第5話

 後藤はゆっくりとマグカップを傾けながら私の智恵子抄についての感想を聞いた。

 頷きながら、時々目を合わせて。その目がいやに優しいのを感じた。

「そっかー。まいさんはそう思ったんだ。まいさんに聞いてよかった」

 私は後藤の素直な表現に恥ずかしくなり、「別にそんなんでも」といってしまった。

 でも、後藤はそんな私を見て心地よく笑う。もう私にそんな笑顔向けないでほしい。

「まいさんはこのあと、時間ある?」

「あるけど……」

 後藤は一瞬表情を曇らせ、察したようにわかったとつぶやいた。

「また、こうして会いたいなって言ったらだめ?」

「いや、そういうわけじゃ」

「やった。よかったらまたここで、同じ時間で会おう」

 あっと思った。後藤に線を引かれたような気がした。

「待って、少し散歩しない?」

つい私は後藤にそうお願いしてしまっていた。後藤は困ったように笑って頷いた。


 私たちは昔学校外だったはずの今は何でもない街をぽてぽて歩く。

 小学生のとき、ここで野良猫が捨てられていて、クラスのみんなで里親を探したこと、昔はやっていた駄菓子屋さんがカードゲームショップにからっていること、人気があった広い公園の隅のベンチは屋根もついており、みんなでそこへ座ることが特別だったこと、住宅と住宅の間に秘密基地を作る遊びが流行って先生たちに叱られたこと。思ったより私たちは覚えていて、後藤とは接点はないもののあらためて同じ記憶を持っているのだと思った。

「まいさん、ちょっと昔話に付き合ってくれる?」

「なに?」

 私はそっけなく答えながらも、動揺した。元カノの話だろうか。それとも実は彼女がいてとか奥さんがいてとかそんな……。

「あのね、俺たまにバンドのサポートやることあるの」

 意外な話だった。後藤はもてなくない。なのに今更音楽で目立つ必要性があるのか。それに私は音楽のことはよくわからないし、バンドなんかとは縁遠い世界の人間だった。だから、よくわからないけど興味はあるのでふうんと返した。

「でね、たまにバンド見に来ないかって誘うときがある。趣味合いそうな人には。で、そのときも、誘ったんだ。昔の知り合い。そしたら、全然音楽興味なかったらしいのにはまってくれてさ。こんな世界あるんだって。で、俺ベースだから、音聞くの難しいじゃん。なのに弾いてみたいって言ってくれて」

なんだ、元カノの話かよ。私は自分の心が冷えていくのを感じた。

「いや、違うし、怒らないでよ。元カノじゃなくて気になってた子の話! 振られたも同然なんだから!」

 やっぱり女の話か、と思ったとき、ふと後藤の目が気になった。なんだろう。

 じっと見つめていると、照れているのかそっぽを向き始めた。

「いや、叶わなかったなって」

「だめだったの」

「まあ、そんな感じ。なので、まいさん俺とお友達に……!」

 どうしてこうなった。後藤はてんぱっているのか耳だけ真っ赤だった。私は後藤の耳をつんとつついた。

 後藤は声にならない悲鳴をあげて私から遠ざかった。

「なにするんですかまいさん!」

「赤かったから」

「そんなことしたら容赦しないぞ! 公共の場で名前連呼してやる!」

「なにそれ。セカチュー的な?」

「そういうのも読むの?」

「意外とね」

 後藤とふざけあってふらふらと歩いていたら、肩がぶつかり合ってしまった。

 そして後藤はすっと私の体を支えて、笑った。

……元気そうでよかった。そう後藤が小さくつぶやいた気がした。

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