6章

第39話 前夜

 遠くから鐘の音が聞こえる。

 神殿の、消灯の合図だ。


 ジロンドが迎えにくるまで、残り一日。

 その終わりを告げる鐘が鳴っていた。


 今日は最終日ということもあって、いつもより少し早起きをして掃除を頑張った。

 お世話になったモグラの家をピカピカに磨き上げて、畑で野菜の世話をして。地下生活ですっかり泥だらけになっていたマンドレイクもどきたちを洗っていたら、あっという間に夜になっていた。

 もちろん、合間に包子パオズを作ることも忘れていない。


 朝からしっかり体を動かしたおかげか、心地よい疲れが眠りを誘う。

 翌日のイベントが楽しみで眠れない子どものようには、ならずに済みそうだ。

 コルテはうとうとしながら、ベッドへ横になった。


「明日になったら、ジル様が迎えに来る……」


 灯りに照らされた天井を見上げ、コルテはつぶやいた。


 結局、魔法を無効化する魔法は習得できないまま。

 それどころか、第二ステップである魔力を包み込む感覚すらつかめなかった。


「そんなに簡単に身につくものじゃない。それは、わかっている……けど」


 でも、悔しい。悔しいものは、悔しい。

 ミネルバですら習得まで一年かかったそうだが、それを聞いても慰めにはならなかった。


 だってコルテは、ジロンドの弟子なのだ。

 偉大なる魔法使いが、特別に目をかけている弟子。


 きっとジロンドは期待していることだろう。

 会うなりキラキラとした目でコルテを見て、習得したばかりの無効化魔法を披露してほしいと強請ってくるかもしれない。


 コルテだって、その期待に応えたかった。

 だけれど、結果は否。


 ジロンドは落胆するだろうか。

 それを思うと、コルテは薄情にも(会いたくないなぁ)と思ってしまうのだった。


 会いたくない理由は、もう一つある。

 コルテは、自覚したばかりのジロンドへの気持ちを、隠しおおせる気がしなかった。


 だって、ジロンドは観察することに慣れている。

 コルテの些細ささいな変化さえ拾ってしまう彼から、逃れる術なんてあるのだろうか。


「それこそ、無効化魔法が必要なんじゃないかしら」


 気持ちを知られて、今まで通りに過ごせる気がしない。

 ジロンドはどうか知らないが、少なくともコルテは気まずい思いをするに決まっている。


「ラディッシュとビーツはさりげなく好意を伝えろと言うけれど、それで気持ちを知られたら……。お互いに知らないふりをしたとしても、いつか破綻してしまうわ」


 うまくいきっこない。

 堂々巡りだ。ままならないことばかりで、嫌になる。


 頭の下から枕を引っ張り出して、自分の顔へ押し付ける。

 モヤモヤとした気持ちを吐き出すように、コルテは枕へ向かって叫んだ。


うーギー! モヤモヤするーギィギィギー!」


 マンドレイクの叫び声は、枕の中に吸い込まれていく。

 幾分か気持ちがスッキリしたコルテはいそいそと枕を元に戻すと、壁に向かってコロリと横になり、明日に備えて目を閉じた──のだが。


 不意に扉が開き、部屋に誰かが入ってくる。

 ミネルバ様かな、とのんきに振り返った時にはもう遅かった。


 あっという間に猿轡さるぐつわを噛まされ、大きな袋ですっぽりと覆われる。

 こういった作業に慣れているのか、何の迷いも躊躇ためらいもない。

 コルテはなんとか逃れようと暴れたが、容赦なく担ぎ上げられた。


ねぇっムゥー下ろしてムムムム! 下ろしてったらムムムムムー!」


 殴って蹴って、叫んでも。コルテを担いでいる人はびくともしない。

 それどころか、おとなしくしろと言うように、コルテのお尻をピシャンとたたいてきた。


痛いっムムゥ!」


 コルテがモゴモゴと文句を言うと、担いでいる人の肩が揺れた。

 まるで、笑っているかのように。


(悪趣味!)


 見えないけれど、担ぎ上げられた感覚やお尻をたたいてきた手の感じからして、背の高い男の人のようだ。

 彼はコルテを抱えたまま、走ったり止まったりを繰り返している。


 おそらくは、ミネルバを警戒してのことだろう。

 消灯時間の前後、ミネルバは地下墓地を一回りする。

 彼女と会ったら面倒なことになるから、コルテを抱えた人物は、曲がり角で一度停止し、様子をうかがっているのだ。


(──ということは、わたしを狙っての犯行だということね)


 ミネルバと勘違いしてさらったのではないらしい。

 誰でも良かったというわけでもないだろう。わざわざ地下墓地へ来るくらいなのだから。


(わたしはどこへ、連れ去られようとしているの? 連れ去られて、そのあとは? どうなってしまうの……?)


 最悪の結末を想像して、コルテは震え上がった。

 考えないようにしていた不安が、一気に膨れ上がる。


(いやっ! 死にたくない!)


 何度暴れても、抱え直されて運ばれる。

 逃げる隙なんて、見つけられそうになかった。


(どうして、わたしばっかりこんな目に遭うの? わたし、何かした⁈)


 コルテはただ、自分らしく生きたかっただけだ。

 ようやく見つけた、聖女への道。

 目標に向かって頑張りたいだけなのに、次から次への邪魔されて……。


 コルテはだんだんと、腹が立ってきた。

 何年も我慢し続けた結果がコレなんて、なんて不幸なのだろう。


(失恋したばっかりだっていうのに。ひどすぎない?)


 怒りが頂点を超えると、頭が急にスンッと冷えた。

 ほんの少しの余裕が、思考をクリアにする。


 怒りによって恐怖を克服したコルテは、


(なんとしてでも逃げ出して、ジル様のところへ帰るんだから!)


 と、どさくさ紛れに決意した。


 否、どさくさなんかではない。

 この決意こそ、コルテの偽らざる気持ちだ。


 死ぬかもしれないという瀬戸際。

 コルテの心残りは、ジロンドに気持ちを伝えられていないことだけだった。


(わたしはこの気持ちを……最初から隠す気なんてなかったんだわ)


 ラディッシュとビーツは、正しかった。

 覚悟が決まれば、肝も据わる。


(考えて。とにかく考えるのよ!)


 コルテは必死に考えた。

 震えそうになる体をギュッと強張らせて、「考えろ、考えろ」と自身へ発破をかける。


 コルテが地下墓地にいることを知っている人。

 知り得ることができる人。


 わざわざ、コルテが地下墓地にいる間に攫うような人物だ。明日になれば、魔塔に戻るのに。

 それまで待てなかった人。あるいは、明日戻ると知らない人。


(一体、誰なの……?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る