第36話 魔法使いが愛したマンドレイク
さらに一週間が過ぎた。
まだ意識していないとできないが、魔力の
体の内側に巡る力が、スルスルと
今までしてきたことが、どんなに非効率的だったかわかる。
──無理やりに唱えていた言葉が、スルリと声に乗る。
その感覚は初めてのもので、コルテは嬉しくなって何度も魔法を使った。
おかげで地下迷宮がさらに深くなったのだけれど、ミネルバが喜んでいたので良しとする。
「あとは包み方を覚えられれば……」
残念なことに、こちらの感覚はさっぱりだった。
ミネルバは「そう簡単に覚えられてしまっては、わたくしの立場がないわ」と言うけれど、ジロンドが迎えに来るまで間もない。
何一つ手応えがないまま日にちばかりが経過していくことに、コルテは焦っていた。
(このまま、ジル様が迎えにくる日がきてしまうのかな)
ジロンドが帰った時はあれほど寂しかったというのに、今では正反対のことを考えている。
そのたびにコルテは、薄情だなぁと自身を嘲笑するのだった。
だが、それもこれも、コルテがジロンドに認められたいと
そんな彼女を見るたびにミネルバは、
(あんな男にはもったいない良い子だわ)
と思っていた。
意気消沈するコルテに「気分転換に散歩をしてきては?」と提案したのはミネルバだ。
感覚をつかめないことに対する焦りとジロンドへの不義理。その二つの板挟みになっている彼女に、気がついていたから。
そういうわけで、コルテは今、地下墓地の迷宮を散歩している。
たまたま近くにいたセロリアックが案内を買って出てくれたので、彼のあとをトボトボと歩いているところだ。
「セロリアック。どこへ向かっているの?」
『コルテが一生に一度は行っておいた方が良いところ』
一生に一度は行った方が良い場所なんて、どれほど
(山、川、あるいは海──?)
絵本でしか見たことがない風景を思い描いて、コルテは歩き続ける。
入り組んだ道を三十分ほど歩いた先で、セロリアックは止まった。
目の前にあるのは、巨大な木の根で埋め尽くされた通路の一角。
木の根に守られている──とでも言おうか。
まるで扉の代わりとばかりに、大きな木の根が目の前を埋め尽くしている。
戸惑いもあらわに、コルテはセロリアックを見た。
「セロリアック。ここなの?」
『うん、ここ』
セロリアックはチョコチョコと小さな根を動かして歩いていく。
すると、木の根がスルスルと解け始めた。
「えぇぇぇぇ⁉︎」
思わず、コルテは魔法みたいだと思った。
『みたいもなにも、魔法だよ』
知らず、声に出ていたらしい。
セロリアックが呆れたように笑った。
セロリアックにならって、コルテも歩みを進める。
すると、木の根はコルテの背の高さに合わせるように、スルスルと通路をあけてくれた。
「ほあぁぁぁ。なんか……すごい」
木の根の中を歩くなんて、なかなかない状況ではないだろうか。
コルテはキョロキョロと四方八方を眺めながら、セロリアックの後に続く。
「まるで、大樹に抱かれているみたい。さながら、木の根のゆりかごと言ったところかな」
『へぇ、よく分かっているじゃないか』
「ねぇ、セロリアック。わたしが一生に一度は行っておいた方が良いところって、ここのことなの?」
『いいや、この先が本命だよ』
やがて、セロリアックとコルテはこぢんまりとした空間に出た。
石で囲まれた花壇のようなものが一つ。
端にあるのは、小さな泉だろうか。近くにジョウロが置かれている。
「ここは……」
誰のお墓なの──と質問しかけて、コルテは息を飲んだ。
忘れもしない。
懐かしい、土の匂い。慣れ親しんだ、水の匂い。
「間違いない。ここは、ジル様の畑ね?」
土はジロンドが特別に配合したもの。
水には、ジロンドの魔力が混じっている。
マンドレイクだった頃、コルテを取り巻いていた環境だ。
ジロンドの私室以上に、ジロンドの気配をそこかしこに感じる──なんて言ったら過言だろうか。
(でも本当に……それくらい、ジル様の気配を強く感じるわ)
ここにはセロリアックとコルテしかいないのに。
ジョウロで泉の水をくんで、花壇に水を
目を閉じて、深呼吸する。
かつてマンドレイクだった頃の自分が、古巣に戻って喜んでいる気がした。
靴を脱いで、あのフカフカの土の上を歩いたらどんなに心地よいだろう。
おいでおいでと呼び込むかのような魅力的な土に、ついフラフラと近寄っていくコルテ。
目の前の楽園にすっかり魅了されていた彼女は、気がつかなかった。
セロリアックが言っていた、言葉の意味を。
花壇を囲む石のそばで靴を脱ごうとして……。
そして、彼女は気がついた。
「これは……まさか」
花壇のそばに置かれた、小さな墓石。
そこに刻まれていた文字に、コルテは目を見張った。
──ここに偉大なる魔法使いジロンド・フェランが愛するマンドレイク眠る。彼女は健やかで愛らしく、彼女を超えるものはない。
墓石に字を刻んだのは、ジロンド自身だろうか。
魔法を使った形跡はなく、手作業で彫った傷がある。
怖いくらいの執念にゾッとするのに、同じくらい嬉しいと思った。
「わたし、おかしくなってしまったのかしら。怖いのに嬉しいだなんて……」
だけれど、こんなにも大事にされたマンドレイクが存在しただろうか。
まるで恋人の死を悼むような墓碑銘。
前世のコルテは喜んで身を捧げたから、悔いなんてなかったのに。
「ジル様……ジル様……!」
どうしようもなく、嬉しくてたまらなかった。
愛おしいものを見るようなうっとりとした目をして、コルテは墓石をさする。
感極まって、涙がにじんだ。
ここにジロンドがいたら、抱きついて感謝の言葉を告げたかった。
「でも、ジル様はわたしが転生したマンドレイクだと知らないから……突然感謝されても困るわよね」
『そうだね。よしんばコルテがマンドレイクだったと告げて信じてもらえたとしても、マンドレイクを想うようにコルテのことも想ってくれるとは限らない』
セロリアックの言葉に、コルテは顔色を変えて息を飲んだ。
「そう、ね……」
どうして嬉しく思ったのか、わかってしまったからだ。
(わたし、は……)
コルテはジロンドが好きなのだ。
ジロンドがコルテを好きだと思ったから、だから嬉しかった。
たとえマンドレイクに恋するようなおかしな男でも。
それでも、彼のことが好きだ。
だけれど、マンドレイクに恋する男が人であるコルテに恋をしてくれるだろうか──?
「そんなの、あり得ないことだわ」
どうしてコルテは、人に転生してしまったのだろう。
マンドレイクだったら、ジロンドと両思いになれたかもしれないのに。
そこまで考えて、コルテははたと思い至った。
マンドレイクのままだったら、コルテはジロンドに恋なんてしなかった。
だからきっと、これで良かったのだ。
「そう。良かったのよ」
マンドレイクの身には余るくらいに愛されて。
これで少しは、ジロンドの想いに報いることができただろうか。
そうだったら、嬉しい。たとえ、自己満足だとしても。
「それにしても、自覚してすぐに失恋なんて、ついてないなぁ……」
ハラハラと落ちる涙を袖でグシッと拭いて、コルテは
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