第46話 雨の日、兄妹のように1

 恵森さん達と別れてすぐのこと。俺は憩衣から珍しい弱音を吐かれてしまった。


「累……そのっ、私、あまり良い方法を考えられなくて――すみません」

「いや、良い方法が浮かばなくて当然だと思うけど」


 恵森さんの記憶を頼りに差出人を探すなんて、そもそも無謀な話。

 もしかしたら推理できる……なんて俺も最初は浅く考えていたが、現時点では限界があるのは自明だ。


「でもっ、折角頼られたのに……累の顔に泥を塗るようなことばかり、言っていた気がします」

「あの時はそれが正しいと思ったんだろ? なら、それでよくないか」


 責任感が強いのか、はたまた恵森さんに同情してしまっているのか。

 確かに憩衣は、先ほど頑なに木崎先輩を疑ったりしていたけど、それも一つの見落とすべきではない要素だ。多角的に考える人材が揃わないのであれば、ブレインストーミングの意味など無くなってしまう。


「…………はぁ。放課後、ちょっと一緒に来てくれるか?」


 昼休みも残り時間が少ない。

 俺はふと頭に浮かんだことを実行する為に、彼女へと呼びかけた


「わかりました」


 気に病んでいるのか、二つ返事だった。

 勉強会の時、頑張り過ぎて睡眠不足になってしまった憩衣のことを、今では理解しているつもりだ。

 しかし、思っていたよりも筋金入りだった。

 一応、恵森さんは一般選挙に出た場合に憩衣の敵となるので、さっさと解決したい気持ちは俺も同じだ。




 ***




 放課後、憩衣と合流した俺は、すぐに職員室へと足を運んだ。

 教師に用があった訳ではなく、一日だけ日誌を拝借したいという要望。

 俺は兎も角、憩衣はやはり教師陣からも信頼されているのか、要望はすんなりと通った。


「日誌なんて……どうすんですか?」

「それ、恵森さんのクラスの日誌なんだ」

「えっ……?」


 俺か憩衣のクラスの日誌だと思ったのだろう。憩衣は唖然とした顔を見せる。


「これと組み合わせて使うんだ」


 そう言って鞄から取り出したのは、差出人不明のラブレター……恵森さんが持ったままというのも、本人が気味悪がっていたので、俺が預かっておいた。

 本当は外里に任せても良かったのだが、最も有効活用できるのは憩衣だから、最初から彼女に渡すつもりだったのである。


「……? すみません、言っている意味が――まさか、筆跡ですか?」

「正解。多分、これは憩衣にしかできないことだ」


 憩衣はただ記憶力が良い訳じゃない。

 彼女は最早、機械よりも精密にすべてを記憶している。

 尤も、そうでなければ姉の挙動をすべてそのまま真似るなんて不可能な芸当なのだ。珠姫は無駄に挙動が奇想天外だから。

 そして、そんな憩衣ならば――筆跡鑑定ができる。

 故に、恵森さんのクラス、その中でも男子に限定した精査を行うという考えだ。


「……あの。私がお昼、落ち込んでいたからですか? それで、考えてくれたんですか?」

「ん? いや、ただ俺なりに推理しようと思ったら、俺には出来なかったことってだけだ」

「嘘吐き……でも、ありがとうございます。私には――思いつきませんでした」


 誤魔化すつもりだったが、簡単に見抜かれてしまった。

 思いつかなかったなんて、卑下しているものの、憩衣はさっきまでより顔色が良くなった。

 彼女が笑顔になったなら、それでいい。



 さて、今日はもう帰るか――と思った瞬間、耳鳴りがしだした。

 いや、耳鳴りではない。

 ポツリと……そんな音から始まったのは、外の雨音だった。


「そういえば、今日の天気は雨でしたね」

「ああ。三時間くらいで止むみたいだけどな」


 やがて小雨だったのがザーザーと降り始めた。

 お互い、駅まで一緒に帰ろうと傘を開いた瞬間のこと。


「あれ? ……そんな」


 憩衣が傘をバサッと広げた瞬間、その傘は骨折れを起こし、一部の露先が垂れ落ちる。

 どうやら傘が壊れてしまったらしい。

 とてもじゃないけど、そのまま傘を差して女の子一人が雨に濡れないように収まるのは無理だ。


「これは……ダメみたいだな。俺の傘、使ってくれ」

「え……でもそれでは累はどうやって帰るのですか?」

「予備の傘でも――」

「その端の収納ラックに無いでしょう? あそこになければ、今日は無いということです」


 予備の傘が無いのは予想外だった。

 格好つけて傘を貸すと言った以上、あまり返されたくもないのだが。

 こんな時は……珠姫がまだ学校に残ってくれれば――。


「良い機会ですし、この傘に二人で入って帰りませんか? きっと大きさもギリギリ足ります。駅までは、一緒ですし」


 恥じらいなんてなさそうな口調で淡々とそう言い、俺の傘を広げる憩衣。

 しかし彼女の耳は朱くなっていることに気付いた。

 今は恥じらう気持ちを表に出さないようにしてくれているのだろう。

 他の方法を探せば何とかなる気もするし、その大胆な案に乗るにしても俺は偽物の彼氏だ。

 だけど、俺は――特に理由もなく、ただ「何となく」で憩衣の隣に立って並んだ。


「……何か、言われると思いました」

「何かって……例えば?」

「男性不信は治ったのか……とかでしょうか」

「俺は平気なんだろ」

「はい」


 何度も同じことを聞くのは野暮な話だ。

 憩衣が俺を信頼してくれている以上、その部分を疑うのは、俺が彼女を信頼していないことになる。

 だから、俺も今の状況をあまり気に留めず、歩き出した。


「…………」

「…………」


 一回り大きい傘を使っていても、二人入るには小さい。故に、俺と憩衣の距離は近くなって、端的に言えば色々と当たっている。

 その所為か、駅までの道のりではお互いあまり言葉を交わさない。

 それでいて気まずい雰囲気にならなかったのは、憩衣がギュッと――俺の腰辺りの制服の裾を握っていたかもしれない。

 本人に自覚があるのかわからないが、彼女の顔を一瞥すると、火照ったようにぼーっとしていた。


 いつの間にか、憩衣と隣にいてあった違和感が消え去っている。

 前世で見た堀原憩衣と、今の彼女は完全に別人。

 どちらが良いという訳ではない。

 前世の憩衣は、俺に頼ることなんて絶対にしなかった。だからこそ、今こうして頼ってもらえているみたいで、何だか胸が熱くなる。

 きっと嬉しいのだ。それが――あるべき兄妹の姿みたいで。


「着いたな……駅ビルで傘買うなら俺、着いて行っても――」


 駅に着いてしまい、名残惜しさを感じながらも憩衣に話しかけると、依然として俺の制服から手を離さず、グイっと少しだけ引っ張る憩衣。


「どうした……?」

「……あっ。いえ、その……傘は、買わなくていいです。このまま累の家、行ってみたいのですが……」


 いつもより声が小さいが、未だに距離が近い為しっかりと聴こえた。

 ――俺の家に行く!?

 以前、勉強会の場所を選ぶ際に、俺の家には絶対入りたくないと言われた気がする。

 それ故に堀原家に何度も入らせてもらえるようになったのだが…………これも変化なのだろうか。


「この時間なら母さんも帰っているだろうから安心はしていいと思うけど――えっと、どうして?」


 何か用がある訳でもないだろう。

 憩衣にとって最も寛げる空間というのは、愛しの姉がいる自分の家だろうし……意図が掴み取れない。


「累のことをもっと知りたい……それではダメですか?」

「……っ」


 その言葉に、俺は一瞬たじろいで――静かに顔を横へ振った。

 断れる訳が無い……もしも妹がこんな風に甘えてきたのなら、兄は絶対に逆らってはいけないのだから。

 それに……憩衣の上目遣いの顔が、可愛いと思ってしまったから。

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