17 公平性

「水無瀬さんの中に居ると、本当に我を忘れるくらい気持ち良いんだよね……あの時から、なんでだろうなってずっと考えてたんだけど、最近ようやくわかった。俺が、水無瀬さんのことを好きなんだな……」


 さっきとは違った余裕をなくしたような顔で、芹沢くんはそう言った。


「うっ……うれしいぃ……」


 こんな時なのに思わず彼からの好きだという言葉が嬉しくて、私は涙目になってしまった。


 だって、私は好き過ぎたからこそ素っ気ない人になけなしの勇気を出して、いつも挨拶しに行ってたのだ。けど、挨拶以外は何を話し掛けてもさらっと無視されて。けど、それだけでも私は嬉しかった。


 芹沢くんのことが、少しだけでも話せたら一日幸せになってしまうくらいに。人が聞けば、おかしいくらいに彼のことが好きだったから。


 もちろん。そんなアイドルのような遠い存在とこんな仲になれるなんて、何の期待なんてしていなかったけど、だからこそそんな彼にこう言って貰えて感無量になってしまった。


「……水無瀬さんは、俺のことが本当に好きなんだね」


 しみじみとした様子で芹沢くんはそう呟いたので、こんな……深く身体を繋ぎ合った状態で、彼は何を当たり前のことを言っているんだろうと、私は不満に思ってしまった。


「だって、好きじゃないと……無視されるって最初からわかっている人に、勇気を出して話し掛けに行ったりなんてしないよ」


「……水無瀬さんは、なんであんなに冷たく対応されても……俺に話し掛けるの、止めなかったの?」


 芹沢くんは不思議そうだったけど、私はなんでこの人はそんな簡単なことがわからないのかなって、思わずむうってなってしまうくらいにこっちも不思議だった。


「芹沢くん……挨拶だけは、絶対に無視せずにちゃんと返してくれたから。それだけでも話せて、声が聞けたら……私はその日一日、幸せになれたから」


 そう言ったら芹沢くんは、何故か眉を寄せて苦しそうな顔になった。


「うわ。これは、ちょっとやばい……ちゃんと、責任は取ってよ。水無瀬さん」


 私の赤い爪痕が芹沢くんの背中に十分な数が付いた頃、ようやく彼が奥の方で果てた。


「……ずっと、俺の傍に居てよ。どこにも行かないで」


 掠れた声で耳元で囁かれても、もう身体はぐったりしてて瞼も唇も思い通りにならなかった。


 そんな縋るような言葉は、奇跡的に彼と付き合えた私の方の台詞なんだけど……おかしい。夢なのかな。


 ……もう、私は結構前から既に眠ってて、これって夢の世界での出来事なのかもしれない。



◇◆◇



「……おはよ」


「せりざわ、くん……?」


 数センチしか離れていないような間近で私が起きたのを見て、芹沢くんの整った顔が嬉しそうに微笑んだ。


 私。眠ってて、起きただけなんだけど。何、このご褒美ステージ。


「うん。起きて早々ごめん。昨日、水無瀬さんが寝ちゃってから、佐久間に連絡取った。水無瀬さんにストーカーみたいな男が居るのかもっていう話は、佐久間のおばさんもあの男だろって把握していたみたい」


「あ……そっか。店長居た時にも、何度も来たから」


 いつもは店番の私が居る時は裏方作業をする店長も、かっちゃんのことはまた来て変だねと不思議そうにはしていた。よくよく考えれば、ケーキ屋さんに一日に三回来る客は明らかに怪しい。生菓子だし、通常なら一度で済ませてしまうはずだ。


「そうそう。元々は昨日までの一週間の約束だったんでしょ? 店番のバイトはとりあえず今回はもう良いけど、良かったら時間の空いた時にでも、手伝いに来てくれたら嬉しいってさ」


 日払いでバイト代を貰っていた私は、昨日購入した誕生日プレゼントの香水でほぼバイト代を使い切ってしまった。だから、お祝いでいくレストランの食事費用を稼ぐためにバイト期間を延長させて貰っていたのだ。


「そっか……迷惑、かけちゃったな」


「店長は助かったって、言ってたよ……ねえ。水無瀬さんがそのままだと、もう少しで俺も我慢できなくなって来るんだよね。そうなれば、今日は寝室を出られなくなるから。早く、お風呂入って来なよ」


 彼の言葉で、私は自分の今の恰好を何気なく見た。もちろん。昨夜はあんなことをしていたので、何も着てない。


 とりあえずは大事なところは隠れているけど、夏だから薄い上掛けを覆っているのはところどころしかなくて、肌色が多い……自分で言うのもなんだけど、とてもえろい格好だった。


「……芹沢くん。もしかして、これ、ずっと見てたの?」


 隣で寝ている彼は少しだけ私と距離を取っているんだけど、そのせいで色々と丸見えになっていた。


「うん。眼福だった。この光景、どんなグラビア写真にも敵わない。多分思い出すだけで、抜ける。こんなに幸せな気分の朝って、人生で初めてかも……可愛い彼女、最高。もう水無瀬さんが居ない人生は、俺には考えられない」


 しまった。勘違いしてた。これって、まだ夢の中なのかもしれない。すごく良い夢。もう、目覚めたくない。


「芹沢くん。私、夢の中に居るっぽい……出来るだけ目覚めたくないから。このまま大人しく寝室に、居ようかな」


 軽く欠伸をして上掛けを手繰り寄せ瞼を閉じたら、芹沢くんの大きな手が頭を撫でた。


「ふはっ。可愛い……水無瀬さんは、夢の中に思えてるのかもしれないけど。残念だけど、そうじゃないよ。それに、俺も寝室に居ることには賛成したいところだけど。せっかく買ったからさ。新しく買った下着を着た、水無瀬さんも見たいな。お風呂入っておいで」


「っゆめじゃない……? そうだ! 待って。ね。なんで、私の下着のサイズわかったの?」


 そういえばと思って、私はパッと目を開いた。


 芹沢くんが友達の彼女に頼んでくれたという、あのお泊りグッズにあった下着。アンダーとカップのサイズが、完全に合っていたのだ。それは知ってないと買えない。おかしいと思ってた。


「え。初めての時に、ブラのタグを見たよ。あ。水無瀬さん、D65なんだなって」


 なんでもないことのように、芹沢くんはさらっと言った。


 え。あの時……あの時、汗だくの私たちはすぐにシャワーを浴びて、彼の部屋へと来たから。それに、すぐにブラは片付けたし……もし、見られたとしたら、ほんの一瞬なのに?


「別に……誰かにそれを言って自慢する訳じゃないけど、彼女の胸のサイズは重要なんだよ。男にとっては。別に胸で、恋をする訳じゃないけど。後付けだ。好きな子の、胸のサイズは知りたい。とても自然な欲求なんだよ」


 そんな……真面目な表情でそんなこときりっと言われても、推しに胸のサイズを気になられてしまった私はもう何も言えない。それに、下着のタグにわかりやすく書かれているから、それをパッと見られてしまえば、彼に知られてしまうことは防げないし。


「じゃあ……私が、芹沢くんのサイズを知りたいってそう言ったら、教えてくれるの?」


 私は何の、とは言わなかった。けど、芹沢くんは私の言い分を聞いて面白そうに、にやっと笑った。


「確かに。自分自身が教えた訳でもないのに俺に胸のサイズを知られた水無瀬さんが、そう思ってしまっても、それは無理はないよね。俺たち二人の間での、公平性に欠けると言える。良いよ。定規で測ってみる? 勃ってない時と……」


 それは自分から言い出したにも関わらず、完璧な好みの顔を持つ推しの口から爽やかな朝に聞きたい下ネタでもなくて、顔を赤くしてしまった私は楽しげな様子の芹沢くんの口に慌てて自分の手を当てた。

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