第1話 行方知らずの王子



 魔王は討たれるその時まで、最期の時まで魔王で在り続けた。


 魔王の心臓に剣を突き刺したのは俺だ。

 俺がこの手で止めを刺した。魔王の返り血を浴びた俺の腕の中で魔王は死んだ。


 アイツは最期、俺に何かを言った。思い出そうとしても何を言われたのか、靄が掛かったように思い出せない。


 だが何かを言われたのは確かだ。思い出せないのか、それとも思い出したくないのか。

 思い出そうとして気分が落ち込むということは、思い出したくないのだろう。


 フレイ王子から聖女について聞かされた日から既に一週間が経っている。


 今日、魔族の聖女がこのアルフの都にやって来る。今頃王子が迎えに行っているだろう。


 俺は教壇に座り、生徒達が静かに悪戯精霊の対処法をノートに書き留めているのを呆然と眺める。


 もし、魔王の娘が俺のことを知ったら復讐しに来るだろうか。父を殺した男が、子供達に教鞭たれていると知れば何と思うだろうか。滑稽に思うか、それとも侮蔑するのか、いずれにせよ良い思いはしないだろう。


 復讐によって殺されるのならまだ良い。だが子供達が復讐に巻き込まれでもしたら?

 それだけは絶対に駄目だ。この子達は関係無い。

 もしそうなった時、俺はどうすれば良い――。


「先生? ルドガー先生?」

「――ん? ああ、何だ?」


 一人の男の子の生徒が俺の前に立っていた。

 俺はすぐに笑顔を繕った。


「レポートを纏め終わりました」

「ああ、もう終わったのか。よろしい、言った通り提出できた者から自由にしていい」

「……先生、怖い顔してましたよ? 何かあったんですか?」


 ハッと手で頬を触る。どうやら随分と思い詰めていたらしい。


 もう一度笑みを浮かべ、何でもないよと告げる。


 生徒に心配されるような教師じゃ、俺もまだまだだな。

 英雄だ先生だ何だの言われても、所詮二十数年しか生きてない若輩者。多少知識と経験が豊富なだけで、まだまだ精神が未熟なようだ。


 過去から逃げようとしているただの臆病者――のままでいるわけにはいかないな。


 そんなことを考えながら時間を過ごしていると、教室のドアが開かれた。

 顔を其方に向けると、そこにいたのはエルフ族の若い戦士だった。


「し、失礼。ルドガー様、至急城へいらしてください。王がお呼びです」

「何? 王が俺を?」


 どう言うことだろうか。王が俺を城に呼ぶなど初めてだ。

 それに戦士の様子も変だ。妙に焦っているというか、まるで襲撃があったかのような危機感を抱いている感じだ。


 そこまで考え、ふと魔王の娘のことが頭に浮かんだ。


 もしや、その件で何か起きたのか?


 俺は生徒の一人にレポートを回収しておくようにとだけ伝え、戦士の後について城へと向かう。


「何があった?」

「あまり大きな声では言えませんが……フレイ王子から救援要請が届きました」


 どうやら俺の勘は当たってしまったようだ。


 大急ぎで城に駆け込み、王と重鎮達が集まっている会議室に入った。

 長テーブルに座って話し合っている王達の様子から、かなりマズい状況だというのが見て取れる。


「ヴァルドール王」

「ルドガーか、早かったな」

「王子の一大事と聞いて」

「ウム……フレイが近衛隊を率いて聖女を迎えに行ったのは知っているな?」

「はい」

「都の北の森で魔族の穏健派と落ち合い、聖女を引き取る予定だった。だがどうやらそこで思わぬ襲撃があったらしい」

「と、言うと?」

「魔族の襲撃だ。フレイが精霊を使わせて知らせてくれたが、聖女と共に消息を絶ってしまった」


 魔族に襲われた? まさか、聖女の話は嘘で王子を森へ誘い出すのが狙いだった?

 いや、そんなことをする理由もなければ、狙ったとしても穴だらけの策だ。

 だが魔族に襲われたのは本当なのだろう。だとすれば襲撃者の狙いは聖女か。


「強硬派によるものですか?」

「私はそう睨んでいる。聖女の話自体が嘘という可能性もあるが、少なくともフレイが巻き込まれている。相手が何者にせよフレイを見つけ出して救出せねば」

「……俺に王子の捜索をしろと?」

「そうだ。付け加えるならば、聖女の話が本当ならば表沙汰にはできない。大々的な人員を動かすわけにもいかん。お前一人で向かってくれ」


 王の言葉に俺は顔を顰める。一人で戦う分には問題は無い。その方が戦い慣れているし、周りを気にしないで戦いに集中できる。


 だが捜索となれば話は別だ。北の森と言ってもかなり広い。それに彼処は霧がよく出る。一人では王子を探し出せる可能性が低い。せめてもう数人は捜索に回して欲しいところだ。


「了解しました。しかし精霊での捜索は続けて下さい。流石にあの広さを一人では探し回れません」

「無論だ。見つけ次第、精霊で伝える。時間が惜しい、すぐに発ってくれ」


 俺は一礼し、会議室から出た。


 大急ぎで学校の宿舎に戻り、準備に取り掛かる。


 埃を被った大箱から昔懐かしい装備品を取り出し、装着していく。

 鎖帷子に胸から腹をガードするプレート、獰猛な獣の意匠をしたガントレットとレギンス、そして裏地が赤い黒のボロボロなマントを纏う。これらは特殊な魔力でコーティングされており、マントでさえ刃を通さない防御力を誇る。


 うん、この数年で体型が変わっていなくて良かった。いや待て、少し腹回りがキツいかも。


 装備の具合を確かめた後、俺は部屋の壁に飾られている大剣を見る。


 剣身は黒く、幅は通常の剣よりも一回り太く、長さは剣先から柄頭までで160センチはある。鍔の部分はドラゴンの頭を模しており、剣身が口から伸びているようになっている。


 凡そ人族が両手で振り回しても剣に振り回されるような重さの大剣を、俺は片手で軽々と持ち上げる。


「またお前を使う日が来るとはな……頼むぜ、ナハト」


 愛剣ナハトを指で弾き、背負うようにして後ろに回す

 この剣は俺の意志と魔力に反応するようになっており、鞘が無くとも背中にくっ付けて持ち運びができる。


 装備を整えて宿舎から出ると、白い馬と一緒にアイリーン先生が待っていた。

 どうやら俺が出ることを聞き付け、見送りに来てくれたらしい。


 アイリーン先生は俺に気が付くと近寄ってきて緑色の宝石を差し出してきた。


「これには私の魔法が込められています。ルドガー先生を邪なモノから守るようにと。その御守りよりは効果が無いかもしれませんが……」


 アイリーン先生は俺の首元を見つめる。そこにはもうずっとぶら下げている金の指輪がある。


「いや、これは単なるアクセサリーだ。ありがとう、アイリーン先生」


 宝石を受け取り、首から提げた。それだけで心が清められていくような感覚を味わう。

 アイリーン先生の魔法はエルフ族随一だ。きっとこの先で苦難があっても守ってくれるだろうと確信する。


「それじゃ、行ってくる。生徒達に宜しく」

「はい。貴方に七神の加護があらんことを……」


 俺は馬に跨がり、都の北側へと向かう。

 北側の門では戦士達が待機しており、胸の前に右腕を出して敬礼を送ってくる。

 戦士達の見送りを受け、北の森へと馬を走らせた。





 この北の森には様々な魔法生物が棲んでいる。通常の野生生物もいるにはいるが、殆どが魔法生物の獲物として狩られているだろう。


 魔法生物とは読んで字の如く、魔法を使う、もしくは魔力を持つ生物のことを指す。凶暴なものから温和しいものまでいる。北の森に棲息する魔法生物の大半は温和しいものだが、凶暴なものも少なからずいる。


 そんな森を魔族との合流地点に指定したのは、人目に付かないこともそうだが、魔族の大陸が北側にあるから自然とこの森になったのだ。


 魔族の大陸が北にあり、人族の大陸が東に、獣族の大陸が南に、そしてエルフの大陸が西側にある。それぞれ海を隔てて存在しているが、嘗ては一つの大陸だったとか。

 伝説では神々の戦いで大地が割れたとか、天変地異によって変動したのだとか色々説はあるが、どれも確証に至る証拠は無い。


 兎も角、北に住む魔族と合流するなら必然的に北側になる。


 森はかなり深く、今は霧が出ていないがそれでも薄暗くて視界が悪い。事前に聞かされた合流地点はまだ先なのだが、合流地点に近付くにつれて久しく感じていなかった魔力が大きくなっていくのが分かる。


 馬もそれを感じ取っているのだろう、最初軽快だった足取りが次第に重くなり始め、言う事を聞かなくなってきた。


「お前も感じるのか?」


 撫でて安心させてもこれ以上馬を奥に進めてやれないと判断し、俺は馬を下りて鞄を担ぎ、来た道へ馬を帰してやった。あれは賢い馬だ。自分で都へと帰れるだろう。


 俺は鞄の中から小瓶を取り出し、中に入っている黒い石を手に乗せる。軽く握り締めて魔力を体内で練り上げる。


「精霊よ来たれ――」


 そう唱え、石に魔力を込めた息を吹きかける。そして石を放り投げると、石は砂粒へと変わり、砂粒は翼が生えた小人の形を取る。


「王に伝えろ。森に魔族が潜んでいる。すぐに北門の守りを固めて万が一の時に備えよ、と」


 俺が造り出した精霊に伝言を頼み、精霊は都へと飛んでいった。


 さっきからヒシヒシと伝わってくるこの魔力には覚えがある。戦争の相手だった魔族のそれと同じだ。攻撃的で、心の底から凍えさせるような冷徹な魔力。


 王子が心配だ。王子も大戦で生き延びた実力者だからそう簡単にはやられないとは思うが、どんな強者でも死ぬ時は一瞬だ。せめて生きているかだけでも知りたいものだ。


 五年ぶりに味わう緊張感を噛み締めながら、俺は森の奥へと進んでいく。空は木で覆われて太陽の光が差し込まない。薄暗い森の中を、湿っている地面に足を取られないよう気を付けながら進む。


「……妙だな? 静かだ。静か過ぎる」


 小鳥の囀りも、風が葉を揺らす音も聞こえない。

 そう言えば、薄らと霧も出て来ている。


 背中の剣に手を伸ばし、すぐに抜剣できるように警戒する。


「……チッ!」


 俺は剣を抜くよりも先に全力で走った。風よりも素早く、木々の間を駆け抜け、後ろから追いかけてくる存在から逃げる。背後をチラリと一瞥すると、五匹のウォルフが追ってくるのが見えた。


 ウォルフは言ってしまえば魔力を持った狼だ。尾の数が二本以上あるのが特徴で、群れで狩りを行う。ウォルフの咆哮には仲間への意思の伝達だけでなく、獲物を撹乱させる力がある。咆哮を受ける前に先手を打たなければ厄介な怪物だ。


 だがおかしな点がある。北の森にウォルフは棲んでいない筈だ。ウォルフは北か東の大陸に棲息する魔法生物だ。それが此処にいるということは何者かが此処へ連れて来たということだ。


 ならば誰が連れてきた? この場に置いてそれは魔族しか考えられない。


「くそっ! 追い付かれる!」


 ウォルフと戦うことにはもう慣れている。だが正確な数が分からない。魔力の気配からして見えている五匹だけじゃない。ウォルフ以外の何かがどこかに姿を隠して追いかけてきている。


 ウォルフは黒い影になり素早く地を這って背後を追ってくる。


 仕方ない、このままじゃ追い付かれる。素早く見えている五匹を倒すしかない。


 逃げるのを止めて急停止し、背中の剣を抜いた。


「行くぞ、ナハト。五年ぶりの獲物だ!」


 俺の言葉に呼応するように、ナハトの黒い剣身が輝く。


 ウォルフの動きは素早い。だが襲い掛かってくる時は必ず真っ直ぐ飛び込んでくる。素早さを過信しているが故の単調な攻撃。


 先ずは最初に飛び掛かってきた一匹を正面から両断する。続いて二匹目の攻撃を横に動いてかわし、擦れ違い様に剣で斬り裂く。


 これで残るは三匹になったが、二匹やられたことで慎重になったのか飛び掛かるのを止め、俺を囲むように三方向に分かれる。


 来る、咆哮だ。


『ウォォォォォンッ!』


 三匹は同時に魔力を込めた咆哮を繰り出す。


 この咆哮を喰らえば、視界は揺れて平衡感覚を失い、最悪聴覚を破壊されてしまう。


 だが、最初からその咆哮を遮断しておけば何も問題は無い。

 魔法で聴覚を一時的に無くすことでこれは防げる。だがデメリットとして魔法が切れるまで無音状態で戦わなければならない。それにきちんと魔法を会得しておかなければ、一生聴覚を失ったままになる。


 しかしウォルフを相手にするには一番簡単で効果的な戦法だ。後は己の戦闘経験値次第だ。


 一匹にナハトを投げ付け串刺しに、もう一匹には腰に差していたナイフを魔力で強化して投げ付け、眉間を射貫いた。


 残る一匹が背後から飛び掛かってくるのを気配で察知し、屈むことで避ける。右手をナハトに向けて手元に呼び戻し、反転して飛び掛かってくるウォルフの頭に叩き込んだ。


 これで確認できていた五匹を倒せたが、まだ姿を見せていない相手がいる。

 五匹のウォルフを速攻で片付けたのが効いたのか、警戒して姿を見せないようだ。


 やがてその気配は小さくなっていき、完全に消えていった。


「……退いた、か」


 剣を血振るいし、背中に戻す。地面に置いた鞄を拾い、ウォルフの死骸からナイフを抜き取ってホルスターにしまう。


 実戦は本当に五年ぶりだ。少々動きに鈍りを感じるが、何度か繰り返せば現役時代と同じように動けるだろう。そんな時が来ないのを祈るばかりだが。


 だが状況は些か拙いかもしれない。このウォルフは明らかに訓練された怪物だ。野良のウォルフより統率が取れている。怪物を飼い慣らすことができる種族は魔族しかいない。狙いが王子なのか聖女なのか不明だが、早く見つけ出さなければ厄介だ。


 それに訓練されたウォルフがまだ森にいたということは、襲撃者の目的はまだ果たせていないのかもしれない。訓練されたウォルフは獲物を見付けるのに最適な怪物だ。此処にいたと言うのなら、王子は何処かに身を潜めているのかも。


「考えろ俺。もし王子が襲撃者から身を隠すなら何処だ? 北の森……北の森……」


 鼻が利くウォルフでも見つからない隠れ場所。人の目から隠れられる場所。


 王子が北の森に入ったことは……ある。あるじゃないか。


 確かあれは――。


 王子が身を隠している可能性がある場所に心当たりがあった。

 鞄から小袋を取り出し、その袋から黒い砂を掴み取る。


「我、その身を隠す者なり――ハイド」


 呪文を唱え、黒い砂を周囲に散蒔く。すると砂は辺りを霧のようになって広がっていき、俺の臭いと魔力を一時的に隠した。追跡の可能性を潰す為だ。黒い砂はハイドの効力を高める特殊な砂である。


 魔法が切れる前に急いで移動し、王子が隠れているかもしれない場所へと走った。


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