第2話 森からの脱出
この森には以前、王子と二人でキャンプをした場所がある。王子が誰にも見つからない場所を見付けたと息巻き、俺を強引に連れて行った秘密の場所だ。
森を西に向かって移動した先に、大樹が集まった場所がある。その大樹の根が迷路のように広がっており、一種の迷宮を生み出している。何の目印も無く入ってしまえば瞬く間に道を見失い、空でも飛ばない限り抜け出せなくなるだろう。
俺も王子も空を飛ぶ魔法は使えない。飛行魔法を掛けた物に乗って空を飛ぶことはできるが、生身だと翼を持つ天族か魔族しか飛べない。
だから王子は目印として行く先々に許した者にしか見えない魔法の文字を根に刻んでいる。
俺はその許した者であり、目印を辿って根の迷宮を進むことができる。
この樹海は北の森の中でも特に暗く、灯りが無ければ殆ど見えない。それに大樹から発する特殊な臭いは嗅覚の鋭い生物の鼻を効かなくする。隠れるには此処しか無い。
明かりを灯すわけにもいかず真っ暗な状態で進むが、半魔である俺は夜目が利く。どんなに暗い場所でも魔族の目は完璧に見通すことができる。
この目のお陰で夜間の任務に引っ張りだこだったのは良い思い出だ。お陰でまともに眠れる時間が無く、危うく戦場のど真ん中で居眠りしてしまうところだった。
いや、居眠りしてたわ。ははっ。
何度も迷路を曲がりくねり、目的の場所へと辿り着く。
此処は一つの大樹の根元で、丁度良い洞穴の形になっている場所だ。此処で王子と一週間ほどキャンプしていた。
「……」
魔族の気配は感じられないが、念の為に剣を抜いた状態で洞穴に近付く。
そっと入り口まで近寄り、幕のように垂れ下がっている葉をバッと開いた。
直後、銀色に煌めく刃が眼前に迫り、それを左手で掴んで止める。
「フレイ!」
「――っ!? ルドガーか!? 驚かさないでくれ!」
突き出されたナイフを握っていたのはフレイ王子だった。
見た感じ、多少汚れてはいるが怪我はしていないようだ。
「やっぱり此処にいたか。無事で何よりだ」
「ああ。奴らの目から逃れるには此処しか思い付かなかった」
「……他の者は?」
王子の他に近衛隊がいたはずだが、洞穴の中にはフードを被った一人以外誰も居ない。
王子は首を横に振って顔を曇らせる。
「皆、やられてしまった……」
「……取り敢えず入るぞ」
俺は洞穴に入り、幕を下ろした。
剣を背中に戻し、右手に魔力を集めて火を掌の上に灯す。洞穴の中を火の明かりが照らし、二人から俺の姿がはっきり見えるようになる。
王子は俺の格好を見て、口笛を吹く。
「その格好、久しぶりに見たな」
「ちょっと腹回りがキツい。太っちまったかな?」
洞穴の中にはキャンプ道具を置きっぱなしにしていた。俺が近くに来るまで薪に火を灯していたのだろう、消したばかりで煙が立ち上っている薪に火を魔法で移す。ついでに洞穴の壁に垂らしてある複数のランプにも火を移し、より明るく洞穴を照らす。
夜目が利くと言っても色までは鮮明に見えるわけではない。明るくなったことでフードを被っている人の銀色の髪と白い肌が見えた。
「……それで? 説明してもらおうか?」
王子は木を椅子代わりにして座り、何があったのかを説明する。
「いきなりだった。穏健派と合流して聖女を引き受けた直後、魔族に襲撃された」
「穏健派とは別か?」
「ああ。穏健派諸共私達を攻撃してきた。不意打ちの急襲で、瞬く間に戦士達がやられた。穏健派達が決死の覚悟で私と聖女を守り、私は聖女を連れて此処に逃げた。精霊で居場所を伝えようと思ったが、見つかると思って何もしなかった。もしかしたらお前なら此処に辿り着くんじゃないかと思ってね」
「何とか辿り着けたよ。それで……」
俺はフードの人に目をやった。
話の通りであれば、この人が、いや彼女が聖女、なのだろう。
正直言おう。俺は此処にいるのが王子だけであってほしいと、心の何処かで願っていた。
もし聖女が一緒にいれば、否応なしに顔を合わせ言葉を交わすことになる。
その時、もし聖女が俺のことを知れば……。
俺が魔王を殺した張本人だと分かり、憎しみに染まった目で見られたら。
俺はそれが怖かった。戦争中は殺して殺され続けてきた。だから恨み辛みの感覚は麻痺していた。戦いの最中、同胞の、家族の仇と言われて勝負を挑まれたこともあった。その時は何も感じなかった。
ただの敵として、剣を振るって命を終わらせた。
だが、彼女は――魔王の娘だけは別だ。彼女から憎しみをぶつけられる覚悟を、俺は持てていない。
何故なら俺にとって魔王はただの敵じゃなかった。俺の人生に大きな影響を与えた人物だ。
だからその娘も、俺にとっては他の魔族とは違う特別な存在だ。
その存在から憎まれるのが怖い。
「そうだ。彼女が魔族の聖女――名を……そう言えば、まだ聞いていなかったな」
王子は俺のそんな気持ちを知らず、気さくに名を尋ねた。
聖女は両腕を動かし、被っているフードを下ろした。
俺の黒髪と同じく魔族の象徴である美しく長い銀髪に、雪のように白い肌。目は俺と同じで赤く、冷たさを感じさせる目付きをしている。
氷の美姫ようだ、そんな言葉が思い浮かぶほど彼女は美しかった。思わず心を奪われ、氷付けにされてしまうかと思うほど。
彼女は透き通った声で、名を名乗る。
「ララ……ララ・エルモール」
――私には娘がいる。とても可愛らしい子だ。
脳裏に嘗て聞いたことがある台詞が蘇る。
すぐに消え去ったが、俺は気が動転しかけているのに気が付く。悟られないように平静さを装い、此方も名を告げる。
「ルドガーだ。早速で悪いが、襲撃してきた魔族に心当たりは?」
「大方、私を魔王として担ぎ上げたい一派だろう。私なら魔王になれると踏んで、他種族に戦争を仕掛けたいらしい」
狙われている立場だというのに、この子はあっけからんと考察を述べた。肝が据わっているのか、それとも大した問題ではないと考えているのだろうか。
俺と王子は顔を見合わせ、肩をすくめてみせる。
「聖女とばれてるのか?」
「さぁな。聖女だろうとそうでなかろうと、先代魔王の子なら血の力だけで魔王になれる素質があるからな。だが爺やとその周りの者は口が固い。聖女だと漏らしたとは思えない」
「……だが今回の一件で魔王の娘をエルフ族の大陸に移すことがバレた。その理由を調べ上げようとする筈だ。お前が聖女だと知っている魔族は向こうの大陸に残っているのか?」
「……いるには、いる。けど……」
ララは膝を抱え、憂いた表情を浮かべる。
「……皆、私を守る為に口を閉じる。永遠にな……」
それは、何とも言い難い決意の表れだった。
魔族の穏健派は、俺が思っている以上に戦争を望まない覚悟と決意を持っているらしい。
命を断ってまでこの子の秘密を守り抜き、魔族が戦争を起こすのを防ごうとするのは、他の種族でも簡単にはできない。
そしてその思想は、『あの人』にそっくりだ。あの人の魂を、穏健派はしっかりと受け継いでいたのだと、俺は込み上がってくるこの想いを噛み締める。
ならば、俺が今すべきなのは王子とこの子を全力で守り抜くことだ。
先ずはこの森を無事に抜け出し、都へと連れ帰らなければ。
「王子、敵はまだ森に潜みこの子を探している。精霊で応援を呼んでくれ」
「だが居場所がバレてしまう」
「ずっと此処に隠れる訳にはいかない。少し危険だが、強引に突破する」
「……できるのか?」
俺は頷いた。そしてララの前で膝を着き、左手を差し出す。
「この手を絶対に離すな。俺がお前を必ず守る」
「……」
ララは俺の目を見つめた後、怖ず怖ずといった感じで俺の手を握り締めた。
ララの手をしっかりと掴み、立ち上がらせて王子に目配せする。
王子は頷き、洞穴から出て腰から魔法樹から作ったエルフの杖を取り出した。
「精霊よ来たれ――」
杖を優雅に振るうと、杖から金色の精霊が現れて空へと飛んでいく。
俺は魔力が込められた触媒を使わないと精霊を呼び出せないが、エルフなら己の魔力と願いだけで呼び出せる。
精霊を空に放ったことで、森一帯を監視しているであろう敵に位置がバレただろう。
その証拠に、敵意を持った魔力が近付いてくるのが分かる。
王子に置かれていた弓矢を投げ渡し、明かり代わりの光の球を宙に浮かせて背中の剣を抜いた。
「頼むぞ英雄」
「任せろ」
「英雄……?」
ララの手をしっかりと握る。
「走れ!」
俺達は都の方角へと迷宮を走り出す。迷宮内なら敵の襲撃があったとしても相手の位置を搾れる。狭い通路の中じゃ、正面か後ろからしか俺達を襲えない。頭上は大樹の根で防げる。
どんどん敵の魔力が近付いてくるのが分かる。先に戦ったウォルフじゃない、何か別の怪物だ。
「ルドガー!」
前を走る王子が叫んだ。
正面から六本足に鎌の腕を持った怪物が走ってくるのが見える。
「何だありゃ!?」
「キメラだ! 自然界の怪物じゃない!」
ララが怪物を指してそう言った。どうりで知らない怪物な訳だ。
怪物を人工的に作る手法は魔族の専売特許だったな。
「王子! 風だ! 風の魔法で奴らを吹き飛ばせ! 一々殺してる暇は無い!」
「それもそうだ!」
王子は走りながら弓を構え、正面から迫り来る怪物へと狙いを定める。
「風の精霊よ来たれ――シル・ド・イクス!」
王子の矢に風が渦巻いた瞬間、王子は矢を放つ。矢から巻き起こる突風で正面の怪物は吹き飛び、地面に転がる。その隙に隣を通り抜け、行きがけの駄賃代わりに剣を頭に刺しておいた。
殺すことを狙う必要は無いが、殺せるなら殺しておいたほうがいい。
正面から来る怪物は王子の魔法の矢で押し進むことができるが、後ろから追ってくる怪物は此方で対処しなければならない。走りながら根を剣で斬り落とし、怪物の道を防いで距離を稼ぐ。だが怪物は両腕の鎌で根を斬り裂いて追ってくる。
「ルドガー! 矢が切れた!」
もう少しで樹海を抜けられると言うところで王子の矢が無くなった。
俺は右手に握る剣に魔力を喰わせる。
「王子、伏せろ!」
剣を正面にいる怪物らに投げつけた。剣は怪物らを纏めて串刺しにしていき、突き当たりの根に刺さって止まる。
「行け!」
突き当たりを曲がれば樹海から出られる。剣を右手に呼び戻し、俺達は樹海から出る。
当然、樹海の外で敵は待ち構えていた。
キメラの怪物を従えた漆黒の鎧を纏った大柄の魔族が俺達の前に立ち塞がる。顔は兜で見えないが、金色の三叉角の装飾が特徴的だった。
「ウルガ将軍……」
ララが俺の後に隠れて呟く。
ウルガ将軍……大戦時代には聞かなかった名だ。戦後に就いた奴だろうか。
明らかにただ者ではない雰囲気を纏っている。あれは明らかに戦場を知っている者の空気だ。
「ララ姫、お迎えに上がりました」
将軍が手を差し出す。周りにいる怪物達は何もしてこないが、命令があればすぐに襲い掛かってきそうだ。
ララは将軍の声に応じることはなく、少し怯えたように俺の後から出ようとしない。
王子にも後ろへ下がるように言い、俺は剣を将軍に向ける。
「悪いが姫は俺達の城に招いてるんだ。横入りは止めてもらおうか?」
「……姫の前でこれ以上血を流したくはないのだがな」
怪物達が鎌を広げてジリジリと近寄ってくる。
「……一つ聞きたい。姫をどうするつもりだ?」
「知れたこと。ララ姫は次の魔王になる御方。こんな所にいるのがおかしいのだ」
その言葉から、ララが聖女であることはまだ知られていないと推測できる。ただ言わずに隠しているとも取れるが、将軍の物言いからしてララを魔王の娘としか見ていないと感じられる。
その時、ララが顔を出して将軍に反論する。
「私は魔王なんかにならない! 魔王など、他の誰かにやらせればいい!」
これには俺も王子も驚いた。てっきりこの子は将来魔王になるとばかり思っていたが、確かにこの子の口から魔王になるとか、穏健派からララが将来の魔王だとは聞かされていなかった。
ララは魔王になることを嫌がっているようだ。理由は知らないが、尚更この子を渡すわけにはいかなくなった。元から渡す気は無かったが。
「ララ姫、貴女様は先代魔王の唯一の子。力を大きく失った我々の誰かが魔王になることは、現実的に考えて不可能な話です。魔族が再び立ち上がるには、血の力が必要なのです」
「立ち上がって戦争でも吹っ掛けようてっか?」
「それもまた望むとこだ人族の戦士……いや、貴様は本当に人族か?」
将軍は訝しんだ声を上げる。おそらく俺の魔力を感じ取って戸惑ったのだろう。
俺の魔力は人族よりも魔族に近い。それに臭いも人族と魔族が混じり合ったような、嗅ぐ奴によっては異臭に感じるらしい。
「この臭い……まさか、貴様――」
「そこまでだ! 魔族の戦士よ!」
将軍が俺の正体を口にする直前、高らかな声と共に降ってきた矢の雨が怪物を射貫いた。
将軍は鎧と腕で矢を防ぎ、声が聞こえた背後へと振り向く。
木々の間からエルフ族の戦士達が現れ、矢をウルガ将軍へと向けた。
王子の応援要請が届いて駆け付けてくれたようだ。
エルフ族の将軍、エメドールが白馬に乗って前に出る。
「此処は我がエルフの領土だ! 大人しく投降すれば命まではとらん!」
「……どうやら邪魔が入ったようです。ララ姫、いずれまたお迎えに上がります」
将軍は一礼すると足下から黒い煙が巻き起こり、そのまま煙の塊となって空へと飛んでいった。
あれは飛行魔法の一種か? だが見たことが無い魔法だ。この五年の間に新しい魔法を開発したというのか。
ともあれ、怪物は討たれウルガ将軍は撤退していったことに安堵する。
五年のブランクを抱えた状態で将軍職の奴と剣を交え、王子と姫を守りきれる確信は無かった。正直なところ応援が間に合ってくれて助かっている。
必ず守ると言った手前、どうしようかと少々焦っていたのは胸の内に秘めておこう。
「フレイ王子! ご無事ですか!?」
「ああ、私は無事だ。だが近衛隊が全滅してしまった……」
「王子の助けになったのなら彼らも本望でしょう。さぁ、急いで森を出ましょう」
「そうだな。姫君、参りましょう」
王子はララに手を差し伸べたが、ララは俺の左手を握ったまま俺から離れようとしない。
それを見た王子は「ははーん?」とニヤついた顔を俺に向けた。
この顔は良くない。きっと腹の中でくだらないことを考えているのだろう。
王子は俺の肩にポンッと手を置き、親指を立ててサムズアップしてきた。
「何だその顔は?」
「いんや、何でも」
王子は戦士達に連れられて先に進んだ。
将軍は王子の側にいたいが、聖女であるララを放っておく訳にもいかず、その場に留まっている。
「……お姫様、もう大丈夫だ。彼らはお前を守る為に来た」
「……」
ララの手が震えていた。寒いからではない、何かを怖がっている。
同胞である魔族に狙われたからだろうか。それとも嘗て敵だった者達に対する恐怖心か。
俺の手を握り締めているということは、少なくとも俺のことは怖がっていないのか。
将軍へ目配せし、王子の下へ行かせた。
膝を折ってララと目線を合わせ、頬に付いている泥の汚れを拭ってやる。
ララは顔が汚れていたのが恥ずかしいのか、頬を紅くして顔を逸らす。
「安心しろ。彼らはお姫様を聖女として丁重に扱ってくれる。魔族の姫君としては誰も見ていない」
「……私は……聖女にもなりたくなかった……」
ララは悲しそうに目を伏せた。
そこで俺はハッと気が付く。
魔王の娘であるララは魔族の大陸でも次期魔王として扱われてきたのだろう。
そして聖女となった時にはララは大きな重荷を否応なしに背負わされた。
魔族を滅びから救う者、救世主として見られていただろう。
ただの魔族の女の子のララとして見られたことなど、一度も無かったのではないか。
その顔はよく知っている。誰にも己を見てくれなかった寂しさを、俺は知っている。
「……分かったよ、ララ。聖女としての扱いが辛くなったら俺の所に来い。ただの女の子として茶ぐらい出してやる」
「え……?」
「身分や立場でしか見てくれないのは寂しいって、俺も良く分かる。だけどそう言う生まれになってしまったのなら癪だが受け入れるしかない。でも息抜きは必要だ。童心に返って誰かのお菓子に、おできができる悪戯呪いを掛けて遊ぶような息抜きがな」
「……そんな呪い聞いたこと無いぞ?」
「エルフの子供達の間じゃ人気の悪戯だ」
「……フッ、それは楽しそうだな」
初めて、ララが笑ったのを見た。満面じゃなく、鼻で笑うような小さな笑みだが、手の震えは止まっていた。
俺はレディを案内するように手で促し、ララは漸く歩き出した。
俺の左手は、まだ繋がれたままだった。
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