07 ヘルプ!!

 そんなこんなで芹沢くんはとりあえず、今週末のインターカレッジの討論会までは、色々とやることがあって忙しいらしい。


 私が大家さんからの修理業者が来ると聞いたから帰ると連絡した時も、半日くらい遅れてから短い了承の返事が帰って来た。


 法学部の討論会って、文学部で日本史学専攻の私には、何をどうするんだか良くわからないけど、芹沢くんの準備をしているのは本当に大変そうだった。


 芹沢くんの名前がメッセージアプリの一番上に居るだけで、にやけてしまう口元を抑えられない。


 そして、エアコンが無事に直った部屋は、ようやく自然が作る熱量たっぷりなサウナではなくなった。修理業者の気の良いおじさん、ありがとう。本当にありがとう。


 集合住宅特有の気密性が高いという利点は、夏にエアコンがなくなってしまうと灼熱地獄になるしかない。


 そして、ようやく自室での一夜を明かし、私の中での日常へと帰って来ることが出来た。


 エアコンの効いた朝、私が目が覚めてすぐしたことと言えば、スマホの中にある芹沢くんとのやりとりの確認だ。うん。夢じゃない。


 真夜中のコンビニに芹沢くんと会ってからというもの、数日間続いていた至極の夢から醒めた気持ちになった。とりあえず仲の良い恋愛マスター美穂ちゃんに、メッセージアプリで連絡を取ることにした。


『ヘルプ!!』



◇◆◇



「え……何その、良くわからない展開。その状況だと、良くて都合の良いセフレ路線一直線になりそうだけど……芹沢はすぐに好きになったから付き合おうって、言ったんだね。噂通りの融通の利かない真面目な性格なんだろうけど、その後の態度聞くと、責任取るって感じでもなさそうじゃん」


 連絡を取ってすぐに行きつけのカフェに来てくれた美穂ちゃんは私からここ数日の顛末を黙ったまま聞いてから、通常であれば有り得ないほどの棚ボタが舞い込んできた私の状況を評した。


 私本人にだって、何がどうしてこうなったか、本当によくわからないまま。一回だけはやる事はやったけど、芹沢くんと現在付き合っているという事実を、いまいち実感が出来ていない。


「私だって……そう思ってるよ。ねえ。これって、付き合ってるよね? だって、お家に行って、今は忙しいけどいつでも来ても良いからって、合鍵だって貰ったんだけど……」


 実際のところ、討論会の支度で忙しかった芹沢くんが、ないと不便だからって貸してくれていたカード型の合鍵を返そうと思ったら、そんな風に言われて流れで貰ってしまったのだ。


 芹沢家の合鍵を持ってるなんて、可能性の少ない男は時間の無駄だし圏外を公言している美穂ちゃん以外の女の子に言ったら、多分芹沢ガール過激派に殺されちゃう……。


「……合鍵をもう渡されたの? 普通は、付き合ってからでも一年か……良くても、半年かかるでしょ。自分の身になって、考えてみなさいよ。付き合っても間もない異性に、普通合鍵渡す……? あんた、何したの?」


 彼を手に入れたいがためにあやしげな薬か催眠術でも使ったんじゃないかと疑ったのか半眼になった美穂ちゃんに、私は慌てて言った。


「なっ……何もしてないよ! さっきも、言ったでしょ。コンビニにすっぴんで行ったら居たんだけど、何故か追い掛けて来て、家に送ってくれて、部屋に誘ったら来てくれたの。それ以外は、普通だよ」


「ふーん。そこは蓼食う虫も好き好きってことで、もう良いわ。芹沢にとっては、そういうのも堪らないのかもしれないし……けどさあ。私。実は、今日ここで事情聞く前に、二人が付き合い始めたの知ってたんだよね」


 美穂ちゃんは、少しだけ顔を顰めつつ言った。


「……え? どういうこと? 私は、今美穂ちゃんにしか言ってないし。芹沢くんは、仲良い男友達にだけ言ったって、言ってたけど」


 ミスター優鷹大学の芹沢くんの男友達は、イケメンは類を呼んでしまうのか。タイプの違ったイケメンだらけ。けど、私がもし普通顔の男の子として産まれていたら、あの集団の中には入ることは躊躇ってしまうと思うから。多分、そういうことなのだと思う。


「……ちょっと。これ見て」


 美穂ちゃんは、私にスマートフォンの画面を向けた。『大ニュース』という、派手なスタンプの下には……『彼女できた。水無瀬さん。』という、スクショの画像を切り抜いたような文字。


 そして、その吹き出しの主の犬アイコンは、私も最近良く見る芹沢くんの実家で可愛がっている犬で……。


「っていうのが、芹沢の居るグループに送信されたらしいのよ。結構な騒ぎになったみたいよ。当の本人は、何も知らないと思うけど。色々な憶測が、飛び交ってるみたいよ。まさか、こんな……ワンナイトラブみたいな始まりからだなんて、誰も予想もしてないでしょうね」


 美穂ちゃんは驚き過ぎて何も言えない様子の私に対し、呆れ顔だ。そうだよね……芹沢くんくらいの有名人になれば、色んな人から関心を向けられているのは当然で……。


「えっ……うそ! 確かに仲良い友達には、言っても良いって言ったけど。そんなに広まってるの?」


「芹沢の友達が拡散したら、それは一緒でしょ……硬派なのは本人だけで、友人関係は派手なの多いじゃん。誰だっけ……あー……準ミスターの佐久間とか。あいつ、ペラペラ喋りそうだよね」


 都内のイベントサークルでも有名だという佐久間くんはアイドルのような可愛い顔を持つ、芹沢くんの友人だ。


 芹沢くんはさらっとした黒髪だって染めてもないし、チャラけたピアスなんかももちろんしてない。そういった意味では、佐久間くんは真逆の陽キャ。


「えっ……もしかして……もう、結構な人が、知ってるの!?」


「うん。ご愁傷さま。まだ、必須課題だって出してないんだろうけど、大学行ったら、色んな人の見る目は変わってると思うよ。芹沢は今までにどんな女でも絶対に落ちないって思われてて……うん。まあ……そこに、落ちたんだなって」


 何度か頷いた美穂ちゃんは多分、私みたいな普通な子にを言わずに飲み込んだ。それは自分も自覚あるし、別に良いんだけど。


「うそー……芹沢くんって……本当にすごいんだね……」


 芹沢くんに関する噂が拡がる速度が、それだけ電光石火で早いということは、彼が数多くの人からそれだけ関心を集めているという証である。いや、仕方ない。もし、私が第三者でも、そっかーやっぱりって残念な気持ちにはなるけど、彼女がどんな子かは気になってしまうもの。


「何。関係ない他人事みたいに、言ってんの。これから相当面倒なことになるくらいは、わかってるよね?」


「めっちゃくちゃ……嫉妬されるよね……?」


 能天気な私でも、容易に想像はつく事態。特に彼のファンである芹沢ガールの面々は、抜け駆けしたかたちの私を決して許さないだろう。


 どんな、わかりやすい嫌がらせを受けてしまうのか……二階からわざとらしくバケツで水を掛けられる、あの事態に備えて、バスタオルを常備しておくべきか……。


「顔の天才が、彼氏なんだから……仕方ないよ。諦めな。まあ……芹沢と付き合うことに、それだけの価値があるんだったら、良いんじゃない? 嫌がらせ程度で付き合うのを止めるんだったら、そこまであいつのことを好きじゃないってことだし」


「……私。ホスト通いのお金のためにパパ活やってるとか、元彼が三十人居るとか、そんな事実無根な悪い噂を大学で立てられても、芹沢くんと一緒に居られるなら、全然耐えられる。芹沢くん。私の理想の妄想っていうか、想像してた通りで、めちゃくちゃ優しくて……絶対、別れたくない」


 行ったこともないホストクラブとか、何をしているかわからないパパ活とか、まず開始から何をどうしたら良いのかもわからないことだって、何故か毎日やっていることになっていてもこちらは全然構わない。


 自分に悪い噂を立てられる状況と、芹沢くん。私の心の中の秤は、芹沢くん方向へと振り切れる。


「……自分がそう思うんだったら、もう良いんじゃない? 私も止めない。じゃあ、芹沢との恋愛が上手くいくことを一番に考えようよ。芹沢って法学部だし、あれは本気のタイプでしょ。司法試験の勉強で忙しいんだから、こっちが遠慮して、時間はあまり取らないようにしてあげなよ」


「そ、そうなんだ」


「多分……芹沢は、あんたを何言っても甘やかすと思う」


「すっ……鋭い」


 流石は、恋愛マスターの美穂ちゃん。


 私が絶対にすっぴんが見られたくないって言ったら、あっさりとそれを了承してくれて。なんなら、帰宅連絡してからも、帰って来ても良いよって私が言うまで、彼は帰らなかったのだ。自分の部屋なのに、優しすぎる。好き。


「女関係は噂にも聞いたことないから、わからないけど。これだけ誰も何も聞いたことない知らないってことは、元カノは居ても三人以内だと思う。何が原因で別れたかは、わからない。前例がないから、対策はたてにくい。だから、極力勉強の邪魔はしない。連絡は必要最低限。わかったわね?」


 芹沢くんの元カノの具体的人数まで推理した美穂ちゃんに、私は大きく溜め息をついた。


「三人以内……だったら、良いな。絶対、過去に彼女は一人は居たと思うから」


 明らかに私と過ごした時間に女の子の扱いに慣れていそうだった芹沢くんの様子を思い出して、私は言った。彼は別に異性と話せない訳じゃなくて、敢えて話さないようにしているのだ。


「あんな男と付き合ったら、大抵の女は友達周りだけでも自慢するものよ。それをしないような女は、今のSNS全盛期には、本当に珍しい。だから、居ても三人。簡単な推理だと思うよ」


「美穂ちゃん、そうなんだ。すごいね……」


「こんなに、物知らずな能天気で……本当に大丈夫かな……心配でしかないんだけど」


 危機感のない私は、憧れの推しである芹沢くんと付き合い始めても、平穏な日常はそんなに変わらないものだと……何故かそう思い込んでいた。


 うん。大間違い……だったんだけど。

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