第39話 教室をいう名の大海

 木崎副会長へのアポイントメントが取れたのは翌日の朝。

 今は特に忙しいはずなのだが、早速放課後にでもという予定で取ることができた。

 俺も憩衣が決心を固める前にきちんと盤面は見据えておきたいので遠慮をするつもりはなかったが、案外すんなり通ったものだ。

 とはいえ、煩わしい日常は依然として変わらない。


「あらあら、ご機嫌よう、緋雨くん」

「……安栖」


 その顔を見た瞬間、とても気分が悪くなったが、対照的に彼女は大分ご機嫌だ。

 安栖が黒幕かはわからないが、現役員推薦を憩衣から奪い去ったことについては昨日よりも噂が広がっている。扇動に限っては明らかに彼女の手腕だ。


「わたくしの顔に何か付いていまして? ああ、わかりますわよ……差し詰め、わたくしを愛しの彼女から資格を奪った敵として睨んでいるのでしょう?」

「さあな。俺は元から安栖のことを好いてないから、そう言われても実感が湧かないな」


 何も変わらない。安栖のスタンスは何にも。それが不気味なところである。

 まるで――いつも通り彼女は自慢がしたいだけみたいじゃないか。


「それは残念な頭をお持ちですわね。緋雨くんはオタク……? なのですから、想像力が豊かだと思っていましたのに。ああ失礼、想像力ではなく妄想力でしたわね」


 一々鼻につく言葉ばかり出てくる女だ。

 教室の中で、クスクスという嘲笑は静かに広がっていく。

 言い返したって無駄だ。これは理屈じゃない。連中は最初からこぞって特待生を追い出したい側で、それらを下等だと決めつけ馬鹿にする自分達に酔っている。

 何かしようと当てつけは変わらない。ちょっとしたことでも野蛮だと指摘するのは連中の常套句だ。


「なぁ安栖は知ってるか?」

「さあ、何の話かしら」

「排斥派トップの木崎先輩が、一般選挙で特待生を支持するって話だ」


 その瞬間、嘲笑の声は凪いだ。

 急に出した選挙の話。まるでタブーに触れまいと避けるように口を塞ぐ生徒の姿。

 なるほどやはり、俺を笑ってきていたのは排斥派の生徒達だったらしい。わかっていたけどね。

 だが、俺は見逃さなかった。安栖の眉がピクリと動き、動揺を垣間見せたことを。


「どうした? あくまで俺も道すがら聞いた程度なんだが、その反応は知っているみたいだな。態々本当だと白状してくれてありがとう」

「わ、わたくしは本当のことなんて……っ」


 そこで教室内の空気が変わった。

 ジレンマを感じさせる安栖の姿はさぞ滑稽に映っただろう……親交派と中立派に。


「どういうこと?」

「排斥派がどうしてそんなこと……」

「奴ら、一枚岩じゃないみたいだぜ」


 当然そんな噂が立てば、当の排斥派の生徒達も黙ってはいられない。


「知らねぇよ。排斥派は特待生なんざ認めてねぇ」

「何? 上級生の命令に従うだけ? だっさ」

「うるせぇこっちにも事情があんだよ!」

「ちょっと何か知ってるの!?」

「おい口を閉ざせ!」


 大波が立ち大船だってひっくり返す海となるように場は荒れ狂いだす。

 統制の取れていた排斥派も、元を言えば過激的な思想に過ぎない。奴らだって人間……しかも俺から言わせれば、未成年のガキだ。攻撃的な性根は決して上流階級のそれとは思えないほどだ。

 ノブレスオブリージュ――そんな精神、連中には存在しないのだから。


「ねぇ環那、そこまでにしておかない? ボロを出したって思われたら面倒に――」

「うるさいですわ! 貴女は黙っていなさい、優奈」

「……はい」


 駒月さんが止めようとしてくれるが、安栖にあしらわれてしまう。

 友達相手だろうに、随分と横柄な態度。安栖とわかり合える日なんてこないのだろう。


「どの道、今の生徒会には特待生を気にかける余裕も、選挙について考える余裕すらありませんので――――」


 そこで、俺の背後から現れ間に立つ影。それは何時ぞやの光景を想起させるものだが――あの時の彼女とは雰囲気が若干違う。


「私の累くんに一体何をしようとしているのですか?」

「何故……ここに憩衣さんがいらっしゃるの? もうすぐホームルームも始まりますのに、随分と暇ですこと」

「ふふっ、それは自分の愚かしさを証明しているようなものですよ」


 仲裁するように間へ入ってきたのは憩衣。彼女が朝、俺のところへ会いにくるのは珍しい。

 しかし様子がおかしい。

 ただ言葉の意味まで含めて考えれば、自ずと答えは見えてくる。


「何やっているんだよ……珠姫。お前まで変装か?」

「……えっ? 何を言っていますの? そちらは――」

「あーあー、流石は累くん。やっぱりわかっちゃうんだねぇ」


 このパターンは初めてだったので、俺も自信はいつもよりなかった。

 末恐ろしい肌寒さは、安栖の所為じゃない。

 思いもしなかったこと――俺は何かを勘違いしていたのかもしれない。そう思わせれる程に、珠姫がする憩衣の演技は洗練されていた。

 憩衣の恋心とイコールの憧れがアレだけの模倣を可能にしていたのだと思っていたが、双子はその時点でお互いのことをよく知っていたということだろうか。

 一瞬――俺まで騙されそうになった。


「累くん? あっ、もしかして……あたしの演技が上手過ぎて驚いちゃったかにゃ? これでも何十年も一緒に過ごしている家族だからね。これくらいは出来るよ」


 ……驚いたのは本心だ。

 先日食堂で会った時があからさまだった。

 その先入観故に、上手く感じただけだろう。

 大体何十年も――――――――――――えっ?

 この姉妹、精々十年と五年しか一緒に生きてないはずだよな……?

 珠姫の顔を二度見する。


「ん~? 惚れちゃったかにゃ? 憩衣ちゃんから乗り換える?」

「いや、そんなんじゃない」

「軽いし酷くない!? まぁ許してあげよう、あたしは心が広いんだぁ」


 そうじゃない。本当にそうじゃない。

 わからないのだ。

 もしかして、珠姫が俺と同じ回帰者なのか?

 でも、それなら憩衣の事情が判明していた時点で言っていたはず。隠す理由がない。

 しかし匂わせるようなワードが、心に引っ掛かりを覚えさせて仕方ない。

 何十年もっていうのは、珠姫が盛っているだけの可能性だって充分にある。

 珠姫だぞ? 珠姫なら意味もなくやるぞ……?

 直接訊くのが早いが、その為に俺が回帰者だと明かすのは以ての外だ。そもそも回帰というファンタジーな現象を他人に話して、何かペナルティがあるかもしれない。

 その辺に関しては未知数の領域だ。


「ちょっと――わたくしを無視しないでくださいまし。珠姫さんが憩衣さんの姿をしていることには驚きましたが、それだけです」

「ふうん。それで累くんにどんな用があったの?」

「あっ、それは――何でもございませんわっ」


 珠姫の乱入によって頭が冷えたのか、今日もまた引いていく安栖。

 やはり今でも堀原家との関係については慎重に動いているらしい。

 妙な感じだ。良家の関係性を考えるなら、憩衣を策略に嵌めようとすること自体、おかしな話となる。

 一体――この作為的な動きは誰が仕組んだのだろうか。

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