08 設定(side 司)

『水無瀬 初音』


 その名前が今見ている間にも新着の通知に押され下の方へと移動していくのを見て、どうしてもイラついてしまう気持ちが抑えられない。


 まだ付き合って間もない彼女の水無瀬さんは、俺に対して何故か必要最低限の連絡事項以外の連絡をしない。だから、メッセージアプリの画面を開くと、彼女の名前がどんどん新着の通知に埋もれて行ってしまう。


 この前にも水無瀬さんがエアコンの修理業者が来るから自宅に帰るという、連絡を貰ったのに埋もれ過ぎて見失ってた。もっと早くに気がついていられたら、修理業者が居る間、密室で危ないから俺も時間を調整して一緒に居たのに。


 このメッセージアプリは必要なものは空いた時に確認すれば良いかと思い、これまでは通知はしない設定にしている。つまり、今は水無瀬さんからの連絡が来ても、俺にはすぐにはわからない。


 俺の家に必要あって居候していた時は、まだ良かった。家に帰れば彼女に会えたし、俺に向けられる好意は会えばその空気感で伝わって来たからだ。だから切羽詰まった様子のゼミの皆にも悪いと思いつつ、隙あらば帰ることをやめられなかった。


 前に付き合っていた人と水無瀬さんを比べてしまうのはいけないことだと分かってはいるが、こんなにも向こうから連絡を貰えないとなると、自分はそこまで彼女に好かれていないのかと多少不安にもなってくる。


 一日中やりとりのラリーの続くような……朝晩の挨拶をしろとまでは求めてはないけど、一日一通くらいは向こうから送って来てくれても、別に良くないか?


 自分開始の短めのやりとりをザッと眺めてから、息をつく。とにかく俺との会話を早く終わらせたいと言わんばかりの、彼女の素っ気ない対応。こういう性格の子も居るんだろうと、そう思いつつも、会っている時の彼女の様子とは全く真逆で納得はいかない。


 いや、水無瀬さんは俺のことが……好きなはずだ。そこの前提が崩れてしまえば、今までのすべてが説明できない。


「芹沢。お疲れ。何、眉間に皺寄せて、スマホの画面睨み付けてんだよ。怖いぞ」


「……お疲れ。佐久間。ちょっと、これ……どうにかならない?」


 友人の佐久間が声を掛けつつ前の席に座り、やっとこの問題を解決出来る奴が現れたとそう思った。


 俺が大学のテラスの机の上に置いていたスマホの画面を奴の方へと向ければ、佐久間は不思議そうな顔をした。そして、水無瀬さんの名前を人差し指で示せば、にやっと笑った。


「はは……彼女出来たって、まじなんだー。お前の珍しい自発的な発言は一応は見てたけど、今の今まで半信半疑だった。水無瀬さん。すげえ。大学一めんどくさい男を、落としたんだ。金星じゃん。まぁ、確かに可愛いけど。お前は、あんな感じがタイプだったんだな。なんて、呼んでるの? みーちゃん? はっちゃん? 可愛い名前だね」


「……いや、この前に付き合ったばっかりだし。普通に、水無瀬さん」


 俺の話を聞いて、佐久間は面白そうに眉を上げた。流行の服を着て、片耳に何個かピアスを付けているが、どれもこれも、こいつの趣味ではないことは近い関係にある者以外は知らない。


「みーちゃん、どんな性格の子なの? やっぱり、見た目通りの量産型のゆるふわ系女子?」


「おい。みーちゃんは、やめろ。これ、水無瀬さんだけ通知くるように出来る? あと水無瀬さんの名前、このグループの画面みたいに、上の方に固定出来ない? どんどん埋まって行って、彼女から連絡あったのかわからなくなる」


 佐久間に勝手に入れられたグループの名前は、どれだけ通知が来ても一番上に固定されている。出来れば、俺はこんな風に水無瀬さんの名前もしたかった。


「お前……未読の通知の数、えぐいな。一応は、読むくらいはしたら?」


 俺も社会的な生活を営んでいるので、どうしても必要な連絡のためにこのメッセージアプリを入れているものの、どこから連絡先が漏れたかも良くわからない人間からの連絡を返す必要はないと思っている。


「なんで、本名も顔も一致しない奴が、勝手に送ってきた文章を俺が読まなきゃいけないんだ?」


「あー、うん。その理屈、すごく芹沢っぽいわ。はい。水無瀬さんだけ、通知来るように設定した。結局、ファンに手を出したの? 手近で、済ませたんだなー」


「ありがとう。助かった。ファンって、なんだよ……俺は一般の学生だ。別に芸能関係で、金は稼いでない」


 しかし、芸能人が一般人のファンに手を出すのが禁じられているとしたら、あの人たちも相当業が深いと思わざるを得ない。画面の向こう側の人を恋に落としても落としても、目的はただ自分に金を貢がせるだけなのだ。


 決して手に入らない、禁断の実。そういう関係性を好きな人も居るという理屈は、確かにわかる気もするが。


「いや……まぁまぁ可愛いのは認めるけど。正直言えば、一軍女子じゃなくね?」


「趣味が悪いお前の中の、勝手なカテゴライズでの感想は要らないし。俺の中では、前から毎試合出て来るスタメンクラスなんだよ。お前がどんな基準で、付き合う人間を選ぶことについては何も言わないから。人の彼女の容姿を、そうやって批評しないでくれ」


「へー……言うじゃん。ついこの前まで、話し掛けられても相手にもしてなかった癖に」


 それは、確かだ。佐久間と一緒に居る時にも、水無瀬さんは何度か話し掛けて来たけど俺は挨拶程度しか返してない。


「……関係が変わっただけ。ちゃんと水無瀬さんを知ったら、好きになった。それ以外に、好きになった理由は要るか?」


「いいや、別に要らない。けど、芹沢って女とまともに付き合えるんだ。お前、束縛されるの嫌いじゃね?」


 俺は佐久間の言葉に、思わず眉を寄せた。嫌いだと言えば、嫌いだが。


「……束縛されることが、好きなやつとか居るのか」


「はは。だと思った。我々の業界では、ご褒美です。それだけ付き合ってる子に、好かれてるってことじゃん。俺は出来れば、好きなら束縛して欲しいわ。今の彼女なんか、現在地がどこにいるかわかるアプリ入れられてんの。連絡なしに変なとこ行ったら、連絡くんだぜ……すげえ、愛されてるだろ」


「は? ……それ、大丈夫か?」


「さっきも言っただろ。今は付き合いたてで、かなり好きだから、ご褒美だと思える。けど、飽きて来たら確かにいちいち言い訳するのも面倒だし、ウザいだろうな」


「……飽きること前提に誰かと付き合うとか、俺にはよく分からない」


「お前は、真面目だからなー。けど、何人か付き合って一番合う人見つけるのって、ある意味効率的じゃね? 世界中の異性全員と付き合う訳にはいかないが、身近な人と試し合って、合わなくて別れても相性の問題だよ。誰も、悪くない。また、お互いに次に合う人を探せば、それで良いだろ」


「そこで、二人の関係を持続させようとする努力は? 性格が合わなければすぐ別れるなんて、最初からそれほどお互いに好きじゃないってことじゃないか」


「バカだなー。例えばビジネスの世界では、未来に成功するためには何度失敗しても立ち上がる、試行回数が大事なんだよ。どんなに名の通った偉大なビジネスマンでも、若い頃は何度か倒産させているもんだ。時間が無駄にならないように、この先上手くいかないと思うなら早めの見切りをつけるのだって大事なことなんだよ。お前みたいに四六時中何十年もほぼ変わらない法律とか過去の判例を勉強してる真面目な奴には、多分、この感覚は一生わかんねえと思うけど? ……世情だって人の考えだって、常に世界は変わり続けているのにな」


 佐久間は大学時代は、卒業後に自分が立ち上げる事業の人脈作りをして過ごすと割り切っている。


 各大学と合同のイベントサークルでは、陽気で何も考えていないキャラを演じている。その方が、ああいう連中にはウケが良い。次のイベントにだって、居たら盛り上がるからと呼んでもらえる。


 前に聞いた彼が思い描くビジネスモデルは、門外漢の俺が聞いても不利になるだろう条件の対策も加えて、よく練って考えられていた。


 佐久間がチャラけた大学生の格好もそうする必要性があるから、そうしている。場に合わせた格好をするというのは、俺にも理解は出来る。確かに冠婚葬祭だって、そういうことだよな。


 佐久間が考えていることは理解しつつも、俺自身はそこまで割り切れない。そんな世界で、誰かの色に染まりそうで。着たくもない服を必要あって着ることで、自分が自分ではない誰かになってしまうような、そんな気がするからだ。


「別に、わからなくて良い。俺は自分が思いつく限りの努力をしてダメだったら、それなら潔く諦める。お前みたいにホテルのバイキングに行って気分でケーキ選ぶみたいに、短期間で取っかえ引っ変えして女の子と遊ぶことは、したくない」


「……そう? どんな関係性で女の子と付き合うのもお前の勝手だけど、もしみーちゃんが別れたいって言ったら、あっさり諦めてあげろよ。お前は相手のことを考えるというのも、わかってないんだよ。こっちが音をあげそうになっているのなら、向こうにだってそれは自然と伝わっている。相手が深く傷つく前に、こっちが悪者になって別れを告げてあげるというのも男の優しさだというのが、お前はわかってないだろ」


「水無瀬さんは俺のことが好きだし、それは有り得ない」


 俺がそう言うと、佐久間は呆れた表情で机に肘を付いた。


「おいおい。それ、正気で言ってんのか? 先のことは、誰にもわからないだろ……お前は、本当に傲慢だよ。頭が良くて容姿が良くて、それだけで誰からもチヤホヤされて。目の前にある大事なものが、今は曇っていて見えてない。良いか。みーちゃん以外のお前のことが好きな女の子だって、一括りにはできない。それぞれに抱えている複雑な事情があって、個々にちゃんとした考えを持っているというのも、お前は全然わかってないんだよ」


「……それって、俺がわかってあげなきゃいけないとこ?」


 相手のことを何も知らず自分勝手に、好意を向けられて居るだけなのに? 俺がそう言えば、佐久間は大袈裟に溜め息をついた。


「うわ。はー……これから、みーちゃん大変そー……俺が女の子だったら、いくら顔が良くても、こんな冷たい男。嫌だわ。ぜってー、付き合わねえわ。ナシ寄りのナシだわ」


「おい。みーちゃんが、定着してるだろ? お前。それ。本人の前では呼ぶなよ」


 佐久間は良く自分だけが呼ぶあだ名を付けて、親近感を与えようとする。水無瀬さんをどうこう思うことはないとは思うが、自分では理由はわからないままにそれが嫌だった。


「なんでだよ。お前の言うことなんて、聞かないね。みーちゃん呼びだって、俺の勝手だし。みーちゃんは、付き合ってるってだけでお前の所有物じゃない。お前だって、人の言うこと聞かずに自由にしてるんだから、俺のみーちゃん呼びだって何も言わずに許容しろ。どっちも同じことだぞ」


 この理屈は、何の反論も出来る気がしない。我が国では、国民に思想良心の自由を憲法で保障しているからだ。


「……なあ。佐久間。さっきのアプリ、なんて名前?」


 勝ち目のない俺がわざとらしく話を変えれば、佐久間は呆気に取られた顔になった。


「……は? 俺が今までに言ってたこと、ちゃんと聞いてた? ストーカーアプリは、お前が入れられる側だろ。なんで、お前がみーちゃんの居場所を常に知りたいんだよ。みーちゃんが言ったら、お前のこと好きなんだな可愛いな程度の束縛だと思うけど。お前からそれ言ったら、全くキャラじゃなくて提案されたら正直きもいし。完全に犯罪だぞ」


「日本の男女差別の問題は、本当に根深いな。深刻だ。個人情報と言えど位置情報の共有はお互いの同意があれば、法律的にも全く問題ないだろ。それを言えばその手のアプリが存在していることが、そもそもおかしいだろ。それに、付き合ってからすぐに必要とするとは言ってない」


「ジェンダーレスの問題と、今のこれとは何の関係ない。お前とみーちゃんの、二人の間の今の力関係上の問題だ。ああいえば、こう言いやがって。無口キャラで通ってるから、完全に顔だけでモテてるんだぞ。お前。よくわかんねえ自分だけの理屈を捏ねるのは、まじ自重しろ。はー、めんどくさ。勝手にしろ。これに関してはもう、俺は何も言わね。あれ? ……あそこに居るの、噂のみーちゃんじゃん。俺、挨拶してこよー」


 そう言った佐久間はさっさと立ち上がって、自分の鞄を持ち肩にかけるとテラスの入口付近へと歩き出した。


「おい……」


「……付き合ったからって、お前の所有物じゃねえぞ。俺が挨拶すんのも、それは自由だろ」


 そう言って、佐久間は舌を出して去っていった。


 確かに、あいつの行く方向を見れば水無瀬さんの姿が見えた。彼女は誰かを探しているのか、きょろきょろと辺りを見回しているようだ。


 ……探しているのは、俺かな。俺だと、良いけど。

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