第32話 近すぎて見えなかったもの

 憩衣の姉に対する恋愛感情は、強い憧れからきている。


 純粋に好きなだけなら、態々相手を悲しませるような真似なんてしない……完全には否定できないけど、憩衣の性格は捻くれていないし、至って真面目な部類だ。

 それに憩衣の変装はあまりに上手過ぎた……ぶっつけ本番にしては、一挙手一投足を知り尽くしている動きや話し方。この俺でさえ正直瞳孔を確認するまで、変装であることには半信半疑だったくらいだ。


 そして姉への憧憬を決定的に感じたのは、俺を押し倒してきた時だ。あの時、憩衣は……恐怖を感じていなかったのだ。彼女は男性不信で、恐怖を抱くと手が震えてしまうのに、変装を指摘されるまで彼女の手は震えていなかった。


 何故か……自身を珠姫として扱われることが、憧れを体現するような出来事が、彼女の恐怖心を打ち消したんだと思う。


 恐らく珠姫もその恋の本質を見抜いているいるはずだ……だからノリが良くて無鉄砲に振舞っているし、試験でいつも21位。天才的な頭脳があっても彼女が本気を出さなかったのは、妹が憧れないような自分を見せる為に違いない。


 珠姫の真の目的とは……憩衣の恋心を打ち砕くことだったのだ。

 前世の珠姫は俺を偽装彼氏にすることで、憩衣の想いを終わらせようとした。そして今回、俺を憩衣の偽装彼氏に仕立て上げたのは、外堀を埋めて自分から引き離すことで是正を図ったんじゃないだろうか。


 しかし、結果はこれだ……珠姫が想像している以上に、憩衣の抱く憧れは強すぎる。自分の犠牲をいとわず、姉の悲しみさえ利用しようとする時点で、憩衣が簡単に諦めないことはよくわかった。これを成功とはとても言い難い。


 近い将来この姉妹の仲違いが如何に覆らないのかを思い知らされた気分だった。だが、ここで俺が諦める訳にはいかない。


 まだ自分すら変わっていく道端にいる。まだまだゴールはずっと先。だから他人を変えるなんて傲慢かもしれない。それでも……俺に出来ることはあるはずだ。

 憩衣の頼れる相手を珠姫だけにしてはおけない。

 俺は……あの姉妹の義兄になる男なんだから。




 ***




 翌朝、俺と憩衣は起きてすぐに家へと帰った。

 家までは距離があった。人が少なくガラガラになった電車の中二人きりで、俺達が交わした言葉は少なかった。昨夜のことがあり、憩衣も珠姫と同じ姿である為に演技をし続けるべきか迷ったのかもしれない。それでも、悪い雰囲気じゃなかった……お互いに寡黙でも、居心地はよくて、つい電車の中二度寝をしてしまうくらいだ。


 俺が帰宅して少し後、珠姫からの連絡が届いた。恐らく憩衣の様子から色々と察することがあったのだろう。今日中にでも会って話をしたいという提案だった。

 そして午後、二人きりで会う為に喫茶店へと赴くと、既に待っている彼女の姿が見えた。


「今朝ぶりだね、こんにちは……にしてはもう夕方だし、こんばんは?」

「まだ日は落ちてないし、こんにちはじゃないか。というか揶揄うなよ。三日ぶりだ……昨日はまさか珠姫に騙されるとは思っていなかったぞ」


 席へと座ると、珠姫は上品にコーヒーを飲みながら、ちょっと嬉しそうな顔をする。


「騙された癖に、今は信頼してくれるんだぁ。本当にいいの? 今のあたしなら本物だって自信を持って言えるのかな?」

「ん? 本物じゃないのか?」

「本物だけど……ちゃんと確かめないと、安心できないでしょ?」


 別に問題ない……と俺が言う隙もなく、何故か珠姫は席を立った。態々俺の隣へと座り直すと……俺の腕に抱き着くようにくっ付きながら、ブラウスのボタンを外し始める。


「ちょっ……何のつもりなんだよ。珠姫まで誘惑か?」

「そうじゃなくて、あたしの胸見て!」

「はぁ?」


 何を言っているんだ? 訳が分からないと目を逸らすが、珠姫が離れようとしないので、見てみる。すると、彼女の胸元には小さなホクロを指差して強調していた。


「ホクロ?」

「そう! 憩衣ちゃんにはなかったでしょ? なので、あたしは本物の珠姫ちゃんってこと! わかった?」

「俺が憩衣の胸元を見たことがあるような言い方をするな。見てないから、違いなんてわからん。そんなもの見なくても、珠姫が本物だって気付いていたよ」

「およよ? なんでわかるの……?」


 憩衣からどこまで聞いているのかわからないけど、変装を見破ったことでそんなこと知っているとでも思ったのか? 瞳孔の違いは俺しか気付いていないだろう。暗い場所でしかわからないから、多分本人達も気付いていないはずだ。


 あれ? なんで俺……偽物の珠姫か疑わなかったんだろ。どう見ても、珠姫は本物で……今朝見た憩衣とは違うようにしか見えなかった。昨日、近くで憩衣の顔を見ていたせいか、目が肥えてしまったのかもしれない。


「見ればわかる。それより、もうわかったから胸元を隠してくれ。ほら、見えないようにするから」

「およよん……紳士的」

「珠姫は痴女的だからな?」

「前言撤回! その言い回しは酷くない!?」


 俺も酷いと思ったけど、羞恥心があるなら何のためらいもなく胸元を見せないでほしい……一応、俺だって男なのだから。

 珠姫は服装を正し、対面の席へと戻る。俺もコーヒーを注文して、喉を潤した。


「……本題に入ろうか。話したいことって何だ?」

「うーん、話したいことというか、あたしが聞きたいこと……昨日のことを大体全部かな。憩衣ちゃんからは、変装が見抜かれたことしか教えてくれなかったので」

「……そういうことか」


 そりゃ、昨日のことは憩衣も好きな相手に言いにくいだろうな。そうすると勝手に暴露する形になってしまうが……珠姫は知っておくべきかもしれない。

 二人の仲違いを防ぐためには、もう一歩踏み出さないといけないだろうから。


「そっか、ごめんね……累くん」


 包み隠さず全てを話すと、珠姫は申し訳なさそうに謝ってきた。憩衣に協力してしまったことか、自分の妹が冤罪を吹っ掛けようとしていたことか、或いはそのどちらの意味も含んでいるんだろう。話し終えると同時に、一つだけ疑問が残っていた事を俺は思い出した。


「俺も訊いておきたいんだが、変装の協力を提案された時、珠姫は何も気付かなかったのか?」

「……どういう意味かな」

「珠姫なら、予測が付いているんだと思っていた」


 鋭い上に、自分に向けられる恋愛感情を知っている。そんな珠姫が、憩衣の凶行を確信……とまではいかずとも、推測すらできないなんてあり得ない。


「気付いてたよ?」

「なっ、ならどうして憩衣を止めなかったんだ? 判っていたなら、止めるべきだったろ……」

「……痛い目を見ればいいと思ったんだ」

「は……?」

「あたしはそれでも変わらない……そう示すつもりだったんだよ。いずれ、その恋心がただの憧れの延長線上に過ぎないって、憩衣ちゃんも気付く日がくる」


 珠姫の顔に悪意はない。彼女は本気でその方が妹の今後により良いと信じている。きっと何度も失敗を繰り返した珠姫のことだ……手段を選ぶ余裕はもうないのだろうか。


「あとはそうだね、ファーストキス奪われちゃった仕返しかな」

「……何の話だ?」

「えっ、あー、そこまでは知らなかったかにゃ。余計な事言っちゃった……昔あたしが寝ている間、憩衣ちゃんにキスされていたことがあったんだよ。いやぁ、あの時は驚いちゃったよね」


 俺が知っていることが全てではない。珠姫と憩衣二人しか知らない背景は、まだあるということか。憩衣の恋心を知った理由としては、納得のいく話だと思う。


「でも意外……憩衣ちゃんがあたしを好きになった経緯とか、何も教えてもらっていなかったんだ」

「そんな話を聞く前に、憩衣が寝落ちしちゃったからな。翌日俺から聞くには気まずかったし、憩衣だって自分から言い出したい事じゃないだろ」

「折が悪かったんだね。仕方ないから、あたしが特別に教えてあげるよ……その辺の話」

「いいのかよ……勝手に話しても」

「知っておいて損はないでしょ……変な推測して勘違いされたくもないしね」


 そう言って、珠姫は事の発端を詳らかに話し出した。


 幼少期のある時、珠姫と憩衣は女子から母親がいない事を馬鹿にされたことがあった。きっかけはなく、恐らく二人が幼い時から美人だった為に起こった嫉妬だと言う。その時に、憩衣が泣いてしまった……焦った珠姫は、頬にキスをするなどして慰めた。


 それから、憩衣は珠姫によく懐いた。話を聞きだしたところ、憩衣は自分と違って泣かなかった姉に憧れたらしい。長い時間をかけてその憧れは、如実に恋愛感情と化したのだろう。

 俺の想像通り、憩衣の恋愛感情は憧れからきていることが裏付けられた。


「あたしもね、色々頑張ったんだよ? 根本にある憧れを切除してしまえば解決すると思ってた……でも、そんな単純じゃなかった」


 結果は真逆に転んだ。寝ている間にファーストキスを奪われるまで至ってしまった。

 最初こそ珠姫も咎めようとしていたが、気付いていないことにすれば誰も傷つかないと考えて指摘しなかったらしい。


 そう……過程には何か悲劇的な出来事があった訳じゃない。憩衣の秘めた想いが一人歩きして、珠姫はそれを黙認した。それだけの話なのだ。


「だから憩衣ちゃんの男性不信って、同性愛を正当化する為の思い込みなんだよ」


 強い思い込み……プラシーボ効果のようなものが、時間をかけて誠になってしまった。

 卵が先か鶏が先かの問題はここで解決する。憩衣が抱える根本的な問題のように思えた男性不信は、所詮オマケだったのだ。


「憩衣ちゃんも間違え続けている……あたしに憧れている癖に、近づくどころか遠くなっているじゃんね。だって、あたしは男性不信なんかじゃないんだからさ」

「……そうだな。お陰で、傍から見ても憩衣が珠姫に恋愛感情を持っているなんて全然わからなかった」


 前世の記憶と擦り合わせなければ、矛盾を発見しなければ、疑う余地すらなかった。前世の記憶があるからこそ、他の同級生よりも堀原姉妹を知っているという俺の矜持が、疑いを許さなかったはずだ。


「このままじゃ憩衣ちゃんは……姉みたいになれない自分自身を嫌いになっちゃうんだと思った。そこで累くんが必要だったんだよ」

「俺が? どうして?」

「あたしは別に、誰かに憧れること自体を否定したい訳じゃないんだよ。きっとその考えが憩衣ちゃんに良くないってわかっていてもね」

「……だから、代わりに気付かせてくれる人が必要だったと?」

「うん、そんなとこ」


 珠姫も大概、妹が大切にしているようだ。もしも否定して嫌われたら……そんな懸念が頭から離れないのだろう。共感しつつも理解できない部分が残り、俺は気難しい表情を浮かべた。


「わからないな……俺を過大評価しているのか? 俺に最初お願いした時は、全くお互いを知らない他人だったじゃないか」

「それについてはごめんなさい。先に謝っておくね」


 珠姫は神妙な顔で、俺に謝った。話の流れから謝罪するような事に見当が付かないが……茶化さずに耳を傾ける。


「……どういう事だ?」

「ほら、あたしってこれでも堀原財閥のお嬢様でしょ? だから、クラスメイトの家庭環境くらいは個人的に入手できちゃうの」

「まさか――」

「うん、お察しのお通りだよ。最初、累くんの境遇を知って……似ているなって感じたんだ。母親のいないあたし達姉妹と、父親のいない累くんがね」


 妙だとは思っていた。たった一回階段から転げ落ちるところを助けたくらいで、警戒心もなく心を開くなんて……それも、大切な妹の今後を決める大事な役割を与えるには、あまりに警戒心がなさすぎる。


「同じような境遇なら、憩衣ちゃんの寂しさをわかってくれると思ったんだ」

「……俺はそんな背景知る由もなかった訳だが――」

「知らなくても充分だと思ったからね。ただ憩衣ちゃんが自分を嫌いにならないでくれたら、あたしはそれで良かった」


 ……なるほど。

 話しだけ聞いていれば、珠姫の考えは放任主義に捉えられるかもしれない。けれど、彼女だって再び逆効果を産むのが怖くて慎重になったんだろう。それは何度も失敗し追い込まれたことの証左だ。


 珠姫も完璧な人間ではない。どうしようもない事はある……それが妹の恋愛だった。憩いの時間を与えることが、最終手段だったんだろう。間違ってはいない……珠姫の立場からすれば、最適解に近いとまで思う。精神的な問題は、時間が解決してくれる。


 それでも前世の珠姫は失敗した。

 珠姫が憩衣の将来を考えて距離を取った結果、憩衣は避けられていると考えたはずだ。

 その内に、手に入らないならば最初から自分は求めていないのだと、真逆の感情を抱くことで再び自分を正当化したに違いない。つまりは、現実逃避。


 今の憩衣にその兆候はなくても、姉を想い続ける限り、いずれ辿り着く終着点だ。


「まとめると……憩衣ちゃんには珠姫ちゃんという超絶きゃわいいお姉ちゃんがいたお陰で、女の子としかえっちしたくない! という残念な性癖を患ってしまったのです」

「それは簡潔にまとめすぎだろ……」


 憧れたのだから、可愛いというかカッコいいという方が正しいんじゃないだろうか。実際、珠姫は頼りがいがありそうに見える。末路がどうあれ、憩衣が憧れてしまうのも不思議ではないと思った。


「あと……余計な一言があった。残念な性癖って言い方は、憩衣が可哀想だ」

「およ? 真面目に怒った顔……」

「別に憩衣に限った話じゃない。他人の性癖を残念って言うのは、失礼っていうか……ちょっと違う気がするから」

「ふうん、じゃあ累くんはそういう性癖をどう解釈しているの?」

「ただ自分を貫いているだけだ」


 前世で、俺は何度も二次元オタクであることを馬鹿にされた。お陰で、残念イケメンなんて二つ名で呼ばれていたくらいだ。大抵は無視していたが、嫌じゃなかった訳じゃない。ただ面倒だったから言い返さなかっただけ。残念イケメンっていうレッテルだって本当は嫌だった。


「もちろん、それで他人に迷惑かけたなら間違っていることだと思うよ。大事なのは間違っていると思うなら変われることじゃないか」

「そうかもしれないね」

「かもしれないじゃなくて、そうなんだよ。本人は真剣なんだ……だから、俺は今の憩衣について、珠姫にも責任はあると思っている」


 珠姫から話は、これまでの経緯が全て予定調和みたいに語られた。努力はしたけど、叶わなかったのだから仕方がない……何処か、そんな諦観を感じた。


 でも、本当にそうか? 本当に仕方なかったのか? 真逆の結果を産んでしまったのは、必然だったのか? ……違うだろ。

 そういう必然もあるのかもしれない。けどこの姉妹の間に限って、俺はそうは思わない。


「俺達は本気で自分の好みを貫いている……だから他人に理解されなくても良いって、俺も思っていたさ。でも憩衣は違う。違うんだよ! 珠姫に自分の事を理解してほしくて、何度も訴え続けたんだよ!」


 そうじゃなきゃ、好きでもない男に純潔を捧げようとするかよ。なのに……それなのにだ! 珠姫は憩衣の恋愛感情が、ただの憧れだと気付くように願ったんだろ? それは……あまりにも憩衣が不憫だ。

 珠姫は憩衣を理解しているようで、何もわかっちゃいなかったんだから。


「……あたしは拒絶してばかりで、憩衣ちゃんの気持ちを一度も理解しようとはしなかった」

「そうだ。憩衣の恋はたかが憧れの延長線じゃない……本物だ」

「無意識のうちに、あたしが憩衣ちゃんを間違った方向へ導いてしまった……かぁ」


 珠姫はふと窓の外を眺めた。外には多くの大衆がぶつからないようお互いに気を遣いながら歩いている。人が多いのは、丁度退勤時間のせいだろうか。

 偶にぶつかることがあっても、二度や三度同じ人とぶつかったりしない。


 人と人とが関わる機会なんて、家族や友人でもない他人であればそう多くないだろう。

 逆に、家族や友人であれば自然と互いを知るようになるだろうし……それ故に気を遣わなくても良い関係になっていく。


 それなのに、この姉妹は今まで一度も喧嘩をしたことがない……前世で珠姫が豪語していたことだ。もしも喧嘩をしていたら、憩衣はその想いを叫び、珠姫はきちんと妹の恋に向かい合えたはずなのに…………そう思えて仕方ない。


 家族なのに、姉妹なのに……二人はぶつかることがなかった。近くにいるからこそ見えなかったものがあった。珠姫の唯一の失敗は、憩衣と喧嘩をしたことがないことだ。


「累くんはすごいね……自分の性癖と向き合っている」

「そうじゃなきゃ、変わるに変われないだろ」

「……実例がいるんじゃ、このあたしでも言い返せないね」


 珠姫は降参だと言わんばかりに微笑んだ。窓から差し込む夕焼けに照らされた彼女の顔は、年上かと思うくらい大人びていた。


「わかってくれたなら良かったよ……超絶きゃわいいお姉ちゃん」

「えー、累くんは弟って感じじゃないぞー? ということで、憩衣ちゃんとの結婚はお姉ちゃんが許しません!」

「いや、そういう意味のお姉ちゃんじゃねえって。ほんと純粋だか何なのか」

「へっへっへ、よくわかんないけど褒められちった」


 褒めている要素皆無だっただろ。というか憩衣の恋心を忘れて俺に押し付けようとするんじゃない……今すぐに向き合う必要はないにしても、本人が聞いたら泣くだろ。

 けど万が一俺が憩衣と結婚なんてしたら、珠姫の義弟になるのか。うーん、それは何だか違うな。


「あっ、なんで弟って感じじゃないのかなって思ったけど、わかった! 累くん、お兄ちゃん向きだ」

「へっ……?」


 急に俺の考えていたことをそのまま言葉にしてくれた上に、お兄ちゃん呼びを聞いて変な声が出てしまう。


「あれ? でもあたしにはお姉ちゃんがいないから累くんお兄ちゃんになれないんだね、残念」

「あ、ああ……そうだな」


 いきなりお兄ちゃん呼びはやめてほしい……心臓に悪いから。けど、心配しなくても一年後には珠姫の義兄になっている。この感じだと……来年には驚いてくれるかな? そこそこロマンチックな話なんじゃないかと思う。


「せめてあたしと結婚して、憩衣ちゃんのお兄ちゃんになってあげてね、とほほ」

「滅茶苦茶他人事みたいに言ってるけど、中々重いぞ」

「言うだけならタダじゃん」

「男を勘違いさせる言葉はタダじゃないんだよ」


 尤も、お兄ちゃん呼びは俺の本望だ。しかしまだ、俺はそこまで珠姫の義兄に相応しい男じゃない。身の丈に合わない言葉に惑わされるのは良くない。節制は大切だ。


「ふーん、そういうところ、なんか本当にお兄ちゃんっぽい。実は生き別れの妹でもいる?」

「……さあな」

「ええっ、なんではぐらかす~。ケチぃ」


 珠姫は鋭いから、俺が十年後からこの時代に回帰してきたことすら、見抜かれてしまいそうで怖くなる。

 だけど、義兄として期待されているなら、俺も嬉しいことだ。


 そんな時、カランコロンと鳴って喫茶店の扉が開く。同時に珠姫の視線が動きだし、俺も釣られて見ると、そこには憩衣がいた。

 まだ珠姫と瓜二つの状態。静かに珠姫の隣へと座りだすと、二人並んで双子らしい光景が出来た。


「遅くなりました……コーヒー残っていますか?」

「うん。飲んでいいよ」


 注文せずに他人の飲み物をせびることも変だけど、当然のように姉の飲み物を飲んで間接キスを試みるな。

 俺に見られながらで大胆なのは、気を許してくれた証拠なのだろうか。よくわからない。


「……憩衣も来るなんて聞いてなかったんだけど、何の説明もないのか?」

「何か用がなければ来ちゃいけないんですか? むしろ累こそ、私の許可も取らず勝手にお姉ちゃんと密会していた説明はないのですか?」

「……ないな」

「同じことです」


 そう言って、憩衣は上品にコーヒーを飲み始めた……さっき見た珠姫の姿とそっくりだ。珠姫の方は……ニヤニヤと笑って見せてくる。どうやら珠姫がこっそりと呼んでおいたらしい。

 一応、これでも恋人のフリをしている仲なのだし、こうして何の意味がなくても会うのはおかしい話じゃない……か。


 また俺に対してツンツンした憩衣に戻ったようにも思うが、以前よりも棘はないような気がする。やっぱり珠姫はまだまだ妹に甘いようだが……そもそも姉妹の仲が良いことは悪いことじゃない。


 俺も少し落ち着こう……コーヒーは温かくて、心を落ち着かせてくれる。憩いの時間は大切だ。長い目で見て……珠姫の代わりに頼られる機会を探して俺も手を貸せればいいだろう。


 まったく世話が焼ける義妹達だ……誇らしいくらいに。

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