第34話 地下墓地の聖女と特別訓練

「じゃあまずは、生地をねるところから始めましょう」


「はい! よろしくお願いします、ミネルバ様」


 そう広くないキッチンに、コルテの元気な声が響く。

 ミネルバは妹を見守る姉のような顔で微笑ましそうに笑みを浮かべると、さっそく準備に取り掛かった。


「用意するのは、小麦粉、砂糖、塩、酵母。そして、油」


「小麦粉、砂糖、塩に酵母……で、油」


 ミネルバに言われた通りに、コルテは調理台に並べられた食材からピックアップしていく。

 改めて台の上を見ると、肉や野菜なども並んでいた。水にプカプカ浮いているのは、乾燥したキノコだろうか。


 ミネルバはしばしば、乾物を利用した料理を作ってくれる。

 コルテもリナローズ邸で暮らしていた頃は頻繁に使っていた──冬は特に必要不可欠だった──けれど、あのキノコは初めてだ。


「準備できました!」


「ありがとう。ではまず、ボウルに油以外の全ての材料を入れてくれますか? 全部入れたら、捏ねてください」


 思ったより早く、捏ねる作業がやってきた。

 コルテは材料をボウルへ投入すると、パンを作る時のように捏ね始めた。

 最初はグルグルと混ぜ、細かいかたまりになってきたところで手のひらを使ってコネコネと捏ねる。


 気配や音でわかるのだろうか。

 ミネルバは「良い調子です」とか「もう少し強く」と時折アドバイスを挟んでくれた。


「ある程度粉がまとまったら、油を入れてさらにしっかり捏ねます。ポイントは、押しながら伸ばすこと。東の国では“押しごね”という工程だそうです」


「押しごね、ですか」


 カサついた生地に油がネチャリと絡む。

 気持ちいいのか気持ち悪いのか、判断に困る感触だ。

 手をグーにして上から押し付けるように押しては伸ばし、押しては伸ばしと捏ねていく。

 パン生地でいうと、水分量を失敗して多く入れてしまった際、リカバリーする時の作業に似ている。


「感覚を澄ませて……魔力生産器官を意識しながら捏ねるのです。だんだんと生地のやわらかさが違ってくるのが……魔力がまろやかになっていくのがわかるはず」


 魔力生産器官を意識しながら捏ねるのは、なかなかに骨が折れる作業だ。

 つい、パン生地を作る時のように台へ投げつけたくなる。


 まだ一度目ということもあってか、ミネルバが言うような感覚は掴めないまま、生地はひとまず完成となった。

 生地をボウルに入れて濡れ布巾をかける。乾かないように、発酵させるためだ。


「では次に、生地に包むフィリングを作っていきます。玉ねぎ、水で戻した干しキノコ、そしてたけのこバンブースプラウツ、それらをみじん切りにしてください」


「ばんぶーすぷらうつ……?」


 調理台の上にあるものから、それらしいものを取り上げる。

 というか、残る選択肢がそれしかない。


 クリーム色をした、不思議な形。

 洗濯板のような、あるいはハシゴのような形をしているそれに、コルテは首をかしげた。


 ミネルバは「ちょっと失礼しますね」と言って、コルテが掴んでいるものを手探りで確認する。


「ええ、これがバンブースプラウツです。先代の地下墓地の守護者が神殿に持ち込んだ食材で……地下墓地の一角で育てているのですよ。もう少しここに慣れたら、収穫もお願いすることになるかもしれませんね」


「でもわたし、まだ……」


 コルテはまだ、地下墓地を自由に歩き回れない。

 ミネルバのように、地図が頭に入っていないからだ。

 申し訳なさそうに眉を下げるコルテに、ミネルバは余裕の笑みを見せる。


「大丈夫。毎日確認していましたが、マンドレイクもどきさんたちには帰巣本能があるようです。彼らと一緒に行けば、問題ないはずですわ」


 マンドレイクもどきたちは、ここでも好きなように歩き回っている。

 一体どこで何をしているのか。

 ひつぎが置かれた場所ごとに環境が変わるというから、きっとそれぞれ楽しんでいるのだろう。


 そう言えばと思い出したコルテが砂まみれになって帰ってきたラディッシュの話をすると、ミネルバはクスクスと笑いながら「砂でしたら、六代目の大聖女様の墓でしょうね」と答えた。

 文献によれば、六代目の大聖女はたった一度だけ行った夜の砂漠に魅せられていたらしい。


「お話しているとあっという間ですわね。みじん切りが終わりましたら、次はお肉の準備をしましょう。ボウルにひき肉と調味料を入れて、粘りがでるまで混ぜてください。刻んだ野菜を加えて混ぜ合わせ、最後にセサミオイルを混ぜたらフィリングは完成ですわ」


 フィリング作りは、ミートボール作りとよく似ている。

 何度かやったことがあったコルテは、慣れた手つきで肉を捏ね、野菜を混ぜ、フィリングを完成させた。


「はい、できました! それで、次は……」


 ボウルから布巾を持ち上げると、もっちりと倍量に膨らんだ生地が見える。

 モコモコとした生地は、動物の赤ちゃんみたいだ。

 思わず、コルテはほっこりと笑顔を浮かべる。


「生地は発酵できていますか?」


「ばっちりです」


「よろしい。では、包む作業に入りましょう」


 ボウルから取り出した生地を、ミネルバがスキッパーで分割する。

 次に手に取ったのは麺棒だ。彼女は目が見えないなんて思わせない鮮やかな手つきで、生地を丸型に伸ばした。


「──と、このように丸く伸ばします。この時、中央は厚め、まわりが薄くなるように伸ばすと包みやすくなりますよ」


「なるほど」


 ミネルバからもう一本の麺棒を受け取ったコルテは、見ようみまねで生地を伸ばす。

 しかし、お菓子の生地よりずっとやわらかいそれは、なかなかうまくのびない。

 伸びたと思ったら元に戻ろうと反発するのだ。


「ミネルバ様のようにはならないですね……」


 難しい顔をして生地をにらむコルテに、ミネルバは微苦笑で「まぁまぁ」と答える。


「わたくしはもっとひどい有様でしたよ」


 言いながら、ミネルバは生地の中央にフィリングを置いていった。

 手のひらに載せたそれを、ひだを寄せるようにしながら包んでいく。


「フィリングを他者の魔力、生地を自身の魔力だと思いながら……包むと……」


 あっという間に、ぷっくりとしたつぼみのような形をしたものが出来上がる。


「あとはこれを蒸したら、ロウパオの完成。まだ最初だから、うまくいかないのは当然です。だけど、忘れないで。これは魔法の感覚をつかむための訓練。意識することを忘れたら、意味がありません」


「わ、わかりました……!」


 繰り返し言われると、否が応でも緊張してしまう。

 包むことに集中すれば意識が持っていかれるし、魔力に集中すると生地がフィリングにくっついてくっつきにくくなる。


 それでもなんとかそれらしい形にしてみたが、蒸してみればパッカリと生地は割れ、微妙な出来となってしまった。


「これは……」


「少し、閉じる力が弱かったようね。でも、大丈夫。何度も繰り返せば体が覚えるわ。そうしたら、見えなくたってできるようになるから」


 ミネルバの慰めの声を聞きながら食べたロウパオは──ちょっぴり悔しい、涙の味がした。

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