第59話 再会:堀原憩衣/タイムパラドックス

 それなりに長い話だった。

 一通りの話を聞いた頃には、沸き立つ感情は落ち着きを見せ始めている。

 ただ、思うところは当然ある。


 ――過去に、戻っただけじゃないのかよ。


 まず引っかかったのはそこ。

 カラカラという音の正体が、本坪鈴のような珠姫の鈴だとは、最近ようやく気付いていた。

 願いを叶える、願望器。

 そう言われてしまえば、不思議と納得できなくもない。

 そこで以前、回帰者の存在を匂わせる為か、メールを送られたことを思い出す。


『タイムマシンなんてなかったでしょ?』


 なるほど。タイムマシンじゃなかった……そのままの意味か。

 俺は――そんなことに、気付けなかったけど。

 それじゃ、過去に戻ったのが、俺の願いだったのか?

 多分、そうなんだろうな。


「だけど、珠姫になるって――俺じゃなかったら気付かなかっただろ」

「そうかもね。まさしく奇跡だぁ。多分憑依できたのは、今が丁度珠姫の意志力が弱まっていた頃だからだよ」

「…………」


 その言葉は――皮肉のつもりか?

 恐らく俺が何度も珠姫の提案を断ったから、願いを叶える隙になってしまったのだと。

 そう言いたいのだろう。

 回帰した上での憑依なんて、あまりにもおかしい話だ。

 強いて理屈をつけるならば、双子というあり方が、それを成し得たということだろうか。


「前世の憩衣がしたかったことは、もう充分わかった。珠姫が死んだこともショックだよ。最後まで俺に気を遣って教えもしなかったんだろ? ありえねぇよ」


 ダメだな。

 言葉にしてみると、しんどい。

 俺みたいな引きこもりのクズになんて、容赦しなくて良かっただろ。

 ああ、きっと前世の俺なら――何も知らない方を選ぶ。

 でも、今の俺は――全部知っておきたい。


「で――今の珠姫は、何がしたかったんだよ。どうして、これまで前世の記憶のこと、黙っていたんだよ。お前のやってることは、さっぱりわからない」


 珠姫になることまでは理解した。

 でも、中身はあくまで憩衣なんだろう?

 どうして憩衣の願いを邪魔する。


「仲の良い家族を願ったのなら、珠姫として憩衣に応えてやるのが望みだったんじゃないのかよ!」


 お前が前世で憩衣だったなら、憩衣を幸せにしてくれよ。

 それで、全部丸く収まる話じゃないか。

 憩衣自身だったお前が、どうして身体が替わった程度で、その想いを踏みにじろうとしているんだよ。

 それこそ、矛盾だらけだ。


「累くん……累くんは、一つ勘違いしてる」

「――勘違いだって? 何処が」

「話、聞いてた? あたしが願ったのは――完全に堀原珠姫になって、累くんと幸せになること。願った中に、憩衣ちゃんはいないんだよ」

「――――――は?」


 確かに、そうは言っていた。

 言っていたけど、意味がわからない。

 何を言っているんだ。


「まだわからない? 珠姫はね、憩衣ちゃんの恋を絶対に叶えてくれないの」

「そこまで、忠実に再現しなくたっていいだろ。幸せになる為なら――」

「ダメだよ。それじゃ、前世で死んだお姉ちゃんが報われない。あたしは、珠姫の代わりとして――今度こそ、憩衣ちゃんの恋を終わらせてみせる」


 ――無理だ。

 ――そんなの、無理だ。

 その望みが不可能だって、一番理解しているのは憩衣自身――今の珠姫も同じく、理解していないといけないのに。


「――何故、その道を選んだ?」


 気付けば彼女の肩を掴み、揺すっていた。

 理解はできるかもしれない。

 でも、折角やり直した癖――どうして、何も変わろうとしなかったのか。

 いや――変えようとはしていた。

 アプローチは変わっていた。

 珠姫の嘘カレになるという計画から、憩衣の嘘カレになるという計画に変更されたこと。

 だけど、今の珠姫は何一つ変わろうとしていない。

 というか、変わる事を畏れている節すら感じる。

 そこまでして、珠姫でありたいのかよ。


「――あたしはね、お姉ちゃんのことを知りたかったんだ」

「……は?」

「暗記したお姉ちゃんの日記には、お姉ちゃんの内心――秘めた想いとかがあまり書かれていなかった。だから、知ろうと思ったんだよ」


 ――それが、完全な堀原珠姫になる為に必要なこと。

 そう言いたいのだろう。

 でもその為に――これまで自分に前世の記憶があるって、俺に黙っていたのかよ。

 前世の珠姫を理解しないままでは、そもそも今の珠姫は身動きが取れない。

 実際、その所為で……俺は何も気付けなかった。

 しかし、珠姫の気持ちなんて、堀原憩衣には絶対にわからない。


「――どうやって、知ろうとしたんだよ」


 前世が憩衣だからこそ、もう会えない珠姫の気持ちを知ることが無謀だってことは理解しているはずなのに。


「言いたいことはわかるよ。あたしじゃ気付けない。だから、累くんに教えてもらったんだよ? お姉ちゃんが、どうしてそんなことしたのか、何を考えていたのか」

「…………」


 それだけの為に、今まで前世の記憶があることを伏せて、俺と接していたというのか。


「私、いつ累くんが私のこと気付くのか、ひやひやしてた。バレちゃったら、きっとその計画は頓挫しちゃっていたからね。仲でも一番不味ったのは、この前の試験の成績」

「成績って……珠姫は――あっ」


 木崎先輩が、ボロっと口を滑らせた珠姫の順位を思い出す。


「そう、いつも珠姫は21位を取ってるけど、実は23位を取っちゃった。どうしてなのか、累くんも気付いてくれたみたいだね」


 恐らく珠姫は、前世の記憶を使った……丁度21位なんて自力で再現できないから、前世の珠姫が取った点数を憶えていて、全く同じ点数を取ってみせたのだろう。

 しかし、前世と違って自分より順位を上げた生徒がいたから、彼女の計画が狂った。

 本来は圏外だったはずの、7位の俺と――俺の影響を受けたのか17位まで順位を伸ばした外里がいたからだ。


「流石に順位2つもズレちゃったのは、ミスったと思ったよ。あれは本当に想定外だったなぁ」


 こうして言われるまで、俺は気付かなかったけどな。

 自分の成績が上位五名に入らなかった時点で、俺に珠姫の順位を気にする余裕は何処にもなかったから。


「まっ、そういった危ないところもあったけど、それなりに刺激的だったよ。それに累くんには期待した通り、お姉ちゃんの気持ち……教えてもらったからね。……本当に、ありがとうね」


 ……そうか。

 俺はあの時、独りよがりに考えて……珠姫の気持ちを暴いたつもりでいた。

 でも、そうじゃなかった。

 今の珠姫は、再現しただけ。何もわかっちゃいない。

 ただ前世の珠姫がどう考えてそんなことをしたのか、知ろうとしただけなのだ。


 ――じゃあなんだ? 俺のせいか……?


 俺が――もっと頼りなくて、珠姫の気持ちなんかわかる筈も無い凡愚だったら、珠姫はさっさと諦めて、考えを変えてくれたんじゃないかのか。

 俺が――荒唐無稽な前世の堀原珠姫という女性の人物像の証人になってしまったから。


「心配しなくても、累くんは沢山、お姉ちゃんのことを教えてくれたよ。元々ね、今日をタイムリミットに決めていたんだよ」

「そう……それで、正体を知らせて――俺に嫌われたかったのか?」

「……そんな訳ないでしょ」


 呆れて見せる珠姫。

 しかし、ただ前世の珠姫の気持ちを知る為だけに、これまで放置してきたモノは、あまりにも大きいはずだ。

 もちろん、俺自身にも嫌気は差しているけど、珠姫は――これからどうするつもりなのだろうか。

 俺の疑問を察したのか、珠姫は再び口を開く。


「もし、累くんがあたしの正体――前世の憩衣だって気付かなかったら、それはそれで――三人で幸せになる道だったんだよ。だから、憩衣ちゃんをあそこまで侮辱してみせたの。どうせ、憩衣ちゃんは堀原珠姫を嫌いになれないんだから」

「…………?」


 ――憩衣を侮辱してみせた?

 ――どうせ嫌いになれない?

 一体、何を……言っているんだ?


 ここには、憩衣がいる訳でもないのに、まるで……前世のことを、妹を侮辱したことを、憩衣に伝えているみたいな言い方じゃないか。

 いや、これからそうするという宣言なのか……?

 でもお前が幾ら珠姫だろうと、信じてもらうには無理のある話だぞ。

 少なくとも、俺は絶対に肯定しない。協力なんて、するつもりはない。

 しかし、続く珠姫の言葉に、行動に、俺は衝撃を受ける。


「そう、嫌えないの。――堀原珠姫なら、ね?

 でもあたしは……

 私は……

誰ですか?」


 見るからに完璧な憩衣の演技。

 俺の良く知る、義妹だったはずの彼女が立ち上がり、ゆっくりと――近くにあったクローゼットを開く。



『――――……


   絶望した顔の憩衣が中に入っていた。


                ……――――』



 部屋は防音シートが敷き詰められている。

 だから――他の誰にも聞かれないと高を括っていた。

 唯一、人が隠れられるだけの大きさのクローゼットを見逃して。


 俺は、茫然とするしかなかった。


「言っても聞かないだろうから、行動で示す。累くんが、あたしに教えてくれたことだよ?」


 ……そうだ。俺が伝えた言葉だ。

 確かにそう言って、木崎先輩がラブレターを下駄箱に入れる瞬間を捉えたカメラを止めた。

 俺はあの時、『珠姫の出る幕はない』と彼女を否定してしまったし、その点でやり返しなのかもしれない。

 或いは、偶然――そのツケが今ここで回ってきたのだろうか。


「二人きりだなんて、一言も言ってないよ? 一時間くらい経ったし、戻してあげないとね――――現実に」


 だからって、これはないだろう。

 今までの話、すべて憩衣に聞かれていたのかよ。

 そして俺は、俺は、俺が……知らず知らずのうちに、珠姫に協力していたことになる。

 前世の記憶を……証言してしまったことになる。


 珠姫を舐めていた訳じゃない。

 一部の生徒には天才だとか言われていて、俺もそれには納得していた。

 だけど木崎先輩の策を見破ったり、解決したりして……調子に乗っていたのかもしれない。

 本物の天才は――俺の遥か上に立ち、すべてを意のままに操れる。

 俺は、とんだ間抜け野郎だ。

 だって、今の珠姫は――前世の憩衣。本物の天才じゃない。

 ただ珠姫の天才性を再現しているだけに過ぎない。

 それでいて今、ここで――すべて話す前に、気付ける可能性はあった。

 あったのに……憩衣を突き落とされた怒りで、そこまで考えが頭に回らなかった。

 もしくは――俺がそうなることまで計算づくだったのかな。


「珠姫は――」


 やがて、静かになった部屋の中で、憩衣の震えた声が響き渡る。


「お姉ちゃんは――もう、この世にはいないのですか……?」


 憩衣の問いに、俺も珠姫も押し黙る。

 そこは、そこだけは――今の珠姫とも分かり合える点かもしれない。

 これは、今の珠姫が悪い問題じゃない。

 誰のせいでもない。

 結果的に、そうなってしまっただけだ。


 俺達の表情に、事実だと確信したのだろう。

 いや、クローゼットの中に隠れている間に、俺達の言葉を聞いて、ちゃんとわかっているはずだ。

 どの道、変わらない。

 憩衣は腰の力が抜けたのか、その場に尻もちをついた。


 さっきまで言葉にはしなかった。

 いや、俺も珠姫も、認めるようで言いたくなかった。

 前世の憩衣が今の珠姫になってしまった以上、耐えがたい事実が一つ。


 ――タイムパラドックス。


 やり直しの利かない世界に、俺達はいる。

 前世の憩衣が今の珠姫に乗り移った以上、どうあがいても本当の珠姫は戻ってこない。

 姉乗っ取りは……理論上、現在に矛盾がない。パラドックスが起こらない。

 そう……「これはパラドックスが起きていない」というタイムパラドックスに陥ってしまっている。

 端的に纏めると、変則的な自己言及パラドックスである。

『未来の憩衣は、自分自身が現在の珠姫であると主張している』

『現在の珠姫は、自分自身が未来の憩衣であると主張している』

『現在の憩衣は、自分自身が未来の珠姫ではないと主張している』

『現在の珠姫と憩衣は、お互いが同一人物ではないと主張している』

 現在は未来へ推移するものとし、時間回帰と憑依という特性によって導かれた主張は、こうなる。

 現在の憩衣の視点に立って観測を行うと、『未来の憩衣は、自分自身が現在の珠姫であると主張している』に矛盾が生じながら『現在の珠姫は、自分自身が未来の憩衣だと主張している』を否定できず、『現在の憩衣にとって、未来の珠姫は存在しない』が確定する。


 すべては、観測者が現在の憩衣という上で、成される理論である。

 『タイムリープが起こりうる』という定義が成されると、(現在から過去へ戻ると言う形で)『珠姫の魂の存在証明』ができるが、現在『珠姫の魂が不在していること』に反する。

 『タイムリープが起り得ない』という定義が成されると、現在の『珠姫の魂の不在証明』に辻褄が合うものの、そもそも『前世の憩衣がタイムリープした』という事実に矛盾する。


 捉え方として、記憶がそのままでないのだから、スワンプマンですらない。

 補われたアイデンティティがあるのだから、それはもぅ、まったくの別人である。

 憩衣の願いは結果として、本来の珠姫をこの世から抹消してしまったのだ。

 次に言葉を発したのは、珠姫だった。


「わかったでしょ? もう、憩衣ちゃんの恋は絶対に叶わないって」

「――――――ッッ!」


 言わずとも、もうわかっている。

 何しろ今の珠姫は、未来の憩衣のなれ果て。

 すなわち、『前例』である。

 自分の想いが失敗する未来を自分自身から思い知らされたのだ。

 前例がある以上、憩衣は納得するしかない。

 堀原憩衣の心根に染み付いた、不文律である。

 そして、自分が姉を殺してしまう未来を想像して、強引にその恋心を自滅させる。


 ここまできて、やっと今の珠姫の計画が完遂された。

 悪夢みたいな、現実がそこには広がっている。

 本当にこれが、前世の珠姫が願ったことなのかよ……。

 あまりにも――拗らせすぎている。


 俺もまた切望した、憩衣の姉に対する恋の終わり。

 不可能だと思って、諦めて――実は、恋はそのままに仲良く出来る方法もあるんじゃないかって、何度も期待した。

 しかし、最も残酷な解決策が、ここに成された。


 絶対に叶わないと断言された、前例。

 そして実の姉が戻ってこないという、タイムパラドックス。

 ――二つの事実は、憩衣に徹底的な失恋を刻み込んだ。

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