第24話 今はまだ失っていない幸せ

「なっ、ななな」

「どういうことですの? 空耳かしら」

「憩衣さんに彼氏……だと!? 冗談じゃないのか」

「ち、畜生……僕たちのアイドルがッ」


 周囲の連中は信じられないという顔を向け、最早隠す気もない声が聴こえた。流石に恋愛面では特待生云々も関係ないし、俺の容姿に難癖を付けてくるような奴はいないようだ。ただ本人が辟易するくらい多くの男子が懸想していた通り、ショックを受けている者がよく見える。


 とはいえ俺もまったく心構えが出来ていなかったから、ちょっと戸惑っている。試験結果が出るまでは落ち着かなくて、憩衣とは具体的にいつ公表するのかを話し合ってすらいなかった。加えてこのタイミングは大胆過ぎる。

 それどころか、急に憩衣が俺の元まで来て身体を引き寄せた。


(何やってんだ!?)


 周囲の視線に気付いて、咄嗟の行動なのだろうか。カモフラージュ彼氏としては、それなりにアピールするべきだろうけど、俺だって急には無理がある。というか、憩衣の手は若干震えていて彼女も無理をしているのがわかった。恋人関係がよくわからない為か、勢いで寄って来たのだろう。


「どっ、どういうことですの? 憩衣さんにかっ、彼氏というのは――」

「うーん、愛し合うと書いて愛人?」

「優奈さんはちょっとお黙りなさい」

「えぇ……」


 取り巻きの駒月は理不尽を言われたと拗ねた顔をし、安栖は呆れて物も言えないという顔になっていた。

 だが、流石の俺も駒月の言い方はどうかと思ったぞ。マイペースなのかわからないが、凍った空気を少しでも和らげてくれた事で俺も正気に戻った。


「憩衣、良かったのか? こんな時にバラして」

「……? 折角注目されているみたいですし、丁度良いタイミングじゃないですか」

「そ、そうだな。こんな頭の良い憩衣が彼女で俺も誇らしいというか何というか……」


 ダメだ。まだ全然頭が正常じゃない。つい憩衣の考えに納得してしまったが、彼女だって意図したタイミングじゃなかっただろうことは見ればわかる。

 けど、彼女が主席で誇らしいのは本心だし、俺の方は何も問題ないはず……。


「そ、そんな急に、みんなの前で褒められるのは……困ります」


 問題ないはず……あれ? 憩衣は本当に困っている様子だが、演技だよな?


「おほんっ、それで……お二人はお付き合いをされていますの? 貴女のことをよく知る身としては、とても信じがたいことですわ」

「え、ええ。そうですよ。私だって一人の女ですもの。彼氏の一人や二人作ります」

「……二人は作ってほしくないけどな?」


 憩衣も緊張しているのか、らしくない動揺を見せている。しかしながら、安栖は自身の落ち着きを装うのに夢中で気付いていないようだ。

 それも仕方ないか。賛同の声を集めたものの、憩衣の突飛な彼氏公表によってムードが完全に変わってしまった。安栖が内心焦っているのは想像に難くない。


「それで安栖さん、順位を落としたのには理由が? 健康そうに見えて何処か不調でもあったのでしょうか」

「……いえ、わたくしの実力不足ですわ。言い訳する気はございません」

「そうですか。元気なら良かったです」

「え、ええ」


 憩衣は無自覚そうな顔をしているが、ナチュラルに煽ってしまっている。安栖の顔は内心の屈辱を表に出さないように我慢しているものの、怒りで瞼を微動させていた。


「か、環那……これ以上は引き時なんじゃって。ああっ、出過ぎた真似だとは私も承知しているよ? でも、私この空気に耐えられそうにないしぃ」

「……そうですわね。優奈さんの言う通りですわ」

「う、うん、だよね! 良かったぁ」

「それでは憩衣さん、わたくしはこれにて失礼致しますわ。行きますわよ優奈さん」

「はいはーい」


 おどおどした駒月に説得され、安栖は去って行った。

 駒月……消極的な性格っぽいし、安栖にビビっているようにも見えた。しかし、伊達に俺よりも順位が高い訳じゃなかったらしい。その説得によって俺は安栖の隙を突くチャンスを失ったのだ。これに懲りて馬鹿にするような真似をしないといいけど、彼女の性格を考えるとわからない。


「さて、では私達も行きましょうか」

「お、おう。あっ、外里……さっきはありがとうな」

「ううん、気にしないで。その代わり、後で色々訊きたいことあるから」

「あー、そう……だな」


 外里は目元が隠れているせいか表情がわかりにくいが、俺と憩衣の関係が気になっているみたいだ。俺のそういう話を彼に伝えたことはないし、純粋に興味を持っているだけだろう。疑われているかもしれないという思考が脳裏に過るが、一々そんなこと考えていればキリがない。もう少し肩の力を抜くべきだな。




 ***




 心が休まらない。

 さっきフラッシュバックしてきた光景の所為だろう。あの時俺の頭に浮かんだのは、逃げたくなって仕方なかった過去、いや未来の話か。

 俺が人生で絶望した記憶の一つ――母さんの葬式だ。

 喪服の大人に囲まれたあの日、視界が真っ黒に染まるように、俺の心も蚕食されていった。


 思い返してみれば、そこで初めて珠姫と憩衣の顔をしっかりと見たんだった。二人とも髪色を黒く染め直し礼儀を弁えていたから、普段は似ていない二人の顔が瓜二つだと知ることができたのだ。

 きっと俺は……二人と同じ共通点を探したかったんだと思う。母さんが死んだ上に、義理の父親は海外出張で国内にいなかった為、葬式に来れなかった。裏切られたような気がしたし、薄情者だと軽蔑したよ。そして、もう俺の家族はこの二人しかいないと気付いた……思い知らされた。俺の妹はこの二人しかいないのだから……と、兄妹である証を是が非にでも見出したくて二人を観察した。


 すなわち現実逃避だった。

 結局、俺と二人は兄妹として似ている部分がなかった。ショックだった……この姉妹は嫌なくらい似ているのに、俺だけ仲間外れな気がした。血が繋がっていないのだから当然なのに、俺は独りよがりに狂って傷付いた気分になった。だから二人とは距離を置き、俺は引きこもりの無職になったのだ。


 後から聞いたところによれば、珠姫と憩衣は一卵性双生児である為二人が似ているのは当然だったらしい。しかし、観察したお陰でほんの少しだけ二人の違いに気付けるようになった。

 暗いところで二人の目を見比べると、瞳孔が違った……ただそれだけ。それからというものの、何となく二人の違いがわかるようになったのだ。


「累、大丈夫ですか? 顔が暗いように見えます」

「悪い、嫌な事を思い出しただけだ」

「テストのことでしたら、累は頑張りましたよ」

「わかってる。心配してくれてありがとう、憩衣」


 成り行きで関係を公表してしまった為。憩衣と食堂で過ごす。何も言っていないのに鋭い憩衣は、俺の顔をまじまじと見て察してしまったらしい。ランチタイムなのに、相席する相手が暗い顔をしていては飯が不味くなるだろうと、俺はすぐに表情を取り繕った。


「わっ、私は……彼氏の累が暗そうな顔をしていては変に疑われてしまわないか心配だっただけです」

「確かにそうだな。けど、大胆なアピールはほどほどにしてもらえると……胃が持たん」

「あれは……自分でもどうかと思いました。以後気を付けます」


 お互いに注意を欠かなければ、このまま自然と馴染む話。後は噂が勝手に広まるのを待つだけなのだから。


 しかし俺が本当に暗い顔をしていたのか……やはりフラッシュバックした前世の記憶によるショックはあった。試験の順位にちょっと凹むだけなら耐えられたかもしれないけど、安栖が余計なことを言ったせいだ。


 あの二次元に近しい容姿さえしていなければ、頭の中でボコボコにする妄想くらいできたのに……男とは残念な生き物で美女に弱いらしい。二次元から離れてしまったが為に、逆説的に彼女のような存在が目の保養になってしまうんだろうな。まあ美女が国も傾けることもあるらしいから、仕方あるまい。


 そんな下心がありながら、安栖に関しては彼女自身の立場もあると俺も納得しているから、多少のことなら目を瞑れる。しかしならば、やっぱりさっきの件は無視が正解だったかな? と振り返ったけど……うん、もう少し感情に振り回されないようにしないと。

 けどまあ憩衣のお陰で、今後の安栖はおいそれと俺にちょっかいをかけにくくなっただろう。本当は俺が憩衣の盾になるはずだったのに、ちょっとばかり格好悪いオチだ。


「おまた~、なんか大変だったみたいね」


 遅れて合流した珠姫を見て隣の席を開ける為に荷物を退かすと、珠姫は少し俺の方へ椅子を寄せてから座った。静かに味噌汁を啜っている対面の憩衣の瞼かピクリと痙攣したような気がしたが、気のせいだろう。


「憩衣が俺達の関係を公表しただけだ」

「安栖さんが累を馬鹿にしていました」

「それは言わなくていいだろ」


 噂されてほしい事だけ伝えようと思ったが、憩衣が淡々と事実を報告してしまう。一応珠姫は安栖と友人みたいだし、態々関係が拗れるようなこと言ってほしくないんだけどなぁ。


「すずみんが? またちょっとお節介かけただけなんじゃなくて?」

「クラスが違う為あまり関わりのない私も今まではそう思っていましたが、違ったみたいです。数少ない良い人だと思っていたので、私も残念です」

「………………ところで憩衣ちゃん、なんでそんな怒ってるの? はーん、わかったぁ。累くんが馬鹿にされたからかにゃ?」

「~~っ、怒っていません」


 ん? そりゃ一応恋人のフリをしているのだし自然な流れだと思うけどな。珠姫にしては妙な揶揄い方だ。仲の良い安栖が善人じゃないと言われれば、多少の動揺は見せるか。近くにいたからこその先入観でもあったんだろう。正直、俺は珠姫が今後安栖と仲良くしようがどうでもいい。これを気難しく考えるのは、俺に気を遣わせることと同義なのだから。


「試験はもう終わった。結果も出たことだし、あまり振り返っても仕方ないぞ」

「わっ、私が誰の為に怒ってあげ…………大体ですね、累が暗そうな顔をしていたから――」

「え、累くん具合でも悪いの?」

「珠姫、私の言葉を遮らないでもらっていいですか」

「えぇ……いいじゃん~、気になって夜も眠れなくなりそうだよぉ」

「はぁ。ちょっと試験の結果を悔しく思っていただけだって。俺だって学費免除が目標だったから」

「おおーっ、目標が高くて偉いっ! って、お金に困っているならあたしが出すけど」

「お金で繋がるお友達はお金で終わるんだよ。金の切れ目が縁の切れ目って言うだろ」

「今は妹の彼氏さんだけど?」

「……なんだよ、その屁理屈」

「……うわぁ累くんの意地っ張り」

「ちょっと、何のお話をしているのですか。珠姫、彼氏でもない男に貢いだりしてはいけません」


 まるで彼氏ならいいと言いたげだが、そんな意図はなさそうだ。憩衣は常識の欠けているところがあるのか、偶に天然なところがあってこちらが心配になる。

 というかアピールの為とはいえ、態々彼氏という言葉を何度も聞かされるとムズムズしてくる。あくまでフリなのに、歯痒いったらありゃしない。


「概ね憩衣の言う通りだ。だからという訳じゃないが、俺はもう平気だから、珠姫も気にするな」

「むぅ。でも累くんはさ、お母さんに楽をさせてあげたかったんでしょ?」

「おいおい、女に貢がせる息子を見たら、寧ろ俺の母さんは卒倒すると思うぞ」

「そうじゃなくて! 累くんの優しさは、努力は、結果として表れているんだから、累くんが辛くなる必要はなくない? ってこと! もっと自信を持ちなしゃい」


 珠姫は俺の内面を何もかも見通すような瞳を向けて、次には背中を叩いて励ましてくれた。

 しかし、俺は何か気持ちの悪い違和感を覚えてしまう。


「…………ちょっと待て、おかしくないか?」

「え、あたし可笑しなこと言ったかにゃ」

「珠姫に対して俺が母子家庭だなんて、教えた記憶がないんだが、なんで俺が母親の負担を減らす為だってわかったような言い方した?」


 まさか、珠姫にも前世の記憶が――。


「ああ……累くんを見ていれば、わかっちゃうよ」

「それは無理があるだろ」

「ううん。勉強会で家に上げた後、累くんにも話したと思うけど、あたしのお母さんはあたし達を産んですぐに亡くなってるの。同じ片親だからかな、わかっちゃうんだよ」

「……っ、悪い」

「謝らないの。あたしは不自由してないし平気なので! ついでに物心ついた時から母親がいないと、よくわからないので」


 …………本当に? よくわからない癖に、平気じゃない人間のことが理解できるなんて……簡単に矛盾している。それに珠姫の父親が財閥を動かす多忙な人物である以上、母親がいなくて苦労しなかったという方が考えにくい。

 だから、これは珠姫の強がりなんだろう。


「まあさ、変わらないことよりも、変えられることに目を向けようよ! 今回の試験みたいに失敗もするかもしれない。だったら後で笑い話に出来るだけの成功をしなきゃねっ」


 彼女は精一杯の……眩しいくらいの明るさを見せ、言葉を続ける。


「世の中には、正しいと信じてやってきたことが目的とは真逆の結果を招いてしまうなんて事さえ……あるんだから」

「えっ?」

「なので! そんなしょげないで……累くんは、頑張ったんだよ。偉い偉いの刑!」

「ちょっ、背中叩き過ぎだろ。暴力反対だ」


 実際にはポコポコと叩かれるだけで痛みは一切ないのだが、可笑しなくらい滅茶苦茶な行動だ。

 けど、珠姫の言う通りだと俺は思った。

 俺は頑張った……出来るだけのことをやれた。これまでの努力は決して無駄なんかじゃない。何より、母さんはこの程度のことで俺を失望したりしないだろう。ちょっと俺が完璧主義だったというか、気が張り過ぎていたようだ。


 まったく、珠姫のこういう頼りがいのある姿は見習いたくなってしまうな。

 二人ともいつもより優しく思えてきた。それだけ俺の弱っている内面が表に出てしまっているということで、あまり良くはないのだが。


 しかし、そうだな……この二人の前で弱音を吐くのは一年後、義兄としての威厳に関わる。前世とは違うのだから、もう少し落ち着けるようになろう。


「…………」


 肩の荷が下りたような気がしながらも、何故か憩衣と目があった。

 ……あっ。彼女がいるのに、その姉に激しいスキンシップをされて、あっさりと受け入れている状況……に見えなくもない。周囲から疑われることを避けたくても、本当の彼氏じゃないから事情を知っている姉に対して強く言えないという葛藤を表情から察した。

 まあ肉親ならセーフ理論で変な噂が立つこともないんじゃないか? 俺は楽観的だろうか。




 ***




 今日はいつもより早くに自宅へ帰った。何だかんだで、珠姫の言ったことが俺の心に響いたみたいだ。俺にしては珍しく、帰宅した母さんにすぐ試験の結果を伝えると、母さんは素っ頓狂な叫びが一室に響いた。


「ええ~っ、学年七位~!! かかっ、カンニングとかじゃないのよね!?」

「息子への信頼ゼロか!」

「もちろん冗談よ。ちょっと驚き過ぎただけで……母さんね、わかっているから」

「……母さんに何がわかってしまったのか心配になってきた」

「あら、累がお友達と勉強会していたのは聞いていたし、頑張ったんでしょ?」

「いやそうだけど……紛らわしい言い方をしないでほしかった」


 なんだか本当に……俺の悩んでいたことが全て杞憂であったかのように、母さんは盛大に喜んでウキウキになった。冗談を言うことが、何よりも母さんが元気な証拠だ。今まで裏で何をやっていたのか怪しい息子を疑わず、俺には勿体ないくらい良い母親だと思う。


 そして夕飯が普段よりも少し豪華になった。母さんが生きている事実に涙を堪えるのは、滝に耐えるような修行だった。


(そっか、少しずつ俺……変われているんだな)


 次はもっと頑張ろうと、心の底からそう思えるようになっていた。

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