第38話 マンドレイクもどき(ラディッシュとビーツ)

 翌日、コルテはいつもより遅めの時間に起床した。

 ムクリと起き上がると、顔に乗り上がっていたラディッシュとビーツがコロリと枕元に転がる。コルテは慌てて、二匹を抱きとめた。


 寝ながら泣いていたのか、まぶたが腫れぼったい。

 ラディッシュとビーツはどうやら、腫れを引かせるために自ら冷たいタオルの代わりを務めてくれていたようだ。


「ありがとう。ラディッシュ、ビーツ」


 見上げるラディッシュとビーツを頰に抱き寄せ、コルテは力なく笑んだ。

 短い手を一生懸命伸ばして、ラディッシュがコルテのまなじりに残っていた涙を払う。


「はは。情けないな……」


「そんなことない」


「そうだよ。だって、初めてなんだもの」


 慰めるように、ラディッシュとビーツが頰に抱きついてくる。

 せっかく泣き止んでいたのに、二匹がやさしくて。つい、目が潤んだ。


「今日にでも、ジル様への対応策を考えようと思っていたのだけれど……」


 涙腺が弱くていけない。

 疲れもあってか頭がぼんやりして、考えがまとまりそうになかった。


「それにしても、セロリアックもひどいことを言うのね」


「コルテがジロンドを好きでも、ジロンドはコルテを好きだとは限らないってやつでしょ」


「「オスってほーんと、わかってないんだから!」」


 息ぴったりにさえずるラディッシュとビーツにコルテは微苦笑を浮かべ、それから寂しそうに唇をゆがませて言った。


「でも……その通りだと思う」


「そうかしら? ジロンドのコルテを見る優しい目。あの目は、恋する男そのものよ」


「ビーツの気のせいじゃないかな。ジル様は確かに優しいけれど、あれは弟子の成長を見守る目だと思う」


「じゃあじゃあ、あれは? コルテの前では良い格好をしたくて、汚部屋を隠そうとしていた件!」


「それも、師匠としての体面とか……あるじゃない」


「「んもぅ。コルテったら!」」


 もう黙りなさいと言わんばかりに、二匹はコルテの頰に手を押し当てる。

 ムギュと押されて、コルテの唇はアヒルのくちばしのようになった。


「そうだわ。わたしたち、今こそ力を発揮する時ではなくて? ラディッシュ」


「そうね、ビーツ。わたしたち、いろんなものを見聞きしてきたもの。好きな人に好きな人がいた場合、どうすればいいか。きっと良いアドバイスができるはずだわ」


 ラディッシュとビーツはひょいとコルテの手から飛び降りると、ベッドのヘッドボードへよじ登り、彼女と視線を合わせた。


「コルテ、あなたはジロンドが好き? 嫌い?」


「……もちろん、大好きよ」


 だからコルテは、苦しんでいる。

 決して叶わない恋の、扱い方がわからない。


「でも、今のあなたはとても苦しそう。彼を好きだと思うことは、いけないことだと思っていない?」


 当然だ。悪いことに決まっている。

 コルテは、さも当然と言わんばかりにうなずいた。


「思ってる。だって、あんなものを見たら、敵う気がしないもの」


「あんなものって?」


「マンドレイクの墓碑銘を見たの。ここに偉大なる魔法使いジロンド・フェランが愛するマンドレイク眠る。彼女は健やかで愛らしく、彼女を超えるものはない……。一度しか見ていないけれど、一言一句違わず言える。だってすごく、衝撃的だったから」


「「ああ、コルテ……」」


 二匹は悲しそうに、表情を歪ませた。

 その様はまるで、娘の失恋に心を痛める母親のよう。

 コルテの代わりに、今にも泣き出しそうだ。


「そうね。もういなくなってしまったものに対抗するのは難しいことだわ。だって、マンドレイクとの思い出はもう更新されないのだもの。綺麗なまま、彼の中に残り続ける」


 ビーツの言葉に、コルテはこの世の終わりかのように表情を曇らせた。

 ズブズブと底なし沼に足を取られたように、気持ちが内へ内へと閉じこもろうとしている。

 そんなコルテの気持ちを引き上げるように、ラディッシュは明るい声で応えた。


「あなたにできることは、いくつかあるわ。まずは、自分磨きを頑張ること」


「無効化魔法の習得を目標にすると、わかりやすいと思うわ」


 ビーツのヒントは、わかりやすい。

 コルテはウンウンと素直にうなずいた。


「次に、彼が好きだとアピールすること」


 ラディッシュの言葉に、コルテはギョッと目を剥いた。

 そんなこと、考えもしなかったという顔だ。


「先手を打って告白するでもいいし、」


「そんな! そんなの、無理よ」


 間髪入れずに拒否するコルテ。

 もちろん、彼女がそう言うのは折り込み済みだ。ビーツはワケ知り顔で答えた。


「いきなり告白が難しい場合は、ジル様といる時間が幸せだな〜って遠回しに伝えるの。ほら、言ってみて?」


「じっ、ジル様といる時間が幸せだなー……?」


 棒読みにも程がある。これは特訓が必要だな、と二匹は視線で語り合った。

 とはいえ、恥ずかしそうに頰を赤く染めているコルテは、欲目を抜いても愛らしい。

 ジロンドに見せるのはもう少しあとでも良いのではと、もったいなく思う二匹である。


「そして、最後に。決してやってはいけないのが、これ以上好きになっては駄目と気持ちに水を差すこと」


「好きになっちゃいけないと思うと、ますます彼のことが頭から離れなくなって、負の妄想がふくらむわ」


「そう。自分の感情を受け入れる。それだけは、忘れないで」


 二匹の迫力に気圧されて、コルテはコクコクとうなずきを返す。

 よろしい、と満足げにうなずいた二匹は、どこから取り出したのやら鉢巻きを巻いて、


「じゃあさっそく、自分磨きよ」


 と、勢いよくベッドを飛び降りたのだった。

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