第8話 緊急事態宣言 (8月)

 夏真っ盛りの8月20日、土曜日。竹林総合公園の人工芝は太陽の熱をグングン吸収する。スパイクが熱い。北ヘッドコーチも汗だくなっている。夏合宿に掲げた新ディフェンスシステム。これをとにかく子供たちに浸透させることだけを考えていた。アップの大切さをわかってもらいたい、ピラーは絶対に守ってもらいたい、北ヘッドコーチの胸中は夏の暑さ以上に熱かった。


 『はい、ジョグで集合!』北ヘッドコーチはみんなを集めた。『今日の練習はこれで終わります。今後も3on3を徹底的にやっていきます。ノミネートの時の立ち位置、ピラーを必ず守ること、何度も言うけど、これ、忘れんようにね。わかった?』『はいっ!』子供たちも汗だくだが、いい表情をしていた。『それと来週の日曜日は交流戦ね。相手は6月の交流戦で接戦で負けた志免と夏合宿に対戦した別府ね。別府さんがこちらに夏合宿に来とうらしいけん。絶対、勝とうね。』『はいっ』さらに子供たちはいい表情になった。試合は大好きだった。もっともいい表情だったのはシンゾー、コースケ、ユージ、ソータ、そしてリューノスケだ。≪たぶん、何かあるな≫北ヘッドコーチはニヤ顔した。


 『すいません、ほんとにいいんですか。こんな大人数で押しかけて。』

『いいんですよ。ただ、食事はカレーですけど。明日の練習に連れて行きますんで。』

『ありがとうございます。リューノスケ、行儀よくするのよ。』

 コースケ、ユージ、ソータ、リューノスケはシンゾーの家に泊まりに行く約束をしていたのだった。シンゾー家の大きなワンボックスカーにお泊りグッズを乗せ、子供5人が乗車した。『それでは行ってきます。』シンゾー母は、手を振りながら車を走らせた。小学校高学年が5人も集まれば、それはそれは騒がしかった。しかしシンゾー母は苦にしない。シンゾー家は男3兄弟で元々騒がしい。騒がしいことに慣れているのだった。心配なのは近所に住むおじいさんが、あんまりうちが、騒がしいと烈火のごとくクレームを言ってくることだった。そんな心配はよそに子供たちはオンラインゲーム、フォートナイトで盛り上がっている。オンラインゲームなら集まらんでもいいのに、と大人は思ってしまうのだが、≪みんなでするけん、面白いとよ。≫と答えが返ってくるのだった。


 夜も更け、シンゾー母も『そろそろ寝らないかんよ。明日、練習やけんね。7時に起こすよ!』と声がする。すでに5人はゲームに飽き、寝そべっていた。ソータがシンゾーの部屋にある数々のトロフィーをみて『あれ何?』と指差した。シンゾーは『あれ兄ちゃんが中学生の時、県大会で優勝した時の。』と答えた。

ソータ『兄ちゃんはポジションどこ?』

シンゾー『上の兄ちゃんはスタンド、2番目の兄ちゃんはウイング。』

ユージ『お父さんもしよったっちゃろ?』

シンゾー『お父さんはハーフ。』

コースケ『ならシンはセンターやけん。家族でバックスできるやん。はははっ』

シンゾー『バカ、フルバックがおらん。』

リューノスケ『なら、お母さんにしてもらい。』

みんな『ハハハハハッ』

ソータ『そろそろ寝よっか?』午前0時を回っている。沈黙が続く。

ユージ『とこでさ、リューノスケ、何でラグビーにしたと。(引っ越してくる)前はサッカーやったちゃろ?』

リューノスケ『うん…』

コースケ『サッカー、したくなくなったと?』

リューノスケ『いや、そういうわけじゃない。たまたまいいチームがなかったけん。』

シンゾー『じゃあ、何でラグビー?』

リューノスケ『お父さんに体験会、連れられて…面白そうやったけん。』

みんな『ふーーん』また、沈黙が続く。

リューノスケ『来週は絶対に勝とうね。俺、まだ勝ったことない。』

シンゾー『リューノスケがきて、まだ勝ったこと、なかったけ?』

リューノスケ『うん…』

ユージ『なら、絶対に勝とう。俺が勝たしちゃ。』

コースケ『俺も勝たしちゃあ。』

シンゾー『絶対、勝とうや!』

ユージ、シンゾー、コースケは必ずリューノスケに勝利を届けようと思った。ソータも同じ思いはあったが、残念ながら寝落ちしていた。


 天満少年ラグビークラブにはグループラインがある。ラインアプリを使って練習場所や出欠確認、北ヘッドコーチ作成の練習メニュー等様々な連絡が伝えられる。8月26日、金曜日。北ヘッドコーチは今週の練習メニューを考えていた。しかし考えずとも決まっていた。≪土曜日は3on3を中心としたディフェンスシステムの強化。交流戦前だからオールメンも取り入れよう。日曜日は交流戦。惜敗した志免との対戦は、どれだけ新ディフェンスシステムが通用するのか、いい試金石になる。非常に楽しみだ。絶対に勝つぞ。そろそろ明日、明後日の練習メニューをラインに入れておくか≫と思った矢先、ラインの音が鳴った。清水コーチからだ。≪アン、私共々、コロナに感染しました。5日間の隔離が必要になり。今週はお休みさせていただきます。申し訳ございません。清水≫『えぇっ』北ヘッドコーチはうなった。


 このところ、また、新型コロナウイルスが猛威を振るっていた。2020年に始まった新型コロナウイルスは経済にも市民生活にも多大な影響を及ぼした。少年ミニラグビー界も同じだ。2020年、2021年連続で公式戦が中止や縮小、対外試合や交流戦、練習の禁止や自粛。我々も悔しかったが、一番悔しかったのは子供たちだったのではなかろうか。日頃の練習の成果を発表する場を失い、モチベーションも下がる。国や協会の安全が最優先というのも心底わかる。だから悔しいの一言に尽きる。やっとコロナのワクチンや薬が開発され、コロナの特性も徐々に解明され、2022年は県大会や交流戦が感染対策実施が条件で行われることになった。前に比べれば、だいぶ緩和されてきたとはいえ、新型コロナ陽性者は5日間の隔離が必要だ。残念ながら、日曜日の交流戦は、アン、清水コーチ抜きで戦わなければならない。また、ラインの音が鳴った。ちょっといやな予感がした。

 ≪持病の悪化で本日からリューノスケは入院しました。当分の間、お休み致します。追って経過はご報告致します。大文字≫『え、えええーーーこれは、これは、天満の緊急事態だああああーーー』北ヘッドコーチは天を仰いだ。


8月28日、日曜日。交流戦が行われた。コロナ感染で欠場のアンに代わりタケミ、入院で欠場のリューノスケに代わりノアを投入した。子供たちの精神面が心配だった。守備の要、攻撃の要のアンの欠場、天満ラグビー活性化の起爆剤となった精神的支柱のリューノスケの欠場は戦力ダウンは必至だ。しかし北ヘッドコーチのこのような心配は無用だった。シンゾーが言う。『俺はリューノスケに勝利を届ける。』コーイチローは『アンの分まで俺は全力を出し切ります。』と目をギラつけさせていた。北ヘッドコーチは子供たちは精神面も大きく成長したなと思ったと同時に、もっと子供たちを信じなければと自戒したのだった。


 1試合目は志免戦だ。開始早々、ディフェンスのギャップを突かれトライされるも、ユージが逆に相手ディフェンスのギャップを突きトライに成功する。点の取り合いで前半を3-3で折り返した。『タケミ、自分が決めると自信をもって前に出ろ。待っとったらいかん。』北ヘッドコーチの檄が飛ぶ。タケミは思った。≪あの日、俺はリューノスケをラグビーに誘った。リューノスケが病気持ちだったなんて知らんかった。俺はリューノスケをラグビーなんかに誘ってよかったんやろか。でも、誘った時、リューノスケは『うん、行く!』って即答しとったやん。やっぱラグビーに誘ってよかった。リューノスケとラグビーしてよかった。もっとリューノスケとラグビーがしたい。今日は俺がリューノスケの分まで頑張る。リューノスケは早く病気に打ち勝って戻って来い!≫


 後半はディフェンスの時間が長かった。後半早々、1トライを許した後もなかなかマイボールにすることが出来ず、志免の攻撃に耐えていた。ラックからボールを持ちだした、志免の大型プロップにタケミが果敢にタックルに入る。相手ともみ合いながら倒れる。しかし、タケミは素早く立ち上がり、また、次のラックに入る。志免の選手のダウンボールが少々乱れた。『チャンス!オーバー!タケミ!』とコーイチローが後ろからラックに入る。じりじり押し出し、ターンオーバーに成功!そのボールをコーイチロー、自ら持ち出し大きくゲイン。倒れ間際に並走していた左ウイング、ケンタにオフロードパス。ケンタは内に切り込んだがタックルを受けてしまう。しかしそこには、先ほどラックの中に飲み込まれていたタケミが戻ってきている。すかさずケンタをフォローする。マイボールは続く。ハーフ、ソータから順目にボールを回し、最後はフルバック、ユージがトライ。タケミの献身的なプレーが生んだトライといって過言ではない。『ナイスプレー!』お父さんコーチの声が鳴り響いた。北ヘッドコーチは≪うんうん≫と首を縦に振り満足げだ。後半は1-1、合計4-4の引き分けに持ち込んだ。前回の玖珠戦の引き分けは悔しい思いをしたが、今回の引き分けは勝ちに等しい引き分けとなった。『オッケーみんな、この調子で2試合目も頑張ろう。』北ヘッドコーチは選手たちの肩をたたいた。


 2試合目の別府戦は、成長痛で膝の悪いユーキに代わってダイゼンを投入した。フロントローはコーイチロー、タケミ、ダイゼンだ。また、先ほどのタックルを受けて足首を負傷した(軽いねん挫のようだった)ケンタに代わりフースケを投入した。円陣を組み、『絶対勝つぞー』と気合を入れる。ユージ、シンゾー、ソータ、コースケは≪リューノスケ、待ってろよ、絶対に勝つ!≫とさらに気合を入れた。が、試合前のあいさつで愕然とする。別府は大柄な選手が多かったが、その中でもひときわ大きな170cm,70kぐらいの3番の選手がいた。しかし、さらに大きな選手が一人増えていたのだった。10番、175cm、78k。別府の監督さんの息子さんらしい。何でも先月の練習試合の時は骨折中で参加していなかったとのことだった。ソータは≪俺んとこには来ませんように≫と念仏を唱えた。前半、いきなりピンチをむかえる。10番がボールを持ちだした。コーイチローがタックルに入る。あのコーイチローが小さく見えた。浅かったか、タックルを振りほどき10番、猛烈に突進してきた。果敢にもフースケがタックルに入る。が、吹き飛ばされてしまった。そのままトライ。北ヘッドコーチは≪何喰ったらあんなにデカくなるんだ。本当にランドセルからって(背負って)小学校に行ってるんか≫と悪態をついていた。成田コーチが『みんな、冷静になれ、3on3の練習を思い出すんだ!』と叫んだ。北ヘッドコーチは『ビビんじゃねぇえええ!低くタックルに入らんかあああ!』と怒鳴った。成田コーチは≪北さん…冷静になろ…≫と北ヘッドコーチに冷たい視線を注いだ。


 前半を0-3で折り返した。前半はとにかく苦しい展開だった。ブレークダウンが発生すれば、ほぼ相手にボールを奪われる。マイボールのラックでもカウンターラックされ、ボールを奪われる。フォワード戦で、ことごとく負けるのだ。コーイチロー、タケミ、ダイゼンもよく頑張ってはいるが、体格差が大きすぎる。子供たちもそれを自覚してか、元気をなくしていた。そんな時、『後半はバックスが頑張るぞ!』とユージが皆を鼓舞した。『そーだ、俺も後半は、ガンガン、タックルに入るぞ!』ソータも乗っかる。コーイチロー『まだ、負けちゃない。後半は逆転するぞ!』『オーーー』元気を取り戻したようだった。北ヘッドコーチは子供たちの成長に目頭が熱くなった。これはコーチとして何か、アドバイスをしてあげたいと思った。『みんな、水を入れながら聞いてくれ。後半は積極的にキックを多用しよう。相手フルバックは、ライン参加している場面が多い。その時は、相手陣に大きなスペースがある。そこにキックをしよう。コースケ、ユージはどんどんキックを使ってくれ。確かにフィジカルじゃあ負けていたけど、スピードはこっちが上だ。ボールへの集積スピードでは勝っている。ハーフのソータ、速いパス出しを心がけよう。逆に相手にキックはない。フルバックのユージは前に出て構わんからな。後半はとにかく走れ、走れ、走ってこい!』子供たちは『はいっ!』と言ってグランドへ飛び出した。


 後半、いきなり北ヘッドコーチのアドバイスが的中する。別府のキックオフで始まったが、サイドラインを割った。自陣10メートルでのマイボールラインアウトをハーフ、ソータが素早くボールを出す。スタンド、コースケがランと見せかけ、ディフェンスの裏のスペースに大きくキック。そこへ、シンゾー、ノア、ユージが反応。シンゾーが体を張ってキャッチしたが、タックルを受け倒れてしまう。ノアがフォローしてユージにパス。ユージは外と見せかけ、内にステップを切る。も、相手ウイングに止められる。しかし、天満フォワード陣の方が集積が早い。ハーフ、ソータが時間をかけずにボールを出した。次は左に展開し、最後は左ウイング、フースケがトライ。後半早々に1トライを取り返した。その後もキックと速い球出しで別府ディフェンス陣を翻弄。後半残り3分でついに3-3の同点に追いついた。コーイチローは≪大型フォワードの10番も3番も疲れている。右に左にだいぶ走っているからな。当たりも前半ほどではない。俺たちはずっと3on3で鍛えられているから、まだまだスタミナはある。この試合…勝てる!≫と気合を入れ直し『もう1点取るぞっ!』と叫んだ。皆は『おーー!』と返した。残念ながら、あと一歩のところで、ノーサイドの笛がなった。引き分けは残念であったが、あの大型フォワードを要する別府に対抗できたことは自信になったであろう。子供たちは晴れやかな顔をしている。北ヘッドコーチも『よくやった。お疲れさん。』と子供たちをねぎらった。アン、リューノスケと欠いた試合で2試合ともに勝ちに等しい引き分けという結果に北ヘッドコーチは十分満足していた。レギュラー組も控え組も、成長の跡がみえた。


 心配なのはアンとリューノスケである。ただし、アンについては清水コーチからラインで≪もう熱も下がって二人とも元気です。来週から練習に参加します≫と連絡があった。リューノスケからは≪追って経過はご報告致します≫とのことだったが、何も連絡がない。そもそも持病とは何だろう。命に関わる病気なのか。いつ頃復帰できるのだろうか。今週、こちらから連絡をとってみようかな、と家路に向かうハンドルを手に北ヘッドコーチは考えていたのだった。

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