終章

第44話 マンドレイク令嬢と愚かな父親

 季節は春から夏へと移ろう頃。

 遅れていた王家主催の狩猟祭が、まもなく始まろうとしていた。


 見上げれば、広がる空は雲ひとつない晴天。

 そよ風は草や木の枝を優しく揺らし、年に一度しか見ない人間たちに小鳥たちは物珍しそうな顔でチィチィとさえずり合う。


 王家所有の狩猟場。

 門をくぐってすぐのところにある簡易広場は、そこかしこにテントが並び、合間を埋めるように多くの貴族たちの姿がある。


 前方には即席のひな壇がしつらえられており、その左には神殿の聖女たちが待機する救護テントが、右には王族が待機するテントが設置されていた。


 狩猟ということもあって、貴族たちは華やかな出で立ちだ。

 普段はシックな色合いが多い男性陣も、この日ばかりは色鮮やかなジャケットを羽織っている。


 会場の外れにある小さなテントから、一人の令嬢が姿を現した。

 とろけるようなやわらかいチュールを使った──一見するとカーキ色だが、よく見ればアッシュブラウンとグリーンが重なっている──ドレスの裾を揺らして歩いている。


 そしてそんな彼女のあとを追いかけてきてエスコート──というには周囲に対する視線が鋭すぎるが──するのは、どこか一筋縄ではいかないくせ者感を漂わせた美貌の青年である。

 赤紫色のジャケットは、令嬢の目の色に合わせたものだろうか。よく似合っている。


 初めて目にする令嬢と紳士の姿に、貴族たちは歓談をやめた。

 見てわかるほどの仲睦まじい二人の様子に、羨望せんぼうの視線が集まる。


「あの令嬢は誰なんだ?」


「その隣にいらっしゃる、すてきな紳士はどなたなの?」


 その時、会場の前方でファンファーレが鳴った。

 開会式の合図に、人々は弾かれたようにひな壇へと視線を向ける。


 コルテはホッと息を吐いた。

 ジロンドとともに、先を急ぐ。


 テントから姿を現した国王一家に、人々は一斉に首を垂れた。

 壇上に設置された椅子に国王一家全員が腰を下ろしたのを合図に、人々は姿勢を戻す。


 国王は狩猟祭の参加者全員を確認するように会場の端から端まで見回し──そして、口を開いた。


「みな、よく来てくれた。今年は少々問題があったが……こうして無事に狩猟祭を開催できて、喜ばしく思う。だが、開会する前に一つ。みなに知らせたいことがあるのだ」


 国王の表情は、明るい。

 きっと吉報だろうと、人々は次の言葉を待った。


「魔力を有する者たちはすでに知っていると思うが……先日、偉大なる魔法使い、ジロンド・フェランが魔力暴走を起こした」


 不穏な出だしに、ざわめきが起きる。

 魔力暴走は、人災だ。暴走した魔力は雷を落としたり、津波を連れてきたり、地震を起こしたりする。


 一介の魔法使いでそれなのだ。

 国一番の魔法使いの魔力暴走ともなれば、火山が噴火、あるいは巨大な隕石が落下したくらいの規模を想像するのが、魔力を持たない者なのである。


「そしてその暴走を止めたのが彼女……コルテ嬢である」


 名前を呼ばれ、コルテは顔を上げた。

 ゆるりと、ジロンドが歩き出す。彼の腕に、手を掛けていたコルテも。


「あの令嬢は、どこの家門の者だ?」


「一緒にいる方って……もしかして、偉大なる魔法使い様⁉︎」


 国王に呼ばれ、壇上に上がっていったのは。

 つい先ほど会場の視線を釘付けにしていた一組の男女──ジロンドとコルテだった。


 たった一段上がっただけ。

 ひな壇はそれほど高くないのに、随分と高い所に立っている気分にさせられる。


 高揚するよりも先に、緊張が先立つ。

 あらかじめこうなることは知らされていたのに、緊張に喉が渇いた。

 震える手でジロンドの腕に縋れば、彼は安心させるようにコルテの手を撫でてくれる。


「賢明な者であれば、魔力暴走を止めることがいかに難しいことかわかるだろう。ましてや、偉大なる魔法使いともなれば、誰にでもできることではない」


 国王は言外に、コルテは大聖女の器であると言っているも同然だった。

 手放しで褒められて、嬉しいけれど怖くもある。


 魔法使いや聖女たちが聞いたら、どう思うだろう。

 長い間修行してきた彼らと比べたら、コルテは子どもみたいなものなのに。


 壇上から、恐る恐る会場を見回す。

 貴族に混じって立つ魔法使いや聖女たち。彼らは国王の言葉に、誰よりも深くうなずきを返していた。


 あの日感じた不穏な空気。伝説の魔王降臨かと思うような禍々しい気配を一瞬で消し去ったのが、齢十八の可憐かれんな令嬢だったなど、聞いた時は耳を疑ったものだが。目にしてみればなるほど、彼女であればと腑に落ちた──と言わんばかりに。


「我が友、ジロンドを助けてくれてありがとう。今後も、彼をよろしく頼む」


 僕はきみより年上なのだが?

 みんなには聞こえない小さな声で文句を言うジロンドにクスッと笑みながら。コルテは差し出された国王の手に手を重ね、しっかりと握手を交わした。


「はい、もちろんです」


 嫉妬深いジロンドの恨みがましい視線を受けながら、国王は不敵な笑みを浮かべる。

 まるで子どものけんかだ。気安い応酬に、二人は確かに友人同士なのだとコルテは納得する。


 その時ふと、視界の端にうごめくものを感じた。

 チラリと視線を向ければ、覚えのあるずんぐりとしたシルエットが、ジリジリと会場から逃げ出そうとしているのが見えた。


 ジロンドにも、国王にも見えていたのだろう。彼らは示し合わせたように視線を交わしたあと、悪人の顔で──一瞬のことだったので壇上にいる人たちしかわからなかっただろう──ニヤリと笑った。


「話は変わるが……近頃、生まれた子どもの魔力を偽ろうとする親がいると報告があった。誰とは言わないが……魔力に関する偽りは重罪である。狩猟祭が終わり次第、追って沙汰を下すので、待つように」


 国王が言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで、ドスンと何かが落ちたような音が会場内に響いた。

 門をよじ登って逃げ出そうとしていたリナローズ男爵が、子どもたちのために用意されていた移動動物園の──よりにもよってアルマジロが展示されている柵の中に落ちた音だった。


 なんだなんだとリナローズ男爵から距離を置くアルマジロたち。

 リナローズ男爵はヒィヒィ言いながら柵を越えようとして、足を取られて大転倒。

 会場は一瞬静まり返ったものの、ひっくり返ったリナローズ男爵があまりにもアルマジロと似ているものだから、笑いが波及していった。


「そら、おまけだ」


 いたずらっこの顔をしたジロンドが、とどめとばかりにリナローズ男爵のお尻にアルマジロの尻尾を生やす。

 気づいたリナローズ男爵がピギャー! と声を上げると、会場はさらに盛り上がったのだった。

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