第10話 不審な馬車

魔塔主ジロンド様、不審な馬車が魔塔の前に停まっておりますが」


 その報告を聞くのは、もう何度目だろう。

 ジロンドは煩わしげに顔をしかめた。


 入れ代わり立ち代わり、ジロンドを見るなり「早く処理しろ」と言わんばかりの態度。

 いいかげんにしてもらいたいものである。


 部屋の壁の色を落ち着いたグリーンにするか、愛らしいピンクにするか、それとも汚れが目立ちにくいブルーグレーにするか悩んでいる間だけで、二度は聞いた。


 おかげで彼は今、機嫌が悪い。

 魔力の微調整が効かず、壁の色がのっぺりとしたグレーになったことで、機嫌はさらに降下した。


「知っている。でも僕は今、見ての通り忙しいんだ」


 前世ぶりに再会したマンドレイク令嬢コルテ・リナローズを魔塔へ迎えるにあたり、ジロンドにはやることがたくさんあった。


 まず取り掛かったのは、部屋の掃除と整理整頓だ。

 コルテに使わせる部屋はもともとジロンドの寝室だったのだが、魔法書や実験道具を持ち込んでいくうちに汚部屋化が進んで住めなくなり、隣室へ避難してかれこれ数十年経つ。

 掃除も整理整頓も大の苦手としているジロンドだったが、コルテを快適な環境で育てるためだと思えば逃げずに頑張れた。


(いや、彼女はもうマンドレイクではない。快適な生活を送るため、だな)


 転生した彼女には、未だ慣れない。

 なにせ再会したのは昨日なのだ。


(まぁ、そのうち慣れるだろう)


 あの頃のように……いや、あの頃よりもう少しだけ親しくなれたら。

 想像するだけで、ジロンドは幸せな気分になった。


 床が見えるようになったのは、夜明け前。

 馬車が魔塔へ到着したのは、ちょうどその頃だったと思う。

 だんだんと明るくなっていく空を窓ごしに見上げ、今日から始まるコルテとの生活に思いを巡らせていたからよく覚えている。


 次に馬車を見たのは、一人目の魔法使いを依頼先へ転移させた後だ。

 ドラゴンを召喚させたついでに調度品の買い付けで魔塔から飛び立った際、馬と御者だけがいなくなっているのが見えた。


 魔塔がある場所は中心部から離れており、周囲に民家もない。わかりやすく看板が出ているわけでもないので、知らない者が見たら今にも朽ちそうな塔がある忘れられた土地に見えるだろう。

 要らなくなった馬車を捨てていった可能性は、十分ある。


 たまにあるのだ、こういうことが。

 この場合、ジロンドはささやかな呪いつきで持ち主へお返しすることにしている。

 ここぞという時に鼻毛が飛び出してしまう呪い(それによって婚約が破談になった事例あり)とか、急いでいる時に限って小指をぶつけてしまう呪い(それによって大事な仕事を失った事例あり)とか、大なり小なり不幸になる呪いだ。


 返却に伺うのは決まってジロンドが召喚したドラゴンなので、持ち主は当然、大パニックである。

 偉大なる魔法使いになんてことをしてしまったのだとしばらく思考が停止してしまうため、呪われたと思い至ることもないのだった。


「ジロンド様。悪い顔になっていますよ?」


 責めるように名前を呼ばれて、ジロンドは口を結んだ。

 ささやかな意趣返しに文句を言われているようで、気分が悪い。


(むしろ、この程度で済ませていることを褒めてもらいたいくらいなのだが?)


 その時ふと、コルテの姿が脳裏に浮かぶ。

 今世の彼女なら褒めてもらえる可能性に気がついて、ジロンドは一人ニヤけた。


「気持ち悪いですよ?」


「……今日は彼女を迎える日だというのに、なんて幸先が悪いのだろう」


「今朝の占いでは、予期せぬアクシデントにご注意って出ていましたよ」


 立ち上がった熊を思わせるずっしりとした体格に、よく整備された芝生のように刈り込まれた黒髪。ハンマーやメイスを振り回すのを得意としていそうなガタイの良い男の名前は、ハリオス・ルタン。


 ジロンドの一番弟子と言っても過言ではない魔法使いだ。

 魔塔の魔法使いではジロンドに次ぐ実力を持ち、国内における魔法使いランキングでは第三位を保持している。


 ハリオスは、大ざっぱそうな見た目に反して、繊細な調整を必要とする占い魔法を得意としている。

 長く一緒にいる分、ジロンドのことをよくわかっていた。


「いつもなら率先して解決なさるのに、どうして今日はそんなに面倒臭そうにしているのですか?」


 そうだ。

 コルテのことがなければ、ジロンドだってやぶさかではない。


 愛するマンドレイクに先立たれ、転生を待つ間の楽しみといえば、もっぱら部下たちの世話フォローをすることくらいだった。

 マンドレイクほど手がかからなくてやりがいがなかったが、それぞれ国を代表する魔法使いに育った今、ジロンドができることといえば彼らが魔法にだけ集中できるよう取り計らうことだけである。


 そんなわけで、魔塔の魔法使いたちが面倒くさがりなのはもともとの資質もあるのだろうが、ジロンドにも一端があるに違いないのだった。


「ハリオス。僕はこれでも魔塔の主で、きみより何歳も年上だし、上司なのだが」


「わかっております。しかし、俺がやると怒るじゃないですか。余計なことをする暇があったら魔法について考えてろって、あなたがいつも言っていることですよ」


 あいにく、俺はあなたほどフォローしてやるつもりはありませんが。

 ハリオスはそう言って、やれやれと肩をすくめた。


「今日の来客は一名だけだと決めている。適当に追い払いなさい」


 ぞんざいに追い払うしぐさをするジロンドに、ハリオスは一瞬、ジトリとした視線を向ける。

 しかし口元にはからかうような笑みが浮かんでおり、なにかをたくらんでいるようだった。


「……いいんですか?」


「ああ」


「魔法で馬車を焼き払っても?」


「いいと言っているだろう」


「中でスヤスヤ眠っているのが、例のマンドレイク令嬢だとしても、ですか?」


 魔塔の中で唯一、ハリオスだけには事情を説明してある。

 今後コルテを指導するにあたり、彼のフォローが必要不可欠だと考えたからだ。


「……は⁉︎」


 ハリオスの言葉を聞くなりつえを放り出したジロンドは、窓へすっ飛んでいった。

 魔塔の最上階にある窓から外を見下ろせば、馬を外した馬車がポツンと置き去りになっている。


 不要になった廃棄物。

 そんな風に見えるが、まさか──。


 窓にはしっかりとカーテンが引かれていて、ここから様子を窺うことはできない。

 ジロンドは魔力で聴力を強化して耳を澄ませると、コルテの健やかな寝息が耳をくすぐった。


「コルテだ……でもなぜ、ここに? あの馬車は早朝からずっとあそこにあって……。まさか、僕が迎えに行くまで待てないくらい、楽しみにしてくれていたのか……?」


「いえ……違うかと」


 ハリオスの冷ややかな視線に何かを察したのか、みるみるうちにジロンドの顔色が変わっていく。

 魔法への情熱が衰え、ここ数年は生ける屍のようだった上司を豹変ひょうへんさせた令嬢に、ハリオスは興味を抱いた。


「……まさか。いや、まさか……なぁ?」


「そのまさかです。リナローズ男爵は、偉大なる魔法使いの報復よりヴィラロン家の方が怖いようだ」


「……馬鹿だと思っていたが、まさかそこまでとは……」


 相当に苛立っているのか、ジロンドの毛先からパチパチと火花が爆ぜる。

 今すぐにでも特大の攻撃魔法を放ちそうな気配を察して、ハリオスは彼のつえをそっと隠した。


「お怒りはもっともですが、今はお迎えに行くのが先では?」


「おまえ……わざとだろ」


「さて、なんのことやら。それより、早く行かなくて良いのですか?」


「……はっ。そうだな、行ってくる!」


 リナローズ男爵家には感謝してもらいたい。

 この場にいたのがハリオス以外だったら、偉大なる魔法使いの本領を見たいがためにあおるに決まっているのだから。


 階段を上り下りする時間すら惜しんでか、窓の外へ飛び出すジロンド。

 いってらっしゃいと手を振りながらハリオスは、


「初孫のために張り切るおじいちゃんみたいだな」


 と、ジロンドが聞いたらカンカンに怒りそうなセリフを、しれっとつぶやいたのだった。

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