第4話
私はあれから、ずっと智恵子抄を読んだ。もともと本を読むのは嫌いじゃない。でも、社会人になってぐっと集中して本を読む機会は減った。久しぶりの感覚に心が躍る。言葉の片りんを追って、考えて、一枚めくる。たったそれだけですこし幸せになれる。この紙の感触、インクのにじみ。私はやっぱり本がすきだ。
そんなことを考えながら読んでいるとあっという間に日付が過ぎていた。
私は少し読み疲れたと当時に満足を感じて、ゆっくりとインスタントコーヒーをすすった。
朝、スマートフォンのアラームに起こされると、数件メッセージが入っていた。そういえば、スマホを見ずに読み続けていたんだっけ。後藤もこういうことだったのかな。
「まいさん、読めたら、この間のコーヒー屋さんでもいいから感想聞かせて」
メッセージはこれだけ。あとは喜んでいるゆるキャラのスタンプとお待ちしておりますと書かれたビジネス用のスタンプが2個送られていた。
私は仕方ないな、と「土日は空いてる」と返した。ふと、鏡に映っている自分の目が細まっていて、どことなく嬉しそうだった。
週末土曜日。後藤と私はこの間会った大型書店で待ち合わせをして、コーヒーショップに入った。
後藤と私はいたってシンプルな服装で来ていて、まるで合わせたかのようだったので見るなり笑いあった。
どうして、トップスに白を、ボトムスに黒を選んでしまったのだろう。後悔よりもおかしさが勝って笑いが止まらない。
「まいさん笑いすぎ!」
むくれる後藤は口元を抑えて笑う私の手を柔らかく取り、「買ってくるよ」と私を奥の席に座らせ、オーダーを聞いた。なんで後藤はこんな私に付き合ってくれるのだろう。自然と打ち解け始めていた心がかたくなるのを感じる。ふわふわの座り午後地のいいソファが今はつらい。後藤は、なんで。
「……まいさん?」
後藤が丸い目を心配そうにして、私の目を見つめた。
「体調悪いの? 気が付かなくてごめん。大丈夫?」
「いや、ちがくて」
後藤はそっとコーヒーを二人分置いて、静かに対面に座った。私の言葉を待っているのだ。そんなことしてくれなくていいのに。
「なんでもないよ」
私は取り繕って笑った。手がもぞもぞと所在なさげに動く。ばれないようにしなきゃ。
「それならいいけど、なんかあったらいうんだぞ。別に聞くから」
「……後藤、ありがとう」
後藤はまた、少し寂しそうに笑った。
この人は一体何をもっているのだろう。それは私の心を支配した。かすかに揺れる明るめの茶色の瞳。惹かれているのはもう認めよう。
でも、私は彼の謎を解かないといけない気がした。
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