3章

第17話 待ちに待った魔法講義

 待ちに待った、魔法使いになるための講義が始まった。


 この講義で、コルテの人生が大きく変わるかもしれない。いや、変えてみせる。

 期待に胸を膨らませるコルテの希望に応えるように、ジロンドも張り切っていた。


 初日なんて、張り切りすぎて夜明け前から待機していたくらいである。

 講義前に掃除でも……と早めに起床したコルテは、薄暗がりで目をギンギンにしながら待っていたジロンドに悲鳴を上げる羽目になった。


 マンドレイクもどきたちが止めてくれなかったら、振り上げたモップを頭の上に落とすところだったのだ。

 思い返すだけで、心臓が締め上げられる。


「あの時は心臓がキュッとなりました」


「ははは……すまなかった」


 コルテが初日の話を持ち出すと、ジロンドは照れ臭そうに首の後ろを撫でた。

 それから気をとりなおすように咳払いをして、コルテの斜め前の席へ対面するように座る。


「さて。では、今日も始めようか」


「はい、よろしくお願いします」


 始まったばかりの数日間は、魔法使い見習いたちが教わる魔法の基礎や魔法使いの体、魔力についての講義だった。

 本来は保護されたばかりの子どもが受けるべき講義なのであっという間に修了し、今は少しレベルが上がって、コルテに最適な魔法の使い方を教わっている。


 魔力生産器官が声帯とつながっている人の場合、声によって魔法を発動させることがもっとも効率的なやり方らしい。

 多くの魔法使いは魔法陣を描いたり呪文を詠唱したりしなければならないが、それらすべてを省いて魔法が使える。


 例を挙げると、コルテが「炎」と言うと火がおこり、「光」と言えばあかりがともる──という具合である。

 偉大なる魔法使いでさえ魔法のつえを必要とするのに、コルテには必要がない。


 つまりコルテは、瞬発力タイプの魔法使いになれる素養を持っているのだそうだ。

 ジロンドのように場数を踏んだ魔法使いは別として、ほとんどの魔法使いは魔法発動の準備に時間がかかる。


 ずっと苦しめられてきた魔力生産器官と声帯が実は強みだったのだと知って、コルテは驚き、そして喜んだ。


 喜色のにじむ顔で拳を握るコルテに、ジロンドも頬を緩める。

 しかしそこは偉大なる魔法使い様、褒めるだけでは終わらなかった。


「とはいえ、きみの声帯と魔力生産器官は元に戻ったばかり。無理をすればすぐに故障してしまうから、よくよく気をつけないとならない」


 ジロンドの忠告に、コルテは素直に頷いた。

 大真面目な顔でコクリと頷く姿は愛らしく、ジロンドの庇護欲を刺激する。

 厳しくするのは無理だと、ジロンドは早々に諦めた。


「でももしかすると、普通に話すよりなじみがあるかもしれないな。マンドレイクもどきたちと話をしている時、無意識に使っているようだから」


「そう、なのですか?」


「ああ」


 笑顔で頷くその裏で、ジロンドはそれだけではないと思っていた。

 コルテがマンドレイクもどきと呼ぶ生き物──バーダック、ラディッシュ、ビーツ、コールラビ、セロリアックの五匹は、長らく生きてきたジロンドさえ初めて見る生き物だ。


 マンドレイクのようでいて、野菜のようでもある。

 おそらくは、コルテによって生み出された新種の生き物なのだろうとジロンドは推測している。


 コルテの生家であるリナローズ家は、彼女のことを蔑ろにしてきた。

 調べによると、幼い頃から別館に追いやられていたらしい。


 当初は乳母がいたのでなんとかなっていたが、乳母がいなくなったあと、別館にいたのは耳が聞こえない使用人ばかり。必然的に、彼女が使用人の面倒をみることになった。


 魔力測定さえ受けていれば、もっと早くからそばにいてあげられたのに。

 今更だとわかっていても、思わずにはいられない。リナローズ男爵には、沸々と怒りを覚える。


 家族に捨てられ、頼りの使用人からはマンドレイク令嬢とさげすまれ。

 きっと彼女は、孤独感に苛まれていたはずだ。

 社交界デビューは当然のようにさせてもらえなかっただろうから、友達がいるはずもない。


 寂しさに耐えて兼ねて、コルテは生み出したのだ。

 かつての自分によく似た友だちを。マンドレイクもどきたちを。


 コルテの魔力生産器官と声帯がひどく捻れていたのは、生まれつきのもののようではあったが、無理に魔法を酷使してしまったからでもあるのではないか。

 ジロンドは、そう思えてならない。


 この仮説が正しければ、コルテの聖女としての素質は計り知れない。

 神殿の主たる大聖女さえしのぐのではないか。

 そう思うと、ジロンドは期待にゾクゾクしてしまうのだった。


(おっと、いかんいかん)


 愉悦に塗れた恍惚こうこつの笑みを浮かべそうになり、ジロンドは慌てて表情を引き締めた。


「ということで、そろそろ詠唱の練習をしようか」


「わかりました」


 本来、コルテに詠唱の必要はない。

 それでも詠唱の練習をするのは、ひとえに声帯を鍛えるためである。


 詠唱に使用される古代語は息を強く吐いて発声する必要があるため、自然と腹式発声になる。

 声帯が魔法の要であるコルテにとって、声帯を鍛えられる腹式発声は欠かせないのだ。


 やがて聞こえてきた詠唱の声は子守唄のようにやわらかく、眠りへと誘う。

 初級魔法のはずなのに、中級以上の威力。

 空を飛んでいた伝書鷹が意識を失って墜落していくのを見て、ジロンドはスルリとつえを一振りし、助け舟を出してやるのだった。

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