第三十三話 家族との夜



「シルビオ君、お疲れ様。

 良ければお茶でもしていくかい?」


「あ、いえ。大丈夫です」


 護衛のシルビオと一緒に我が家に戻ると、穏やかな声音の二人に出迎えられた。


 気遣いからか、そそくさと森の中に帰っていくシルビオ。

 私たちの前には、フロム家の御両人ーーつまりはこの世界のお父さんとお母さんだけが残された。


「っ……あの、私たちは……」


 瞳に映る二人の足。

 アネットの手を握ったまま、私は顔を上げることが出来なかった。


 なにせこれから二人に告げなければいけないのだから。

 ここでの生活じゃなくて地球での転生を選ぶと。二人との日々を捨てて、顔も知れない誰かとの人生を選択すると。


 涙で視界が滲み、両手足の感覚が鈍くなる。

 リリストアルトの日々の裏には必ず二人の姿があった。あんな風に追い詰められた私が笑えたのは二人のむすめだったからだ。どれだけ間抜けな姿をさらそうと、二人なら見捨てないでくれるという強い信頼があったからだ。

 なのに、そんな二人に恩返しすらせず地球に戻ろうとしてる。二人の感情を無視して、ただ自分の為だけに。


「大丈夫。何も言わなくても分かってるわ」


 心の中で暴れ回る自己嫌悪と罪悪感。

 そんな感情と必死に戦っていると、不意にお母さんの抱擁が私たちの体を包んだ。触れ合った部分からはお母さんの柔らかな体温が伝わってくる。


「カタリナを育てたこの14年、私たちは幸せだった。子供を産むことを許されなかった私たちがごく普通の家族として過ごせたのは、間違いなくカタリナのおかげよ。私たちはカタリナから十分すぎるくらいのものをもらってるの。

 だから大丈夫よ。カタリナ、あなたは自分の人生を歩みなさい」


「っ、でも私はーー」


「実はね、カタリナ。これは初めてじゃないんだよ。

 僕たちはカタリナの他にも何人もの稀人を地球に送っている。カタリナが来てからは何故か流れて来なかったけれどね」


「……」


 そうはにかむお父さんの顔が見ていられなくて、私は思わず唇をかんだ。

 

 慣れてるから大丈夫……ってそんなわけないじゃん。

 成人になった稀人の寿命がどれだけのあるかはわからない。それでも十数年という日々はそんな簡単に割り切れるほど軽くはないはずだ。

 だって、だって……私の心は、こんなにも苦しいのだから。


「そうねえ、じゃあ帰るまでの三日間は私たちの娘でいてくれるかしら? 

 それが私たちの最後のお願いよ。勿論、アネットもね。一緒に過ごしたとしつけは関係ない。あなたたち二人は私たちの大切な家族よ」


「……わかった」「うんっ」


 そう言われは断るべくもない。

 対照的な感情を灯した私とアネットに返事に、お母さん大きく頷いて一層強く抱きしめてきた。


 それからは家族四人で昔のアルバムを見ながら思い出話に花を咲かしたり、家にあったトランプとか百人一首で遊んだりしてーー






「……ねえ、カタリナ。覚えてる?

 ほら、昔はよくここを抜け出してシルビオ君と一緒に森の中に入ったりしていたじゃない?」


 ーーあっという間に夜がやってきた。


 久しぶりの、家族全員一緒になってのごろ寝。

 私の右隣で寝息を立てるアネットを起こさぬよう、左隣のお母さんが小さな声で聞いてきた。

 私はそれにちょぴっとだけ頬を膨らませて答える。時間が経ったおかげで随分と自然に話せるようになってきた。


「う、ううっ。その話はもういいじゃん。

 あの時は私もシルビオの子供だったんだよ」


「あ。そうじゃなくてね。

 普段の言動とか女の子っぽくない趣味を見ていて思ったのよ。

 もしかしてカタリナは向こうでは男の子だったんじゃないかって」


「っ」


 そ、そりゃあバレるかあ。普通に女の子が好きとか言ってたし。


 そうだよ~、と肯定しようとして、お母さんの瞳が不安に揺れているの気付いた。

 ……もしかして私を女の子として育てたことを後悔してるとか? そ、そんなの駄目だ。ならここはーー


「ごめん、昔のことはよく覚えていないんだ。

 でもっ、でもね、凄く怖かった気がする。周りに馬鹿にされて、世界中のみんなが敵になった気さえして……。

 だから昔の事なんてどうでもいいんだ。私には今のお母さんたちがいれば、愛してくれた過去があれば、それで十分。

 これ以上望むのはみんなに申し訳ないよ」


 お母さんの服を掴んで、ぎこちなく微笑みかける。

 

 きっと前世では求めすぎたんだ。何の特技も面白味のない俺に、数十人のファンが出来た時点で満足すべきだった。

 それなのに身不相応にも頂点を目指そうとして、だからあんなことになった。


 そんな私に何を思ったのか、お母さんは大きく目を見開かせて何かを話そうとして、口を噤んだ。背後から優しい声が降りかかってくる。


「大丈夫だよ、カタリナ。

 そんなに悲観しなくたって、ありのままのカタリナを愛してくれる誰かがきっと見つかるさ。僕たちのように、ね」


「っ、ううう」

 

 二人は何でこんな私に優しくしてくれるんだろう? 俺らの好意を無碍にしやがってって怒らないんだろう?


 耐えようのない涙が溢れ、布団に染みを作っていく。


 思い出せば、お父さんとお母さんは最初からお父さんとお母さんだった。

 お父さんたちも私と同じ稀人なのだ。二人には二人だけの歴史があったはずだ。

 それにもかかわらず血のつながってない赤の他人わたしのためにいつもご飯を用意してくれて、馬鹿なことをしても見捨てないでくれて……。


 ほんとどれだけ聖人だったら、こんなことできるんだろう?

 私も二人みたいになれるのかなあ……? それとも地球にいた時から二人はこんな感じだったのかな?



『ねえ、二人はどうやって知り合ったの?

 なれそめとか色々教えてほしいなあ』


『カタリナは知ってるよね? この国の外には沢山の稀人たちが集まった場所があって、そこでは稀人は三役以外の職に就いているって。

 私たちはそこに生まれたんだよ。しかもかなり身分が違う家のもとに、ね。

 それで些細な切っ掛けから惹かれあった私たちは、何とか一緒になろうとしてーー結局どうしようもなくて、ここに逃げてきたんだ』


 地球での日々を思い描いたその時、いつか交わした二人との会話が蘇ってきた。

 当時は丸め込まれたそれ。でもよくよく考えてみれば向こうでも通用しそうな内容でーー


「もしかしてお父さんが前に語ったなりそめって本当だったりする?」


「あら、よく分かったね。

 ほとんど実話よ。私とお父さんは昭和の日本で生まれた居酒屋の娘と旧財閥の御曹司だったのよ。そして長い長い逃避行の果てに、二人で身を投げた。

 結構多いのよ、向こうでどうしても一緒に慣れなかった二人がこっちでその願いを叶えるのって」


 楽しそうな表情とは裏腹に、壮絶な過去を語るお母さん。



『むしろようやく女の子らしい趣味に目覚めてくれたって感じよね。

 ほら、最近の若い子はヒップホップ? で踊る動画を取るんでしょう? 

 どうせならお母さんと二人でやってみる? こう見えて踊りには自信はあるのよ』


『母さん、もう昭和じゃないんだから……』



『何だか懐かしいね。

 昔はよくこうして母さんの仕事を手伝ってあげていたんだよ。あの頃はまだ付き合ってすらいなかったっけ』


『もう、あなたったら。

 そんな過去の話、今更しなくたっていいじゃない』


『いたっ、いた、いや本当に痛いよ?』



『ふーん。でも私、あなたの財布からいけない・・・・カードが出てきたの、忘れてないわよ?』


『いっ、いやあれはその、魔が差しただけというかなんというか』


 

 脳裏に、スーツを着たお父さんがお母さんと一緒に何かのチラシを書いている光景が浮かんできた。


 ……こんなに近くに、ヒントはあったんだなあ。ほんと私って……。


「あらあら、まるで大きな赤ちゃんね。

 ついでにお父さんにも抱きついてあげなさい。私ばっかり話して、きっと寂しがってると思うから」


「うう、やだ。

 遠いし、お父さん柔らかくないし」


「ふふっ。そうね。

 お父さんも私の柔らかい体にメロメロになったのよ?」


「ちょ、ちょっとっ!? そんなプライベートなところまで赤裸々にしなくてもいいんじゃないっ?」


「……お父さんの、へんたーい」


「……い、今ようやく思春期の娘がいる父親の気持ちがよく分かったよ。

 うん、出来れば知りたくなかったっ」


 珍しく声を荒げるお父さんを見て、お母さんと二人笑いあう。

 最初の夜は、こうして穏やかに流れていった。



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