第43話 マンドレイク令嬢の告白

 気がついた時には、ベッドの中だった。

 見慣れつつあったモグラの家の天井に、


(あれ? 約束の日は今日じゃなかった?)


 と、コルテはキョトンと目を瞬いた。


 ぼんやりしていると、足音が近づいてくる。

 起き上がるのも億劫おっくうで寝そべったまま頭を傾けると、コルテが起きていることに気がついたミネルバが、驚きと喜びがないまぜになった顔で駆け寄ってきた。


「目が覚めたのですね!」


「みね、るば、さま……」


 声を出すと、ザラリと喉が痛む。

 コルテはたまらず、き込んだ。


「ああ、無理をなさってはいけませんわ」


 コホコホとせきをするコルテの背中を、ミネルバはねぎらうように優しくでた。

 そうしている間に少しずつ、おぼろげだった記憶がゆるゆるとよみがえってくる。


(そうだ、わたしは……ジル様の魔力暴走を止めようとして、マンドレイクの声を最大出力で発したんだった)


 あの時。

 ルベールをミネルバに託したコルテは、ジロンドと対話するために一人残った。

 しかし、いざ二人きりになってみれば、どうしたことか、ジロンドは魔力暴走を引き起こしていたのだ。


 魔力暴走とは、文字通り魔力が暴走してしまうこと。本人の意志を無視して、体が勝手に魔法を使ってしまう。

 大きなショックを受けた時や、命の危険にさらされた時などに起こりやすいと言われている。


 コルテがルベールとともにいたことが、引き金になったのだろう。

 そう思うのは、コルテの自惚うぬぼれだろうか。


(でも……そう思うだけの根拠はある)


 コルテが覚えているこの記憶が夢でないのなら、ジロンドは意識が朦朧としながらも確かにこう言ったのだ。


『ルベールではなく僕を選んでほしい。僕を選んでくれたら、生涯きみを愛すると誓おう』


 あまりにも嬉しくて、だからコルテは思わず笑ってしまったのだ。

 生涯をかけて愛すると真摯しんしに告げられ、照れ臭さと嬉しさで心臓が止まってしまうかと思った。


(恥ずかしさについ、余計なことを言ってしまった気がするわ)


 重いだなんて。

 思ってもいないことを言った。


(涙ぐむジル様に慌てて訂正を入れたけれど、それが原因で嫌いになられたらどうしよう)


 そういえば、ジロンドはどうしたのだろう。

 視線をめぐらせても、彼の姿は見当たらない。

 コルテは不安になって、ミネルバに尋ねた。


「じる、さま……は?」


「……彼は今、ルベール様と王城へ行っているわ」


「なぜ……?」


「あなたとルベール様の婚約を破棄するために」


 思いもしなかった答えに、コルテは驚きに目を見開いた。

 赤紫色の目が、マンドレイクの実のようにまんまるくなる。


 その幼子のような素直な反応をミネルバは愛らしく思って、頰を緩めた。

 そしてあの時、コルテが意識を失ってから何があったのかを話してくれた。


 ジロンドの魔力暴走を力技で止めた反動か、彼が意識を取り戻すとほぼ同時にコルテは意識を失ったらしい。

 まだぼんやりと覚醒していたに過ぎなかったジロンドは、目の前で倒れゆくコルテを見てハッとなり、なんとか抱きとめてくれたようだ。


 階下でうかがっていたルベールは、コルテがジロンドの魔力暴走を止められるほどの実力者──つまり大聖女に匹敵する力を持つ令嬢だと知り、「今のままでは私の方が足手まといになりかねない」ということで、一時撤退を決めたのだとか。


「……そういうわけで、二人は婚約破棄のために王城へ向かったのです。ルベール様はもっと強くなってから迎えに来るとか何とか仰っていましたが……我が国では重婚を認めていませんので、先にした者勝ちですわ」


 ミネルバはそう言って、茶目っ気たっぷりにフフッと笑ってみせた。


(うう、これは……わたしの告白もしっかり聞いていたということよね……?)


 ジロンドとミネルバの仲を疑ったことがあったコルテは、後ろめたさと申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだ。掛布をずり上げて、赤くなった頰を隠す。

 ミネルバはそんなコルテを見ておかしそうにクスクス笑いながら、ふと思いついたように言った。


「でも、そろそろ帰ってくる頃ではないかしら……」


 目が見えないミネルバの聴覚は、常人よりも優れている。

 ジロンドの足音でも聞いたのだろう。彼女は「お幸せに」と聖女の微笑みを浮かべ、部屋を出ていった。


 それから間もなくして、ジロンドはコルテの前に現れた。


「コルテ! やった、やったんだ。とうとうきみは、自由になった!」


 裁判で勝った時に裁判所から『勝訴』と書かれた紙を持って現れる人のように、婚約破棄の証書を掲げて現れたジロンドは、それはそれは誇らしげだった。


 コルテは自信を持って言える。

 この時の顔は、偉大なる魔法使いという名を冠した時よりも誇らしげだったに違いない、と。


 ジロンドの元気な姿を見て気が緩んだのか、目から勝手に涙があふれた。

 もっと近くに来てと無言で手を伸ばせば、確認させてくれるようにジロンドはコルテの手を取り、コツンと額に額をくっつけてくる。


 近づいてくる顔に、もううわっとは思わない。

 だってコルテは、恋ができないマンドレイクではないから。


 キスしそうな距離に胸がドキドキする。

 だけれどそれ以上に、ジロンドが無事だったことが嬉し過ぎて。コルテは涙をポロポロ落としながら、目を細めた。


 好きすぎて苦しいだなんて、なんて甘い痛みだろう。

 一つも残さず抱えていたいけれど、ジロンドにも教えてあげたくて──コルテはかすれた声で、彼に告げた。


「すき……」


 ジロンドの目が、甘くとろける。

 彼の目は、熱を帯びると金色が濃くなるようだ。蜂蜜のようなそれに、コルテはうっとり見入った。


「コルテ、愛している」


 どんなに難しい呪文もスラスラと詠唱する彼らしくもなく、震える声。

 だからこそ、彼の本気がうかがえる。


 ジロンドの指先がコルテの髪をすくい、輪郭を確かめるように触れて。すべてを委ねるようにまぶたをおろせば、あふれんばかりの気持ちが込められた甘い口づけが次々と降ってくる。


「……ふふ」


 一体、何度繰り返すつもりなのだろう。もちろん、嬉しいのだけれど。

 降り注ぐキスの雨に微苦笑を浮かべながら、コルテは幸せだなぁと思った。

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