第8話

「ごめん、聞こえてたわ」

 その声は中田さんだった。でも、私たちのことをとがめる様子ではなかった。

 中田さんは、柱にもたれかかりながら腕を組んで「後藤、勘違いしてた。悪い」と言った。

 そして、私にもブランケットをかけてくれた。

「なんで」

「俺も、あいつの素行知らなくて、後藤がなんかしたんだと思ってたんだ。まいちゃんごめん。俺、偉そうな口ばっかりきいてなにもできなかった。後藤のほうがえらい」

「中田さん……」

 私たちは失意する中、中田さんをみていた。その存在がどれだけありがたいか。大人とはこういうものなのだと思った。

「よし、二人とも。とりあえず椅子に座りなよ。床じゃ寒いだろ。ホットミルクでよければいれてやる」

 そのかわり、口挟ませろよと中田さんは目じりにしわを作りながら言った。


 ホットミルクは私たちをあたためた。とても冷たかった後藤の手も少しはあたたまっただろうか。そんなことを考えていると、中田さんがふーだか言って、後藤に優しく話し始めた。

「とりあえず後藤。警察行くにしても、俺ついてくから心配すんな。で、今日はもう、まいちゃん送って帰れ。二人ともゆっくりするんだぞ」

「中田さん?」

 私は苦々しい表情をしている中田さんを見つめた。

「俺、あいつの悪癖を知らなかったわけじゃない。でも、まいちゃんとだったら大丈夫だと思ってたんだ」

本当に悪かった、と中田さんは頭を下げる。

「そんな……」

「俺が忠告して、離れさせるべきだった。昔から、ちょっと俺様というか、自分の機嫌が自分で取れないやつでさ。怒ると手つけられないのな。知ってたのに、俺も悪いよ」

「だから、もうお前らで抱え込まないでくれ。な」

約束、と中田さんはにっかり笑って後藤と私の指を小指に絡めた。

「じゃあ、任せたぞ後藤。昔からなんだろ?」

 後藤はばれたというように少し頬を赤らめて、顔を片手で隠した。昔から?だったのか。

「……わかりました」

 そして、中田さんは適当にブルゾンを羽織ってじゃあなと出て行った。

 ぱたり、閉まったドアは私たち二人を取り残す。私たちはここから立ち直っていかねばならない。

「まいさん……」

 私はまだ不安げな後藤にうんと強く頷いた。

 大丈夫だ、私たちならなんとかやれる。やっていこう。

「後藤、一緒に行こ」


 翌日、私と後藤と中田さんはライブハウスで待ち合わせて警察へ向かった。

 取り調べはなかなかに厳しくそして思ったよりも人間味のある対応だった。

 私は警察のひとに「自分の人生を選択しなさい。選ばせるのではなく、選ぶように。あと、自分を大切にしなよ」と言われた。

 後から聞いた話だが、あいつは私のほかにも被害届が出ているらしく、相当の証拠があり、後藤の行動は罪にはならなかった。

 後藤はまだもやもやしているようだったが、中田さんが後藤の背中をたたくと笑い始めて、そういえば後藤は笑い上戸だったんだと思い出した。

 三人でとりあえず一息つこうとカフェに入ると、コーヒーとカフェオレと紅茶を注文した。なんだか私たちらしいなと思った。

 コーヒーカップの柄が透けている。深い青色だ。私は思い出した。

「そういえば、私ってライブハウスに入るのはじめてじゃなかったですよね」

 二人は少し黙って笑った。

「うん、あいつのときも一回かな。来てた。でも、一回だけだったきがする」

 中田さんは言う。私は私のことが疑問だった。

「なんでだろ、彼氏のライブぐらいたくさん行ってもいいのに」

 私はコーヒーをぐびっと飲むと、後藤が困ったように言った。

「……あいつの強い音と赤色が嫌だったんだって。あいつの音楽もちょっと強引だから」

だからこそ、カリスマ性があるんだけどね、と後藤は付け加えた。

「あいつの音楽はあこがれてたけど、俺向きじゃないな」

 そして、三人ともなんだかおかしくて笑った。その通りだ。後藤はもう少し落ち着いた青と、モカのようなイメージ。なるほど、ギターという感じでないのが今更わかる。

「あっ、ていうか後藤が誘ったときは来てたよな? しかも気に入ったのかベース触ってみたいって言ってた……」

 私は顔が赤くなった。そして、中田さんに向かってしーっというジェスチャーを必死にした。

 そうだ。元カレのことで悩んだときに後藤のベースを聞きに行って、その音が案外気に入って触らせてくれと珍しく強引に言ってみたのだ。後藤が振られたといっていたのは私に彼氏がいたから。でも、きっとそのときから私はなんとなく惹かれていたのだろう。

「さ、問題解決したし、俺は帰るわ」

「中田さん!?」

 後藤は驚いてカフェオレを吹きかけた。もうちょっといてくださいよとでも懇願するかのように後藤は焦った。

「俺、一応自営業だから頑張んないとなの、じゃあなー」

 そういって颯爽と帰る中田さんを見送ると、後藤は静かに言った。

「まいさん。まいさんの瞳を見ていると落ち着くね、冷静になれる。鏡のような目だ」

「そうなの?」

「うん。だからまたこうして会いたいな」

 私は上体を崩し、声を出して笑った。

「いいよ。私は君を選ぶよ」

 そして、私は後藤の残っているカフェオレを飲んだ。

 それは少しだけ苦くて甘くて、後藤の優しい目に似ていた。


世迷子と 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

yomaigoko @asaasaasa_5han

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る