第55話 恋という名の毒
生徒会選挙――俺達にとっても関わりがあり、裏では一人の男によって支配されていたイベントだった。
木崎先輩の思惑を暴いたのは、もちろん憩衣が立候補する時のことを考えてとか、ラブレターの差出人の正体を暴くついで……という理由がきっかけ。
しかし今思えば、やはり俺のエゴが強かったと思う。
木崎先輩には何かされた訳じゃない。
強いて言えば、特待生にとって都合の悪い学園になるかもしれないという懸念でしかなかった。
それでも暴いたのは……多分、未来の義兄として憩衣に格好いい姿を見せたかったからなのかもしれない。
結局、最後の最期で追い込まれた時には、彼女が手を掴んでくれるまで、情けない醜態を晒してしまった。
不甲斐ない想いは振り返れば幾らでも湧いて出てくる。
『新しい生徒会役員は――一年の安栖環那さんと恵森千沙さんになりました』
憩衣は、立候補しなかった。
その事実だけ見ると、俺が余計なことをしたと、珠姫あたりは思っているかもしれない。
でも、きっとこれで良かった。
決意した時の憩衣は晴れやかな笑顔を浮かべいたのだから。
俺も、未来の義兄として……頑張ったとか、報われたとか、そんな感情に浸ることができた。
「恵森さんは、どうだった?」
選挙結果が出た日の放課後、帰り支度をする外里に問う。
「まあ多少は思うところがあったみたいだけど、それだけ」
「器が大きいな」
流石ギャルだ。
木崎先輩の陰湿さには、ドン引きしてストーカー扱いしてもおかしくないのに。
……ギャルの場合、心が広いというよりも興味がないという方が正しいのかもしれないか。
すると、タイムリーにも恵森さんの姿が教室の扉越しに見える。
こちらをじっと見て、どうやら外里を待っているようだ。
「それじゃ、僕は千沙さんと帰るから」
「ああ。別にそういうの報告しないでいいぞ」
わかるから。
言葉にすると、人によっては嫌味に聴こえるかもしれないから。
「ごめん。わざと言った。またね」
「わざとかよ。また明日」
外里のマウントなんてレアものだな。
扉越しに見えた恵森さんは、外里が廊下に着くや否、顔を朱くして照れていた。
仲の良い友達どころか、もう付き合ってんじゃねーの? と思える距離感だ。
――眩しい光景。
俺が普通の……年頃の男子だったら、素直に羨ましいと思っていたかもしれない。
そう考えていたら、背後から制服の裾を摘ままれた。
振り返ると、いつの間にか憩衣がそこにいた。
他クラスの教室に入って何も言われないのは、多分珠姫の変装って可能性があるからかもしれない。
「累、そういえば珠姫に呼び出されているんです。五階の第二図書室なので、一緒に行きましょう」
「ああ」
学園敷地内の図書館ではなく、学園内の図書室か。
上階にあることからも、人気がなく、いつも閑散としている場所だ。
選挙も落ち着いたしな。
静かな場所で、振り返りでもしたいのだろうか。
取り敢えず、三歩先を進む憩衣に、着いて行く。
しかし――恋か。
充実。青春。恋人がいれば、そんなものが味わえるらしい。
でも、そんなの綺麗ごとだろ。
恋の為に自己犠牲をしようとした憩衣。
恋の為に仲間も敵も含めて利用した木崎先輩。
俺の知る恋ってものは、どれも淀んでいる。
むしろ、外里と恵森さんのような……ピュアな関係は、もしかしたら珍しいのかもしれない。
そう思ってしまうくらいに、今までの認識が狂う。そうじゃなきゃ、二人のことがあんな眩しく見えたりしないだろう。
「……っ」
そうだ……全て恋心とかいうものが悪いんじゃないか。
木崎先輩も、憩衣も、恋心が故に強い意志があった。
――ああ、そうか。
ドクンドクンと心臓の音が聞こえる。
意識はできないものの、何かに恐れている自分がいた。
まるで気付いてはいけないタブーに触れたような感覚がじわじわと侵食してくる。
自覚はできないが、俺には確信に近い何かがあった。
――そうだ、解決策……あるじゃないか。
憩衣の恋を終わらせる方法……不可能に思える未来を覆す方法が、ある。
恋心を利用すれば、どんなに強い人だって変えることができてしまうのなら――。
憩衣と珠姫の仲違いは憩衣の恋によって引き起こるものなのだから、防ぐには憩衣の恋を終わらせればいい。
どうやって?
珠姫は自身への憧れを無くそうとしていたが、もっと簡単な方法がある。
――その他、珠姫以外の誰かに対する恋心が上書きすればいい。
誰かって誰だ?
憩衣は男性不信なのだし難しいだろう。
だから珠姫も考え付かなかった。
しっかりと、例外はあるじゃないか。
そう――俺のことだ。
――憩衣が俺に恋をすればいい。そして正しい失恋を教えよう。
珠姫には、出来なかったこと。
完膚なきまでに、絶対に叶わない恋というものを体現させる。
それこそが、残された唯一の未来だろう。
希望が見えてきた。
今までずっと陰りを作っていた雲が晴れたような高揚感だ。
なのにどうしてか……熱くなるはずの胸が熱を失っていた。
山を登るように、一歩一歩階段を上がる。
目指す目標が高いから……きっと心の高所病なんだろう。
それでも残酷にならなければならない。
希望を見つけたはずの俺の心が急降下する。
何かが俺を突き動かしたその時、見上げることしか出来なくなった底辺の元へ。
――――――――何かが落ちてくる。
「……ぁ?」
何かを見上げて、まるで世界がスローモーションになっていくような感覚。
身の毛もよだつ信じられない光景――デジャブ。
間違った現実を見る時間は、刹那に過ぎ去った。
――――――何かが落ちてくる。
何処で、見落としがあっただろうか。
何故、違和感を抱けなかったのだろうか。
失態は――しっかりと後からやってくる。
――――何かが落ちてくる。
大切な未来の義妹である彼女のことを、俺はきちんと見ていなかった。
見れていなかった。それに尽きる。
たった俺だけが、この状況の全てを理解できる。
故に俺の脳は、俺が今見ている目は、認識を拒絶した。
――何かが落ちてくる。
鼓動が小刻みに伝えてくる恐怖。
世界が、天地が反転するような驚愕。
これは夢だと反芻して止まない警鐘と焦燥。
過去が、未来が、現在が――真実が、攪拌される。
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