プロローグ2
午後、俺は学校の城から出て都の一番高い場所にある王の城へと赴く。
このアルフの都は広大な大自然の中にある丘の上に築かれており、自然の山と石造りの城壁で囲まれている。その周りには深い森もあれば大草原もあり、どれぐらい深いのか分からない大きな湖もある。建物には基本的に石と木が使われているが、城や神殿は全て石造だ。
この都が築かれたのはもう何千年も昔らしいが、人族が此処までの都を築けるようになったのはほんの数百年ぐらい前だ。これも全て魔法の力によるものと言うのだから、エルフ族の魔法って凄い。
城の門番に軽く挨拶して城門を潜り、城の敷地内を歩く。
この城の作りは学校の城とそこまで違いは無い。寧ろ学校のほうがデカくて広い気がする。
王子を探しながら中庭の廊下を歩いていると、正面から数人のお供を引き連れた緑色のローブを纏った初老の男エルフが歩いてくるのが見えた。
少しだけくすんだ金色の髪を後ろに長し、蒼く輝く鋭い眼光をしたそのエルフは俺に気が付くと無愛想だった顔がより無愛想なものになる。
俺は廊下の端に寄り、軽くお辞儀をするように腰を折る。
エルフが俺の前に来ると、そのまま立ち去らず前を向いたまま立ち止まる。
「半魔の教師が、此処で何をしておる?」
渋く、そして高貴な声でそう訊いてきた。
「王子様に呼び出されましてね。探しているところです」
「無闇矢鱈に城の中を歩かれても困るのだがな」
「これは失礼。王子様が居場所を教えてくれないもので」
「……アレなら城の裏手の湖におる。どこかの教師が釣りなどを教えてからというもの、いつも魚や水魔の臭いを着けて、困り果てたものだ」
俺はグッと口を閉じて目を逸らした。
あのアホ王子、まさかずっと釣りをしてんのかよ。エルフの王子から釣りの王子に職替えでもする気か? 釣りの前はキャンプにはまって何日も森の中で過ごしてこっぴどく叱られたってのに、何も懲りてねぇじゃねぇか。
目の前のエルフは落胆したように溜息を吐き、改めて俺に向き直る。
「ルドガーよ、アレはたった一人しかいない我が息子だ。謂わば我がエルフ族の次代の王だ。それに相応しい振る舞いをしてもらわなければならん。王子がいつまでも遊び呆けては示しがつかんのだ。これ以上息子を堕落の道に誘おうと言うのなら、我が手でお主を息子の遊び道具に変えてやっても良いのだぞ?」
キレていた。このエルフの王は完全にキレていた。目が冗談を言っている目じゃなかった。頷いていなければ俺の骨を釣り竿にして血管を釣り糸に変えて肉を餌にされるところだった。毛は浮きにでもなってたかもしれない。
エルフの王は「フンッ」と鼻を鳴らして立ち去っていった。
俺は王様に嫌われている。嫌ってるまではいかないかもしれないが、少なくとも気に食わない奴だと思われている。何せ、王子様の遊び癖を酷くしてしまったのは俺なのだから。
所謂、悪い友達って奴だ。元々が城の中でじっとしていられるような性格じゃなかった王子様が、人族の娯楽を知って歯止めが利かなくなったのだろう。
見た目はもの凄くハンサムだし、肉体も鍛え上げられているからまるで生きた美術品のようなエルフだ。王子だと言うのに物腰も丁寧で気さくな上にノリも良いとくる。人族の中に放り込めば、いったい何人の女が落ちるか分かったもんじゃない。
実際、エルフ族の女達も城を抜け出して街を練り歩く王子様にメロメロだ。
王子様が女遊びに興味を持たなかったのが唯一の救いだろう。
城を裏口から出て、丘の下にある湖に繋がっている階段を下りていく。その先の桟橋で釣り糸を垂らしている金髪ロングの男エルフが、我らが王子様だ。
「王子」
「ああ、ルドガー。やっと来たか」
王子はこっちを見て爽やかに笑う。
「王子、頼むから遊びは程々にしてくれって言ったろ。おかげでまた王様にネチネチと小言を貰っちまっただろ」
「そう言うなよ。私にこんな遊びを教えたお前が悪い。お前もやるか?」
元々誘うつもりだったのだろう。釣り竿がもう一本置かれていた。
いつもなら誘いに乗って付き合うが、今回はそうもいかないだろう。
「いや、いい。それより、話があるんだろう? でなきゃ、『城に来てくれ』なんてメモを飛ばしてこない」
釣りに誘うなら素直に最初から釣りをしようと誘ってくるのが王子だ。その王子が用件を伏せてただ来てくれなんて、別の何かがあると言っているようなものだ。
王子は釣り糸を垂らしながら頷いて本題に入った。
「知っての通り、魔族は魔王を失ったことで衰退して、以前のように戦争を仕掛けることができなくなってしまった。そのお陰で魔族が人族を始め、他の種族と停戦協定を結んで戦争を終わらせることができた。魔族にも穏健派というものが生まれたのは知ってるか?」
「いや、それは知らなかったな。俺が知る魔族は――いや、一人だけいたな。もう死んだが」
「大戦で魔族は主だった一族を殆ど失った。辛うじて種を保っていられるのはその穏健派が台頭して纏め上げているからだ。停戦協定も穏健派が提示したからこそだ」
「互いに痛み分けだったからな。人族も多くの国を失った。勇者達がいたとしても、あれ以上続ければ泥沼の戦いが続いていただけだ。人族が停戦を飲んだのも、勇者達がそれを認めさせたようなものだし」
魔王を倒した後、人族の王達は魔族を殲滅しようと戦い続けさせようとしていた。
だが人族も甚大な損害を被っていた。
そもそもが大きな負け戦状態からの立て直しである。人族の大陸領土の半分以上が魔族に占領させれていた。幾つかの大国も滅び、多くの人族は殺されるか奴隷として囚われていた。
勇者達が現れ、そこから何とか小さな損害を出しつつも無敗で形勢を逆転させていったのだが、最後の戦いの時点で人族の総力戦を仕掛け、既に全戦力は消耗しきっていた。それ以上戦いを続けて縦しんば魔族を滅ぼすことができたとして、人族も更に少なくない損害を受けることになる。
そうなれば人族が国を、大陸を、生活を立て直す為の力を残しておけなくなる。
それを危惧した勇者達が王達を諫め、停戦を受け入れたのだ。
だから厳密に言えば、人族と魔族の戦争は水面下で続いている。人族や魔族だけではない、エルフ族も獣族も他の種族も、いつか再び起きるであろう戦争の準備を視野に入れている。
穏健派というのは、その戦争を回避する為に尽力している者達のことを総じてそう呼ぶ。
「人族はいずれ魔族を滅ぼそうと戦争を仕掛けるだろう。事実、エルフ族に軍備増強の支援を申し立ててきた。ま、今はまだことを起こそうとは考えていないみたいだが」
「勇者達はどうした? アイツらが戦争を望んでいるとは思えないが……?」
「勇者達は人族の英雄だ。魔族を滅ぼす人族の英雄が、民衆から望まれたら断る訳にもいくまい。本当に民衆が望んでいるかどうかは別としてな」
「民衆は望んでないだろうな。望んでいるのは王達だろう。今の勇者達は王と民の間で板挟みになってるのかもな」
嘗ての勇者達の姿を思い出す。本当に勇ましく、正しくあろうと常に前を向いていた。どんな絶望的状況でも決して諦めず、泥だらけになろうと傷だらけになろうと勝利を掴んできた。
一緒に戦っていた頃が懐かしいかと問われれば懐かしいが、色々とあって今は会いたくはない。
最後にアイツらの顔を見た時は俺が軍を辞めて国から出て行く時だった。俺を引き止めようとしてくれたが、俺は自分が出て行けば丸く収まると言って何もさせなかった。
雷の勇者なんか、俺が全部諦めて出て行くと言った時にはバカって言って一発ビンタされた。
ああ、でも光の勇者だけは何も言わなかったな。ただ出て行く俺を冷めた目で見ていた。
アイツと俺は反りが合わないというか、いつも喧嘩ばかりしていたっけか。
「エルフ族は魔族との戦いよりも大戦で失った繁栄を取り戻すことが最優先だと、軍備に関しては丁重にお断りさせてもらったよ」
「懸命な判断だ」
「だがそれにはもう一つ別の理由があってね」
「別の?」
魚が水から飛び跳ねた。
「昨日、魔族から使者が来た」
「……宣戦布告、じゃあないよな。穏健派か?」
「そうだ。魔族は魔族でかなり面倒な事態が起きている。その前に、『聖女』については知っているか?」
聖女、これまた久しく聞いてない単語が出たな。
読んで字の如く『聖なる女性』と言う意味の存在は、いずれかの種族に現れる神の使いだ。今まで確認されてきた聖女達は、その種の窮地を救う力を持っていた。
例えば、疫病が蔓延していた時代では病を治癒する力を備えた聖女が。
例えば、作物が実らず飢餓に瀕していた時代では豊穣の力を備えた聖女が。
例えば、大地が干上がって乾いた時代では雨乞いの力を備えた聖女が。
言うなれば、種が滅びに瀕した時に現れる女の勇者みたいなものだ。
七人の勇者の中には女も二人いるが、彼女達は聖女ではない。
聖女はその証として身体の何処かに赤い翼のような形の刻印が現れる。
二人にその刻印は無かった。実際に俺がこの目で見たわけじゃないが。
「その種の滅びを防ぐ為に現れる女、ってことしか知らない」
「それで良い。実は聖女が現代に現れた」
「現れたって……おい、まかさ……」
「ああ――今代の聖女は魔族だ。それもかなり厄介な立場のな」
王子は端麗な顔を曇らせた。
「魔族に聖女が現れたことで、それは魔族を滅びから救い出す神の啓示となってしまった。それを人族の王達が知ればどうなると思う?」
「当然、面白くはないだろうな。最悪、聖女を殺しにかかるかもしれない」
「それだけじゃない。穏健派以外の魔族は、聖女を御旗にして戦争を仕掛けるだろう。魔族が滅びに直面しているとすれば、それは魔王が不在で繁栄する力を失っているからだ。魔族は魔王がいなければ力が衰退していく存在だからな」
魔族は魔王がいて初めて本来の力を発揮できる。謂わば、魔王が力の動力源なのだ。
魔王となった瞬間から心臓を捧げ、全ての魔族に力を齎す。心臓を失ってしまえば力は大きく削がれてしまい、繁栄力も極めて小さくなってしまう。
だからこそ魔族は種が滅びる前に停戦を申し出たのだ。王達は魔族を滅ぼしたいが為に戦いを望んだが、このまま放っておけばいずれ魔族は滅ぶ。それまでに人の王は何代も入れ替わるが。
「穏健派は聖女が魔王の座に就かされることを避けようとしている。いずれは魔王を決めるつもりのようだが、それは他種族と共存の道を示して遂行できた後の話だそうだ」
「それは助かる」
「だからこそ、余計な刺激を与えない為、人族の軍備増強には手を貸さない。我らエルフ族も戦いを避けられるのならば、避けたいからな」
「ご立派だ」
「そこで使者の話に戻すが、我らエルフ族に助けを求めてきた」
「まさか生きている内に魔族が他種族に助けを求めるなんて、聞けるとは思わなかったよ」
俺が知る魔族は排他主義で魔族以外は下等種族だと蔑んでばかりで、交流すら持とうとしなかった。
だからこそ本当に驚いている。穏健派ができたとこともそうだが、他種族に助けを請うような姿勢を取れるようになったことは、世界的に見てもとても大きな変化だろう。
だがその話がいったい俺に何の関係があるのだろうか。ただ耳に入れておきたいだけって様子じゃなさそうだが。
「幸いにして、聖女の存在は穏健派以外の魔族には知られていない。だから聖女を我が国に亡命させてほしいと言ってきたのだ」
「……引き受けたのか?」
思わず声が上擦って引き攣ってしまった。
魔族の聖女を匿うと言うことは、エルフ族にとって爆弾を抱えると同意義だ。
人族に知られれば人族との同盟も危ぶまれ、魔族に知られれば奪い去ろうとエルフ族に牙を向けるだろう。
二つの種族だけじゃない。獣族に水族や天族、魔族を敵視する種族からもイイ顔はされないだろう。
そんなモノを、エルフ族が引き受ける筈なんてない。
そう思いたい。
だが現実は無情だった。
「協議の末、引き受けることになったよ。エルフ族は聖女を神聖視している。例え魔族だろうが火種だろうが、守るべき存在だとしている。俺もその掟には逆らうつもりはない」
バチンッ、と俺は頭を抱える。
そうだった、エルフ族は掟が第一で全てだ。思考の放棄に近い遵守さを忘れていた。
掟に従った末に戦火に巻き込まれても、それを受け入れるのがエルフ族だ。
人族と同盟を結んだのも、同じく勇者を神聖視しているからこそだ。神様が使わした英雄側に付くのが正しいと、掟に従ったまでだ。
「後悔することにならないと良いがな……」
「他人事みたいに言わないでくれよ。お前にも関係あることだ。と言うか、お前が一番関係してる」
「あァ? いったい何の話だ?」
王子は釣り竿を置いて、いたって真面目な顔を向けた。
彼からこれ以上話を聞くなと、唐突に本能が訴えかけてきた。
これ以上聞けば、お前は一生苦しむことになるぞ、と。
だが俺が聞いた。聞かなければならないと思ったからだ。
王子はゆっくりと口を開く。
「魔族の聖女はな……先代魔王の娘なんだよ。つまり、彼女にとってお前は仇なんだ」
俺は目の前が真っ暗になる感覚を味わった。平衡感覚を失い、吐き気も催してきた。
逃げ続けてきた過去が、俺を追いかけてきた――。
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