第29話 理想を騙る2
服屋を一通り回って十分な買い物を終え、他にも雑貨屋などへ寄った。
すっかり空が暗くなった頃、珠姫にしては疲れたのかどことなく大人しくなったが、その口は今も変わらず元気だ。
「それじゃ、今日この後はもうあたしにドンと任せてもらっていいかな?」
「あ、ああ」
もうそろそろディナーの時間だ。元々ディナーだけは珠姫が予約していると聞いた。
母さんにも夕飯は食べて来ると事前に伝えてある。
珠姫に従って、目的地のレストランへは電車で数駅越えた。結構遠かったと思う。
一体何処へ連れて行かれるのかと怖くなったが、到着してから目を疑った。
「この建物……入口に大きくホテルって書かれていなかったか?」
「うん、ホテルレストランだからね」
そうか……ホテルレストランだったのか。それなら納得…………できんよ。そうじゃなくて。
「なぁそれって、部屋を借りなくても入れるのか?」
「さぁ……ホテルによるんじゃない? まああたし達は部屋を借りるから、そんなこと気にしなくていいんだよ」
「ん……?」
「んー?」
俺が首を傾げると、オウムのように珠姫も首を傾げる。また揶揄っているのかな。
「なんで部屋借りるんだ?」
「えっ、だって泊まるから」
「珠姫が?」
「あたし達が」
あたし……達?
「……ちょっと待て、一泊するなんて聞いていないぞ?」
「うん、言ってなかったね」
「俺だけ帰るのは?」
「えー!? 今日はあたしに任せてくれるって……約束したのに~! 酷いよ、累くん」
強引な提案に俺は戸惑った。適当に言ったと思っていたら、布石だったのか。いやいや、それは確かに俺も了承したけど、日をまたぐとは聞いていない。
真剣な顔を見せるが、珠姫は様子を変えない……本気で言っているのか?
「いや、でも――」
「ふーん、男に二言でもおありで?」
「……はぁ、ありません。わかったよ」
「よろしい」
突然強気になった珠姫に上手く乗せられてしまった。
別に明日も休日だからいいけど、後出しでそんな事言われても戸惑うに決まっているだろ。
まあ最初からホテルで一泊するって言われたら流石に断っていただろうから……俺も絆された感が否めない。
母さんに友人とホテルへ泊る旨を連絡すると、流石に驚く反応がスタンプで返ってきたが、特に反対はされなかった。迷惑ばかりかけて不甲斐ない息子だと思う。近いうちに親孝行しないとな。
レストランへ入ると、高校生のデートにしては雰囲気が本格的でついソワソワしてしまう。というか練習って設定はどうなったんだ……適当か。
多少の緊張はあったが、出されたコース料理一つ目からスパイスの香しい料理で、緊張するより腹の虫がなりそうになる。
「乾杯~!」
「乾杯」
「累くん……今日は付き合ってくれてありがとね」
「結構強引だった気がするけどな?」
「気のせいだよ」
「まあ美味な料理を食べさせてもらっている事だし、そういう事にしておこう」
そのまま談笑しながら腹を満たしていったが、本当に美味しい為か段々とお互いに口数が減っていく。
しかし無言でまじまじと見つめられると、流石に気になる。
「ねぇ累くん……」
「何だ?」
「ぶっちゃけて憩衣ちゃんのことどう思ってる?」
「どう……って、恋愛感情があるかって意味か?」
「そう」
「ないよ……だから心配するな」
「……そっか」
珠姫ならわかっていた回答だろうに、何だか納得いかないような返答。
「けど偽装彼氏としては、憩衣と一緒にいると楽しいよ」
「……そっか」
同じ「そっか」でも、若干変わった声のトーン。それ以降、憩衣については何も訊いてこなかった。俺の気持ちが知れて憩衣との偽装恋愛が順調だと安心したのか、或いは――。
(………………)
静かに溜息を吐きながら、料理を味わうことに集中する。最後のデザートが出る頃には、今日の珠姫には不審な点が多すぎて、最早何も考えず楽しむことが正解だと考えた。
俺は特に一泊の準備こそしていなかったが、寝巻はアメニティのバスローブがあるからいいし、風呂も部屋付きだけでなく温泉付き。都市から少し離れている立地は、自然を堪能できる温泉があったからだった。
数時間歩き回っただけとはいえ頭も使ったせいか、なんだか今日は疲れた。こんな日に入る温泉はとく極上だった。
「ふぅ……もう戻っていたのか」
「うん。というか、累くんが遅すぎ」
「悪いな」
俺が戻らなかった所為で、早寝できなかったことを不満に思っているのか、頬を膨らませて怒り顔だ。
手には木の棒を持っていることから、待っている間にアイスを食べていたことが伺える。俺の分はなさそうだ……まあ待たせたというのだし気にしない。いや、俺が食べたいという意味ではない。
あまりに快適なホテルに俺は贅沢な気分を味わうことができたが、御覧の通りたった一つだけ問題がある。
「それにしても、なんで別々の部屋を選ばなかったかな……」
「折角二人で来たんだから、一緒の部屋に決まってるでしょ~! むしろ、長湯して待たされたあたしの気持ちもわかってよね」
「はいはい」
珠姫が予約していた部屋はツインルーム一室だった。
言いたいことはわかるが、俺達は異性であって、間違いが起こるかもしれないのに、警戒心がない。
温泉にゆっくり浸かっていた所為か、すっかりと夜も更けてしまったし、早速ベッドへと倒れた。室温も程よくポカポカとして気持ちが良い。これならいつもと違う枕でも熟睡できそうだ。
「……やっぱり広いな。俺の部屋より広い」
「窮屈するよりいいじゃん」
「それもそうか」
「んー? もしかして……一室のダブルベッドで、一緒に寝たかったかにゃ?」
「馬鹿も休み休み言え」
そう言って俺は、部屋の電気を消した。
ベッドの寝心地もいい……いきなり一泊すると聞いて戸惑ったが、断らなくて良かったと思った。
すると、目を閉じた後にぼんやりと灯りが付いていることに気付く。
「どうした? ランプつけて」
「鈍感……二つベッドがあるからって、男女で二人きりなんだよ? そんな簡単に眠れると思ってたの……?」
急にかけ布団を剥がされたので、目を開けると、目の前には珠姫の顔があった。
「…………おい」
「先に言っておくけど、あたしって誰にでもこういう事したりしないからね? 恥ずかしいけど、これまで純潔は保ってきたし」
そんな事は心配していない。ただこれは何のつもりだ?
シングルベッドは二人で寝るには狭すぎる。防音性が高い部屋とはいえ、そこまで許されているホテルでもないだろう。
そして俺を押し倒すような体勢でその物言い……まるで誘惑しているみたいだ。いや、俺は今誘惑されているんだろう。突然のことで受け入れ難かった。
「最初から、こうするつもりだったのか?」
「えへへ、どうかな? あたしだって年頃の女の子だもん……そういう気分になっても不思議じゃないよ。累くんこそ、ツインルームを選んだ時点で、何も期待していなかったかな」
「………………」
「今日は、こうしたくて誘ったんだよ……?」
「………………」
「だからさ、いいよね?」
ランプの灯りだけが照らす寝室。大胆になった彼女は俺の腕を掴み、自分のバスローブを剥がすように胸元へ寄せる。俺の許可なんて最初から取るつもりがなかったらしい。
まだ湿り気の残る彼女の身体が急激に体温を上げているのがわかる。肌から結露するようにして浮かぶ水分が手に伝わった。
のぼせたように火照った顔を見せられ、本来なら俺の理性なんぞ悉く破壊されそうになっただろうけど……俺は今、彼女の顔とは別のものを凝視していた。
「………………」
「ねえねえ、何か言ってよ。女の子が誘ってるのに、ぶっきらぼうだぞ~? お目目まん丸にして、驚かせちゃったかにゃ」
「……男を誘うなら、せめて演技はやめたらどうだ。それも、初めてなんだったら尚更だ」
本当に驚いているよ。何より俺が結構自信を持っていたことだったから、ここまで警戒を怠っていなくて良かった。
何一つ彼女は間違いを冒していない……ただ俺が、彼女のことを彼女自身以上に知っていただけに過ぎない。
「えっ? ちょっと累くん……一体何を言ってるの? 演技って……何のこと?」
「悪いな……ここまでされたら見過ごせない。そうだろ……憩衣」
「……ッ」
俺の指摘と同時、彼女は身体を起き上がらせて俺から身体を離そうとする。
その行動は認めたようなものだが、疑いをかけられた時点で言い訳できるものではないと悟ったのだろう。
しかし、その時点で逃がすつもりはない。俺は彼女の腕を掴み身体を引き寄せた後、身体をひっくり返るようにして彼女を押し倒した。
彼女は珠姫じゃない。今日一日ずっと俺と一緒にいた彼女は、憩衣の変装だったのだ。
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