すぎるんだが?~
宇部 松清
第1話
「……今週末はどうします?」
カタカタとキーボードを叩きながら、こちらに視線もくれずに尋ねられる。
「どうすっかな」
その態度が癪に障って、わざとぶっきらぼうに返す。
花の金曜日である。この言い方はもう古いらしいが。
何かと飲みに誘ってくる学年主任は、別のターゲットを見つけたらしく、俺に声はかからなかった。だから、今日の夜から日曜の夜、いや、月曜の朝まで時間はある。
丸々二日と数時間。
恋人達が甘い時間を過ごすのには、十分すぎるほどだ。際限なくイチャつける十代の若者なら足りないかもしれないが、アラサーの俺達には多すぎるくらいである。体力の方は自信があるとはいっても、別に絶倫ってわけじゃないしな。出ねぇわ、そんなに。いや、するのはそれだけじゃないしな?
「
そこで
「別に」
まさか、
「なら良いんですけど」
ふっ、と軽く息を吐いて、再びPC作業に戻る。その一言で片付けられるのもまた気に食わない。
そっちから手を出してきたくせに。
いつもそう思っている。
一体いつから俺のことをそういう目で見ていたのかは知らないが、仕掛けてきたのはそっちからだ。俺は、少なくとも俺は、そうじゃなかった。男になんて、これっぽっちも興味なかった。
『私だってそうですよ』
大祐さんはそう言った。
ゲイのつもりも、バイのつもりもなかったと。
二回目のセックスは大祐さんの部屋だった。
恋人というわけでもない、セフレとも多分違う。俺達は単なる同僚のはずだった。その体で飲みに誘われたし、その体で俺も受けた。酒は好きだし、断る理由もなかった。その場所が
だけど、単なる同僚では終われなかった。
普段はどれだけ飲んでも酔わないはずなのに、今回はなんの小細工もなかったはずなのに、たかだかビール二缶でしこたま酔った。
そんで、気づけば真っ
悔し紛れに「俺、男になんて興味ねぇんだけど」と吐き出すと、いつもより一層気だるげにそう返してきたのだ。私だってそうですよ、と。
『だけどなんか、
この年になったら味覚も変わりますしね、なんて言いながら、鎖骨につけたキスマークをなぞる。つけた本人に、見せつけるかのように、だ。その指の動きが先刻までのやりとりを彷彿とさせ、下半身に血が集まってくる。そりゃあ余力はあったが、酔った勢いならともかく、こんな意識のはっきりした状態で再び襲いかかるほど俺は猿じゃない。
『嗜好って、固定しない方が人生楽しいと思いません?』
そんなことを言って、俺の背中に手を伸ばす。
『この季節で良かったです。プール授業があったら、生徒から質問攻めだったでしょうから』
私としたことが、あとで消毒しますね、なんて苦笑混じりに言われ、なんのことだ、
俺が無意識のうちに大祐さんの身体に無数の痕を残したように、彼もまた、俺の身体に傷をつけたのだろう。背中の爪痕なんて、確かに多感な
いつも冷静沈着で気だるげで、飄々としていて掴みどころのないあんたが。
曲がりなりにも養護教諭のあんたが。
我も忘れて、消毒が必要なほどに爪を立てたのか。
私としたことが、っていうのは、つまりそういうことなんだろう。
それに関しては少々胸がすく思いではあったし、それに彼は言ったのだ、俺のことが好きになった、と。つまりはそっちからなのだ。何もかも。俺は惚れられた側だ。惚れた弱味って言葉は向こうの方にこそあるはずなのだ。
なのに結局、その日の二回戦目は俺から仕掛けた。
「もう少しで終わりますから、そう拗ねないでくださいよ、太一君」
ご機嫌取りのつもりなのか、『寿都君』ではなく、名前で呼んで来たことも、何となく腹立たしい。だって、彼の視線は相変わらず画面に固定されたままだし、タイピングの音も止まらない。俺なんかは二つのことを同時にこなせないから、しゃべりながらキーボードを打つなんて器用なことは出来ない。というかそもそも、どんなに集中してたって、あそこまで軽快にカタカタとタイピングも出来ない。ブラインドタッチなんて必要のない世界に生きて来たのだ。そしてそれは今後も恐らく必要ないだろう。
「『保健だより』か?」
拗ねないで、の言葉に反発した方が、それを肯定することになる気がして、そこは無視した。
「そうです。季節の変わり目は体調を崩す生徒が増えますしね。といっても、こんなのを真面目に目を通す生徒なんていないんでしょうけど」
だったら作らなきゃ良いのに、とも思わないでもないが、それは上のヤツが決めることであって俺らが勝手にやめられるものではない。
「ま、生徒向けというよりは保護者向けですからね、こういうのは」
独り言のようにそう言って、カタ、とキーを打ち、眼鏡を外す。大祐さんは普段は裸眼だ。こうしてパソコン作業をする時のみブルーライトをカットする眼鏡をかけている。眼鏡をかけた彼は、少なく見積もっても三割は色気が増す。ごく一部の生徒は見たことがあるはずだが、皆、己の心の中だけに留めておきたいのか、誰一人として吹聴していない。だから噂を聞き付けた生徒が押し寄せてきて眼鏡をかけろと迫って来たり――、なんてことはないらしい。
「終わりましたよ。コーヒーでも淹れましょうか」
放課後である。
今日から週明けまで体育館は定期メンテナンスがあるため、体育館を使用する部活は休みだ。だからこそ俺もこうしてのんびりと保健室にいられるというわけである。
俺の返事も待たずにインスタントコーヒーを淹れる。スティックタイプのものだから、湯を注ぐだけだ。彼はコーヒーだろうが紅茶だろうが、ミルクも砂糖も入れない。だからここにはインスタントのコーヒーと、紅茶のティーバッグ、それから来客用の砂糖とミルクしか置いてなかった。だけど甘党の俺のために、数ヶ月前からカフェオレだのティーオレだのと書かれたスティックコーヒーが置かれるようになったのである。ティーオレってなんだ。ミルクティーとどう違うんだよ。
「それで?」
すっかり俺専用になっているマグカップをこちらに渡しながら、ちらりと視線を向けてくる。『POWER』というロゴの入ったマグカップだ。これはアレか、その言葉を叫びつつ鍛え上げられた筋肉を見せつけてくる芸人のグッズか何かか? 俺にぴったりだと言いたいのか?
「何がよ」
「週末、ウチに来るのか来ないのかって話ですよ」
「んー、ああ、そうだな」
そりゃ、正直に言えば、だ。行きたい気持ちはある。互いに何の予定もない週末なんてそうあるわけではない。
もう俺達は、あの、はっきりしない関係では、もうないのだ。
すったもんだあったが、俺達は双方の合意の元、恋人となった。大祐さんが俺のことを好いているのは案外十分に伝わって来るし、俺だって、その、まぁ、何だ、憎からず思っているというか、なんというか。
だけどあれ以来、毎回彼は俺に委ねて来るようになったのだ。来るのか来ないのか、するのかしないのか、を。
最初は、こちらの気持ちなどお構いなしに奪ってきたくせに。
大祐さんがどうしてもって言うんならな、行ってやっても良いし、抱いてやっても良いけど。
その言葉を吐きだせずに、その代わりにと「クソッ」と小さく呟いて、「まぁ、行くけど」とだけ返す。
何だよ、これじゃまるで俺の方が好きみたいじゃないか。
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