第30話 求愛して止まない自傷1
正直、憩衣の変装は待ち合わせ場所で出会った時からずっと疑っていたものの、確信までは至れなかった。お陰様で、彼女を珠姫だと決めつけて探りを入れることも難題と化してしまったが……結果的には下手に探りを入れずに良かった。
憩衣と珠姫が瓜二つであることは、本来の俺であれば知らない。
だが、今の俺は知っている……前世、母さんの葬式で瓜二つの二人を見比べたことで、二人の違いを知っている。
ランプの明るさは充分だった。しかし俺はベッドに押し倒された結果、陰りのできた彼女の瞳を凝視することができた。
暗いところで見ることができる珠姫と憩衣の瞳孔は違う。そうして珠姫にしか見えなかった姿が、憩衣の変装であることに気付くことができたのだ。
今度は俺の方から押し倒したことで、さっきとお互いの位置が逆転した。俺は話の主導権を強引に奪うことから始める。
「捕まえた……悪いけど、話を訊いてもらわないと困るから逃がさない」
「このっ」
「まずは落ち着いてほしいんだ。頼むよ」
変装を気付かれたことに動揺したのか、最初こそ憩衣は反抗して俺を引きはがそうとするが、力負けしているのがわかると力を緩めた。
途端に彼女の手が震えていくことに申し訳なく感じたが、話をする為にはこうする他なかった。
「……どうして」
「どうして変装が見抜けたのかって? そうだな……俺の方が憩衣よりも珠姫のことを知っているからかな」
「信じられません……私の変装は完璧だったはずです」
「ああ、完璧だったよ」
「……まさかお姉ちゃんからっ!?」
「いや、珠姫からこっそり教えてもらった訳じゃない。少し俺の目が良いだけだ」
「…………」
予想はしていたが、やはり珠姫も協力していたか。
何しろ珠姫の所持品をそのまま持ってきている。彼女が最も大切にしている鈴付きのブレスレットまで身に着けているのだ……この変装には珠姫の協力が必要不可欠だった。
そして俺の予想が正しければ、この計画が珠姫ではなく憩衣の提案だろう。恐らく珠姫は本当に純粋な気持ちで憩衣に協力している……無意識の共犯者に違いない。
「どうして憩衣が男性不信なのかって、ずっと疑問だった……けど、やっと確信できた。なぁ憩衣……お前、珠姫に恋愛感情があるんだろ?」
憩衣は珠姫を恋愛感情で好いていた。
男性不信が先かどうかはわからないが、そんな鶏が先か卵が先かの順序は重要じゃない。
憩衣が実の姉に対して恋心を持っている……彼女の秘めた想いこそ、今の状況に直結することなのだから。
何しろこの事実を前提にすれば、憩衣の行動、その意図が説明できてしまう。
「…………」
「悪いが口を噤んでも無駄だ。俺は全部気付いている。憩衣……俺に純潔を奪われることで、珠姫の同情を引こうとしたんだろ」
「……ッ」
「その反応、やっぱりそうか」
簡潔に説明すると、憩衣は実際に純潔を奪われることによって、珠姫に男性の危険性を証明しようとしたんだろう。態々変装をした理由は、自分が襲われるかもしれなかったという状況を作りだし、珠姫の恐怖心を煽る為だ。
そもそも憩衣は俺のことを少なからず苦手に思っているはずで、こんな大胆な行動に裏がない方がおかしい。珠姫に対する疑心があって脳をフル回転させていたから、変装を確信してすぐに気付いたよ。
「これだけは言っておく。こんなことしても、珠姫は憩衣を愛してくれないぞ」
妹が自分のせいで身体を汚されたとあれば、珠姫が男子を恨んでくれるか、或いは自責の念に駆られ、今度こそ自分に向き合ってくれると信じたんだろう。
愛ゆえの凶行だ。だけど、そんな都合良くなるだろうか。
「悪いな……どうしても他人には気付かれたくなかったのはわかっている。けど、気付いてしまった以上は、見過ごせない」
「…………構いませんよ。累には、それだけの権利を持っています」
俺からすれば、憩衣は自己犠牲による、冤罪を吹っ掛けようとしていた事になるのだから、それもそうだな。
沈黙を続けた憩衣だったが、一切の否定をしないということは――。
「認めるんだな?」
「はい……累を罠にかけようとしました。ですが、そこまで気付いているなら、私がどれだけ本気なのかもわかってもらえるはずです」
「だから、このまま襲ってほしいって?」
「その通りです。変装が気付かれた以上、珠姫として襲われることは叶わなくなりましたが、妹が襲われるだけでもショックを与えることはできますから」
「俺にはデメリットしかないように思うんだが? 憩衣が襲われたと俺を糾弾した時点で、俺は無事に犯罪者の仲間入りだ……冤罪であったとしてもだ」
「珠姫に疑心を与えてしまうので、訴えるつもりは元よりないですよ。ですから――」
「勘違いするなよ。そんなことは問題じゃないんだ」
俺の考える最大のデメリットは、憩衣と珠姫……二人との縁が切れることだ。
もちろん、俺が二人を義妹として見ていることを悟られない為にも、胸中丸ごと言葉にすることはできない。
だが俺の拒絶には効果があったらしく、憩衣は黙り込んだ。
「……珠姫には何て言って変装を許してもらったんだ?」
「男性不信を治す為に、珠姫の変装をすれば男性にアプローチをする練習になると、そう提案しました」
憩衣はどうしても俺に襲って欲しいのか、素直に話してくれる。
変装の協力については、凡そ予想通りだった。
「だったら、襲われたって珠姫に嘘を吐いて、本当に同情してくれるようには思えないな……憩衣が誘惑的なアプローチした結果、俺に襲われた。そう考えるのが妥当だ」
「適当を言わないでください! お姉ちゃんは私の言う事を信じてくれるに決まってしますから!」
「本当に……? そこまで憩衣のことを大切に想っているなら、憩衣の想いにも応えてくれていたんじゃないのか?」
大体、幾ら憩衣が争いごとを嫌う性格であっても、俺を訴えないという点が甘すぎる。
何故、襲われたのに加害者を罪に問おうとしないのか……珠姫の立場から見れば、そういった疑問が残ってしまう。
頭の良い憩衣がそんな未来を推測できない訳がない……珠姫の感情こそが、彼女の計画で目的としている事なのだから。
あるとすれば……憩衣が恋に盲目になっているということだ。
「嘘じゃありません。わかっているんです……私が実の姉に恋をしている異常な女だってことは! でもお姉ちゃんだって私の恋には気付いています。だからお姉ちゃんは、この不出来な妹を見捨てたりしません!」
ああ、やっぱりそうだったか……珠姫は憩衣の恋心に気付いていたのか。ならば、前世で起こった二人の不仲にも納得できる。
憩衣のお陰で、ようやく前世に残されていた謎を暴くことができた。
『正しいと信じてやってきたことが、真逆の結果を招いてしまうこともあるよ』
あの珠姫の言葉がヒントになって、もしかしたら……と思っていたが、前世で二人が仲違いした原因……その真実とは、姉妹の仲が良すぎたことだったのだろう。
前世で自分に向けられる恋心を知った珠姫は、何とかして安らかに失恋させたかった。偽装彼氏を作ろうという考えは、元々そこから生まれたものだったのだ。しかし、そうしていく内に姉を好きになってしまった妹と、妹を大切に想う姉の気持ちが反発し、真逆の結果へと至る仲違いの未来しか残されていなかった。
「今からでも遅くはないんです……私に協力してください。これは取引です」
憩衣はまだ諦めない。今度は俺の同情を誘って協力してもらおうって算段だろうか。
というか、自身の純潔を勘定に入れるってどうなんだ? まあ……女性同士の恋なら、必要ないって考えもあるのだろうか。いや、そういう問題じゃないだろ。
「取引になっていないな……対価が憩衣の純潔じゃ、釣り合わない」
「累は、私に女としての魅力があるって言ってくれたじゃないですか……今夜だけ私の身体を好き勝手して良いんですよ? 私は何も拒みません……それでもダメなんですか?」
俺の胸に手を当て、憩衣は誘惑してくる。
彼女を魅力的だと言った言葉に嘘はない。好き勝手していいと言われたら、考えものではある。けど、俺は違うだろ。ひと時の欲望で彼女と縁を切ったら、これまでの全てが水の泡だし、俺は一生を後悔する。
もう二度と未練は残したくない……だから俺は、憩衣に手を出さない。
「なあ憩衣、俺はさ……純愛が好きなんだ」
「は、はい? それがどうかしたのですか?」
「ああ。だから悪いけど、恋人でもない相手の純潔を奪ったりはしない」
「……どうして、そんな……累は、頑なに嫌なんですか? 私はどうしたら……」
「嫌ではないさ。けど、よく考えてみろよ? そんな必要ないだろ」
「どういう意味ですか?」
「珠姫には好きに言えばいい。俺に襲われたって嘘の告発をするだけだ。俺は何も言い訳しない。どうにか偽証してみればいい」
「……えっ?」
「なぁ考えてみろよ。俺に純潔を捧げる必要なんてないじゃないか。俺と縁を切るお詫びにしては、大きすぎるプレゼントだ」
前世で憩衣に縁を切られた時の対価には、水をぶっかけられたんだぞ? そんな体験をした俺からすれば、おかしな話にしか思えないんだよ。
流石の憩衣もそれくらいは理解していると思っていたが、きょとんと……そうでもない反応を見せる。まさか考えていなかったのか? 自分の身体を過小評価しすぎだな。
「け、けど……そうしたら累はただの悪役なんですよ? 珠姫からも嫌われて、どういうつもりなんですか? それこそ累にデメリットしかないんですよ!」
「どういうつもりも何も、どの道そうなるじゃないか」
実際に処女を失おうとそうでなかろうと……訴えないつもりなら確かめる必要もなく、結果は変わらない。
「罪悪感が残るから、俺に純潔を捧げようとした……そうなんだな」
「…………」
「なぁ憩衣……嘘を吐いたって、珠姫は見抜いてくるぞ」
珠姫は鋭いからな。俺が珠姫に何も言わないっていうのも、長く通じることじゃない。隠し続けることは難しいだろうし、何より憩衣の方が絶えられないだろう。
最愛の人に隠し事をし続けて平気でいられるような性格には、到底思えない。
「そう……でしょうか」
「ああ、そうだ。断言していい」
誰よりも珠姫の事を知っている憩衣が、そこで言い淀んでどうする。憩衣のミスは、珠姫を信じ切れていないことだ。決して姉を過大評価している訳じゃない……ただ自分の都合の良いように、愛してもらえる未来を期待し過ぎている。
「……私が、間違えていました。ごめんなさい」
ようやく諦めたのか憩衣は謝罪の言葉を口にするが、それよりも彼女の目元に浮かぶものに流石の俺も慌てる。
「お、おい……憩衣、何も泣かなくたっていいじゃないか」
「えっ……? あっ……」
憩衣は手で目を擦りながら涙を拭きとろうとするが、それ以上に溢れ出す涙が顔を伝い流れていった。泣かれている顔を見られたくないのか、腕で顔を隠しだす。
「ごめん……なさい」
「俺は怒っていない。謝るのはやめてくれ」
「…………どうして? 私は累を利用しようとしたのに、どうして……累は許してくれるんですか」
「そんなに器の小さい男になったつもりはないだけだ」
すると、急に身体を起き上がらせた憩衣は、顔を俺の胸に埋めてくる。
「うおっ、なんだよ」
「お姉ちゃんみたいなこと、言わないでください」
「えっ?」
「…………何でもないので、気にしないでください」
どうやら失言だったらしい。しかし、お姉ちゃんみたいか。珠姫も同じようなことを言って憩衣を慰めたことがあったんだろうか。
どうせなら、お兄ちゃんみたい……って言われたかったけど、まだ珠姫には敵わないっていうことなのかもしれない。まあ急に言われても俺が困るか。
「……憩衣?」
「………………」
顔を埋めてくる憩衣が離れない為、そのまま泣き止むまで、軽く彼女の背中をさすっておいたが、気付けばなんの反応もなくなっていった。
泣いて疲れてしまったのか、寝てしまったようだ。
あのまま泣かれ続けるよりは良かったけど……ふと吐息を立てて無防備になった憩衣が、可愛く見えてしまう。義妹に対してそういう感情は抱かないと決めているが、彼女が起きている時の何倍も理性の方が危ないような気がした。
「おやすみ、憩衣」
憩衣に布団をかけた後、俺は逃げるようにランプの灯りを消した。現実逃避した訳じゃない……戦略的撤退だ。
視界が真っ暗になると、憩衣の寝息だけが微かに聴こえ……眠気を妨げられる。
仕方ないから、明日は早くに寝た彼女が起こしてくれることに期待しよう。
今晩の事を経ても、憩衣は珠姫への恋を諦めないだろう。だが、彼女が自分の間違いに気付けたというなら、それでいいじゃないか……と思う。
俺は俺で、彼女の義兄として、すべきことにも気付くことができた。
今はまだ……見守るだけでいい。
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