第7話
白、橙、薄青、青色。いろんな色が混ざり合う中、後藤たちは音を鳴らし、体を揺らしていた。私は必至に曲の展開と照明について考えながら指を動かした。きっとこのサビの歌詞からは透けるような白と青の世界で、ラストは落ち着くような青の残る暗闇。
私は数曲戦った後、本来ならMCがあるらしいところで休憩となった。ステージの上の後藤たちはそれぞれ水を飲んだり、指使いの練習か音の鳴りを聞いているのかしている。
ふと、ステージ上の後藤と目が合った。後藤はぽかんとして、すぐに笑った。よかった、いつもの後藤だ。私はつられるように少しだけ手を振った。
「まいちゃん、後藤とはあれからどうなの?」
中田さんが意外なことを言う。私はびっくりして、やがてそれは恐怖に変わった。私と後藤は、いったいどんな関係なのか。あれからとは? 後藤は私のことをべらべらと話すような人間だったのか。ショックに陥った私は、「いえ、特に何もありません」と閉口した。その様子を見て、中田さんは寂しそうに「そっか」とだけつぶやいた。妙な間が空く。気持ち悪いようなくらくらするような感覚だ。めまいがしているのか。空気が薄い。息が吸えない。まただ。この感覚。今はこんなことしていたくないのに。私は頭を押さえてその場にしゃがみこんだ。いや、正確には足がもつれて倒れた。
「まい!」
とてもいいタイミングで、後藤が現れた。もう、名前を呼び捨てにされるのも別に構わないと思った。
「中田さん、何かあったらすぐに言ってくれって言いましたよね俺」
後藤の手はあたたかいなと思う。目がとてもではないが開けていられない。音も散り散りになって遠くに聞こえる。なんだろう、私本当は熱でもあったのかな。
「後藤が守ってやれなかっただけだろ。勝手に手出しやがって」
「違う! 手を出したのはあいつのほうで、じゃなかったら今頃まいは」
そのあとの後藤の声は、もう私には聞こえなかった。
再び目を覚ました時、すごく落ち込んでいる後藤が寝ているのが見えた。私から遠く、壁にもたれかかって。ここは私の自室だ。なぜ、私は私の部屋にいるのだろう。なぜ、後藤はここにいるのだろう。なぜあのとき私は倒れてしまったのだろう。頭の中にネガティブな思考が渦巻いて、後藤を呼び起こそうとしても声が出ない。なんで。なんで声が出ないの?後藤、ねえ起きてよ、後藤。助けてくれてありがとう。よくわからないけど、後藤は私のこと助けてくれたんでしょ。あの優しい手も嘘じゃない。だって震えていた。私のこともしかして怖かったかもしれないのに一緒にいてくれた。だから、目を覚ましてよ。お願い。
のどがひゅーひゅー言っている。ちゃんとした言葉にならない。苦しそうなだけの音。私は、手の感覚をいきなり取り戻して、冷たさを感じた。なんで、冷たい?
冷たい指先だ。
「まいさん、起きた?」
指先だけ触れていたのは後藤だった。身のすく思いをしながら、後藤でよかったと思う。私は気が付く。ここは自分の部屋じゃない。知らない、知らない部屋だ。
「ここどこ……」
私はかすれた声で後藤に聞く。怖い。なんでこんなところにさっきまで、自分の部屋だったのに。
「さっきリハしてた隣のスタジオ部屋。毛布はなかったから俺の上着とかでごめん。救急車呼ぼうかと思ったけど、できなかった」
「えっ、別になんで、ありがとうだよ」
「まいさん、俺話すね」
それがまいさんにとっていいことなのか悪いことなのか俺にはわからない。でも、伝えるなら今だと思うんだ。
そう、後藤は続けた。
私は混乱した。なにが。なにを。なんで。なにを後藤は話しているの? さっきの中田さんとの話と関係があるの? 私は怖くなって、後藤から離れた。
「危害を加えるつもりじゃない。なるべく事実だけ言う」
後藤は防音加工のされている床に正座する。今にも泣きそうだ。
「まいさん、あなたは前の彼氏に殺されかけた。その彼氏は、」
私はとっさに叫んだ。
「……いやだ! 聞きたくない!」
目の前がチカチカする。なぜか青色の光が暗くほのめいている気がした。
「……ごめん。俺の、元のバンドのボーカルなんだ。知らなくて止めれなくて、俺がまいさんを好きになるうちに知って、俺は」
「……なにしたの」
これ以上聞いてはいけない気がした。でも、必ずいつかは聞かなくてはいけない気もした。私は、加害者であろう後藤に近づいて、震えている肩に触れた。顔を覆う両手からぽろぽろと涙が伝い落ちる。
「警察に届けた。ごめん、殺したりはしてない。でも、あのとき通報しなくちゃまいさんは死んでた。それだけは俺がどうしても許せなかったんだ。俺あいつの才能と人生も奪ったし、まいさんのすきなひとも失わせたんだ」
「後藤……後藤。それは後藤が悪いわけじゃないよ」
「俺がいけない。俺がまいさんに好意があるって知ってからあいつの行動はひどくなったんだ。だから」
「もういい、それは後藤のせいじゃない。泣かないで。私は大丈夫だから」
「だめだ。まいさんはそれから、解離っていうらしいのになってしまってたまに記憶がないんだって、ご両親にお聞きした。今は普通の生活を送っているから関わらないでくれとも」
「解離って……?」
「意識や記憶がばらばらになることって聞いた。俺も詳しくはわからない」
「ねえ、私、後藤を傷つけたの?」
「え……」
後藤はやっと私の目を見た。後藤の目は少し茶色い。綺麗な茶色が動揺しているせいか曇っていた。
「そんなこと」
ない、と後藤は首を振る。
「中田の言う通り、助けられなかったんだ」
「……後藤はどこから私を知ってたの」
「はじめから。きみがメッセージをくれる前から、何もかも」
「うそ」
「うそじゃない。まいさんが困ってるのを知って、俺から声かけたんだ。でも、そんな話してくれなくてさ。あいつのこと好きだから信じたいって」
私はそれ以上口を開くことができなかった。ただ後藤が語る過去を聞くしかなかった。私は完全に思い出していた。あのときの惨状を。
防音室だからか、音が少しこもって聞こえる。それもあってか、話が進んでいくたびに、私は気が遠くなるような感覚を覚えた。
「最初の最後で、俺に電話かけてくれたんだ。助けてって。もう、部屋は荒らされてぐちゃぐちゃだったし、食器は割れてるし、まいさんは衣服もずたずたで見ていられないような姿だった。あいつ、俺が現れて、激昂して、殴りかかってきてさ、本当にやばかった。誤ってたら殺してた。殺しそうだったんだ。すんでのところで意識取り戻して、慌てて警察と救急を呼んだ。俺は本当のことは言えなかった。殴られたから、とっさに押し返したら、首に入ったみたいでそのまま首絞めたような形になってさ。もうなにが正しいかわからなかった。まいさんのことは助けたいし、あいつは憎い。でも、してはいけないことはしてはいけない。そう思えたのは、まいさんが俺の瞳を見つめてたからなんだ。ガラスのような透明な目だった。そこで気が付いた。で、一気に力が抜けて、電話した。俺は人殺しなんだ。まいさんを好きでいていい人間なんかじゃない」
「でも、正当防衛じゃ……」
「まいさんは相変わらず優しいね。俺は、加害者だ。まいさんも記憶が飛んでしまうことになって」
「それは、違う。それはあいつのせい。私が間違ってた。好きだからってしてはいけないことはしてはいけないし、させてもいけない。なのに誰にも言えなかった。ううん、言わなかった。だからこんなことに後藤を巻き込んだんだ。私がいけない」
もうだめだ。私たちは、二人ともなにかをしてしまったのだ。加害者だ。
私はあいつを止めることができなかった。自分の欲におぼれて。そして、後藤に罪悪感を抱かせている。
後藤はあいつを止めた。でも、間違った方法だったかもしれない。それでも、私は助かった。
私はたとえ記憶が飛んでも、これが正しかったと思った。
私は血色の悪い後藤の両手を握った。
「後藤、共犯者になろう。私たちは二人とも加害者だ。だから、もう」
自分を責めないで、と私は後藤に縋りついた。違う、縋りつきたかった。
もうこの世に二人しかいない世界に迷い込んでしまったかのようだ。出口なんてない。
「まいさん。俺、自首する」
「だめ。許さない。私と一緒に生きてよ」
「そんなので許されるわけがないよ、まいさん。手を離して」
後藤の悟ったような少し演じているような甘い声が聞こえる。もう覚悟が決まっているのだろう。
そのとき、図ったようにドアが開いた。
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