第11話 雷の勇者


 ロニール山脈。雷の神マスティアを信仰するゲルディアス王国と、火の神イフリートを信仰するファルナディア帝国の国境線として伸びる、緑が一切無い岩肌の山脈だ。


 その昔、世界を創造した七神が世界の覇権を巡って争っていた神話の時代がある

 雷神マスティアは火神イフリートの侵攻を防ぐ為、ロニール山脈に沿って長城を築いた。


 そのうねる様に長く続く姿から『ロニールの大蛇』と呼ばれた長城は、一定の間隔ごとに神殿が設けられている。本殿とされるのは長城の中央であり、山脈の中へと続く入り口が存在する。


 雷の勇者が試練を突破し、力を失った今でも立ち入りを禁止されている。立ち入りを許されているのは雷の勇者と、彼女に許しを得た者だけである。


「――ってのが、今から行く七神の遺跡だ。長城やら大蛇やら色々と呼び名はあるが、俺は分かりやすく雷の神殿って呼んでる」

「雷の神殿……山の中に入れるのか?」

「ああ。山脈の内部に空洞があってな。広いぞ」

「へぇー……。神話についても初めて聞いたな」

「まぁ、魔法について学んでいけば必然と神話時代を学ぶことになるさ」


 ルートの背に乗って山道を登りながら、ララに遺跡についての知識を教えていた。


 歴史を学ぶことは明日へ進む為の糧なり、と師から教わった。


 歴史を専門的に研究する考古学者みたいに詳しい訳ではないが、少なくとも直接神話の力を目の当たりにしてきた分、その他よりは詳しいと自負している。


 歴史を学んでいたお陰で生き延びてこられた場面に幾度も遭遇した。怪物退治がそもそも神話を知らなければ土台無理な話だ。あれらは神話時代から存在している唯一の存在だと言っても良い。倒す為にあれらについて学ぶのなら、神話を学ぶことになる。


 例えば有名な怪物を挙げるのならバジリスクという蛇の怪物がある。アレの血は猛毒で触れただけで死に至らしめる力を持つ。更に上位種になれば睨まれただけで魂を奪われてしまう。


 それさえ知っておけば対策を立てられる。下位のバジリスクと正面切って戦うのであれば、毒を浄化する霊薬を事前に飲んでおけば良いし、上位のバジリスクが相手なら鏡を用意すればいい。鏡に映った自分の眼で死んでくれる。


 過去、実際にバジリスクと戦ったことがあるが、対策を事前に練っていれば楽な相手ではあった。

 それにバジリスクの毒は貴重な霊薬の材料にもなる。その毒から作られる血清は凡そどんな毒をも中和することができる。


「さて、ルートに乗って進めるのは此処までか」


 もうすぐで長城に辿り着けるという所で、馬で進むには険しい道が現れた。

 ルートからララを下ろし、俺はルートの首を優しく撫でてやる。


「ルート……暫くの間我慢していてくれ」


 俺は腰からポーチを取り、ポーチの口をいっぱいに開いてルートの頭を入れるようにして被せる。するとルートはスルスルとポーチの中に入っていき、あっという間にポーチの中に収まった。


 ポーチの中は生物が入っても問題無い。これでポーチを無くさない限りはルートを手軽に運べる。


「……魔法って凄い」

「だろ? 魔法は人生を費やしても学びきれないほど溢れてる。いつかお前も新しい魔法を作り出せるかもな」


 ポーチを腰にしっかりと潜り点け、ナハトをポーチから取り出して背中に装着した。

 岩が剥き出しの道を、足を滑らさないように気を付けながら進んでいく。


 飛行魔法を用意しておけば良かったかなと少し思い始めた頃、漸く神殿へと辿り着いた。


 山の頂上を神の力で斬って平らにしたと云われるような場所に大きな神殿がある。その神殿の両端から城壁が遙か先まで伸びており、神殿の入り口の両脇には二体の女神像が佇んでいる。


 久しぶりに目にした雷の神殿に懐かしさを覚える間もなく、神殿前の広場に拠点を築いている兵士達を見て、やっとエリシアに会えると安堵する。


 これで会えなかったじゃ、時間をかけて山を登ってきた甲斐が無くなる。


「ん? 何者だ?」


 黒服ではなく、黒い鎧に身を包んだ兵士が俺達に気付き、警戒の色を現した。


 また不審者扱いされるのだろうかと軽く溜息を吐く。

 だが騒ぎが大きくなれば、エリシアが出て来るだろう。


「此処にエリシアがいるとモリソンから聞いたんだが、ルドガーが来たと伝えてくれないか?」

「ルドガー? 『グリムロック』のルドガーか?」


 兵士の一人が口にした名に、俺は背中がむず痒くなる感覚を味わう。


 ララは「ぐりむろっく?」と首を傾げ、何のことだと尋ねたそうにしているが、できればそれを尋ねてほしくはない。


 俺は目を兵士からツーッと逸らしながら、それを肯定する。


「そ、そう……グリムロック。そのグリムロックで間違いない」

「……少しお待ちを」


 兵士は俺を訝しんだ目で爪先から頭の天辺まで見渡した後、そう言って拠点の奥へと消えていく。


 周りの兵士達は口々に「あれがグリムロック?」「半魔の?」「いや、俺は魔族だって聞いたぜ」「もっと化け物みたいな姿だと」とか色々言っている。


 チラリ、とララを見ると興味津々な顔をして此方を見ている。

 さぁ教えろ、その恥ずかしい異名みたいな奴について語れと目が訴えている。


 それを敢えて無視し続けていると、兵士達の群れをかき分けながら此方に歩み寄ってくる女性が目に入った。


 紫電色の髪の毛をポニーテールにし、人族の大陸、その最東端に伝わるカタナと呼ばれる二振りの剣を腰に差した女剣士。紫の軽装にジャケット姿は、昔と変わらない。


 髪の色と同じ瞳で俺を見た彼女は、本当に俺が来たと分かり歩く速度を上げる。


 俺は右手を上げて久しぶりに会った友人に向けるような笑みを浮かべた。


「よ、よぉ……久し――」

「歯ァ食い縛れェ!」

「ぶりぃアッ!?」


 紫電を発した右ストレートにより笑顔は粉砕され、俺は激しい痛みと全身を突き抜ける痺れを感じながら地面にぶっ転がされた。


 そのままエリシアは俺の上に跨がり、何度も何度も俺の鼻っ柱を殴り付け、その度に雷撃が迸る。


「よくも! ノコノコと! 顔を! 出せた! わね!」

「ぐぎゃッ!? ちょば!? まばっ!? やぶべっ!? おちばっ!?」


 エリシアを止めようとするが、呼吸する間もあらず、顔面がペシャンコになっていくのが分かる。


「お――おい止めろ! センセが死ぬ!」

「ちょっ、離しなさいよ!」


 情けなくも、俺をエリシアの殴打から助けてくれたのはララだった。

 ララはエリシアが振り上げた右腕にしがみ付いて動きを止めてくれた。


 俺は折れ曲がった鼻を力尽くで戻し、ララにしがみ付かれて動けないエリシアを強引に退かして起き上がる。


 ダラダラとみっともなく鼻血を流す俺を憐れに思ったのか、兵士の一人がハンカチを差し出してくれた。


「このっ! 離しなさいよガキんちょ! もう殴らないわよ!」

「ガキじゃない! ララだゴリラ女!」

「誰がゴリラですってぇ!?」

「ちょいちょいちょい! そこまで! ララ、もう大丈夫だから離れろ!」


 ララはエリシアと睨み合い、エリシアの腕を放して俺の後に回り込んだ。そして顔だけを覗かせ、エリシアに舌を「ベーッ」と出して見せた。


 エリシアは頬をヒクつかせて「このっ……」と怒りを露わにしたが、兵士達の手前、これ以上の醜態を晒さないようにとグッと堪えた。


 どうやら二人のファーストコンタクトは失敗に終わってしまったようだ。


 主に俺の所為で。


 貰ったハンカチで血を拭い、改めてエリシアに挨拶をする。


「相変わらず、口よりも手が先に出るな」

「手が気に食わないなら剣を出してあげましょうか?」

「いや遠慮しておく。久しぶり、エリシア。この子はララ。ララ、こいつが雷の勇者エリシアだ」

「……どーも」


 ララは不満タラタラな態度で挨拶をした。


 エリシアもララを睨むが、そこは大人。ララをスルーして親指で自分の背後を指した。


 あっちで話そうと言っているのだろう。


 ハンカチを兵士に返し、その際「うへぇ」という声が聞こえたが、俺とララはエリシアに付いて行き、大きな天幕の中に入った。


 天幕の中にいた兵士達を追い出し、俺達三人だけになってエリシアは大きな溜息を吐いた。


「ハァ~……久しぶりね、ルドガー。ちょっと老けたんじゃない?」

「五年も経てばな。お前も年食ったじゃねぇか。今年で二十四だろ?」

「二十三よ! この三十路!」

「俺はまだ三十路じゃねぇよ。二十六かそこらだ」

「ハァ……で? 急に何? って言うか、その子、何?」


 えらく機嫌が悪いな。まぁ、喧嘩別れしたような形だったし、連絡も一つもしていなかったから一発ぐらいは殴られる覚悟だったが、これは思った以上だ。


 エリシアは机に置かれていた瓶を手に持ち、コルク栓を口で抜いて吐き捨て、中の飲み物をグビグビと飲む。


 機嫌が悪い時の癖だ。乱暴に飲み食いして気を紛らわせようとしているのだ。


 俺は無言で音漏れ防止の魔法を天幕に張り、早速本題に入ることにした。


「先ずはエリシア、そっちの状況を確認したい。モリソンから遺跡に力が戻ったことは聞いた」

「あっそ、それなら話が早いわね。って言っても、まだ何も分かってないの。一度、私だけで最奥に行ったけど、力が溢れてるだけで何も起きなかったのよ」

「お前が行っても何も起きない? それは変だな……なら新しい力って訳じゃなさそうだ」

「どっかに新しい雷の勇者でも誕生したのかもね。もしかして魔族に、とか」


 勇者ではなく聖女です。


 強ち間違いでもない、的を射た発言に俺とララは黙ってしまう。


 瓶を口に付けて傾けていたエリシアは、急に黙ってしまった俺達を見て眉を顰める。


「んぐ……何よ? 何で黙るのよ?」

「あー……エリシア。先ず最初に言っておく。これから話すことは絶対に他言無用で頼む」

「アンタがそう言う時は必ず厄介事よね。良いわよ、もう慣れてるし。態々防音の魔法まで張ってるんだもの。魔王が復活したとかでも驚きやしないわ」

「この子は俺と同じ半魔で魔族の聖女だ」

「ぶぅぅぅぅッ!?」


 エリシアの口から噴き出された水が俺の顔面に直撃した。


 しかもこれ酒じゃねぇか。それもかなり良い酒だな。


「……良い酒をどうもありがとう」


 皮肉を言いながらマントで顔を拭う。


 エリシアは怒涛の勢いで俺に詰め寄り、マントの襟を締め上げた。


「どぅ、どどどどど、どう言うことよ!? それ魔王復活並みの大事件じゃない!」

「魔王復活でも驚かないって言ったのはどいつだよ……」

「そんなの冗談に決まってるじゃない! ってか、この子が聖女!? しかもアンタと同じ半魔!?」

「因みに、私の父は魔王だ」

「ま――!?」


 今度こそエリシアは絶句した。


 絶句して俺を見た。その顔は信じられないものをみたと言った顔だ。


 そうだろうな。俺が殺した男の娘と一緒にいるのは信じられないだろうし、何より俺達にとって魔王はただの宿敵と言う言葉では片付けられない。エリシアが俺を侮蔑の目で見るのは無理もない。


「アンタ……どうしてその子と一緒にいるのよ?」

「話せば長い。ただ、俺とララの間には守護の魔法が掛かってる。俺の仕業じゃない。それだけが理由じゃないが、俺はララを守ると決めてる」

「……じゃあ、私がその子を殺すと言ったら?」

「お前を殺してでも守る」


 エリシアは唇を噛んだ。俺を締め上げる手に力が籠もる。


 本当にエリシアがララを殺すとは思ってはいない。だが仮にそうなっても、俺は覚悟を決めている。


 俺の言葉が嘘じゃないと分かってくれたのか、エリシアは乱暴に手を離し、不貞腐れたように腕を組んで机に腰を掛ける。


 ただ俺を睨むのは止めなかった。


「そう……まぁ、そこら辺は後で説明してもらうとして、此処に来た理由は何?」

「魔族とエルフ族の戦争を止める為に、手を貸してほしい」


 俺はモリソンに話したように、魔族がララを魔王に仕立てようとしていること、ウルガ将軍が穏健派を抑えていること、そして戦争を止める為に穏健派を助けようとしていることを伝えた

 最初は黙って聞いていたエリシアだが、徐々に難しそうな顔をして、終わり際には頭を抱えていた。


 おそらく、彼女の頭の中では既に何をすべきか答えを出している。頭を悩ませている理由はこの遺跡についてだろう。遺跡が力を取り戻した原因を追及しないことには、勇者である自分が現場を離れて他国の問題に首を突っ込む訳にはいかないと考えているはずだ。


「頼む、俺一人じゃ正直、魔族の本国に行くのはキツい」

「キツいで済ませるアンタも大概だけど。力は貸してあげたいわ。エルフ族は人族と同盟関係だし、勇者としても戦争を起こすわけにはいかないし。でも……」

「遺跡か?」

「ええ。先ずは自国の問題を片付けないと。せめて、原因が分かれば……」


 やはり、遺跡が問題だった。


 勇者として、懐で起きている異常事態を放置しておく訳にはいかない。それは理解できるし、当然のことでもある。決して他種族の問題を軽視している訳ではない。勇者は正しき者の味方であるし、穏健派を助けることはその道理に反しない。


 だが目の前の問題を無視する理由にはならない。もしこの異常事態が人族の危機に関わる事ならば、それを解決するまたは解決策を見出さなければならない。


「他の勇者も、おそらく同じでしょうね」

「だろうな」

「……ねぇ、何で私なの?」

「は?」

「だから、何で最初に私の所に来たの? 確かにリィンウェルが一番西の大陸に近いけど、それだけが理由な訳ないわよね?」


 エリシアの質問の意図が分からない。どうしてそれを今知る必要があるのだろうか。


 別に、特に深い理由は無い。あるとすれば、それはエリシアが他の勇者よりも話が分かりやすいし、エリシアの言う通り一番近い場所にいたからと言うのもある。


 あとは性格の問題か。エリシアは何だかんだ冷静に物事を判断できるし、今回の戦いは時間との勝負になる。迅速かつ慎重に、魔族との全面戦闘を避けての短期決戦になるだろうと踏み、エリシアを選んだ。


 他は駄目だ。火と土はド派手に立ち回るし、水と風は俺からの頼みだと高い見返りを要求してくる。氷はそもそも協力的じゃないだろうし、光は駄目だ。アイツとは馬が合わないと言うか、喧嘩ばかりして絶対に面倒事になる。


 あれ? 俺ってホントに勇者と同門で一緒に戦った仲なんだろうか?


 ちょっと自分の人望の無さに気付いてしまい、少しだけ落ち込んでしまう。


「どうなのよ?」

「ど、どうって……ん?」


 ララがマントを引っ張って耳を貸せという。

 素直に従って耳を寄せると、ララはエリシアに聞こえないように小声で耳打ちしてくる。


「センセ、こんな時はこう言うんだ――」

「……わ、わかった。あー、エリシア」

「ん?」

「――お前じゃなきゃ、駄目なんだ」

「――」


 ララに言われた通りにそう言うと、エリシアは真顔になった黙り込む。


 ララを見ると親指を立てていた。


 何となく気不味い空気が流れる中、やっとエリシアが反応した。


「――そ、そう。私じゃないと駄目なんだ。ふーん……」

「あー、まぁ……うん、お前じゃないと駄目だ」


 他とは上手くやっていけない気がするから嘘ではない。


 そう言うと、エリシアはニヤリと笑い、何故か後ろを向いて小さくガッツポーズをした。


「……ララ、何だか知らんがアイツ喜んでるぞ?」

「喜ばせておけ。そして後で糠喜びだったと後悔させてやる」


 ララもララで、不敵なニヤつきをしていた。


 俺は思った。絶対に碌な目に遭わないんだろうなと。主に俺が。


 どうしてか気分を良くしたエリシアはくるりと此方に向き直り、咳払いをして話を戻した。


 ちょっと顔が赤い気がするが、気のせいだろうか。


「よし、分かったわ! 力を貸してあげる!」

「本当か? 助かる!」

「でも遺跡の原因を解明してから。これだけは譲れないわ」

「……此方もあまり時間が多い訳じゃないが、仕方ない。俺とララも協力しよう」

「アンタは分かるけど……その子は大丈夫なの?」


 エリシアはララを見て訝しむ。


 それはララの安全を思ってではなく、たぶんララに協力できるだけの力があるのかどうかを言っているのだろう。


 だがそれは任せてほしい。何と言ってもこの子はアーヴル学校の優等生なのだから。


「大丈夫だ。ララは賢いし、着眼点も鋭い。安全なら、俺が守るから問題無い」

「……そう。なら、宜しく頼むわね、魔族のお姫様?」


 エリシアはララに手を差し出して握手を求めた。

 ララはその手を見て、何を思ったのか勢い良くバシンと手を叩く様に掴んだ。


「此方こそ、私のセンセを殺してくれるなよ?」

「へ、へぇ~……? 私の……あんま調子乗んないでよね、ガキんちょ」

「お前こそ、ゴリラ女」


 俺は二人からそっと離れた。


 何故かは分からないが、二人から不穏な空気を感じた。エリシアが怒るところは何度も見たが、ララが怒っているのを見るのは初めてだ。


 いや、ララは怒っているのか? 怒りとは違う何かなような気もするが、どちらにせよ怖かった。


 二人は俺が声を掛けるまで、握手を交わした手からギチギチと音を鳴らしていた。


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