第6話 夏合宿 前編(7月下旬)
日差しが日に日に強まる、7月29日金曜日。今日は天満少年ラグビークラブ、2泊3日の夏合宿初日である。場所は大分県別府市。小中学生、総勢65名、お父さんコーチやお世話係のお母さん方39名が参加する一大イベントである。天満少年ラグビークラブの発起人であり代表のおじいちゃんが『とにかく熱中症に気を付けて、無事に終えることが出来るように。』と繰り返す挨拶で始まった。北ヘッドコーチがマイクを持った。『おはようございます。では出発前に2、3注意事項があります。ゲームは禁止です。スマホもです。持ってきている子がいればお父さん、お母さんに預けておくように。それとお菓子やおやつも禁止です。合宿終了後に、お土産としてチームからお菓子やジュースを配りますので合宿には持ってこないように。見つけたら没収します。以上です。』しかし、高学年男子の9割はゲームやスマホを持ってきていた。女子のアン、ノアはゲームやスマホは持ってきていなかったが、お菓子を大量に持ち込んでいた。
出発して3時間ほどで宿泊地の別府市にある松ノ井屋に到着した。昼食後、バスで練習場所である、鉄輪総合グラウンドへ移動した。管理棟まで併設されている、人工芝の手入れされたグラウンドだった。練習時間は13時~16時30分。≪みっちりしごかれるだろう≫と覚悟していた高学年は、なぜか管理棟に行くように指示された。管理棟内にある視聴覚室に座った。コーチたちはすでに鎮座している。高学年たちは何が始まるのか予想できず、そわそわしていた。北ヘッドコーチの発声で始まった。
『みんな、お疲れさん。いよいよ夏合宿が始まるね。でもただ、いつもの練習の延長線じゃ夏合宿の意味がないよね。せっかくチームのみんなと一つ屋根の下、同じ釜の飯を食うんだから、練習も特別なものにしようと思います。特別な練習とは何か、それでは発表します。この合宿で新しいディフェンスシステムを導入します。』みな、ポカン顔だった。北ヘッドコーチは続ける。『これを見てくれ。』部屋の電気が消え、テレビのスイッチが入った。6月のゼンヤンとの交流戦の映像が流れた。『トライを取られたほとんどがこんな風にボールを回されて外にステップを切られて走られる。あるいはタックルに入るもかわされる、はじかれる。』北ヘッドコーチは映像をスローやストップして説明する。高学年たちは≪確かに…≫と振り返り、真剣に見ていた。『では映像を止めて。』北ヘッドコーチが言うとテレビの映像が消え、部屋の電気がついた。北ヘッドコーチはホワイトボードに赤い磁石と白い磁石を並べた。ちょうどヤンボールスクラムの状況を模していた。『先ほどの映像から、とにかく相手を自由に走らせてはいけない。そして一人ではなく、二人、三人でタックルにいける状況を作らなければいけないということはわかった?そこでだ。』北ヘッドコーチはホワイトボードの方へ振り返り、赤磁石を指す。『赤の磁石が天満だ。今はヤンボールスクラムだ。バックスは今までノミネートした相手のどこに立ってた?ユージ。』『正面です。』ユージが答えた。『そう、正面だ。』北ヘッドコーチは赤い磁石を相手と見立てる白い磁石の正面に配置した。皆の方に振り返った北ヘッドコーチは『これからは3メートル外に立つことにします。』と言って赤磁石を横にずらした。『そしてボールが出たら3歩はまっすぐに出ましょう。』と言って今度は赤磁石を真上にずらした。この時点では子供たちは誰も理解できなかった。≪それじゃあ内にかわされるやん。≫北ヘッドコーチは続ける。『次が重要なんだけどフォワードはボールが出たらそのボールをなめるように走って下さい。』フォワードに見立てた赤い磁石を、ボールに沿うように動かした。『もし相手スタンドが内にステップを切ってきたらユージとフォワードでダブルタックル。』北ヘッドコーチはスタンドに見立てた赤い磁石とフォワードに見立てた赤磁石をスタンドに見立てた白い磁石にぶつけた。『もし外にきたらこっちはあらかじめ3メートル外から来てるんだからいらっしゃいと言ってタックルに入ろう。』北ヘッドコーチはいらっしゃいのポーズをする。『わかった?口で説明しただけじゃまだわからんやろ。合宿ではこの新ディフェンスシステムの練習を徹底して行います。以上です。』北ヘッドコーチの鼻息は荒かった。そしてあの焼き鳥秀吉でのコーチ会を回想した。
大文字コーチは枝豆の豆をテーブルの上に置き始めた。どうも豆を選手に見立てたようだ。『バックス陣は対面をノミネートします。マンツーマンは同じです。ただし、対面のプレーヤーの正面ではなく、3メートルほど外に立ちます。』大文字はディフェンスの豆を外側に動かした。『そしてボールが出ると同時に真っすぐにアップします。ここが大事です。真っすぐです。』コーチたちはビールを飲むのを止め、テーブルの豆に注目している。大文字コーチは豆を動かしながら『もう一つ大事なことは、スクラムからならフォワードが、ラックからならピラーを守った選手がピラーを守った後、ボールと同じように、なめるように走ります。これも大事です。』北ヘッドコーチは一口ビールを飲み込みながら≪だんだんわかってきた。≫とにや顔を作った。『敵のボールキャリヤーはだいたい内にステップを踏んでくると思います。なぜなら対面の天満の選手は外から近づいてくるのですから。』≪ふむふむ≫とコーチたちは首を縦に振る。『内に来れば、例えばスタンドなら対面のノミネートした選手とピラーから走ってきたフォワードが、ダブルタックル!センターなら対面のノミネートした選手とピラーから来たフォワードが、ダブルタックル!もしフォワードが間に合わない時は、スタンドをノミネートした選手がダブルタックルに入ればいいんです。』大文字はダブルタックル成功地点の豆をぺろりと食べた。確かに納得できるが…『否定じゃないですよ、否定では。確認です。』清水コーチが手を挙げた。『1次(攻撃)はいいです。スクラムから両プロップがピラーを守った後、ボールを縫うように走るんですよね。2次(攻撃)の時、たまたまピラーに小さな選手がついたときはどうするんですか。』説明に使った豆をほおばりながら大文字コーチは『そもそもピラーに付けていないんですよ。天満は。そこは強化しましょう。そして小さな子がピラーについた時は体の大きな、例えばコーイチロー君やアンちゃんが『どけっ』と言って変わりましょう。』豆は食べつくした。『じゃあ、敵のバックスが強引に外に走った時は?』成田コーチが質問する。大文字コーチはこっちへ来いっという手ぶりを交えながら『いらっしゃいです。正面からきれいにタックルに入れます。ステップでかわされたりしません。』と大文字コーチはビールを流し込んだ。『アップが大事ですよね。』有吉コーチが口を開いた。すかさず『そうなんですよ。アップが大事なんですよ。体の大きな選手がスピードに乗って走られると体の小さな子がダブルタックルしてもそうそう止まりませんからね。』
ブラジル体操、グリッド、4列パス、コンタクトなど、基本練習が終えると、さっそく新ディフェンスシステムの練習に入った。成田コーチは言った。『ではチーム分けをします。フォワード、コーイチロー、タケミ、アン、バックス、ユージ、シンゾー、ソータ。今のAチームね。次、Bチーム、フォワード、ダイゼン、ユーキ、カンシュー、バックス、コースケ、ケンタ、リューノスケ。Cチーム、フォワード、コーイチロー、アンはCチームも兼務ね、あとキンタロー、バックスはノア、フースケとリューノスケは兼務ね。覚えとってね。』子供たちはざわついた。清水コーチが続けた。『3on3、説明するね。まず、ここにタックルバックを置いているからここでラックが形成されたと考えてください。あぁ、君たちはディフェンスね。スタートと同時にフォワードはまず、ピラーを守ってください。残りのバックス陣は内から順に相手をノミネート。その時の立ち位置はどこやった?シンゾー、』『3メートル外。』シンゾーは答えた。『そうやったね。』シンゾーは鼻高々である。『3メートル外から3歩、真っすぐに出よう。これを徹底してください。まずは対コーチで始めます。コーチ達、準備をお願いします。』フォワード、成田コーチ、ハーフ、有吉コーチ、スタンド、松尾コーチ、センター、佐々島コーチ、ウイング、大文字コーチが配置された。『まずはAチーム、円陣組んで。』6人はラックが形成されたであろう、タックルバックの斜め後方で肩を組んだ。『回って。』グルグル回った。『ピッ』と笛とともにタケミはラックにアタック、コーイチローとアンは両ピラーを守った。バックス陣は『ミターー-』とノミネート。その時、北ヘッドコーチが『3メーター外に立たんか、シンゾー、もっと外!』と声を張り上げた。有吉コーチがボールを出す。と同時に『ップゥ!』とディフェンス陣はアップした。『アップが遅い!』と清水コーチ。佐々島コーチがボールを受け、内に切り込んだ。ユージとシンゾーの間にギャップができていた。抜かれてしまった。北ヘッドコーチが怒鳴る。『フォワード、コーイチローとアン、ボールを縫うように出るんやろ。バックス、まず、アップが足りん。そして横一列に出ないとギャップができるやろ!見とったBチーム。次入って。』Bチームが終わると次はCチーム。これを延々と1時間繰り返した。
北ヘッドコーチはいくつかの問題点、修正点をメモした。
フォワード陣。
①コーイチロー、アンはピラーを守った時、≪ピラー≫の声がない、あるいは小さい。
②コーイチロー、アン以外のフォワード陣はまだ、ピラーに立てていない。特に2次、3次攻撃の時。そしてボールをなめるように走れていない。特にダイゼン。走れていなかったら、ダブルタックルが成立しない。
③フォワード陣のレギュラー組(コーイチロー、アン)とリザーブ組(ダイゼン、タケミ、ユーキ、キンタロー)との差が激しい。もっとレベルを近づけないと。
バックス陣
①まず、アップが足りない。特に2次、3次攻撃。
②3メートル、外に立つことも、3歩はまっすぐ走ることも忘れている。
③このシステムを一番理解しているのは、ユージとリューノスケ。リューノスケをバックスに起用した時、大きな相手にタックルにいけるのだろうか。
コーチ陣
これが一番の問題だ。1時間の3on3対コーチでの練習。やってみるとどうなったか。コーチたちが全員つぶれた。
その日の夕食はハンバーグにエビフライと超豪華だった。しかし、ハードワークの後の子供たちにとってはこの超豪華な夕食は少々苦痛だった。食欲が湧かない。北ヘッドコーチは『しっかり食べろ。体がもたんぞ。』と食事中も怒鳴った。清水コーチも子のアンに『全部食べろよ、残すなよ。』とハッパをかける。『えぇー』とアンは不満を漏らしながらハンバーグを口に運ぶ。小兵ぞろいの天満の子は食が細い。しかし、ダイゼンはご飯を3杯もおかわりしていた。『あー今日は疲れましたね。ご飯が進みますね。』ダイゼンは心の中のことを口に出すタイプだった。『お前、あんな激しい練習の後、よくそんなに食べれるな。』ソータが言った。ソータは元々小食であったが、きつい練習の後はなおさら食が細るのだった。ソータの言葉が聞こえてないのか、ダイゼンは残した妹の分まで食べる始末だった。北ヘッドコーチが『みんな、食事が終わったものから順次お風呂ね。高学年はお風呂の時間が20時から21時と決まっているんで。その後、21時30分からミーティングね。わかった?』と連絡事項を伝えた。≪あーめんどくせいな≫と思いながら『ごちそうさまでした。』と子供たちは食事を終え、部屋に戻っていった。22時ミーティングが終わった。北ヘッドコーチは『じゃあ22時30分就寝ね。明日もハードワークだからしっかり睡眠をとるように。解散!』と締めくくった。子供たちは部屋に戻っていった。
松ノ井屋の3階。高学年男子の部屋は40畳はありそうな大広間だった。そこで雑魚寝する。さっそくユージが切り出した。『ゲームしよ。』『ああ。』シンゾーが続いた。コーイチローとダイゼンを除く(早々に寝た)子供たちはゲーム機を取り出すと今はやっているフォートナイトを始めた。『そのショットガン俺にくれん?』『あっいたいた、敵がおる!』『宝箱、どうやって開けると?』『あいつ課金野郎やろ。』『ハンマー2個持ちはエグいやろ。』『かくれんぼ、せん?』『はい、2人やった!』『建築、ケンチク!』『あ、死んだ。』超、盛り上がっている。その時だった。ドアが激しく開いた。『コラァ!ゲームは禁止って言っとったやろうが!何を騒ぎようとか!全員没収!』北ヘッドコーチの怒声が部屋中に鳴り響いた。
『あーあ、ゲームが無くなった。』ソータがぼやいた。『何しょっか?まだ眠れんけど。』コースケも続く。『トランプでもする?』ユーキが手持ち無沙汰でトランプを切っている。『いや、面白ない。』シンゾーは顔の前で手を振る。リューノスケはラグビーボールにスクリューをかけながら一人キャッチボールをしている。それを見てユージが『何か技(サインプレー)を考えん?』と言い、リューノスケにボールを催促した。リューノスケはユージにパス。ユージは13人分の布団の上に移動し、『これは?』と言って腰の後ろからパスをして見せた。『ならこれがいいやろ。』とソータがハーフのまねをしながら脇の下から斜め後方にパス。『ならこれ。』『いや、こっちがいいやろ。』と全員、ノリノリになった。リューノスケが布団の上で考えたステップしていると、そこにシンゾーがタックル、と思いきやリューノスケの短パンをそのままずり下げた。『必殺!パンツタックル!』『おい、やめろ!』リューノスケが短パンを履きなおしながらシンゾーを蹴った。『よし、俺もパンツタックル!』と言って、カンシューがフースケの短パンをずり下げた。『このヤロー!』と逃げるカンシューの短パンを引っ張った。そこら中、パンツタックルの攻防戦が始まった。パンツタックル。まさかこのタックルが県大会で炸裂する事とは今は誰も知らない。『コラー、お前ら、何ばしょっとっか!!!』また、北ヘッドコーチの怒鳴り声が響いた。『もうコーイチローもダイゼンも寝とろうーが!ドタバタ、ドタバタ、寝とう人の邪魔するな!うるさい!!!』北ヘッドコーチは皆を睨めつけた時、コーイチローが『何かあったと?』と目を覚ました。北ヘッドコーチは顔を赤らめながら『すまん、すまん、起こしてしまったか。』とコーイチローのそばにより≪まだ寝とっていいぞ≫と小さくつぶやいた。誰かが『北さん、声、でけいけん。』といった。北ヘッドコーチはその方向を振り返り、ドスの効いた声で『お前らがうるさいけんやろーが!』と怒鳴った時、コーイチローが≪ギラッ≫と目を開き、北ヘッドコーチをにらんだ。北ヘッドコーチは≪スマン、スマン≫とコーイチローに手刀を切り、逃げるようにその場を立ち去った。ドアの前で『もう、お前たち、寝ろよ!』と吐き捨てドアは閉まった。子供たちは爆笑の渦に包まれたのだった。
北ヘッドコーチは≪大切なお子様を預かっているんだ≫と見回りも大事なコーチの仕事と思っていた。午前0時を過ぎた頃、最後の見回りに北ヘッドコーチは廊下に出た。あの騒がしかった高学年男子も寝たようだ。しかし、ある部屋から明かりが漏れている。高学年女子の部屋だった。北ヘッドコーチはノックをしながら『入るぞ。』と言ってドアを開けた時、アンとノアが大量のお菓子を広げて談笑していたのだった。『こらっ!お前たち、こんな夜更けにお菓子ばっかり食べて。これ没収な。』北ヘッドコーチはお菓子に指を差す。『いいやん、ちょっとぐらい。』ノアは怯まず。北ヘッドコーチは『夜遅くにこんな甘いものばかり食べるとお肌に悪いざますよ。』と、からかいながらお菓子を取り上げた。『あっ今のセクハラです。』アンは言う。『セクハラじゃねえ。これは没収だ!』とお菓子を握りしめ、すがるアンとノアを振りほどき、ドアを開け出ていこうとしたその時、『キャー、ヤメテー』とノアの悲痛な声が廊下に鳴り響いた。すると正面のドアが開き、コーイチローの母が出てきた。コーイチローの母は『どうしたんですか、北さん、こんな夜更けに。』と北、アン、ノアを見渡した。『い。いや、こんなにお菓子を…』北の目が泳ぐ。『北さん、色々あると思いますけど、女の子の部屋ですよ、しかもこんな夜更けに。何かあったと思うじゃないですか。』『東さん(コーイチローの母)、何もありませんよ…』北は言葉が上ずっている。『だいたいこの子たちは高学年ですよ、ちゃんと自分の事は管理できますよ。問題はその女の子の部屋に勝手に男の人が入っちゃダメでしょ。』コーイチローの母は毅然とした態度で北をにらむ。『勝手にって…』北はしどろもどろに。コーイチローの母はさらに叩き込む。『このお菓子は私が没収します。』と、北の持っていたお菓子を奪い返した。北は力なく『お前ら早く寝ろよ。』と吐き捨て踵を返した。哀愁漂う背中だった。コーイチローの母は『ほんと、早く寝るのよ。』とアンとノアにお菓子を渡して部屋に戻っていった。アンとノアは小さくガッツポーズした。
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