第41話 止まらない気持ち

「ルベール様、あのっ」


 一刻も早く、ルベールをどこかにやらないといけない。

 そうでなければ、地下墓地が狩猟場と同じような目に遭うことになる。


 コルテはアワアワと、ルベールに手を伸ばした。

 お願いだからここから去ってと──そう、警告するために。


 しかし、コルテの手がルベールに触れようとした瞬間、バチンッと静電気が起こって、彼女は弾かれたように身を引いた。

 視線を感じて出入り口へ目を向ければ、あるかなしかの笑みを浮かべたジロンドが立っている。


「ジル、さま」


 そんな場面ではないのに。

 コルテはまるで、浮気を見咎められた不実な恋人のような気分になった。


 責めるような目は、ただただコルテだけを見つめている。

 コルテはゾクゾクと、肩を震わせた。


 笑顔が怖い。目が笑っていない。

 震える唇を隠すように、コルテは口を手で覆った。


「コルテ。これは一体、どういうことなのかな?」


 穏やかに話そうと努めているのだろう。

 しかし、隠しきれない怒りが声ににじみ出ている。


「えっと、これは……」


 コルテのことしか見ようとしないジロンド。

 ルベールは無視するなと言わんばかりに、二人の間へ立ちふさがった。


「彼女は私の婚約者だ。あなたにとやかく言われる筋合いはない」


「僕はコルテに聞いている。きみの言葉なんて、求めていない」


 言うなり、ジロンドはどうでもよさそうに手を振り払った。

 その瞬間、彼の動きに呼応するかのように風魔法が繰り出される。


 放たれた鋭い風の刃が、ルベールの肌を切り裂いた。

 後ろに居たコルテの服がわずかに切れるのを見たルベールは、


「チッ。キレてやがる」


 舌打ちをしながら、コルテと距離を取った。


 痛みにうめきながらルベールは風の刃から身を守っていたが、いくつかの風の刃は神殿の壁に大きな傷をつけた。

 パラリ、と壁の一部が剥がれるのを見て、コルテは声を上げる。


「ジル様、いけません!」


 ここは神殿だ。

 すぐ下には地下墓地があり、ミネルバがそこにいる。


「ジル様! 駄目って言っているでしょう⁉︎」


 言った瞬間、ブワリと何かがコルテから噴き出した。


「えっ、なに……?」


 驚きに目を見張るコルテ。

 彼女の戸惑いを察してか、あるいは予兆を感じてか、ジロンドの攻撃が一瞬やむ。


 ジロンドは彼女の顔を確かめるように見て、まるで裏切られたかのように悲しそうな顔で唇を引き結んだ。そして、接近してきたルベールへ魔法を放つ。


 再開した攻撃は、排除というより八つ当たりのようだった。

 遠慮のなさに、ルベールが舌を打つ。


「チィッ。だから魔法使いは嫌いなんだ」


 ルベールはむちで応戦しようと構えたが、ここは狭い部屋。

 相性が悪すぎた。


(このままでは、地下墓地もルベール様も危ない……)


 今こそ、無効化魔法の出番ではないだろうか。

 しかし、未完成の魔法が火事場の馬鹿力でなんとかなるはずもなく。コルテは解決方法が見つからず、悔しそうにスカートを握りしめた──その時だった。


「何事ですか⁉︎」


 地下墓地へ続く階段の下から、ミネルバの声がする。


「ミネルバ様!」


「コルテさん、無事ですか⁉︎」


「はい! でも今ちょっと……かなりマズイことになっていて……」


 すぐ近くには、傷だらけのルベール。

 出入り口をふさぐようにジロンドが立っていて、階下にはミネルバ。


 コルテは意を決すると、ルベールの服をつかんだ。

 そのままグイッと引っ張ると、不意をつかれたルベールの体が傾く。


「ミネルバ様、彼をお願いします!」


「えっ⁈ ええ、わかりましたわ」


 コルテは「ごめんなさい」と言いながら、ルベールを突き飛ばした。


「なっ⁈」


 驚いた顔をしたルベールが、階下へ──地下墓地へと落ちていく。


「なぜだ、コルテ!」


「ごめんなさい、ルベール様。わたし、あなたと一緒には行けません」


「そいつはマンドレイクに恋する変態なんだぞ⁉︎」


 ルベールのその言葉で、コルテは理解した。

 彼の勘違いは、そのせいだったのだと。


「わかっています」


「後悔するぞ」


 後悔するだろう。


(ジル様を好きになったこと)


 間違いなく。きっと、いつの日か。

 そんなことはもう、とっくにわかっている。


(だけど、仕方がないじゃない。好きなものは好きなのだもの)


 ルベールの存在にホッとしてしまうくらい、今のジロンドは怖かった。

 だけれど、その恐怖を上回るくらい、胸がドキドキ高鳴っている。


 気持ちを自覚して、初めて会ったのだ。

 ようやく会えたと、ジロンドに恋する気持ちが喜びに跳ね回る。


(これが恋の病というものなのかしら)


 愚かだと思う。

 頭の冷静な部分が、認めたら終わりだと泣き叫んでいる。


 狐を恐れて助けを求めたら、羊の皮を被った狼だった──そんな気分だ。

 狼だと頭では理解していても、好きだと思う気持ちはなくせない。

 むしろ、初めて見る彼の一面に胸がキュンとときめいた。


(ああ、駄目だ。これは、駄目だ)


 無意識に隠した口元。

 あれは、笑っていることを悟られたくなかったからしたことだった。


 絶体絶命のピンチを前にして胸をときめかせているなんて、信じがたいことだ。

 ジロンドが嫉妬してくれている。それだけでコルテは胸がいっぱいになって、泣きたいくらい嬉しくてたまらなくなる。


 たとえそれが、自分の弟子を奪われたくないと思う、所有欲なのだとしても。

 そう思ってくれるということが重要で、それ以外は今のコルテにはどうでもいいことだった。


 認めよう。もう、手遅れだ。

 ジロンドがマンドレイクを愛していても──、


「関係ない。止められない」


 その時、ドロリと。

 コルテは、汚泥のようなものが溶け出す気配を感じた。

 何かが瓦解がかいして、閉じ込められていたものが勢いよく放出される。


 再会してからはすっかり大成していたから、忘れかけていた。

 彼がとても、面倒臭い男だということを。


「こうなったからには、仕方がない」


 無意識下につぶやいた言葉は、図らずもマンドレイクとして最期に言った言葉で。


「時には諦めも肝心よね」


 コルテは唇に微苦笑を浮かべ、振り返った。

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