5章

第32話 気づいてはいけない

 ジロンドが言う“あて”は、ミネルバ・マリエージュのことだった。

 コルテは知らなかったが、ミネルバ・マリエージュといえば、神殿の長たる大聖女と同等か、あるいはそれ以上の能力を持つ聖女であるらしい。


 生者を守るのが大聖女の役目ならば、死者を守るのは地下墓地の守護者であるミネルバの役目。

 彼女は、地下墓地を荒らす者は何人たりとも──たとえ偉大なる魔法使いであろうと、国王であろうと、容赦はしない。それだけの実力を有し、許されているのである。


 はかなげな容姿に侮るなかれ。

 こう見えて、武術もたしなんでいる。


 そして、地下墓地は魔法使いや聖女が眠る場所。魔法嫌いのヴィラロン家は、まず来ない場所だ。

 守護者が守りをかためる地下墓地は、まさにコルテが身を隠すのに最適な場所だというわけである。


 ジロンドの頼みをミネルバが快諾してから、一週間と少し。

 その間、コルテはずっと地下墓地に身を潜めている。といっても、リナローズ邸での生活に比べたら、かなり普通なのだが。


 地下墓地は広く、迷宮のように入り組んでいる。

 その中には、魔法使いや聖女の墓だけでなく、地下墓地の守護者が生活する場所や彼女の後継を育てるための施設などもあった。


 魔法によって広げられたドーム状の空間には、二人暮らし用のこぢんまりとした家と畑。

 案内された先にあったそれらを見て、まるで箱庭のようだ、とコルテは思った。


 剥き出しの土の天井には、よく見ると琥珀こはく色をした宝石がちりばめられている。

 宝石に魔力を注ぐと、日光の代わりを果たしてくれるらしい。

 それによってミネルバは体を壊すことなく地下に居続けることが可能になり、畑の野菜たちもスクスクそだってくれるのだそうだ。


「わたくしは、ここを“モグラの家”と呼んでいるの」


「モグラ、ですか」


 どうやら彼女は、目が見えない自分をモグラと重ねているらしかった。

 モグラはモグラでかわいいとは思うけれど、見た目は長毛種の上品な猫だ。そして、地下墓地の迷宮を迷わず歩けるところは、逃げ道を準備してダッシュするトビネズミっぽいと思うのだけれど、悪口に聞こえてしまいそうで、飲み込んだ。


 ミネルバとジロンドがどんな密約を交わしたのかはわからないが、ミネルバはコルテのことを、一時的な弟子として迎え入れてくれた。

 そしてミネルバは、目が見えるコルテのために明かりを増やしてくれたのだ。


 最初は地下で暮らすなんてどうなることかと不安を覚えたが、いざ始まってみると魔塔での生活と大差はなかった。

 ジロンドが一緒だったし、荷物を送るついでにマンドレイクもどきたちも合流してきたので、そのおかげかもしれない。


 数日間のお試し期間を経て、ジロンドは名残惜しそうに魔塔へ帰っていった。

 狩猟祭が終わり次第、迎えに来る──そう、言って。


 少なくとも謹慎中は一緒にいられると思っていたのだが、甘かったようだ。

 偉大なる魔法使いの力をもってしても、マンドレイクもどきになる魔法は長々と維持できるものではないらしい。

 禁じられた魔法ではないが、使い勝手が悪いせいで、今となってはジロンドしか知らない古い魔法となっているのだとか。


(残念。ジル様のマンドレイク姿、かわいかったのに……)


 指で突き回したくなるようなかわいらしさ。

 本物のマンドレイクだったら、キーキーと醜い声を上げて鳴くのだろうか。

 それはそれでかわいらしい──と口元が緩んだところで、かつての自分に対してジロンドもそう思っていたのかな……なんてコルテは過去に思いをはせた。


「なにか、面白いことでもありましたか?」


 知らず、笑みが浮かんでいたらしい。

 一人ではなかったことを思い出して、コルテは苦笑いを浮かべる。


「いえ、ちょっと……思い出しただけです」


「そうですか?」


 コルテの答えを、ミネルバは信じあぐねているようだった。


 ミネルバにはコルテの口から、ここに至るまでの経緯を話してある。

 決して順風とは言えなかった、冷遇の日々。そして、不本意な縁談。

 そんな中でも笑えるようなことがあったのかと、ミネルバは気になっているのだろう。


 ミネルバには、コルテと同年代の妹がいるそうだ。

 結婚して遠方にいるため、長らく会っていない。そのさびしさもあってか、コルテと妹を重ねて見ているらしい。


 前世の、マンドレイクだった頃の話はしていない。

 死者の国を守る彼女ならば、荒唐無稽な前世の話も信じてくれるのではないか──そう思ったけれど、どうしても言いたくなかったのだ。


(わたしだけが独占していたい、宝物みたいな日々……とは言えないけれど。でも、)


 でも、の続きに何があるのかわからない。

 ゆっくりと、核心に近づいていく気配だけがしている。


 ちょっとしたきっかけさえあれば、気づいてしまいそうな──そうなったら、吸い込まれるように落ちていくような予感を、ひしひしと感じた。


 落ちる、とはなんとも物騒な表現だ。

 だからコルテは怖くなって、これ以上危ないことにならないように、口をつぐむ。


『一体、いつまでそうしているの?』


『そうそう。無駄なあがきなのに』


 マンドレイクもどきたちはおかしそうにギィギィ笑ったけれど、コルテは至って真剣なのだった。

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