第33話 聖女が認める素質
「コルテさん、少しよろしいかしら?」
それは、地下墓地生活を十日ほど過ぎた頃だった。
ミネルバの言いつけ通りにモグラの家──もといミネルバの家を掃除していたコルテは、彼女の呼び声にほうきを掃く手を止めた。
「はい、なんでしょう?」
キッチンから姿を現したミネルバは、おいでおいでとコルテを手招きする。
コルテはほうきを近くの壁へ立てかけると、目が見えない彼女がびっくりしないように、できるだけ足音を立てるように近づいていった。
そんなことをしなくてもミネルバは気配でなんとなくわかるらしいが、一時的とはいえ一緒に住んでいる、コルテなりの気遣いだ。
その他にも、コルテは率先してミネルバの手伝いもしていた。
こまごまと誰かの世話を焼くことには慣れている。
ミネルバは最初こそコルテの存在に戸惑っていたけれど、彼女が良き同居人だとわかると、少しずつ仕事を分けてくれるようになった。
(あ。調理台に……小麦粉が置いてある)
ミネルバは、どうやら料理をはじめるところだったようだ。
キッチンの調理台には、小麦粉の他に砂糖や塩などが置いてある。
「あのね、そろそろ魔法を教えても良い頃合いかと思いまして」
「え。魔法、ですか?」
どう見ても料理をする直前に見える状況に、コルテは首をひねる。
そんな彼女にミネルバは、さもありなんと微笑んだ。
「ええ。ここでの生活にも慣れてきたでしょう? だから、そろそろ良いかなと」
「はぁ……」
ぼんやりと返事をするコルテに、ミネルバは微苦笑を浮かべる。
どうやらジロンドはコルテに、彼がミネルバに何を頼んだのか伝えていないようだ。
あんなにベタベタ一緒にいたのに何をしていたのだろうと、ミネルバは胸の内で嘆息した。
「ですから、まずは感覚を
「ろう、ぱお……」
ロウパオとは、一体なんだろう。
聞き慣れない異国風の発音からして、遠い国の料理っぽい。そろっている材料から察するに、パンのようなものだと思うのだが……。
コルテが知らない、魔法のお菓子という可能性もある。
そういえばジロンドはよくチョコチップクッキーを用意していたなと思い出して、
(あれが魔法のお菓子なのかしら?)
とコルテは思った。
不思議そうにつぶやくコルテに、ミネルバは「フフッ」と笑う。
交代で手を洗い、エプロンをつけながら、ミネルバは言った。
「ロウパオはね、パンみたいな生地にお肉を包んだお料理なの。東の国のものなのだけれど……フワフワでジューシーで、とてもおいしいのよ」
ミネルバはロウパオを、先代の地下墓地の守護者から教わったらしい。
地下墓地の守護者になるための厳しい修行で視力を失った彼女に教えるため、試行錯誤した結果がロウパオ作りだった。
結果として、先代の試みはうまくいった。
先代が教わった時よりずっと早く、ミネルバはその魔法を取得したのである。
『案ずるより産むが易しとはよく言ったものね』
とは、先代の言葉である。
先代は、遠い東の国の血を受け継ぐ人だった。
「そんなことが……。きっと、先代にとっても思い出の品だったんでしょうね。でもそれで、何の感覚が掴めるのですか?」
「自らの魔力の
魔力が捏ねられることも、魔法を魔法で包みこめるということも、初めて聞いた。
どういうことなのだろうと首をかしげているコルテの前で、ミネルバは申し訳なさそうに眉を下げる。
「魔力はね、体内で捏ねることによって洗練されるの。洗練された魔力は、高度な魔法に必要不可欠。本来であれば、幼い頃から少しずつ身につけていくものなのだけれど……」
コルテが魔力持ちだと判明したのはつい最近。
今までの分を挽回するために、一日でも早く取得してもらいたいらしい。
コルテの場合、声だけで魔法を使えてしまうから、中級程度の魔法なら多少問題があってもゴリ押しで魔法を使えてしまうのだそうだ。
そうなれば、代償を払うのはコルテ自身。
声が使えなくなるか、あるいは命を削るかどうなるか──予測もつかないので、絶対にあってはならないと、ミネルバは厳しく言った。
では、ジロンドはどうだっただろう。
思い返してみると確かに、中級以上の魔法は使わせてもらったことがなかった。
「魔力を捏ねることが大事だということは、わかりました。でも、魔法で魔法を包み込むというのはどういうことですか?」
「魔法を魔法で包み込む……コルテさん、あなたには魔法を無効化する魔法を覚えてもらいたいの」
「魔法の無効化……ですか」
規模が大きい話に、コルテはキョトンと目を瞬かせた。
「ええ。ジロンド様のそばにいるのであれば、必要になる日がくるかもしれません」
攻撃魔法の軌道を逸らすとか、詠唱の邪魔をする方法があることは知っていた。
だけれど、魔法そのものを無効化する魔法があることは初耳だった。
「そんなことが、可能なのですか?」
「ええ。素質がないと無理だけれど……幸運なことに、あなたには素質があるわ」
「わたしに……?」
一緒に暮らすうちに、ミネルバは確信を得たらしい。
力強くうなずく彼女に、コルテはなんだか信じられない思いだった。
マンドレイク令嬢だと虐げられてきたコルテが、声だけで魔法を使えたり、無効化魔法というとんでもない魔法を使える素質を持っているだなんて。
(こんなに恵まれていて、大丈夫なのかしら? わたし)
あまりにも恵まれ過ぎていて、心配になる。
そして、もっと早くコルテに魔力があるとわかっていれば──父がまっとうな親だったなら──と思わずにはいられない。
(そうしたら、もっと早く、活躍できていたかもしれないのに)
凍えるような寂しい日々を思い出して、コルテは唇を噛み締める。
だけれど同時に、魔法使いになるという夢がますます強くなっていくのを感じていた。
(可能性があるのなら……がんばってみたい)
コルテは袖をグイッと捲り上げると、気合いを入れるように自身の両頬をパチンとたたいた。
そして元気いっぱいに、
「ミネルバ様、ご指導よろしくお願いします」
と、頭を下げたのだった。
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