第37話 忘れっぽい魔法使い

「……うん?」


 靴紐が解けたような気配を感じて、ジロンドは顔を上げた。

 直そうと机の下を見るが、しかし靴紐はきちんと結ばれたまま。


 もう何度目かもわからないを感じるジロンドに、ロシエルはあきれすぎてため息しか出ない。


「ジロンド、またかい?」


 国王の執務室。

 謹慎期間を終えたジロンドは、その翌日から王城に呼び出されている。


 それもこれも、延期した狩猟祭の準備をするため。

 自分の尻拭いである。


 やることは多々あるというのに、ジロンドときたら日に何度も「コルテがおなかを空かせている気配を感じる」だの「うまく魔法が使えなくて凹んでいるコルテの気配を感じた」だのと言って作業を中断するから、始末に負えない。


 それでも、ジロンドだからこそ、この短期間で仕切り直しができるわけで。

 彼以外に彼の尻拭いをできる者などいやしないのだ。


「今度は何の気配を察知したんだ?」


「陛下、ある場所の封印が解かれたようです」


 ところが、思っていたこととはまるで違う答えを返されて、ロシエルはガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。

 封印が解かれたとは、穏やかではない。


「なに⁈それは、大変じゃないか」


「いや、この感じは……解かれたというより、招き入れた……のか?」


「ジロンド。一体、なにが起きたのだ?」


「それが……」


 ジロンドが察知したのは、地下墓地に施していた封印だった。

 戦後、自身とマンドレイクが眠るために用意した場所。

 誰にも、それこそ地下墓地の守護者にだって入られたくなくて、厳重に魔法を施した。


 封印を難なく通過できるのは、限られたものだけだ。

 ジロンドと、マンドレイクを含む植物全般。それだけ。

 植物を含んだのは、墓地に植えたマンドレイクの実がいつか発芽し、マンドレイクになった時のことを考慮したからだ。


「──つまり、君の墓が暴かれたということか?」


「いえ、そこまではしていないようです。おそらくコルテか、彼女が連れて行ったマンドレイクもどきでしょう。あそこには、僕の気配が漂っていますから」


 そう言うと、ジロンドは持っていた書類をトントンとそろえ、「ご確認を」とロシエルへ渡した。

 どうやら一大事ではなさそうだと、書類を受け取りながらロシエルはホッと息を吐き──サラリと告げられたジロンドの言葉に違和感を抱いた。


「ジロンド。なぜ君と植物しか通過できない封印を、コルテ嬢が通過できるのだ?」


「コルテはマンドレイクですから」


 サラサラと書類にサインしながら、ジロンドは答えた。


「彼女がマンドレイク令嬢と呼ばれているからか?」


「いえ。真実、彼女の魂はマンドレイクなのです。かつて僕が愛したマンドレイク……僕はその魂に、転生するための魔法をかけました。今となってはつたない魔法で恥ずかしい限りですが……それでも彼女は、生まれてきてくれた」


 十八歳になるまで気づけなかったのは、ジロンドの不徳の致すところだ。もっと早く見つけていれば、こんな苦労をかけずに済んだのに。

 コルテの父──リナローズ男爵への恨み言をつぶやきながら、ジロンドはまた一つ、書類を片付けた。


「生まれ変わりなど……そんなことがあり得るのか?」


「信じるも信じないも陛下次第ですが……封印を通り抜けられるということは、そういうことですよ」


「そういうものか?」


「そういうものです」


 マンドレイクの墓を見て、コルテは何を思うだろう。

 お節介なマンドレイクもどきたちのことだ。きっと、彼女に余計なことを言うに違いない。


(口を滑らせて、僕がどんなに一途いちずな人間かコルテにわかってもらえると良いのだが)


 地下墓地の花壇へは、もう久しく訪れていなかった。

 コルテを連れて訪れるのも、悪くはない。なにせあそこには、彼女が宿していた種が植えてあるのだから。


「あの子もきっと、喜ぶだろう」


 コルテの目の色によく似た、赤紫色の実。

 今となっては、コルテと自分の子どものような存在だ。


 いつの間に、そんな風に思うようになっていたのだろう。

 少し前までは、コルテを重ねて罪悪感を抱いていたのに。


「歳をとると、忘れやすくていけない」


「歳って……その見た目で何を言っているのだ……?」


「まぁ、いけないことばかりでもないですが」


 そう言ってうっすらと笑ったジロンドの、薄寒いことといったらない。

 ロシエルは深々とため息を吐いたあと、


「…………まぁ、良い。狩猟祭までもう間もない。準備を急がねば」


 気を取りなおすように、冷めた紅茶をあおった。


「僕はずっと働いていますよ? 休んでいるのは陛下だけです」


 ジロンドはしれっとした顔で、仕上げた書類をロシエルの執務机へ積み重ねる。

 ロシエルは「誰のせいで」とぶつくさ文句を言いながら、承認印を押すのだった。

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