第2話

 旅立ちの扉を通った龍馬とルルン。気がつくと二人は石造りの部屋の真ん中、石の床に描かれた魔法陣の上に立っていた。燭台しょくだいのロウソクのあかりしかない薄暗い部屋の。



「お待ちしておりました、勇者様」



 龍馬の正面に金色の王冠をかぶり、ふくよかな体型でモジャモジャの白いヒゲの老人が片膝を床につけ、頭を下げている。



「私はこのファーストレンデ王国の国王、カーネルと申しま」


「――――どうしてくれるんですか勇者様! 私まで異世界に転生してしまったじゃないですか!!」



 涙目で困り顔なルルンが龍馬に詰め寄る。



「知らねえよ。お前が勝手について来たんじゃねえか」


「ついて来たくて、ついて来たんじゃないですよ。勇者様が私の説明を聞いてくれないから引き止めるようとしたら、私も扉を通っちゃったんですから」


「あ、あの〜勇者様?」


「分かった、分かったオレが悪かったよ。だからもう帰っていいぜ」


「帰っていいって言われても、帰り方が分からないんです」


「あ、あの〜、ちょっと私の話を聞いてもらえないでしょうか?」


「じゃあオレと一緒に魔王を倒すしかないな。魔王を倒せば『元の場所に帰りたい』っていうお前の願いを叶えてもらえるんじゃないか?」


「うう、それしかなさそうですよね」


「国王様の話を聞け! この無礼者たち!!」


「「え?」」



 龍馬とルルンが怒鳴り声のした方を向く。国王カーネル、それと背後の従者や十数人の衛兵たちも、国王にならって片膝をつき頭を下げている。そのなかで、ただ一人だけ立っている男がいる。龍馬とルルンを怒鳴った男だ。



 黒いスーツを着てメガネをかけている知的そうな中年の男は、立ったままさらに口を開く。



「いくら勇者様と言えど、国王様のことを無視し続けるとは無礼だぞ」


「えっ、あっ、あの、ごめんなさい。ほら、勇者様も頭を下げて謝ってください」


「いやいや、謝罪は不要ですよ。頭を上げてください」



 国王カーネルが微笑みながら、ルルンに頭を上げるように促す。



「異世界に来た直後、戸惑うのは当然のこと。どうか二人の心を考えず怒鳴りつけた私の部下のハインツのことを許していただきたい。私への忠義が厚いが故の行動なのです」


「ああ、別に気にしてないから大丈夫だ」


「おお、勇者様の寛大な心に感謝いたします」



 深々と頭を下げる国王カーネル。



「さて、それでは改めて自己紹介をさせていただきます。私はファーストレンデ王国の国王、カーネルと申します」


「オレは織田龍馬だ」


「リョウマ! 力強く良い名前ですな。ところで、勇者様の隣におられる美しい少女はどなた様でしょうか?」



「美しい少女?」



 龍馬は首を左右に振って辺りを見回した。



「…………そんなヤツいねえけど?」


「います! いますじゃないですか私が! 酷いですよ勇者様」


「オレは佐々森さん以外は美人だと思わねえんだから仕方ないだろ」


「うう。私、女神なのに扱い酷くないですか?」



 ルルンはガクリと肩を落とし、涙目になっている。だが龍馬はそんなことなんか気にもしていない。頭のなかは最速で魔王を倒して早く佐々森さんに会いたい、という思いで埋め尽くされているのだから。



「女神!? 勇者様と一緒に召喚されて来られたということはもしや、アナタ様は導きの女神ルルン様でしょうか?」



 ルルンが落ち込んだまま「そうですけど」と、弱々しく返答した。



「おお、なんと! 勇者様だけでなく女神様にもお目通りできるとは、このカーネル、七十二年の人生のなかで至上の喜びにございます」



 片膝をついたまま両手を高く上げて喜ぶ国王カーネル。「いや、そんな大げさげすよ〜」と、口にしながらも満更でもない様子のルルン。さっきまでの雨に打たれたような表情とは真逆の顔をしている。心がそのまま表に出るタイプらしい。



「さて、それでは勇者様と女神様がこの世界に来てくださったことを祝ううたげを用意しておりますので、晩餐室へどうぞ」



 国王カーネルが二人を晩餐室に案内するため、部屋を出て石造りの階段を上がっていく。



「宴なんかいらねえ! オレは一秒でも早く魔王を倒したいんだ。佐々森さんに」


「――国王様のご厚意を無下にするというのか!」



 先程、龍馬とルルンを怒鳴ったハインツと呼ばれた中年の男が、再び声をあららげた。



「衛兵! この無礼な者たちを引っ捕らえて死罪にせよ!!」


「ちょ、ちょっと待ってくださ〜い! 『たち』ってなんですか『たち』って。なんで私も含まれているんですか!?」



 衛兵たちがハインツの言葉に従い、龍馬とルルンを捕まえる。ルルンは慌てふためき「神様、助けてくださ〜い」と泣いている。自分も神だということを忘れ。



「やめよ!!」



 龍馬とルルンを捕える衛兵たちが、国王カーネルの言葉にピタリと動きを止める。



「な、なぜお止めになるのですか国王様。この者たちは国王様のご厚意を無下にしたのです。これは国王様への侮辱ですよ、死罪にして当然ではありませんか」


「たしかに、侮辱ともとれる無礼なことだ。他の国の国王であれば死罪を言い渡している者もいたであろう。だが私はそうはしない」


「なぜですか!?」


「彼が私の厚意を断ったのは、彼が勇者の心を持っている故ということを、私は知っているからだ」


「えっ、いやあの、勇者様が断ったのは、単純に佐々森さんに早く会いたいからだと」


「――女神様」



 ルルンが喋っているのを国王カーネルが開いた右手を伸ばして遮った。「みなまで言わずとも分かっております」と、頷きながら。本当は龍馬の心など、なにも理解してはいないけれど。



「国王様。勇者の心とはどういうものなのか、この愚かなハインツめに教えていただけませぬか」



 龍馬とルルンを捕まえるように指示したハインツが、国王カーネルに対して片膝をつき、頭を下げた。



「もちろんだ、忠義厚きハインツよ。それに、この国を守ってくれている衛兵たちにも教えよう。勇者の心というのは常に悲しみで溢れているのだ」


「悲しみで溢れている?」


「そうだ。勇者様はこの世界で唯一、魔王を倒せる力を持っていると予言のオババ様は仰っていた。故に魔王を倒したとしても悲しみを感じるのだ。我々では感じることのできぬ悲しみを」


「なぜ、全ての国民の敵である魔王を倒しても勇者様は悲しみを感じるのですか?」


「それは救った命の喜びに浸るよりも、救えなかった命の悲しみに嘆くからだ」



 国王カーネルが両膝を床につき、空を仰ぎ見るかのように天井に向かって両手を大きく広げ。



「ああ、もしオレがあと一日早く魔王を倒していれば、何百人の命を救えただろうか。もし一月、早ければ何千人の命を救えただろうか。もし一年、早ければ何万人の命を救えただろうか」



と、国王カーネルは、もう劇役者になった方がいいんじゃないかと思えるくらい嘆き悲しむ勇者様を熱演した。



「なるほど。このハインツ、勇者の心を理解しました。我々と違い、魔王を倒せる力を持っているからこそ生まれる悲しみなのですね」


「そうだ。よくぞ理解してくれたハインツよ。なら、この後に我々が勇者様のためにするべきことが分かるな」


「もちろんです、国王様。勇者様の旅の支度ですね」


「その通りだ。私の名のもとに最高のものを勇者様にお渡しせよ」


「はっ、ただちに」



 三十分後。龍馬とルルンは国王カーネルから馬車や路銀に武具といった旅に必要な物を受け取り、城を出た。



 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯



「あっ!」



 龍馬とルルンの馬車を見送り城のなかに戻る途中、ハインツがなにかを思い出した。



「どうしたハインツよ」


「いや、あの国王様、私は勇者様たちに大事なことを伝え忘れてしまいました」


「大事なこと?」


「はい。この近くの街道にゴブリンの山賊が出るということです。この国の者なら常識として知っていることですが」


「ああ、たしかに伝えてないな。まあ、勇者様なら大丈夫であろう。女神様一人で戦うことになれば、かなわないだろうが」


「そうですね。勇者様なら大丈夫ですよね。女神様を置いて行ったりしない限り、二人がバラバラになることもないでしょうし」



 二人が「ハッハッハッハッハッ」と、笑い合う。そして、少しの沈黙が流れる。



「「…………勇者様、女神様を置いて行かないよな?」」

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