第12話 はじめては、あなたの名前を

 用意してもらったお茶とクッキーでひと心地ついたところで、改めてジロンドから魔法薬の説明をされた。


 一度目となる今回は、声帯と魔力生産器官を結ぶ魔力管の中で発症している【魔力栓症】を解消するための薬を服用するらしい。

 初めて聞く病名に、コルテは引きつった顔でジロンドを見た。


「魔力栓とは、長年に亘って使われなかった魔力が塊になったものだ。魔力栓症は、魔力栓が魔力菅を閉塞へいそくすることで障害を引き起こす病気だな」


 ジロンドは魔法使いなのに、医者みたいなことを言う。

 難しい言葉がいっぱいで、コルテは早くも助けを求めたくなった。

 そんなコルテにジロンドは、呆れることなく丁寧に、言葉を噛み砕いて教えてくれた。


 魔力は、血液のように日々生産される。

 魔力栓によってふさがれた魔力菅が生産され続ける魔力に耐えきれず破裂すると、魔力は体中を暴れ回り、魔力栓を起爆剤にして爆発することもあるのだとか。


 コルテの症状は五段階のうち上から二番目程度に悪い状態だったが、幸いなことにギリギリ魔法薬で改善できるレベルだった。


「このタイミングで会えて良かった。そうでなければ、後遺症をもたらしたかもしれない」


(そんな……)


 なんて皮肉な話だろう。

 父の無能ぶりも時には役に立つらしい。


 コルテは心の中でひっそりと感謝し──ようとしてやめた。

 そもそも父が親としての義務をまっとうしていたら、こんなことにはならなかったのだ。感謝するのは、お門違いというものだろう。


「現在のグランベル王国において、魔力を持つ者はほぼ例外なく魔力を使う生活を送ることになる。だから、この症状が出る者はまれだ。百年以上前ならいざ知らず、今はほぼゼロと言っても過言ではない」


 グランベル王国でこの魔法薬を処方できるのは、今はもうジロンドだけになってしまったのだそうだ。

 たまたまとはいえ、この人と出会えて良かったなぁとコルテはしみじみ思った。


「魔力菅の詰まりを解消したら薬を変えて、きみ自身の魔力を利用しつつ、いびつになってしまった魔力生産器官を回復していく。今回の魔法薬に使用した材料だが──」


 魔法薬の材料なんてコルテは聞きなれないもののはずなのに、形や効能をスラスラ思い出せるのがなんとも不思議だ。


(マンドレイクだった前世で聞き知っていて、記憶のどこかにこびりついているのかも)


 語るジロンドの声は淀みなく、安心して聞いていられる。

 偉大なる魔法使いの片鱗へんりんを見たようで、コルテは気が引き締まる思いがした。


「もしかしたら、喉が熱くなったりかゆくなったりするかもしれない。我慢できそうになかったら、早めに手を上げて教えてくれ。でも我慢できる程度なら、いたり咳払いしたりせず、静かに待ってみてほしい」


 ジロンドはそう言って、コルテに小瓶を差し出した。

 両手で包み込むようにして受け取ったコルテは、覚悟を決めるように唇をキュッと引き結ぶ。


 意を決してキュポッとふたをあけると、いかにも薬といった風な匂いがプンと漂ってきた。

 一瞬、飲みたくないと体が逃げを打ったが、魔法使いになれるかもしれない未来を想像することで、なんとか乗り越える。


(では、いきます……!)


 マンドレイクもどきの五対の目とジロンドの目に見守られながら、コルテは魔法薬を一気にあおった。

 舌に感じるのは、薬草特有の苦み。鼻に抜ける香りは青くさく、決して良いとは言えない。トロリとした粘り気もあって、非常に飲み込みづらかった。


「……ゲホッ」


 それでもなんとか飲み終え、空になった小瓶をジロンドへ渡す。

 からいものを食べた時のように喉がカッと熱くなることはなかったが、飲んだ瞬間から微妙にモヤモヤとむず痒いような感覚がしてくる。

 我慢できるけれど掻きたいような、咳払いしてスッキリしたいような気分に、コルテは知らないうちに胸の位置で自分の服をギュッと掴んでいた。


「大丈夫か? 無理に我慢することはないからな」


 近い距離から心配そうに顔を覗き込まれて、コルテはたじろいだ。


 無理というほどではなかった。

 こんがらがっているという魔力生産器官と声帯がこの程度の不快感で治るというなら、コルテは何度だってチャレンジするだろう。


(むしろ、我慢できないのはこの距離……)


 コルテはそっと目を伏せた。

 誰かに心配されることが、こんなにくすぐったいなんて知らなかった。

 初めての経験だ。


 経過を観察するためだといって、ジロンドはベッドの端へ腰掛け、片足はベッドの上に乗り上げている。

 男の人と、二人きり。それも、ベッドの上で。

 何かあった際、すぐに対応するためだと頭ではわかっているものの、どうしても想像してしまう。何か起きてしまったらどうしよう、と。


(あぁぁぁぁ、わたしはなんて恥ずかしいことを考えているのかしら……!)


 それというのも、マンドレイクもどきたちが悪い。

 彼らときたら、来る日も来る日も貴族同士のスキャンダラスな事件を面白おかしく教えてくれるものだから、それが貴族の常識なのだとコルテは思い込んでいるのだ。


 男性どころか人への免疫もほとんどないせいもあって、妄想が過剰になっている。

 コルテ相手に、まさかそんな。

 彼ほどの美形なら、引く手あまただろう。


 恥ずかしすぎて、できることならどこかへ隠れてしまいたい。

 それか、美形かどうかも理解できない、マンドレイクだった前世に戻りたい。


 しかし、ジロンドの視線はしっかりとコルテへ注がれたまま。

 逃げ場のないコルテは、ただひたすらに時間が過ぎるのを待つしかない。


(はやく、はやく……薬の効果が出るのは、まだなの⁉︎)


 これが治るまで、二度三度と続くのだ。

 そう思うと、コルテの鼓動は緊張と羞恥でますます早くなった。


「ちょっと失礼」


 ふいに伸びてきた指先が、コルテの顎を掬う。

 クイッと顎を持ち上げられたコルテは、ジロンドの整いすぎた顔を直視できず、オロオロと視線を泳がせた。


「ふむ……そろそろ、かな」


 ジロンドの少し荒れた指先が、コルテの喉もとを撫ぜる。

 その途端──、


「ひゃあ!」


 くすぐったさに耐えかねて、コルテは声を上げた。

 聞き覚えのないやわらかな声に、キョトンとした顔で目を瞬かせる。

 そんな彼女の前で、ジロンドはフフッと小さく吹き出した。


「きみの声だよ」


「わたし、の……?」


「そうだ。自分の声に驚くなんて……かわいらしい人だな、きみは」


 恐る恐る声を出せば、望み通りの発声が叶う。

 やや掠れてはいるものの、初めて聞いた自分の声は、鈴のように涼やかな音をしていた。


「これが、わたしの……声」


「ああ、そうだ。慣れたらもっとスムーズに話せるはずだよ。しかし、焦りは禁物だ。今日はあと一言二言くらいにしておく方が賢明だろう」


 ああ、何を話そう。

 なんて、言おう。

 初めて聞く自分の声を、試したくて仕方がない。


 うんうんと悩むコルテを、ジロンドが優しく見下ろしている。

 ふと彼の視線に気がついたコルテはしばし止まって……やおら、ニッコリと微笑んだ。


(ああ、これがいい)


 目の前でまぶしそうに目を細める青年へ向かって微笑みながら、最大限の感謝を込めて。


「ジル様」


「なんで、それ……?」


 困っているような、あるいは今にも泣きそうな。

 ジロンドの声が、切なげに震えている。


 彼はじわじわと赤く染まる顔を隠すように、そっぽを向いた。

 困ったように下がった眉がかわいらしい。引き結んだ唇の端が、どうやっても上がってしまうところも。

 コルテはたまらず、フフッと笑い声を漏らしたのだった。

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