第16話 コルテの宝物
それまで仕事という名目で魔塔を追い出されていた魔法使いたちが、とうとうコルテの存在に気がついたらしい。
彼らは代わる代わる、手伝いを口実にやってきた。
「わー。女の子がおる」
「本当だ。魔塔に女の子……新鮮だね」
「おい。
「怖ぁ」
おかげでコルテの声が完治する頃にはすっかり、魔塔の最上階は様変わりしていた。
掃除のついでに導線を考えて家具の配置を換えたら、仕事の効率がぐんと上がったらしい。
空いた時間に休憩を取るようになったため、座り心地の良いソファを増やしたら、足が遠のいていた魔法使いたちが寄り付くようになったのだとか。
腐海を気にせず入ってこられるのはハリオスくらいのものだったが、今は他の魔法使いたちも気兼ねなく入ってくるようになったようだ。
おかげで滞りがちだった始末書や報告書が提出されるようになったと、ジロンドが嬉しそうに教えてくれた。
「ありがとう、コルテ。きみのおかげだ」
リナローズ邸では
あまりにも嬉しすぎて、つい涙腺が緩んで泣き笑いで「こちらこそありがとうございます」と言ったら、鏡を見ているみたいに彼も泣きそうな顔で笑っていた。
(ジル様からもらった感謝の言葉。絶対に、忘れないわ)
彼からもらった言葉は、コルテの宝物だ。
実はひそかに、彼からもらった嬉しい言葉を書き留めることが楽しみになっている。
部屋が片付くのと比例するように、ジロンドの見た目も変わっていった。
宙に浮いた生活というのは、本人の自覚なしに彼をむしばんでいたようだ。
魔力の浪費をやめ、コルテとともに食事を取り、綺麗になったベッドでしっかり眠る。
不健康な肌の色やクマがなりを潜めると、影のあるミステリアスな美貌の男はしっとりとした大人の色香を放つ男へ変化した。
コルテの記憶にある限り、クマのない彼は初めてである。
文句のつけようもない美しい男性に、何度息を飲んだか知れない。
(毎日、心臓が痛い……!)
もともと綺麗な顔立ちをしていたが、不健康な見た目に気取られて心配が先立っていた。
しかし健康になった今、コルテは容赦なく毎日ドキドキさせられている。
経過を観察するためだと言って日に何度も顔を近づけてくるので、そのたびに心臓の音が聞かれてしまうのではないかとハラハラした。
「でも、それも今日で終わり」
明日は、待ちに待った魔法使いになるための講義が始まる日。
そう。ついに、コルテの声帯と魔力生産器官が完治したのだ。
「ようやく、ようやくだわ」
医者と患者から、師匠と弟子へ。
明日からは、今までより少しだけ距離が開く関係になる。はずだ。
しばらくドキドキしなくていいという安心感と少しの
寝坊しないようにと早めに寝支度を整えたコルテだったが、明日のことを思うと興奮してしまって眠れそうになく、窓辺に腰掛けて外を見下ろした。
膝の上ではラディッシュが、眠そうにあくびをしている。
「ここへ来た時は雪が積もっていたのにね」
「ギィ……」
だんだんと日が伸びている。
逃亡の痕跡を覆い隠すかのように降り続いていた雪は、数日前からやんでいた。
積もっていた雪も、今はもうちらほらと氷のかたまりが見える程度で、ほとんどが溶けている。
春はもうすぐ、訪れるだろう。
コルテは春が好きだ。
あたたかくて、くすぐったい気持ちになる。
春先になると聞こえてくる鳥の声。サラサラと流れる小川の音。鮮やかな色を咲かせる花々。
目にも耳にもやさしい季節だ。
「……となると、そろそろかしら」
春は好きだが、安心してばかりもいられない。
ルベール・ヴィラロン。
彼が帰国する日が迫ってきていた。
グランベル王国の春の祭典、狩猟祭。
春のはじまりに獲った動物は、ウサギならば飛躍の年に、鹿ならば力をつける年といった風に、その年の在り方を表すと言われている。
平民たちの狩猟祭は村や町ごとに開催されるが、貴族は王家が主催する。
狩猟祭の時のみ解放される広大な狩猟地では、浅いところには小型の獣が、深いところには大型の獣が生息している。
時には魔力を有する動物──魔獣が出現することもあって、その際は魔法使いたちが討伐、素材採取することが決まりになっていた。
血湧き肉躍る祭典に、ヴィラロン伯爵家の人々が欠席するはずがない。
他国の戦場で暴れ回っているとうわさのルベールも、この日に合わせて帰国するに違いなかった。
「
今のところ、リナローズ男爵家から音沙汰はなにもない。
執事がうまくやってくれているのか、それともようやく父が正気に戻ったのか。
「……それだけは、ないわね」
一番の理由は、婚約予定だったルベールが未だ国外にいるためだろう──と、コルテは思っている。
小心者の父のことだ。ヴィラロン伯爵家がルベールの帰国まで何もしないでいるのをいいことに、このままなぁなぁになったりしないかな〜などと楽観的に考えていそうな可能性が大である。
もちろん、そんな都合の良いことは起こらないだろう。
やがて来るであろうその時を思って、コルテはますます眠れなくなるのだった。
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