第58話 プロローグ0-天国あてラブレター
――お姉ちゃんが死んだ。
堀原財閥の若き敏腕社長としてここ数年はずっと活躍していたから、何となく……死因が過労死だと伝えられて納得した。
どうやらお姉ちゃんの根回しで、何故か世間一般への公表は一年後になること。
まあ実際には、自殺だったらしい。
らしい……というか、死因はどうでもいい。公表するとかしないとかも興味ない。
私にとって重要なのは、もうお姉ちゃんがこの世にいないこと。
仲が悪いまま、お別れしちゃったこと。
「もう何も、考えたくない」
最初はショックのあまり一週間完全に引きこもった。
もう料理を作ってくれる人はいないから、固形栄養食で何とか生きながらえた。
廃人一歩手前だった。
そう――とある手紙を見つけてしまうまでは。
その手紙の存在に気付いたのは、引きこもり生活を始めて半月経ったくらいの出来事。
お姉ちゃんの私物は全部回収したまま、空き室に放置していたけど、それを確認して、見つけた。
最初の一文――私の名前を読んだ時点で、気付いた。
――お姉ちゃんの筆跡。
これはお姉ちゃんが書いたもの。
すなわち、遺書というものなのだろう。
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憩衣ちゃんへ
きっとこの手紙を読んでいる時、お姉ちゃんはこの世にいません。
仲直りできないままお別れしちゃってたら、ごめんだよ。
まあ謝っても憩衣ちゃんって怒るだけだから、あたしの素直な気持ちだけ書いとくね。
昔から、憩衣ちゃんがお姉ちゃんのことを好きだったのは知っているよ。
でもお姉ちゃんはね、強くなんてないんだ。ずっと弱いし寂しがり屋。
本当は憩衣ちゃんに近くにいてほしかったけど、それが憩衣ちゃんにとって毒になることもわかっていた。
だから距離を取った。口喧嘩までした。
でも、多分……それはあたしの失敗だったんだね。
あたしに憩衣ちゃんを変えることは、できなかった。
知ってる? 寂しいっていう感性の語源は錆からきているんだって。
どんなに硬い意志を持っていたとしても、孤独のままじゃ心が錆びてしまうんだよね。
この寂しさを癒せるおとぎ話はあったら、素敵だと思わない?
あるとしたら、きっと憩衣ちゃんと累が仲良くなって、仲睦まじい兄妹になっているとか……なんてね。
きっと心まで錆び切ったあたしにはもう、共に生きた鈴の音色しか聞こえないんだ。
まあその半身みたいな鈴も錆びついちゃって、もうカラカラとしか鳴らなくなっちゃったんだけどね。
本坪鈴みたいなおかしな音だけど、どんな願いだって叶っちゃいそうじゃない? ……なんてね。
でも、死んだ後にでも……見てみたいなぁ。
おとぎ話のような理想を詰め込んだ――そんな天国、見れるかなぁ。
わかんないけど、最期に願っておくね。お姉ちゃんの宝物、形見にしてはもう小汚いかもだけど、憩衣ちゃんにあげる。
憩衣ちゃんにあげるのは、この願いと鈴、それと日記。あとは……お姉ちゃんの名前くらいかな。せめて妹の願いくらい、叶えられないと……威厳がなくなっちゃうからね。
憩衣ちゃんがこれからどうするのか、あたしにはわかる気がするよ。
あたしの名前を継いで、累と仲良くなるんだよね?
憩衣ちゃんはずっと素直じゃないけど、累のこと兄として見たいんでしょ。
叶えちゃいなよって、お姉ちゃんは思う。
だから、あたしの書いた手紙はこれだけ。
累には悪いけど、内緒のまま……憩衣ちゃんの好きにして。
好きにしてなんて書いたものの、累に教えるのはお勧めできない。
これは本当にあたしの気持ちでしかないんだけど、お義母様……累のお母さんの葬式で、累は凄く酷い泣き方していたから。また、泣かせたくないんだ。
あたしは、大好きな妹の憩衣ちゃんと大好きなお兄ちゃんの累が仲良くなって、幸せな家族を作る世界を願っているから、ね?
これは――天国に宛てたラブレター。決して遺書なんかじゃない。だから――
泣かないで。
笑って。
幸せになって。
お姉ちゃんより
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感想は何も思い浮かばなかった。
いや、何かあったかもしれないけど、私は思い出したくなかった。
手紙が――私にお姉ちゃんの死を受け入れさせようとしているものだったのだから、是非もない。
故に読んだのは一度きり。私が忘れることはない。
代わりに読んだのは、お姉ちゃんの残した本。
私も知っているハードカバーの質が良く見える珠姫の日記。
今まで一度も読ませてくれなかった日記は、お姉ちゃんの楷書だった。
お姉ちゃんの日記に書かれていたことは二つ。
一つは、料理のレシピ。
もう一つは、お姉ちゃんが高校生の頃にしようとしていたこと。
後者の記載から、累くんは義兄になる前から、珠姫に何度も接触を試みられていることがわかった。
これに関しては、珠姫が累くんを利用した計画だった為、累くんに嫉妬することもなく、ただ不憫に思った。ただ本当に珠姫の嘘カレとして現れていたら、きっと高校時代に累くんを殺していたかもしれない。悪運が強い。
それにしても、お姉ちゃんの意地の悪さがよく伝わってきた。
どうすれば、円満に仲の良い姉妹になれるのか、延々と方法論が書き込まれている。
無駄なのに、絶対に普通の姉妹になんて戻れないのに、諦めの悪いお姉ちゃんだ。
だけど、そう――前を向こうと思った。
お姉ちゃんは私に期待してくれている。
お姉ちゃんの望む天国を作らないといけない。
引きこもりは心の問題だけあって、すぐには脱出できないけど、私は珠姫になることを決心した。
憧れだった。叶わない夢だった。
そんな自分の夢に手を伸ばした。
苦しみと共に。悲しみと共に。怒りと共に。
私は――堀原珠姫になった。
珠姫の残したレシピ本から懐かしい味になるまで料理の勉強をし終えた頃、ようやく引きこもりを克服した。
顔を見せる為、久しぶりの外出目的が自分を中心としたパーティーになるとは、思わなかったけど、でも堀原珠姫として姿を見せても誰も何も言わなかった。
――寂しい。
私は堀原憩衣だって気付いてもらえなくて、寂しかったのかもしれない。
心にポッカリ穴が空いた気分だった。
でも私の憧れはお姉ちゃんだったはずで、望ましい結果だったことには違いない。
このまま進み続けることを決めた。
会社が安定してきて、ようやく――累くんと会うことにした。
私達が家族になって、幸せになる為の、計画を実行する時がきたのだ。
私は『堀原憩衣』として累くんに会って、縁を切る。酷い事も言う。
でも、そうしないといけない。
『堀原憩衣』は悪者でないといけない。
だから必要以上に累くんを傷付ける。
そして、私は『堀原珠姫』に生まれ変わる。
珠姫こそが、累くんの救世主となって、兄妹関係をやり直すのだ。
私は何だって利用する。お姉ちゃんとの不仲を利用して、累くんに復讐しようと提案する。
堀原憩衣が嫌いだった珠姫と、堀原憩衣が見捨てた累くんが幸せになる。
それ以上の復讐なんて他にない。
そう――信じていたのに、上手く……いかなかった。
「大丈夫!? 起きてっ……あたしだよ累くん、あたしが支えるから」
どれだけ酒を飲んでしまったのだろうか、と胸がキュッと引き締まった。
全部、私が悪い。全部、私の所為だ。
この男は、絶対に私が幸せにしないといけない。
それがお姉ちゃんの望みだから。
そして――あたしも、家族を望んでみたかったから。
「まだやり直せるよ、あたし達。ねぇ……幸せになって、憩衣ちゃんに復讐しようよ」
私を憎んでほしい。
絶対に赦さないでほしい。
累くんは、珠姫と幸せにならないといけない。
なのに――。
「……誰?」
彼の目は明らかに堀原珠姫の恰好をした私を捉えているのに、私に対して誰だかわからないと言った。
サーッと血の気が引いた。
まさか私の変装が見抜かれているとは思わない。
だけど、確か以前、累くんが私とお姉ちゃんを区別できるとか、言っていたことがある。
私はくだらないと彼の話をぶった切ってしまった為、累くんが具体的に何処を見て姉妹の区別しているのかわからない。
わからないのが、恐ろしい点だ。
気付かれたら、すべて台無しになってしまうかもしれない。
もう二度と口を利いてもらえないかもしれない。
家族に……なれないかもしれない。
「やっと気づけたの……愛してる――お兄ちゃん! 貴方まで失いたくない」
もう失うのは嫌だ。焦った。
私は堀原珠姫なんだ……そう何度も、何度も、強く頭を切り替えた。
強く、強く願った。
――あたしは、堀原珠姫。
突如、耳鳴りが聞こえた。
――カラカラ。
それがブレスレットに付けておいた、お姉ちゃんの遺品である鈴だったことに、すぐ気付けなかった。
お姉ちゃんの手紙に書いてある通り、本当にカラカラとしか鳴らない。
昔聞いたチリリンと可憐な音色を響かせる鈴では、もうなかった。
でも、悪くない音だ。
『本坪鈴みたいなおかしな音だけど、どんな願いだって叶っちゃいそうじゃない? ……なんてね』
手紙の内容を思い出す。
もしも願いが叶うなら、私は完全な堀原珠姫になって――累くんと幸せになりたい。本当は――全部、やり直したい!
――そう願った瞬間。
世界が反転するように、目に映る光景が一変した。
目の前には、若い頃の珠姫の顔があった。
「珠姫、起きてください。珠姫……昨日の就寝は早くありませんでしたか? 寝坊なんて珍しいですね」
一瞬、誰の声かわからなかった。
珠姫だと思っていた若々しい少女は、私のことを珠姫と呼んでいる。
何が何だか、わからなかった。
珠姫が演技でもしているのか、と思った。
私以外に私の顔がいれば、それはすなわち珠姫以外にあり得ない。
……のだけど、そもそも彼女の着込んでいる服装を見て戸惑う。
高校の頃の制服だ。
「…………」
「珠姫……?」
私は言葉を完全に失っていた。
少女のことを無視して、ベッドを立ち上がると、珠姫の部屋……というか、高校生の頃に珠姫が使っていた部屋だと気付いた。
今、自分が着ている寝巻さえ、珠姫のものだ。
「……あの」
「えっ?」
「珠姫が朝ご飯作ってくれませんと、私……空腹のまま登校することになるのですが」
「そう、だね。ごめん、すぐ作る」
急かされるようにしてリビングまで歩いてみると、身長が違うせいか、何度か転びそうになった。
しかし、そこでようやく気付いたのだ。
――過去に戻った上に、自分が本当に珠姫になってしまったということに。
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