第四葉 11月1日/24歳/不明
【7月29日】
自殺する前に遺書を書き残す。なぜするのか分からないから、遺書を書くことにした。だが、遺書と言っても何を書くものなのか検討もつかない。ここで言う遺書とは、老人の財産がウンタラだとか、悔いの無い人生が送れたとか送れなかっただとか、そういう世迷い言じゃあない。自分で自分を殺す決断をした人間が書き綴る最期の台詞だ。なぜ、そんなモノを書き残すのか。これは遺書か、たぶんこれは遺書じゃない。
【8月19日】
謝罪か恨み言を書くのが遺書なのか。もしくは、感謝というのもある。謝罪は簡単だろう。自殺は社会的に認められていない行為である以上、自分の罪を告白する必要がある。あるのだろうか。そんなモノは無い。
両親が苦労して産んで育ててくれた御恩に反するから、謝罪しなければ自らの生命を断ってはならない、だなんて何の道理にも当て嵌まりはしない。生命の誕生には誰であっても責任を持つことは不可能だ。そんな不可能性を、ただ誕生したからと言う理由だけで自責となるなんて言うのは不条理に過ぎる。謝罪の言葉を書き連ねてからでないと自殺できないだなんて言うのは、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
ならばと思い、恨み言は中々に理解できる気がする。要するに、自分が自分で自分を殺さねばならないのは、外的な理由が有ったからだ、と言う話になる。この身が自殺しなければならないのは、お前とお前とお前達のせいだ、とご指名してから死にたいわけだ。そうやって自殺すれば、もしかしたらまだ生きている原因達の良心の呵責を擽る事が出来るかもしれない。
復讐が果たせるわけだ。だが、死んだ後にそれを観測は出来ないし、遺書も原因共に伝わるかどうかは不明瞭であり、不確定な手段だと言えるだろう。それでも恨み言を書き残さねばならない、と思いながら自殺するのは、どんな気分なんだろうか。
残るは感謝だ。一般的な遺書としての老人だとか余命幾ばくかの人間が、よくあるお涙頂戴モノとして近親者に書き送る手紙の様な体裁のモノだ。産んでくれてアリガトウ、育ててくれてアリガトウ、出逢いにアリガトウ、一緒に生きてくれてアリガトウ、でもサヨウナラです。そういうヤツだ。
この感謝ってやつが、一番意味不明かもしれない。これから死ぬ、なんだったら自殺する人間が感謝する。直感的に矛盾している。感謝するのならば、生きてりゃあ良い。寿命も余命だろうが全て同じだ。遺書として残す必要が無い。なぜ、死んでから読ませるのか。恥ずかしいからか、面と向かってなぜ言えない、なぜ文章にするのか、残すのか。
個人的に思うのは、嫌がらせだろう。遺書に感謝を書き綴るということは、私は死にました、でも貴方達は生きています、だから死んだ私のことを覚えておいて下さい、この遺書はその証拠です。と言う理屈だ。それは呪いだ。嫌がらせ以外のナニモノでも無い。単純に恨み言を述べるよりも性質が悪い。相手の感情を揺さぶって記憶を刺激し、物質的に残す事で継続的に読み返せる様にする。生きている人間達に自分が忘れられない様にする為の、最低最悪の所業だと言える。
そうすると遺書と言うのは、これから死ぬ人間が生きている人間に対しての最後っ屁の様なものなのか。ナニカ違う気がする。
【8月31日】
いい加減、遺書が書きたい。そう考えるようになってから、遺書について知る機会が増えた。物の本によると、現代人は遺書にもマニュアルを欲するようだ。自殺志願者の遺書だけでなく、老人や余命宣告された人間のいわゆる終活だとかでは例文だとか書くべき内容だとかが網羅された冊子なんて言うのが出版されている。
つくづく馬鹿馬鹿しいが、そこまでして礼儀に則った遺書にしたいとでも言うのか。確かに、遺書は死んだら書き直しが出来ない。しかし、だからといって、最期の書き置きまで社会や他人の目を気にしなければならない道理は無いだろう。無いにも関わらず、礼儀作法に殉じたいと切に願うバカな人間が多く居るからこそ、採算商品として幾つもの関連書籍が出版されている現実があるわけ。個人的には、遺書くらいテメェの言葉で書け、そんで死ねと思う次第だ。
だが、自分自身も遺書が書けていない現状、あまり嘲笑する事は出来ない。けれど、バカの読む本が猿回しのお遊戯で、あんなものを信じるのは果てしないお人好しだと言うのは分かっているつもりだ。そうすると、そもそも自殺する気があるのか、と言う話になる。
【9月9日】
自殺する前に書く遺書は、ブルブルと震えた手で書かれるか。イメージと違う。違う、全く間違っている。当然、遺書は礼儀でもない。辞世の句だなんて、洒落たモノでもない。別に生きた証を残したいだなんて、残虐な精神も無い。
じゃあ、経緯を説明したいのか。これこれこうして、この様な理由を以って、ワタクシめは自分を殺すに至りまして御座います。そんな事をして、だからどうしたと言うのだ。
【9月12日】
自分がまさに自殺する、その瞬間のイメージを想像する。ゆっくりと死ぬのがいい。けれど、派手に死ぬのもいい。薄暗い森の中で首を括る死に様は、しっくりこない。電車に飛び込んで死ぬのも的外れだ。ならば、建物から飛び降りるか、もしくは自殺名所となっている絶景から墜落するか。それもピンとこない。
火が見たいと思う。現代社会で火を見る機会は以外にもない。住処の台所はIHでガスコンロの火さえ無い。あるのはライターの火くらいだ。まあ、人によってはアロマキャンドルの一つや二つを持っているのかもしれないが、そこまで精神世界に傾倒する様な人生は、生憎と送ってこなかった。
焼身自殺、あれはダメだ。殆どの死因が火には依らない上に、パフォーマンスとしての側面が強すぎる。別に主義主張があって自殺する訳じゃない。だから、割腹自殺も除外されるだろう。
老衰や病死が自殺とは、全く言えない訳では無いが、それは話が違う。不摂生な生活も大局的に見れば、自殺と言える。昨今なら、飲酒喫煙は殆ど自殺と同等かの様に、忌み嫌われる為のキャンペーンが常に行われている。ストレスも同じだ。心身を疲弊させる様な労働だとか生活だとか人間関係を続けるのも、自殺だと言えるだろう。なら、この世を生きている人間は誰しもが自殺していると言えるんじゃないだろうか。だから、話が違うんだ。
【9月13日】
遺書は理由記述の項目じゃない。自殺は理由では無い。考えるに、自殺は単純に選択だ。コンビニに行ってオニギリを選ぶか、サンドイッチを選ぶか、なんだったら冷凍ブロッコリーでもいい。そういう、つまらない選択の一つだ。結局のところ、自分の生命に対して自分自身で選択する、そういう話だったのだ。
だが、多くのバカ共は自分で自分の生命に対する選択を放棄している。もしくは、選択してはならないと信じ切っている。それはバカだから仕方がない、どうしようも無いモノゴトを責めるのは間違いだろう。だから、あれらが自殺しない事を善行だと道徳だと倫理だと宣って胸を張っているのは、正しい。
自殺が単純な選択の結果ならば、その前に書かれる遺書は宣言となるだろう。いや、もしくは、遺書を書く行為そのものが既に自殺の結果だとも言えるかもしれない。遺書を書いて自殺すれば、遺書は自殺と言える。遺書を書いて自殺しなければ、遺書は生存継続の意思表示に変わる。
どちらにしても、遺書は前触れでしかない。けれど、だからこそ、遺書は自殺した結果と自殺しない結果の二重の意味を常に同居させる存在だと言える。自殺の結果に到達しない限りは、ずっと遺書は自殺と生存の両方の意義を維持し続ける。
【9月33日】(注記:10月3日)
自殺の行き先は地獄であるのが、古今東西にある宗教の一般的な解答だ。宗教と言うシステムにとって、民衆が自殺するのは困るわけだ。なぜ、困るのか。答えは簡単だろう、それは労働人口が減るからだ。現代以外では、人類史において子供が労働力として計上可能な程に成長するには数あるリスクを乗り越える必要があった。それが、せっかく成長した大人の人間が気の迷いで自殺しては堪らないって話だ。だから、自殺を禁じる教義が生まれる。つまり、人間は自殺しても良い訳だ。
しかし、地獄が在ると言う考え方は良い。もしも、自殺した人間が必ず地獄へ往くならば、自殺は肯定されるという事だ。それが魂を永劫に苛まれようとも、宇宙誕生から消滅の何倍もの時間を掛けて呵責されるとしても、地獄ならば自殺者を受け入れてくれる。自然死でも突然死でも事故死でも尊厳死でもない、自らが選んで掴み取った自殺だと地獄に堕ちることで証明してくれる。
とは言え、現実主義的に考えれば、死後の主観は観測できない以上は存在しないと定義しなければならない。ならば、死後は虚無に還るだけとしか言えないだろう。まあ、実際に死んでみたら全く違う答えが存在するのかもしれないが、現代の科学力でもその存在を観測するのは不可能だ。
ならば、自殺に際しての心構えとして問われるのは、自身が生きている意識を手放し、虚無に還る事を恐れるか否か、となる。個人的に思うのは、じゃあ「生きている意識は虚無では無い」と断言できるのかと言う問い掛けだろう。当然、答えは「答えられない」だ。
【9月39日】(注記:10月9日)
パンドラの箱から飛び出した災厄達で、唯一箱の中に残ったのが「希望」だと言う。希望とは、期待だ。過去から現在において自身を鼓舞して努力をして、まだ見えぬ未来に向けて一所懸命に辿り着こうとする為の、自己洗脳だ。
そもそも、パンドラの箱は神が人間に持たせたモノであり、つまり箱の性質は神の意志である。神は人間に様々な災厄を与えたと言える。だが一方で、箱の中には「希望」だけが残ったと言う。竜宮城の乙姫が浦島太郎に贈った玉手箱の中身は、開けた本人を老人にまたは仙人にまたはツルにしてしまうものだった。これもまた箱の性質は乙姫の意志だ。
どちらも人間の意志に反するところが妙意と言える。期待たる「希望」は見方を変えれば、意味は「人間の思い通りになる」であり、それが人間には降り掛からないとはつまり、この世は「人間の思い通りにはならない」を指し示す。人間を変化させる煙は、自分が住んでいた家に生活していた村に帰りたかった人間の浦島太郎が、海の向こう側たる竜宮城つまりは彼岸を渡ったモノであるとの現実を突きつける意味となる。
現代の誰もが口を揃えて言うのは、夢は叶う、自由は自分で手に入れよう、生きているだけで素晴らしい。
【9月40日】(注記:10月10日)
現代の若者はネットの発達によって得た情報から人生のネタバレを受けて絶望して自殺する、との風説がある。恐らく、本当に絶望しているのはその記事を書いた筆者本人であり、自分がガン闘病で苦しんで死ぬとか、重度の認知症に掛かって呆けたまま死ぬだとか、老人ホームで虚しいレクリエーションに苦役して死ぬだとか、そういう根暗な想像の産物であるのは簡単に予想がつく。
ただ、いま挙げた例は現実に起こり得る。それでも絶望したと論じて記事にすると言うことは、希望が在ると信じているからでもある。こうやって、絶望した絶望した死ぬんだ自分で自分を殺さねばならないんだ、と喚き散らす姿は、要するに幼児のダダ捏ねであり、ワガママを言えば親がどうにかしてくれると信じているからだ。だから、センセーショナルに煽り立てる。そうすれば、きっと、誰かが、助けてくれる。
本当に箱から「希望」を外に取り出すとしたら、それは「思い通りになる」事を意味する。つまり、選択の確定化だ。選択した時点で、未来は確定する。ならば、時間的な差異は消失するだろう。
【9月62日】(注記:11月1日)
心残りと言うのは、結局のところ、人間がモノゴトに白黒を着けたいと言う気分によるものだ。だから、遺書に心残りを記す。アレがやりたかった、コレがしたかった、あのことは頼んだ、これはこうしてくれ、だとかを託す。
けれど、その用事が実際に結果としてどうなったかは、遺書を書いている本人にはあまり意味が無い。それでも書くのは、つまるところ、気分が良いからだ。
遺書は、死ぬ前に如何にして自分の気分を良くするかの演出小道具でしかない。恨み言を書くのも、自分が自分を殺す正当性を示したか方が気分が良いからだ。感謝を連ねるのも、自分はこんなにも愛されたんだと錯覚すれば気分良く死ねるからだ。未練を残すのも、先達として叡智を伝える事で自尊心を満たした気分で死にたいからだ。当然、謝罪を綴るのも、自分は何も悪くないし、とてつもなく良い子でしたが残念ながら死ぬことになりました、として自身を弁解し尽くしてから気分良く自殺する為だ。
死ぬ前に自分の気分を良くする為に書かれたモノが遺書ならば、何を記すか。
パンドラの箱の続きは存在しない。箱が開き、災厄達が溢れ、希望だけが箱の中に残ったまま箱は閉じられた。それで物語は終わる。だから、もう一度、箱を開けることにした。箱の中、その底に残った「希望」を掴み出そう。つまり、確定した選択を行う。
ああ、これが一番、気分が良い。
住んでいる安アパートは、御多分に漏れず木造建築だ。住んでいるのも、単身者しか居ない。まあ、それでも家族は居るだろうが、別にいいだろう。もはや関係ない。
数日掛けてガスボンベを買い込んだ。資源回収から盗んできた雑誌や新聞の山も充分過ぎる程に確保した。ガソリンはカーレンタルの最中に抜き出して確保してある。そして、ベタだが練炭と七輪も用意済みだ。目張り用のテープは一番高価な業務用を探し出した。
掴み出した「希望」は、確定した選択、計画は実行が予言されて遺書になる。
狭いワンルームの全体に雑誌と新聞を積み上げる。上にキャンプ用品の固形着火剤を大量にバラ撒いておく、更に液体着火剤を気が済むまで撒き散らす。ガソリンは大型の耐熱容器に少量ずつ入れ、気化する状態で、複数個を部屋の隅に置く。ガスボンベは天井と壁に貼り付けていく。通気孔を塞いだ風呂場では七輪で練炭を焚いておく。それと、忘れちゃならないのが、天井の煙感知器と熱感知器を分解する。おまけで、ブレイカーが落ちない様に固定しておく。窓は開け放つが、数枚の木板を打ち付けて侵入防止する。換気扇も全開で回す。玄関扉は錠をかけて、チェーンで繋ぎ、後付け設置したガードロックを全てかける。
あとは、着火剤の山に火を着けてから、風呂場に入り、扉を目張りし、市販の鎮痛剤を強い酒で好きなだけ飲み下せば、死ぬ。最低最悪に周囲に迷惑と被害をかけて、派手に、だがゆっくりと、確実に、自らを殺し切る。そして、これは遺書だから最期の言葉は気分が良くなる事を書こう。
さっさと全人類、くたばれ。
遺書の束 L.L.Snow @L_L_Snow
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