第11話 目覚めると
寝返りを打つと、ふんわりと体を包む優しい心地がした。
どうやら、誰かが毛布をかけてくれたらしい。
毛布の肌当たりはやわらかく、容易に良品であることがわかる。
声は出せないので、お礼の代わりにふにゃりと破顔しかけ──たところで、コルテははたと気がついた。
(一体、誰が毛布を……?)
リナローズ男爵邸に、そんな奇特な人は存在しない。
コルテの私物を勝手に売り払うような意地の悪い使用人はいても、彼女を憐れむような人は誰一人としていなかった。
寝ぼけた意識が明瞭になっていく。
リナローズ家から逃げ出したことを思い出したコルテは、慌てて身を起こした。
(ここはどこ⁉︎)
初めて乗った馬車は思いのほか快適で、ガタゴトと揺られているうちに寝入ってしまったらしい。
その図太さがあったから別邸で生きてこられたのだろうけれど、今は少しばかり反省するべきかもしれない。
とんでもない失態に、コルテの顔がサッと青ざめる。
とはいえ、反省はあとにしないと。
今はなにより、状況把握が先である。
(こういうところ。こういうところが、図太いと言うのだわ)
周囲を見回したが、どうやらここにはコルテしかいないようで、ひとまずホッと息を吐く。
部屋の中に扉はなく、窓が一つあるだけ。
ここは、誰かを閉じ込めておく部屋なのだろうか。
そう言われても納得してしまうくらい、殺風景だ。
(馬車には乗れたけれど、途中で捕まってしまったのかしら)
ということは、ここはヴィラロン伯爵の息がかかった場所なのだろうか。
それとも、執事は共犯で、逃がすと見せかけてヴィラロン伯爵へ送りつけたか。
(どどど、どうしよう……⁉︎)
ますます顔を青ざめさせながら、それでもコルテはなんとか気持ちを静め、状況を把握しようと気配を探る。
今のところ、誰かが近づいてくる様子はないようだ。
今すぐ誰かに何かされることはないと理解したコルテは、改めて室内を見回してみた。
落ち着いたブルーグレーの壁に、白を基色としたシンプルな家具。
窓がある壁だけは古めかしい石造りの壁になっていて、ベッドの上にいるせいか窓の外に見えるのは冬のくもり空だけ。
備え付けの大きな本棚の半分は魔法関係のタイトルが並んでいて、増える予定でもあるのか、もう半分は空になっている。
ベッドサイドに置かれたテーブルの上にはちょこんと、瓶詰めにされたチョコチップクッキーがひと瓶置かれていた。
食べてくださいということだろうか。
クゥゥとおなかが悲しげな声を上げているけれど、素直に食べるには怪しすぎた。
室内に漂う甘い香りは、クッキーが原因だろう。けれどこの部屋にはもう一つ、クッキーよりもよほど深く部屋に染み込んでいる香りがある──そう、ミントだ。
清涼感のある香りはあの人を──ジロンドを想起させる。
もしかしてここは、魔塔だったりしないだろうか。
(いいえ、早合点はいけないわ。気を緩めているところにヴィラロン家の誰かが来たら、大変だもの)
コルテがプルプルと首を振った、その時だった。
微かに
ギョッと目を剥くコルテの視線の先、本棚の後ろからひょこりと現れたのは、ジロンドだった。
一度顔を晒しているためか、フードは被っていない。
その足元ではキィキィギィギィ鳴きながら、彼の足にまとわりつくマンドレイクもどきたちの姿もある。
(あらあら)
邪魔をしているのか、じゃれついているのか。
ジロンドは小さなマンドレイクもどきたちを器用にあしらいながら、ベッドの上で固まるコルテのもとへやってきた。
「おはよう。よく眠れたか?」
持っていたトレーをサイドテーブルへ置くと、そのまま流れるように伸びてきた手がコルテの髪を
そのしぐさがあまりにも自然で、恋人同士のような距離を、コルテはきょとんとしたまま受け入れてしまった。
やや遅れてコルテはおかしいと思ったけれど、ジロンドは平気のようだ。
彼にとってこの程度のことは、単なるスキンシップに過ぎないらしい。
(自意識過剰みたいで、恥ずかしい……!)
人との間に一線……いや、二線も三線も引かれてきたコルテだ。
外の世界では、ジロンドがしたようなスキンシップが当たり前なのかもしれない。
そう思うと、自らの無知さをさらけ出すようで恥ずかしく、相手が国一番の魔法使いであることも加味してますます何も言えなくなった。
(過剰に反応していたら、わたしの身が保たないかもしれないわ)
コルテが素直にうなずけば、ジロンドはひだまりで微睡む猫のようにやわらかく目を細めた。
彼が発するホワホワとした空気に感化されるように、コルテの気も緩んでいく。
(もう、大丈夫。この人がいたら、なんとかしてくれる……)
風船が萎むように、フシュウと緊張感が解ける。
たまらずクワァとあくびを漏らすとクスリと笑われて、コルテは恥ずかしさにうつむいた。
(顔が、いい……)
一般的に美形と呼ばれる造形を知らないコルテだけれど、彼の顔は綺麗だと思う。
不健康そうな肌の色やクマが改善されれば、文句なしの美形だ。
「今、起きたばかりか? 何か食べられそうなら、食べてもらえると助かるのだが」
なぜ? と言う代わりにコルテが首をかしげると、ジロンドはサイドテーブルの上へ視線を移した。
テーブルに置かれたトレーの上には、魔法薬だと思われる小瓶が一つのっている。
「いつまでも話せないままでは困るだろう? 一気に治すことも可能だが、副反応が心配だからな。少しずつ症状が改善していく薬を処方させてもらった」
ジロンドが持ち上げた小瓶の中で、琥珀色をした液体がチャプンと波打つ。
「少々効果が強い薬草を使っているから、胃が空っぽの状態だと荒れてしまうんだ。だから、できれば何か食べたほうがいい」
『そうだよ、コルテ』
『ぼくたち、クッキーを作るところも薬を作るところもちゃーんと見てたから、安心していいよ!』
いつの間に登ってきていたのか、マンドレイクもどきたちはコルテのすぐそばで小さな胸を誇らしげに張った。
撫でてほしそうにサヤサヤと揺れる葉を、コルテは順繰りに撫でていく。
その時、様子をじっと見つめていたジロンドが、ポツリとつぶやいた。
「初めて見る植物だが……とても賢いのだな。きみのことをよく守っていた」
まさか、さっそく目をつけられてしまったのだろうか。
不安いっぱいの目でコルテが見上げると、予想していたような好奇に満ちた目はそこになかった。
「偉いぞ」
代わりにあったのは、子供の成長を見守る親ような、コルテがついに得られなかった優しいまなざし。
目の当たりにした瞬間、コルテの胸がチクリと痛んだ。
「特にその赤いの二匹は、自らを差し出そうとまでしていた。大事にしてやれ」
目が潤むのは、感動のせいか。
それとも、
コルテはすがりたくなる気持ちを抑えながら、赤い二匹──ラディッシュとビーツを優しく抱きしめたのだった。
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