第26話 オチタテンシ1 / Side ikoi

 累を待ちながら、友人達と話をしていたらすっかり遅くなってしまった。まるで迎えに来る様子のない累は何をしているのか気になって教室まで行くと、何やら話し合っている様子。話し声は聴こえにくいが、揉め事には見えない。私が介入したら邪魔かもしれないので、廊下で待つことにした。すると、累の声が部分的にはっきりと聴こえる。


「憩衣が近くにいて、俺の成績が向上した。釣り合わないままで許してくれる程、憩衣は甘い女じゃないってことだ」


 私達の関係について話を聞かれている? 私も友達から色々と聞かれたから、すぐに察した。しかし三日も経ってまだ聞かれているってことは、これまでお姉ちゃんが累に付き添っていて話を聞き出せなかったのかもしれない。なんか複雑な気分になった。


 その後、累を連れ出して帰りを共にすることにしたが、何だか申し訳なさそうな顔を向けられた。


「憩衣、怒っていないのか?」

「……? 何か心当たりでもあるのですか?」

「さっき迎えに行かなかったし、それで怒っていたように思っていたから」


 ……怒っていた? いつも通り振舞っていたつもりだったけど、そんな自分の感情は意識できていなかった。

 しかし私が何かに不安を覚えているとしたら、心当たりは最近お姉ちゃんが累に引っ付いていること以外に思い浮かばない。


「私はそこまでせっかちな人間ではないですよ。ただ累がその――」

「うん?」

「男子と話していると、近づきにくかったので……」

「あー、そうだな。積極的には避けているんだっけ」

「そうです。累に関しては例外ですが……出来れば女装を検討してほしいと思っているのですよ」

「ええっ、そうだったのか。流石に困ったな」

「ふふ、ちょっとした冗談です」


 私の男性に対する苦手意識は、何も外見が理由じゃない。だから女装されてもむしろ私が困ってしまう。別にそんなことしなくても、累のことは不思議と嫌じゃない。


(どうして……?)


 お姉ちゃんが信頼している人だから? 以前、迷子になった時に私を見つけてくれたから?

 それとも……彼が素敵な男性だから?


 こうして累と話しながら帰る毎日が、楽しくなってきている。こんなに気兼ねなく男子と話せるのは、小学生の頃以来だと思う。だから勘違いしているだけ……なのかもしれない。




 ***




 家に帰ると、お姉ちゃんは既にリビングで鼻歌を歌いながらスマホを弄っていた。最近ずっと私と累を二人で下校させる為に避けられているような気がする。

 放課後のその行動は、私と累の恋人アピールの為に距離を取っているんだと思っていた。

 でも、本当はそれが……私の見ていないところで累と一緒にいる事を隠すためのカモフラージュだとしたら?

 心がモヤモヤする。


「どうして、珠姫は……累を信頼しているのですか?」


 だから直接訊いてみることにした。

 以前、階段から落ちるところを助けてくれたから……と答えてはいたけど、本当にそれだけなのかな? 二次元オタクだっていう噂だって、実際に話してみればそんな風には思えなかった。正直、私は疑心暗鬼になっている。


「どうしたの今更。なんか累くんとあった?」

「いえ私と累の関係に何か問題がある訳ではないのですけど、むしろそれが、なんといいますか……上手くいきすぎるような気がして」

「いいことじゃない~」

「その……ちゃんとした理由がほしいんです。珠姫は私の知らない何かを知っているんじゃないですか?」

「うーん、そうだね。累くんがここまで憩衣ちゃんに協力してくれるとは、あたしも予想外だったんだけど、どう答えようかにゃ~」

「因みに、女の勘は禁止です」

「おや、憩衣ちゃんもお姉ちゃんのことがよくわかってきたね。致し方ない、腹を割ってあげるよ」


 それからお姉ちゃんは具体的に累を信頼する理由を答えてくれた。

 他人が落としたキーホルダーを彼が熱心に探しているところを目撃したこと。傘が壊れた時に貸してくれたこと。そして階段から落ちそうになった自分を助けてくれたこと。累はあまり覚えていないらしいけど、そういう出来事があって累を信頼しているらしい。


 作り話かもしれない……けど、お姉ちゃんを疑いたくはないから信じることにした。もしかしたら、お姉ちゃんの累に対する信頼は、こうして私がお姉ちゃんを信じているのと同じなのかもしれない。

 そう考えたら、何故か胸が苦しくなってきた。


「珠姫って、累のことが好きなのですか?」

「え、そう見えちゃう……か。うん、まあ好きだよ」

「……………………」


 心臓の鼓動が耳鳴りのように聴こえた。


「ああ、人としてだよ? 恋愛的な感情はないかにゃ~」

「そう……ですか」


 肯定の言葉に驚いて、上手く言葉が思い浮かばなかった。お姉ちゃんも人が悪い……いとも簡単に他人を好きだなんて、私にはとても言えないことだ。

 そう……私は当たり前に絶句してしまっただけ。そこに他意は存在しない。


「そもそも憩衣ちゃんとのカモフラ恋人生活に水を差すようなことしないので」

「……世間体を気にする必要がなければ?」

「それは、あたしでもわかんないかな。お姉ちゃんも女の子なので、男の子のカッコいいところにはときめいちゃうよ」

「普通の女の子は、そういうものなのですか?」

「うん。普通は、そうだよ」

「…………そうですか」


 私は普通の女の子じゃない……けど、そういう感情が何処かにあるのかな。

 よくわからない。何故、こんなに心がモヤモヤするんだろう。


「けど、もしあたしが一人の女として累くんを好きになっても、多分累くんの方に脈が無さそうだしにゃ~」

「どうして? わからないじゃないですか」

「人は、そう簡単には変わらないから」


 彼が現実の女性に興味がないから……という意味だと思うけど、私からすれば充分に変わっているように見えた。変わる前の面影を殆ど感じない。

 しかしお姉ちゃんの確信めいた口調は、一体何故なんだろう。また女の勘なのかな。


 コーヒーを淹れて、一息吐く事にする。


(どうして私……こんなに悩んでいるんでしょうか。何に悩んでいるのかさえ、わかっていないのに)


 指先で唇をなぞる。本当に自分が欲して止まないものが何なのか、はっきりさせないといけないから。


(人は……そう簡単に変われない。お姉ちゃんの言う通りです)


 私は変わらない。変わっては……いけない。

 心に浮かぶ微かな願望が、心に沈めた重い欲望に喰われる。

 この欲張りな気持ちを満たさないと、おかしくなってしまいそうだ。


 ふと……そこで一つの計画が私の頭に浮かぶ。

 最も合理的で、最も愚かな選択。けれど、私にお似合いな末路。

 迷いの片鱗を断ち切り、傾いてしまった天秤に調和を取り戻さなければいけない。


(お姉ちゃんの言う通り……正しいと信じてやってきたことが目的とは真逆の結果を招いてしまうなんて、よくあることだもの)


 そう、よくあること。これが予定調和。こうなる運命。何も問題はない。

 お姉ちゃんの言う通り。

 お姉ちゃんの言う通り。

 お姉ちゃんの言う事はいつも正しい。

 すなわち――。


(お姉ちゃんが全部悪いんですよ)


 お姉ちゃんが私に男子なんて紹介するから。そして私みたいな可愛げのない女に優しくする彼もいけない。お陰様で私はもう、戻れないところにいる。

 これは、今までもこれからも、すべてお姉ちゃん自身が招く間違いなのだ。


「お姉ちゃん、累のことで提案があるのですが聞いてくれますか?」

「ええっ、急なお姉ちゃん呼び!? もぅ、何でも聞いたげるよ~」

「では――」


 だから…………累もお姉ちゃんも、私と一緒に地獄へ堕ちてほしい。

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