第19話 ロシエル・フレジス・グランベル

 ある夜のこと。

 男は一人、寝酒を楽しんでいた。


 テーブルの上にあるのは、用意してもらった酒瓶と湯、そして蜂蜜の瓶。

 カップに注ぐのは、数種類のハーブをブレンドしたリキュールだ。それをお湯割りにして、最後に蜂蜜を少し加える。


 妻から「寝酒はあまり良くないのでほどほどになさいませ」とたしなめられたばかり。

 だから、たまには健康に気をつかおうかと思ったのだが──、


「……果たして、なっているのだろうか?」


 なっていないだろうなと一人微苦笑を浮かべ、男はソファへ身を預けた。

 最高品質で作られたオーダーメイドのソファは、男を難なく受け止める。


 男の名前は、ロシエル・フレジス・グランベル。

 グランベル王国の国王、その人である。


 先代の国王である父から譲位されて数年。

 周辺諸国との関係は至って良好で、現在は国を豊かにするために日々采配を揮っている。


「それもこれも、君のおかげだよ。ジロンド」


 いつからそこにいたのか。最初からいたような気もするし、今現れたようにも思える。

 ロシエルがテーブルを挟んだ向かい側へ視線を向けると、一人の男がソファへ腰掛けていた。


 くすんだ茶色の髪に、気まぐれな猫を思わせる緑色の目。

 以前対面した際は世をはかなんで消えてしまいそうな危うい空気をまとっていたが、少し会わない間にあったのか、すっかり正気を取り戻していた。


「会うのはいつぶりだろう? 久しぶりだね、ジロンド」


 ロシエルが生まれるずっと前から王城に出入りしていた、魔法使い。

 彼にとっては、親戚のような存在だ。幼い頃はよく、おかしな魔法で笑わせてもらったものである。


「一年ぶりですよ」


「もうそんなに経つか」


「ええ」


 どうやらジロンドは、機嫌が良くないようだ。答える声は、剣を帯びている。

 顔色は良いが、視線はどこか恨みがましいというか、陰鬱さがにじんでいた。


 経験上、こういう時のジロンドは大概、面倒なことを言ってくる。

 思い当たる節は狩猟祭くらいだが……果たして、何を言い出すつもりなのか。

 内心は面倒だなと思いつつ、知らん顔でロシエルはチビチビと酒を飲んだ。


 使えるものは老いた親すら使うのが信条であるロシエルは、偉大なる魔法使いを使うことにも躊躇ためらいがない。

 父はジロンドの怒りを買うことを恐れるあまりほぼ使わずに終わったが、せっかく手元にいるのなら使わない方が損だと思っている。


 とはいえ、使いどきはよくよく考えねばならないだろう。

 便利だからとホイホイ使うと、しっぺ返しのように狩猟場の一角を吹っ飛ばされたりする。


 だから今回は、よくよく考えた上でのお願いだった。

 ジロンドにお願いしたのは、狩猟祭の準備と参加。放っておけないほど魔獣が多数出没していると報告を受け、彼が適任だろうと判断した。


 一体、何が問題だった?

 思いつく限りのことを頭に巡らせるが、それらしい答えは見つからない。


「陛下」


「なんだい?」


「お願いがあります」


 きた、とロシエルは身構えた。

 何気なさを装ってカップに視線を落としつつ、ジロンドを盗み見る。

 厄介な頼み事ではありませんようにと願うロシエルの前で、ジロンドが口を開いた。


「狩猟祭……参加を辞退することは可能でしょうか?」


「なぜ?」


 ロシエルの問いかけに、ジロンドは一瞬気まずそうに視線を彷徨さまよわせた。

 理由を言うかどうか悩んでいる──というよりは、理由を言うことでロシエルに興味を持たれたくないと思っているようだ。

 しかしロシエルが「理由もなく許可できないな」と言うと、彼は渋々、仏頂面で答えた。


「実は今、目をかけている弟子がいるのです」


 意外な答えに、ロシエルはわずかに片眉を上げた。

 弟子に対し、相当に入れ込んでいるのだろう。ジロンドの目は熱を帯び、キラキラと輝いている。


 できることなら、弟子の教育に集中したい──そう言って甘やかに微笑んだジロンドの顔を見て、ロシエルは(春だな)と唐突に理解した。


 会わなかった一年の間に、彼には気になる人間ができたようだ。

 男か女かもわからないが、とにかくめでたい。


 長年、薬材にしてしまったマンドレイクに固執してきた彼が、ようやく生きているものに興味を抱いたのだ。祝わずにはいられない。


 とはいえ。とはいえ、だ。

 狩猟祭の不参加は到底、聞き入れられそうにない。


 狩猟祭は、一年の計に関わること。

 特に王家主催の狩猟祭では、問題など絶対にあってはならないのだ。


「ジロンドにそうまで言わせる逸材がいたとは、嬉しい限りだ。しかしだな……」


「駄目か」


「そうだな。魔塔主の権限を使われたら、こちらは従わざるを得ないが」


「そうか」


 思いのほかあっさりと引き下がったジロンドに、ロシエルはたじろいだ。

 こんなにも素直なジロンドは、見たことがない。

 常であれば、三十分は粘るところなのだが……。


「ならば、一つだけ……許可してもらいたいことがある」


「聞くだけは聞こう」


「弟子を一人にはしておけない。狩猟場への同行を許可してもらいたい」


「弟子は、一人で留守番できないのか?」


 まさか、ジロンドを射止めたのは幼い子どもなのだろうか。

 彼の年齢からすれば、ロシエルさえ子どもみたいなもの。ジロンドにとっては年齢など瑣末さまつな問題なのかもしれない。


「いや……ちょっと、訳ありなんだ」


 言いづらそうに唇を引き結ぶジロンド。

 彼の態度にロシエルは、弟子への興味をがぜん強くした。


 これはもう、調べない手はないだろう。

 その結果、重大な法律違反を見つけることになるとは──この時のロシエルは知るよしもなかった。

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