第13話 世話焼きな魔法使い

 初めて魔法薬を飲んだ日から、二週間が経った。

 ジロンドお手製の【魔力生産器官回復薬】はコケが生えた汚泥のようなひどい色をしているが、無味無臭なので、コルテは目を閉じてごまかしながら飲み続けている。


 完治とまではいかないものの、日を追うごとに症状は回復に向かっているようだ。

 最初はいくつかの単語を言うだけで薬の効果が切れていたが、今は短いやりとりくらいならできるようになってきている。


 ジロンドからは、「ひと月が過ぎる頃には日常会話に支障がない程度になるだろう」とお墨付きをもらった。

 魔法使いになるための勉強は、そのあたりから始めようという話になっている。


 幸い──というのもおかしな話だが、マンドレイクの声も出せないわけではないらしい。

 意識をきりかえることで話せるようになるので、マンドレイクもどきたちとの交流も問題なく続けられている。


 コルテをマンドレイク令嬢たらしめていた原因である声。

 それが回復していくことは、彼女の自信にもつながったようだ。


(前よりもずっと、生きやすい)


 コルテは、自分の表情が以前と比べてだいぶ豊かになっていると感じていた。

 それもこれも、ジロンドのおかげである。


「おはよう、コルテ。よく眠れたか?」


「おはようございます、ジル様。おかげで今朝も、すっきり目覚められました」


 問いに答えると、やわらかく目を細められる。

 慈愛に満ちたまなざしはくすぐったく、コルテは困ったように笑みを苦くした。


 ジロンドは毎日、コルテの様子を見に来る。

 一体いつ仕事をしているのか、気づいた時にはいたりいなかったりで神出鬼没な人だ。


 けれど、彼が持つ時間のほとんどをコルテに割いていることは間違いないだろう。

 コルテが何かを必要とした時は必ず、そばにいるから。


 今日も今日とて、本棚と一体化した扉の向こうからやってきたジロンドは、紳士らしくノックをして、コルテの許しを得て入室してきた。朝食を求めるコルテのおなかの気配を察したように、だ。


 ジロンドは平民出身の魔法使いのはずだが、立ち振る舞いは貴族らしい。

 生粋の貴族であるコルテよりもよほど貴族らしく、見るとコルテは少しだけ、自身を卑下しそうになる。


「それは良かった。今日はトマトでスープを作ったのだが、食べられそうか?」


「はい!」


 ジワリと心を侵蝕しんしょくするマイナスな気持ちから目を背けるように、コルテは明るい声で答えた。

 ウキウキと椅子に腰かけるコルテにジロンドは嬉しそうに眉を下げ、持ってきた朝食をテーブルの上へ広げ始める。


 人の世話なんて面倒だろうに。

 けれどジロンドは嬉々として、それを行う。


 お世話になっているのはコルテの方なのに、どうしてジロンドの方が上機嫌なのか。

 コルテにはよくわからなかった。


(もともと、世話好きなそういう人なのかもしれないわ。思い返せばマンドレイクだった時も、丁寧に扱ってくれていたような気がするし)


 温野菜たっぷりのサラダに、サクサクのオレンジデニッシュ。色鮮やかなトマトスープに、搾りたてのアップルジュース。

 質素な生活を余儀なくされていたコルテにとって、このメニューは夕食よりも豪華だ。

 それゆえに、申し訳なさを禁じ得ない。


(もっと簡単なものでいいのに。いえ、いっそわたしが作れたら……)


 ジロンドの目の下には、今日もくっきりとクマが浮いている。


(わたしなんかのために朝食を作る時間があったら、寝る時間にあててほしいのに)


 そう願うのは、コルテのわがままだろうか。


(それに……多少食べなくても、平気だもの)


 そう思って何度かお願いしてみた──もちろん、そのまま言えば却下されるのは目に見えているので、遠回しにお願いした──のだが、「きみの世話をすることは、僕の息抜きになっているんだ」と言われて押し切られ続けている。


(彼は不老だけれど、不死ではないのに……)


 心配だ。

 それに、コルテがのんびりさせてもらっている皺寄せがジロンドにいっているようで、心苦しくてたまらない。


(なにか……わたしにできることはないかしら)


 ジロンドの部下だと紹介されたハリオスからは、これでもマシになった方だと言われたが、本当だろうか。

 怪訝けげんそうに見上げるコルテに、ハリオスは言った。


「以前のジロンド様はまるで亡霊のように生きていた。生きる気力を失いつつあったのだ。あなたという生きがいを得て、ようやく人としての生活を取り戻そうとしている。ありがとう、コルテ嬢」


 まさか、そんな。

 そう言って笑い飛ばそうとしたコルテに、ハリオスは至極真面目な顔で「頼むから逃げないでくれよ」と囲うように肩を掴んできた。

 飛んできたジロンドによって両腕を吹っ飛ばされそうになったのは、言うまでもない。


 魔塔は毎日にぎやかだ。

 コルテが住んでいたリナローズ家の別館は墓場のような静けさを保っていたから、最初は魔塔の騒がしさに慣れなかった。


 あちこちから聞こえる爆発音、召喚獣の鳴き声、仕事へ行きたくないと駄々をこねる魔法使いの叫びに、それを追い詰めるジロンドの悪魔のようたのしそうな笑い声。


 コルテの前では絶対にしない、子どもみたいに無邪気で邪悪な笑い声がジロンドのものだと知った時は驚いたものだ。

 同時に、まだお客様扱いされているようで面白くないと思ったけれど。


(たかが二週間、されど二週間……)


 ジロンドが熱心に構ってくるから、感覚がおかしくなっているのかもしれない。

 コルテの当たり前が、崩れつつある。


(ここはやっぱり、線引きが必要よ)


 そもそも、声帯と魔力生産器官以外は健康なのだ。

 タダで置いてもらう申し訳なさにも耐えられなくなってきたし、そろそろ仕事がしたい。


(掃除でも洗濯でも料理でも、ひととおりのことはできるもの)


 なんなら、介護もお手のものだ。

 あいにく、ジロンドには必要がなさそうだけれど。


(ジル様は、悲しそうな顔をしてしまうかしら)


 前に申し出た時は、それはもう悲しげだった。

 この世の終わりみたいな顔をして背中を丸めて出ていった日のことを思い返すと、コルテの胸がツキリと痛む。


(でも、今日こそは……!)


 チラ、と様子をうかがうと、微笑まれた。

 持っていたパンをほしがっていると思われたのか、一口分をちぎって口元へ持ってこられる。


「うう……」


 恥ずかしいの極みだ。

 こんなこと、親からもされたことがないのに。


 意を決して唇を開くと、サクサクのパンが放り込まれる。

 バターの甘みとオレンジの酸味が口いっぱいに広がって──多幸感に、コルテは思わず頰を押さえた。

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