18 食堂

 私は結局夏の間に実家にも帰ることなく、いつの間にか夏季休校も終わり、課題の提出や履修申告なんかで秋めいて来た大学に出て来ることも多くなった。


「あ」


 久しぶりに食堂に来て、私は一音だけ発してから咄嗟に次の行動をどうしようかと迷ってしまった。


 何故なら付き合い出してから、まだひと月も経っていない出来立てほやほやの彼氏の芹沢くんの姿を見つけてしまったからだ。彼は良く一緒に居る友人であるゆうくんと赤星くんの三人で、食堂に昼ご飯を食べに来たようだった。


 私がまだ彼と付き合っていない時期……そう。夏季休校前の二人の関係性であるなら、この状況では間違いなく駆け寄り挨拶に行っている。


 そして、挨拶のみを返されて一言だけ前に会った時からそれまでに考え抜いた話題を話し、それは無視されても、いつも通りに満足して帰る。


 そんなことが、芹沢くんと会える日の日常だった芹沢ガールの私。


 今の私って、一体何なんだろう……付き合っている今はもう、芹沢くんのファンとは言えなくて。芹沢ガールは一応卒業してるから、芹沢ラバーとか……芹沢ハニーとか、もしかしたらそんな立ち位置に昇格しているのかもしれない。


「……無瀬さん。水無瀬さん? どうしたの? こんな所で立ち止まってボーっとして……今日は、一人なの? 良かったら、俺たちと一緒に食べようよ」


 私が食堂の入口付近で自分が現在なんというカテゴリに居るのかを真剣に考えていたら、向こうからこちらを見つけてくれた様子の芹沢くんが不思議そうな表情で私の顔を覗き込んでいた。


「わ! ごめんなさい。私、ちょっとまた考え事してて……」


 芹沢くんはここで立ち止まって話し出すと人の通行の邪魔になってしまうことも配慮してか、私の腰に手を回して誘導するようにして歩き出した。


「うん。わかってるよ。水無瀬さんは、何か考え事しちゃうと周囲が見えなくなるんだよね。俺もなんか、わかってきた。今回は、何を真剣に考えてたの?」


 芹沢くんはゆうくんと赤星くんの二人が向かいに座っている席に連れて来てくれて、私を自分が座っていた隣の席に座らせた。


「私って……もしかしたら、今は芹沢くんのファンの芹沢ガールじゃなくなったのかなって、思ってて。だから、現在の私の立ち位置的に名前を付けるなら、芹沢ラバーとか芹沢ハニーなのかなって……」


「……そっか。俺は特に口出ししないから、その辺は水無瀬さんの好きにして貰って良いよ……おい。赤星、笑い過ぎだ」


 私が悩んでいた話を聞いて弾けるように大きな声で笑い出したのは、商学部の赤星一馬くんだ。ちなみにゆうくんはこの食堂名物のカレーを食べつつ、感じよく笑って私に手を振ってくれたので釣られて振り返した。


 コミュ力モンスターは、こんな時でも友人の彼女にも配慮を欠かさないのである。


 チキン南蛮を前の机に置いている派手目なイケメンでもある赤星くんは、実はミスター優鷹芹沢くんと同じくらいに学内でもとても有名人。


 私たちのような受験を経て大学から入学した外部生じゃなくて、彼は付属高校の持ち上がりの内部生なんだけど、実はとある大会社の御曹司なんだと噂されていた。


 脱色した金髪で派手な顔つきには似合わないけど、なんでも旧華族の家柄の出とか。けど、彼の父親が経営するとされる会社名は私も知らないし明かされてはいない。


 赤星くんのことを幼い頃から知っているはずの内部生たちは何故か揃って言葉を濁すし、真相はわからないまま。


「ふはっ……やばい。さっきの話ですぐに俺にも、この水無瀬さんの良さがわかって来た。芹沢と佐久間が言ってた意味がわかった。おもしれ。それに、近くで見ると思ってたより、可愛いし。水無瀬さん、よろしくねー」


「えっ……ありがとうございます?」


 褒められたのかけなされたのか微妙なラインで私を評した赤星くんに、一応はお礼は言った。とりあえず、お世辞でも可愛いという単語は入っていたし。


「よろしくねー……芹沢の彼女になってから、初めて会えたね。こうして俺と会話するのは、初めてだけど。俺のことは、芹沢と一緒に居たとしても、完全に無視だったもんな……世の中の女は、本当にわかってない。俺の方が、絶対良い男なのに」


「えっ……ごめんなさい。そんなつもりは、なかったんですけど……」


 これは正直に言ってしまえば、嘘になってしまうかもしれない。


 確かに芹沢くんしか完全に目に入ってなかったので、確かにゆうくんとか赤星くんなどの友人と一緒に居ても、挨拶をしていたのは芹沢くんだけだった。


 けど、世の中には正直に言い過ぎて、関係に軋轢を産み妙なことになってしまうという辛い現象は溢れている。付き合いの長くなりそうな彼氏の友人の前では、しおらしくする他ない。


 赤星くんが言うようにあの時の私は自分が話をしたいターゲットである芹沢くんしか、目に入ってなくて他は見えてなかった。


 恋は盲目。芹沢くんしか見えてない。それはもう、仕方がないと思って諦めて貰うしかない。


「はは。みーちゃん、芹沢が大好きだもんね。赤星は、絶対射程圏外でしょ。全然タイプが違うじゃん」


「俺なら、水無瀬……あ、それでみーちゃん? みーちゃんは、全然ストライクゾーン内だ。芹沢と別れたら、俺が代わりに付き合っても良い」


「ふふ。赤星くんの冗談、面白いですね……あ。芹沢くん……ありがとう」


 私の推しが、私がちょっと話している間に、私の昼食を取って来てくれた……しかも、この前にちょっと話に出て好きって言っていた、クリームコロッケだし……こういう細かいこともちゃんと覚えててくれて、好き。


「うん。なんか、今日人が多いなって思ってたら、近所のファミレスで食い逃げした奴が居たらしくて、とりあえずうちの大学生が全員出禁だって」


 芹沢くんは誰かから噂話を聞いたのか、苦笑してそう言った。


「マジか。なんか……今まで聞いた中で、一番凄いとばっちりだな……」


 私立大学で割と裕福層が集まる大学のすぐ近所で起きたという信じがたい食い逃げ事件に、赤星くんは呆れたようにそう言った。


「あ。芹沢くん! 元気ー?」


 私は芹沢くんに、そう言って明るく声を掛けて来た人を見て驚いた。


 なんと、それはミス優鷹の蓮井野乃花さんだった。人形みたいな顔の中にあるのは、ぱっちりとした目にぷりっぷりの赤い唇。あれが生まれ付き顔に付いてたら、人生楽しいに違いない。平凡顔の私は、とても羨ましい。


「……どうも」


 芹沢くんは芹沢ガールに接する時にそうするように素っ気なくそう言って、隣に居た私へと目を戻し、その後彼女が何を話し掛けても、無視をしていた。夏季休校前の私にも、そうしていたように。


 芹沢くんは彼女を無視しても、ゆうくんや赤星くんは何か言われたらちゃんと答えていたんだけど、何故かミス優鷹に彼らはあまり友好的とは思えない対応をしていた。


 そして、なんとなくそんな目立つ面々の中に存在感なく入っていた私には、それはどうしても目に入ってしまったのだ……ミス優鷹の、彼女の綺麗な顔には似つかわしくない……恨みが篭ったようなギラりとした目つきで、私のことを睨んだのを。



◇◆◇



「えー……蓮井かー……うわ。蓮井も、芹沢狙いなの? あの子、自分に落ちない男なんて、絶対居ないって公言してたらしいもんねえ。しかも、佐久間も赤星も居る前であいつに無視されていたら、そりゃ屈辱だったでしょうね。これは、絶対めんどくさいことになりそう……」


 私から相談を受けた美穂ちゃんは、まるで可哀想な子を見るような目をして私を見ていた。これから始まりそうな簡単な事態を予想すれば、そうなってしまうのも仕方ない。


「だ……だよね? 私も、そう思ったの! あれは完全に、私を虐めてやろうとしていた目だった……」


 芹沢くんに完全に無視された蓮井さんが、あの後わかりやすく私をじっと睨んでから去って行ったのを、私は某家政婦のように目撃していた。


 あれは、犯人の完全なる犯行予告に他ならない。


「けど、芹沢と付き合えたら、初音は何言われても良いんでしょう? ……そういえば、私も気を付けて周囲の話題を聞いていたりするんだけど、不思議と悪い噂にはなってないみたいなのよね。ただ、初音が芹沢への片思いを実らせたっていう……あんなに無視されて冷たくされてたのに頑張ったんだねっていう、好意的な反応も多いみたい」


「え……そうなんだ。へー……私、もう罪人とか魔女みたいに言われているのかと思ってた」


 芹沢くんがこの大学に入ってから誰かと付き合ったことはなかったので、私と付き合った時の反応って、あくまで私がこうなるだろうなっていう、なんとなくの想像だ。


 漫画やドラマの観過ぎと言われても仕方ないけど、芹沢くんクラスの男性が平凡なヒロインと付き合うとそういう展開になる世界観のものがどうしても多かった。


 ということは、動かし難い世の摂理なのだと思う。


「……初音が芹沢と付き合うのを止めさせようとする女って、嫌がらせの悪い噂流して、涙ながらにあんたがこんな辛い思いするなんて嫌、芹沢と別れるって言い出させるのが目的でしょう。そんな性格の悪い自分がその後に芹沢から選ばれる訳でもないのに、何の実も結ばない時間を掛けた無駄な努力を本当にご苦労さまだけど」


「美穂ちゃん……それは、うん。確かにそうだけど」


 美穂ちゃんが言うのは痛烈なご意見なんだけど、私も向こう側の立場だったとするとそういう気持ちにならないかって言われたら、多分そうでもない。


 嫌がらせを実行はしないと思うけど、芹沢くんの彼女を妬ましく思ってしまうと思う。妬まれる立場になってしまった今もどうしても未だに芹沢くん大好き仲間という、同じ穴のムジナ感は拭えない。


「けどさぁ。今確かに不思議と、そういう初音が嫌な目に遭うような事態にはなってないのよね……短絡的な女って、年齢関係なく多分死ぬまでそうだと思うし。これだけの人数が大学に居る中で物分りの良いお行儀の良い女ばかりってことは、考えられない……ねえ。初音。これって、もしかしたら、芹沢が事前に何かをしたんじゃない?」


「……え?」


 今まで考えてもみなかった美穂ちゃんの鋭い指摘を聞いて、私は驚いた。


 ……そういえば、あの夏の夜の芹沢くんは私を自分が特別扱いすれば、虐められるかもしれないっていうことをとても恐れていた。だから、女の子と気軽に話さない……話せないって言ってた。


 そんな風にとても慎重に動いていた彼が、私と付き合い始めたことをすぐに友人たちに公言して、自分は安全圏のままで、何もしないままにするなんて……確かに、今考えてみると、有り得ないことだった。

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